編集長コラム 第13回「ココロの兄貴 〜神戸・栄町が生んだ奇跡の実話〜」

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昔、神戸の栄町に、うちの弟にそっくりなお兄さんがやってるカフェバーがあった。

第一報をもたらしたのは、幼馴染の母親だった。
「もうすごいで!めちゃくちゃ似とぉで!」

そんなん聞いたら、もう矢も盾もたまらずとはまさにこのこと!とばかりに道を転がるようにして、すぐそのお店に急行した。

「いらっしゃいませ」と微笑むそのお兄さんを見て、「うわ、ほんまや、弟や」と思った。
確かまだ弟の死から間もない頃だったから、私は18歳だった。

シレッと奥の席に座ってパフェを注文し、待っている間も食べている間も、隙あらばカウンターの中に立つお兄さんの顔を凝視した。
穴があくほど見つめるとはこのことだったし、なんなら常に涙目だった。
多分お兄さんは当時20代後半ぐらいだったと思う。

自分の挙動があまりにも不審なことを自覚するほどだったので、帰りにレジでお会計をしてもらったときに「めっちゃ見てしまってすみません。実は…」と事情を打ち明けた。

そしたらお兄さんは「あー、そーだったんですね。僕の顔で良かったらいつでも見に来てください。」と言ってくれたその雰囲気や表情までもが弟にそっくりで、帰ってからも思い出す度に泣けて泣けて仕方なかった。

あまりにも立ち直れない私を見かねた弟の差し金かと思うと、また弟が恋しくてたまらなくなり、結局立ち直れなくて堂々巡りだった。

それ以来、しょっちゅうお店に行くようになった。私が注文するのは決まってパフェ。ここのパフェが大好きだった。
一緒に付き合わせた何人もの友達も、オシャレエリアにあるオシャレなこのお店を気に入ってくれて、高校の卒業式の日の夜は女子20人ほどでこのお店を貸し切って卒業パーティーをさせてもらった。
私は卒業できなかったけどw

その後もお店に通い続けて、二十歳になって1人バーデビューを果たしたのもここだったし、友達とふざけて「いっちばん強いお酒ください!」とお兄さんにお願いしたら『神風』というお酒を出してくれた。
その勇ましい名前通り強くてキツーいそれに私はすっかりハマり、それから毎回『神風』を浴びるように飲んでいた。
・・ちょっと兄さん、今考えたら二十歳の女の子に教えるお酒ちゃうやん!
でも多分、小娘の好奇心を満たしてやろうとしてくれたんやと思う。

でもその頃、私の心は閉じていたしお兄さんと必要以上の会話をしたことはない。
誰にも甘えてはいけないと思っていたし、お兄さんも人の心に土足で踏み込んでくるような人じゃなかった。

その後、私も自分の人生に忙殺されて、数年後久しぶりに行ってみたら、お店はなくなっていた。
お兄さんのフルネームは知っていたからFacebookで検索してみたらすぐに見つかった。どうやら今は故郷の島根に戻ってるみたいだった。
とりあえず生存確認はできたので友達申請することもせず、それからも自分の人生に必死だった。

そして私は29歳の時に栄町のアパレルショップでバイトをすることになった。
最初は別の店舗の予定だったのが配属された先は、お兄さんがやってたお店が入ってたビルだった。
なんとなく「ここなら安心して働ける」と思った。
実際、そのアパレルショップはものすごくいいお店だった。
同い年の店長のことは今でも尊敬しているし、一緒に働いてた子たちとは今も付き合いがある。
女子だらけの職場でここまで平和なお店は見たことがない。
なんというか表面的ではなくみんな心底ウラオモテのない子ばかりだった。

ある土曜日、混み合っていた店内で1人佇む男性が目に留まった。
よく見かける彼女や奥さんの買い物に付き合わされてるという風でもなく、その男性は店の内装や天井をしげしげと見廻していた。

不思議な行動をする人だな、とその横顔を見ていたら段々記憶が蘇ってきた。
「神風!」と気付いたときにはもうその人は店を出ようとしていて、私は目の前のお客さんに声を掛けられてもうどうしようもできなかった。

「神風!神風!カミカゼーーー!」
その日はバイトが終わる時間が待ち遠しくて仕方なかった。
その夜、お兄さんのFacebookにメッセージを送った。やっぱり本人だった。
家族で神戸に来てたらしい。
それがきっかけでFacebookで繋がるようになったある日、お兄さんがFacebookに今やってるお店のHPを載せた。

なにげなく覗いてみたら、そのHP内でお兄さんがブログを書いていて、活字中毒の私は心躍った。
最初から遡って全部読み漁り、それからほぼ毎日更新されるブログは私の楽しみのひとつになった。

でも、そこで私はお兄さんも色々大変だったことを初めて知った。
突然なくなったと思っていた栄町のお店は、いわゆる倒産だった。
奥さんにはとてつもない苦労をさせてしまったと度々懺悔が綴られていた。
なりゆきで実家の喫茶店を継ぐ形になったそうで、「今じゃ片田舎の喫茶店のマスター」と自嘲気味に言いながらも、あの手この手でお店をより良くしてやろうという気概も感じた。
そして私はあの頃お兄さんと必要以上の会話をしなかったので、この人のことを本当に何も知らなかったんだなぁと気付くことになる。
お兄さんはなんと広島新庄の野球部出身だった。私の大好きな高校野球をお兄さんも愛しているのがうれしかった。
さらにお兄さんは無類の読書家で映画にも精通していた。

私もたいがい読書家やと思ってたけど、お兄さんの精通ぶりはハンパじゃなく、私はブログで紹介される本や映画を片っ端から見ていった。
お兄さんが「面白かった!」という作品は本当にどれもこれも私の琴線に触れ、私にとってカルチャーの師匠ともいえる。
ご本人はブログで「俺は体育会系と文化系の悪いとこ取りした人間」と書いていたが、私もそうだからすごく分かる。
いつしか私はお兄さんのことを『ココロの兄貴』と勝手に慕うようになった。
もちろん、もーれつア太郎のココロのボスから取ったんだけど、同世代の誰にも伝わらなかった。

なんと、この話はここまでが前置き。
本題は、来週からそんなココロの兄貴がこのマガジンに文章を書いてくれることになった。
私は兄貴の書く文章がすごく好きなので、これは編集長としてのお願いだった。
兄貴は快くふたつ返事で引き受けてくれた。

めっちゃうれしい〜と思いながら、兄貴が最近オススメしていた映画『トップガンマーヴェリック』を観に行った。
私は初代トップガンが大好きで、新作も兄貴が言うならきっと面白いんやろと信じて観てみたら、もう面白いなんてもんじゃなかった。二日連続で観に行ったことが全てだ。

たまたま兄貴がこの映画を観た直後にこのお願いをして良かった。
兄貴もきっとキャプテンマーヴェリック気分になったんじゃないかな?

「君が必要なんだ」
まさかのアイスマン目線で物言うて後で土下座もんやけど、でも、私が兄貴に伝えたい言葉はこれに尽きる。
(ちなみにこれはうちの他のコラムニストにも同じ思いを持っている。)

来週からキャプテン、いやマスターが登場するのを精鋭の読者の皆様にもご期待いただきたい。
自由に書いてくださいと頼んでるので、私も楽しみだ。
兄貴、カミカゼ、よろしくお願いします。

次回コラム
「経歴詐称疑惑①」

前回コラム
「神戸の発車メロディーへのご提案」

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神戸を愛し神戸に愛され続けて38年😆👍(つまり38歳)人と喋ることと文章書くことが好き過ぎて、うっかり編集長になってしまったタイプです。神戸及び兵庫県の『人』をクローズアップしたインタビュー記事をメインに、神戸っ子たちのコラムも充実♫ 地元の人にも神戸以外の人にも、軽〜く友達感覚で読んでもらえたらうれしいです😊💓

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