わが子の不登校の原因にたどり着きました

不登校

どうも

減点パパと申します。

 

今日は、

わたしがこれまで、ずうっと考えてきた

 

「わが子は、なぜ不登校になったか?」

 

ということについて

 

その答えに、

6年半もかかって

ようやくたどり着きましたので

そのお話をさせてください。

 

わが子は、

小4の2月に不登校になり、

それ以来、

卒業式を含めた

行事、授業には一切、出席しませんでした。

 

中1の入学式は欠席したものの、

中1の夏ごろからは

放課後登校を始めて、

徐々に学校に慣れました。

 

中2の新学期からは

自らの意志で登校をはじめ、

中3の春ごろまでは

普通に登校していたのですが、

 

徐々に休みがちとなり

再度、不登校となりました。

 

進路希望を提出することなく、

そのまま部屋に

約10か月間、引きこもる状態になりました。

 

いまは、それらが解消され、

今年の春から

公立の通信制の高校で学んでいます。

 

そんなわが子が

不登校や引きこもりが解消された今になっても

私がずうっと考えてきた、

 

わが子が不登校になった原因について

お話しさせてください。

わが子が不登校になった原因とは

みんなと同じであることを求められる

日本の教育(横並び教育)に我慢ができなくなった。

 

これが

わが子が不登校になった原因だと思います。

 

そして、

 

みんなと同じであることを求められる

日本の教育(横並び教育)に対し、

 

わが子にとって、

もっとも身近な理解者であるべき親が

なんらの疑問を持って接しなかった

 

これが、

中3で不登校が再発した

理由だと思います。

ポイントは「宿題」と「不登校の再発」

わが子が不登校になった原因を考えるうえで

ポイントになったのは、

「宿題」と「不登校の再発」です。

宿題がキライだったわが子

わが子は宿題がキライな子でした。

 

「あ~~、宿題が ”キライ” な子ね! ハイ、ハイ

 

そのように、

単純に

頭に思い浮かべた、アナタ!

 

じつは、

この「宿題」っていうのは

よくよくかんがえてみると、奥が深いんですよ。

 

エラそうに言っているわたしも

深く考えていなかったからこそ、

 

それが

「不登校の原因となりうる」

と分かるまで

6年半もかかってしまいました。

 

「宿題」と言っても

日々、出される

プリントやドリルだけでなく、

 

夏・冬休みの終わりに提出する

工作や自由研究などを含んだ

「宿題」のことです。

 

いまここに

 

「先生から教えられたことを

理解できている子」

 

がいるとします。

 

自己満足で、

「自分は、理解できていると思っている」

のではなく、

 

学校で実施されるテスト(=理解度を計る指標)で

高得点を取れる子です。

 

教えられたことを

理解できていて

 

テストの得点で

それを証明できる子が

果たして

宿題をやる必要があるでしょうか?

 

「そりゃあそうだけど、

まあ、みんなと一緒にやった方がいいでしょ

やって、損にはならないんだし!」

 

そう言う声が

聞こえてきそうです。

 

じつは、

これが落とし穴なんです!

 

このように考えてしまう、

日本人特有ともいえる考え方。

 

横並び精神(学校で言えば、横並び教育です)

みんなと同じであることを求めることを

良しとする文化です。

 

理解出来ている子も、そうでない子にも

一律に出される宿題。

 

理解できている子にしてみれば

時間の無駄です。

 

日本人特有ともいえる考え方、横並び精神

 

皆と同じであることを求められる

 

それを、良しという「見方」で

わが子を見ていた自分がいます。

 

それを

「おかしい」と疑わなかった

自分がいます。

 

登校して

先生の教えを理解して

 

理解できたことを

客観的に証明できているのだから、

 

宿題なんてやる必要はない

 

俺は、

理解できているのに

なんで宿題をやらなきゃならないんだ!

という主張なんです。

 

わが子の主張は

わがままでも何でもない

正当な主張なわけです。

 

しかし、

日本人特有ともいえる考え方、横並び精神

 

「皆と同じであることを良しとして、

同じくしないことを、良しとしない」

 

こういう考え方をとると

 

学校に行って

教えられたことを理解する

 

という本来の目的が

ゆがんでしまうわけです。

 

わが子が小学校に登校していたころ、

夏休みだったか、冬休みの終わりの

翌日提出する、宿題を整理している場面です。

 

算数のドリルが終わっていないわが子に対し、

「一番後ろのページに

こたえが書いてあるから

それを写せばいいんだ、そうやって終わらせなさい」

 

わが子に

そのように言った記憶があります。

 

教えられたことを

理解できているわが子にしてみれば、

 

(こたえを写すこと)

 

それさえも、やる必要ないじゃん!

と思っていたのだと思います。

 

当時、横並び精神に

なんの疑いも持っていなかった私は

 

「こたえを写せばいいんだ、そうやって終わらせなさい」

 

わが子に、そのことばをかけることに

なんの迷いもありませんでした。

「不登校の再発」から考えるわが子の不登校の原因

自らの意志で

中2から登校を始めたわが子ですが、

 

中3になって

ふたたび不登校になりました。

 

これを

「どう、見るか?」

という事なのですが

 

わたし的には

 

「根本的原因が解決されないまま、

中2で登校を開始したが、

 

根本的原因がくすぶり続けていたために

再度、不登校になったのだろう」

と見立てていました。

 

しかしながら、

そこまでの長い間

 

くすぶり続ける、根本的原因が

何ものであるかが

わたしには、分からなかったのです。

 

それに気づいたのは

わが子が以前、言った言葉を

思い出したからです。

 

「中2で登校を始めてから、

成績はどんどん上がった。

でも、そのうち

成績は頭打ちになった」

 

わが子が

そのように言った時があります。

 

息子が言った

この言葉を思い出した時、

 

わが子の学校での成績は

どのようにして、

付けられていたのかと言う点に

興味を持ちました。

 

現在の、学校の評価制度は

「絶対評価」になっています。

 

私が子供のころの

「相対評価」ではなく

 

基準に達していれば

クラスの中で何人でも

最高評価の「5」がもらえる

評価方式です。

 

「相対評価」では

クラスの中で「5」をもらえる人数が

決まっています。

 

絶対評価に変わったというけれど

ほんとうの意味での

「絶対評価」になっているのだろうか?

 

懐疑的であった私は

「絶対評価」について調べてみました。

 

すると、

 

基準に達していれば

クラスで何人でも

最高評価の「5」がもらえるのは、

その通りなのですが、

 

成績をつけるには

テストの得点だけではなく、

担任が加味する

「平常点」というものがあって

 

それは、

提出物だったり

授業態度等を考慮した

担任の先生による、

さじ加減があるのだそうです。

 

その意味で、

「真の意味での絶対評価」

とはなっていない

と私は思うのです。

 

教えられたことに対しての

理解度を計るためのテスト。

 

その得点のみで

評価されていないと言うことは

 

「絶対評価」になっていない

と思うのです。

 

担任の先生の考え方が

 

「この子は、

自分が教えたことを理解して、

テストの結果が

それを表している

成績は、テストの結果でつけるべきである」

 

と判断して

成績をつければ

真の意味での絶対評価になります。

 

いっぽう、

「この子は

自分が教えたことを理解して、

テストの結果が

それを表している。

 

しかし、

「宿題などの提出がないから

マイナス評価だ」

 

これでは、

 

「教えられたことを

理解できているか否か」

 

という、

学校で教育を受けたことに対する

最も重要なことに対する評価が

歪んでしまいます。

 

なぜなら成績は、

学校で学んだその理解度を客観的に表すべきであり、

提出物や授業態度などが加味される必要は

ないからです。

 

みんなと同じであることを

求められる

横並び精神は、

成績をつける上で、不要です。

 

わが子の

不登校の再発からみえてきたことは

「自分が、正当に評価されていない」

という不満をもっていたということです。

 

しかもそれは

横並び精神を良しとすることの

弊害によるものであり、

 

わが子の主張は、

我がままでも何でもない

正しい主張をしていたのです。

 

わたしは、

そこに気付けなかったんです。

まとめ

まだ、小学校に通っていた小4の頃。

 

宿題をやろうとしなくなったわが子に

「なんでお前は、宿題をやらないんだ?」

と怒鳴ったことがあります。

 

頻繁に言っていた記憶はありませんが

「それ、いつもいうよね」

クールな答えが返ってきました。

 

あの時、わが子はすでに

見抜いていたのです。

 

「この大人は、

皆が同じであることを良しとする

横並び教育の問題に気づいていない」

 

小学校4年生の子供が

それを見抜いていたのです。

 

あの時の

わが子の心の声が

今になって聞こえてきました。

 

「おとうさん、あのね、

学校に行く意味はね、

先生から教わったことを理解して

それをテストの結果で証明することなんだよ。

 

それだけやっていればいいのであって

学校でのことは学校の中で終わらせるべきでしょ。

うちに持ち帰ってまでやるべきことじゃない。

 

家に帰れば、自分の時間なんだよ。

 

俺は、学ぶのが嫌いなのではなく

学んで、ちゃんと理解できているんだ。

 

皆と同じであることを求められて

 

それをやることが良しとされて

みんなと同じくやらないことを

良しとしない

 

そこにおかしさを感じたんだよ」

 

わが子は

しっかりとした考えを持っていたわけです。

 

いつの日にか

息子に聞いてみたいと思います。

 

「お前が学校に行かなくなったのは

こう言うことだったんだろう?」

 

今の時点で

その時の息子の顔を

思い浮かべることができます。

 

「そうだよ、お父さん

その通り、今頃わかったの?」

 

ニッコリと笑って

そう言う、

わが子の姿が思い浮かびます。

 

ただ、心配なのは

 

「俺は小4で、

それを見抜いていたんだよ」

 

そこまで言われるんじゃないかって

ちょっと怖い気がします。(笑)

 

今回、

わが子の不登校の原因にたどり着いたのは

 

3週間で不登校を解決する

逸高等学院という

不登校の支援をしているサービスの

無料オンラインセミナーを受講したことにより、

刺激を受けたからかもしれません。

 

不登校を

早期に解消するためには

どうすれば良いか

 

不登校を「見守る」

という考え方ではなく、

「積極的に解消していく」

 

という

私の考え方にはなかった部分に触れたことが

良い影響を与えてくれたと思っています。

 

そのことについては

別の記事でお話しさせてください。



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