百日紅空の青さの衰へず
(西村 和子)
夏空の強い日差しと暑さ、そして青空に伸びる紅い花の鮮やかな色が伝わってきます。
季語「百日紅」(さるすべり、ひゃくじつこう)の紹介を、「新歳時記」(平井照敏編)より:
「幹や枝がつるつるしており、褐色で、さるすべりの名がある。ひゃくじつこうという名もあるが、これは夏から九月にかけての長い花どきを指していう」
「花びらは六枚、形は丸いがしわくちゃである」
「インドやパキスタン原産の木で、中国を経て渡来したもので、寺の庭などに多い」
てらてらと百日紅の旱(ひでり)かな(正岡子規)
炎天の地上花あり百日紅(高浜虚子)
「旱」も「炎天」も夏の季語なので、句作では避けるべしと言われているらしい、いわゆる「季重なり」ですが、こうした句を見ていると、なにも問題ない気がしますね。
子規も虚子も、旱とか炎天と言いながら、どこかに少し余裕を感じます。
明治時代の夏は、現代ほどの酷暑ではなかったせいかもしれません。
女来と帯纏(ま)き出づる百日紅(石田波郷)
小林恭二はこの波郷の句評(「この俳句がスゴい」)の中で、こう解説しています:
「女が来た。それまで半裸でだらだらしていたのが、慌てて帯を巻いて玄関へ走った」
「夏の生命力がそのまま具象化されたような百日紅の真っ赤な花が、玄関からか窓からか見えている。青年波郷の心象そのものです」
しかし一方、この花の生命力の印象が強烈であればあるほど、その裏返しである「死」の連想も引き連れてきます。それはちょうど炎天下、光が強いほど、影が濃くなるように。
そのためか、夏の盛りに咲く花と、人の死を対比させた俳句も少なくありません。
そして、名前の中に「百日」という時間が入っていることも、この花の特徴です。
百日咲くというのは、花期としては長いですが、それでも時間の流れに逆らって咲き続けることはできません。そしてまた、人の命も同じです。
限りある日々ゆえ燃ゆる百日紅(雨彦)
駄句、失礼しました。
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「新歳時記」(河出書房新社刊)は、例句の紹介に加え、季語の解説にも力が込められており、編集者の個性も味わえます。
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今日もお読みいただき、ありがとうございました。