君たちはどう生きるか(吉野源三郎 著) | 今日は何を読むのやら?(雨彦の読み散らかしの記)

今日は何を読むのやら?(雨彦の読み散らかしの記)

<<<<<< 本のレビューや、ちょっと気になった言葉への思いを書いてみたいと思います >>>>>>

宮崎駿監督の映画が、2013年の「風立ちぬ」以来10年ぶりに、来年7月に公開されます。

東宝によると、児童文学者の吉野源三郎が1937年に発表した小説「君たちはどう生きるか」に感銘を受けた宮崎監督が、題名のみを借りてオリジナル脚本を執筆したということで、内容は原作とはかなり違ったものになりそうです。

 

アニメ公開まではまだ時間がありますが、ポスターイメージが早くも話題になるなど、さすが宮崎監督作品だけあって注目を集めています。先入観が入ってしまう前に原作を読んでみたくなり、書店で岩波文庫版を購入しました。

 

この本は2017年には漫画化されていて、その時にもベストセラーになりましたが、やや説教臭さの感じられるタイトルもあって、当時は遠巻きに見ていました(笑)。

 

実際に原作(戦前の小説なので、現代風に読みやすく書き直されていますが)を読んでみると、堅苦しさは感じさせず、そして、ひとびとが大人になって生きていくために大切なことを、分かりやすく語ってくれている本です。

 

中学生の本田潤一君(あだ名はコペル君)が、叔父さんとの会話や、手紙を通して、考え方を深めていく様子が描かれています。

主人公のコペル君(ちなみに、このあだ名は地動説を唱えたコペルニクスにちなんで叔父さんがつけたもので、普通の子どもよりも頭が良いことは間違いありません)の言動に対して、叔父さんが感じたこと、考えたことが、「おじさんのノート」に綴られていきます。

 

「おじさんのノート」から少し紹介します:

君もこれから、だんだんにそういう書物を読み、立派な人々の思想を学んでいかなければいけないんだが、しかし、それにしても最後の鍵は、― コペル君、やっぱり君なのだ。

君自身が生きてみて、そこで感じたさまざまな思いをもとにして、はじめてそういう偉い人たちの言葉の真実も理解できるのだ。数学や科学を学ぶように、ただ書物を読んで、それだけで知るというわけには、決していかない。

だから、こういう事についてまず肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心をうごかされたことから出発して、その意味を考えていくことだと思う。君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを、少しもゴマ化してはいけない・・・

この本を読んであらためて思うことは、少年・少女たちは、心の成長期にあって、いろいろな「わからない」を抱えている世代であるということ。

 

今の時代、ネット上にはさまざまな情報があふれていて、「わからない」という疑問をもった子供たちは、スマホで検索する。

そこでは、きっと何かしらの情報は見つかるのだろう。

けれども、最初に抱いた疑問への本当の答えへの手がかりを見つけられないまま、いつのまにか新しい情報の波に押し流され、疑問を持ったことすら置き忘れて行ってしまうのかもしれない・・・

 

 

 

スマホなどは当然なかった戦前の「東京市」に住んでいる少年は、実の父親代わりで仲の良い叔父さんに、彼の疑問や感じたことを語ります。

大切なことは、そうした若い心に、大人がきちんと真面目に向き合い、一生懸命に答えようとしていることです。

もちろん、答えのない疑問もある、言葉では教えられない・本人が考えて見つけるしかない答えもある、その一切も含めて、若い心と対話するということを、現代では子どもと接する大人たちがサボっているのではないのか? ―― そんな反省を持たされる一冊であると思います。

 

子どもからの質問に「それ、ネットで調べれば?」と言うのはやめようと思いました(笑)

 

宮崎アニメの新作が、この小説から受けたインスピレーションをどのような形に発展させるのかが楽しみです。

 

 

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 

※当ブログ記事には、サトミさんのイラスト素材が illust ACを通じて提供されています。

 


人気ブログランキング