不登校の背景

不登校

どうも

減点パパと申します。

 

今日は

「不登校の背景」

という話を

させて下さい。

 

小4で不登校になったわが子。

そのまま小学校を

卒業しました。

 

中1の夏ごろから

週末の放課後登校。

 

中2の4月から

自らの意志で登校をはじめ、

 

中3の6月ころから

不登校再発。

 

進路希望を出さずに

部屋にひきこもり、そのまま卒業。

 

約8か月後に

ネコを2匹飼い始めた事をきっかけに

引きこもりが解消。

 

その約半年後に

通信制の高校へ通い始め

現在に至ります。

 

わが子の

不登校の

原因を考えてきた中で

 

わが子のことだけではなく

児童・生徒たちが

 

不登校となる背景が

 

見えてきたように

思います。

 

不登校の理由は

人それぞれ

色々あると思います。

 

Twitter上では

ある特性を持ったお子さんが

 

学校側から登校することを

嫌われているために

 

登校したくても登校できないという

嘆きを

投稿されていました。

 

そのような

「不登校」も

あるとは

想像もできませんでした。

不登校の背景

まわれ右、

全体止まれ

 

運動会で

聞こえてくる号令は

 

軍隊の訓練を連想します。

 

紅白の帽子を被り、

全体で行進する姿に

 

微笑ましさと同時に

異様さを

 

感じるのは

私だけでしょうか。

 

学生服やセーラー服も

軍服がルーツです。

 

先日、

キャリー付きの

 

ランドセルが

話題になっていましたが

 

ランドセルの

ルーツは

 

軍隊で使われていた

布製の「背のう」

だそうです。

 

号令に従い、

求められるのは

 

他者と合わせた

画一な

行動です。

 

親も先生も

自らが

やってきたことなので

 

画一な行動が

できることが当たり前であり

 

 

その行動を

取らないことが

 

何か

劣っているかのように

受け止められてしまいます。

みんなが一緒であることを求めすぎる、日本の学校教育

運動会を例に取りましたが

私は

 

みんなが一緒であることを

求めすぎる

 

日本の学校教育が

不登校の背景に

あると思います。

 

みんなが一緒であることを

求めすぎると

 

それを息苦しく感じる

児童生徒が出てきます。

 

学校は

「善」という

前提ですが、

 

「悪」

ではないものの、

 

本当に

「善」なのかは

 

考えてみる価値があります。

 

「学ぶことに

画一を

求められること。」

 

れを嫌う

児童や生徒にとっては、

 

広い意味での

悪なのかもしれません。

 

画一

個々の事情や個性、

性質を考慮せず、

全体を一様に揃えること

(小学館 weblio辞書)

 

 

 軍隊で

画一を求められるのは、

 

その目的から考えて

当然です。

 

戦いで勝つために

訓練をするのだから

当然です。

 

小中学校は

自衛隊に入るように

 

志望して

入っているわけでは

ありません。

 

そこで

画一を

求められるのは疑問です。

まとめ

みんなが

一緒であることを

求めすぎる

 

日本の学校教育

が、

 

不登校の背景

にある

 

ということを

書いてきました。

 

学校に行かない、

登校しないことが

 

ひとよりも

劣っていて可哀想

 

(みんなと

一緒でない)

 

そんなイメージで

受け止められています。

 

不登校の

児童生徒は

 

年々

増加していますが、

 

登校している

児童生徒との比較では

少数です。

 

多数が主流派で

少数の方は

非主流派となります。

 

少数の非主流派が

多数の主流派より

 

劣っているのかと言えば

全くそんなことはありません。

 

みんなが

一緒であることを

 

求めすぎる

日本の学校教育の中で

 

なんで

 

みんなと同じく

振舞わなければならないのか

 

画一に

扱われなければならないのか

 

それに気づいた

人たちです。

 

そして

わが子も

 

それに気づいた

一人だと思います。


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