「考えるサッカー⚽️」「考える野球⚾️」など
“考える〇〇”系のコンテンツは 、今育成世代向けのチーム向けのスクールで非常に多くなって来ている
しかし、実際にそれらのコンテンツを見ると
考えているのはコーチ、主催者側で
選手・保護者らは、主催者側が考えたコンテンツを 消費しているだけに過ぎなかったりする
(´・ω・`)意味〜な〜いじゃ〜ん
…と、恐らくは主催者側も思っている
でもそうせざるを得ない事情がある
その事情とは何か?
さぁ皆で考えてみましょう
例えば2-3ゾーンDFについてだけど…
①かつての2-3ゾーンは、上の図の様に全選手をペリメーター内に均等に配置するインサイド守備重視の布陣しかなかった
②ところが現代バスケでの2-3ゾーンは
一番危険なゴール下を敢えて捨てて、2線目をファウルライン手前まで大きく上げるという
超攻撃的な布陣が主流となっている
[Q.よくある質問]
( ꒪ω꒪)ゴール下にボールを運ばれてしまったら、一体どうするのですか?💧
[A.モハン的な回答]
( *`ω´)ゴール下に運ばれる前にツブすのです❗️
このふたつのゾーンは確かに両方とも2-3ゾーンだけど、動き方がまるで違う
🏀🏀
「②」の様な複雑な布陣を中学生やまして小学生に理解できるとは思えないから
もしこんな真似をしたらゴール下でシュートされまくって勝負にならないだろう
仮に習得させる事に成功できても
こんな高難度な布陣を練習させるよりもっと他に指導すべき事があると思うので到底賛同はできない
一方で
「①」の様な布陣なら、子供にでも習得は充分可能だが
こんなシステムを指導しても高校以上のプレー環境では到底役に立たない
🏀🏀
私は小中学生でゾーンDFを禁止する事自体は賛成だが
しかし彼らの指導者がゾーンを知らなくても良いとはどうしても思えない
ゾーンDFを禁止するが故に、何故ゾーンが禁止されるのかをきちんと論理立てて説明する場を設ける必要があるのでは無いだろうか?
最近は高校や中学生の時点で…
「😆レフリーになりたいです」
…という学生が結果増えているみたいだけど
今日はそんな皆さんに伝えたい事
これは私がかつてレフリーをしていた頃に指導を受けていたあるS級レフリーの一言
「🤔アイツ(仮名Aさん)は、レフリーの知識はまるでないが、レフリー上手いな」
実はAさんは高校で関東大会へ出場するレベルの選手で
大学に行ってからボチボチ(渋々w)とレフリーを始めたらしい
講習会はもちろん、ルールブックや、ましてやレフリーマニュアルすら殆ど読んでいない人だったので
ジェスチャーとかは無茶苦茶だったけど
でも競技能力があるから、コート上で次に起こる事を予測して、予め回り込んでプレーを見定める能力があった
恐らく当時の私とAさんを比べたら
私の方が遥かにレフリーとしての知識はあったと思うけど
でも実際の試合で納得性の高い笛を吹けるのはAさんの方だったろうとも思う
「A君は知識は無いが(レフリーが)上手い」というS級レフリーの評価は
的を射た表現だったな…と今でも思っている
サッカーやバスケットの審判をする時は
限られた審判員数の中で動きながら判定をするため、全選手を把握するのは物理的に不可能だ
だからどうしても試合中に死角が生まれる
そこでこの死角をマネジメントするための予測能力がとても重要なのだけれど
何故か日本の初級レフリー講習では、この死角のマネジメントについては殆ど触れずに
ジェスチャーとか試合開始のサインの方法の様な、いわゆる手続きに関する分野に執着した講習内容に傾倒する
私に言わせるとね…そんな事は後からでも憶えられるから
初心者講習でわざわざ熱弁振るう価値は必ずしもない事
またそんな所ばかりクローズアップされるから
よくわからない事象に執着するアタマデッカチなマニュアルくんレフリーが量産されてしまう事になる
定点判定ができる陸上競技や水泳競技の審判員ならば
こういったマニュアル至上主義の育成がフィットするかも知れないけど
サッカー・バスケットのレフリーはそうは行かないのだ
一番手っ取り早いのは競技力を向上させる事だ
競技力さえ上がってくれば、予測能力は自ずと備わって来る
もっともこれは、あくまでも学生レフリーに向けての提言
日本のサッカーやバスケ界は
文化歴史的に、全然サッカーやバスケをやった事ないのだけど
子供のチームの運営のためにやむを得なくレフリー・指導者をやらなくてはならないお父さんお母さん達がいて
そんな皆さんのサポートをする場は確かに必要だ
だがしかし、そういったお父さんお母さん方と学生選手らを混同するべきではないとも思う
学生の皆さんは、レフリーの勉強も結構だが
むしろレフリー能力向上のために競技能力を高めるべきじゃないかな?
[Wikipediaより]
かつて
中田英寿さんが当時所属していたイタリアのペルージャからローマに移籍する時
現地の日本人記者は彼らにインタビューをした
「皆さんは中田がペルージャからいなくなる事が嬉しいのですか?」
すると彼らは答えた
私が知る限り
この報道が日本に育成型クラブという概念を紹介した始まりではないかと思っている
[Wikipediaより]
私が思うに
日本で育成型クラブスタイルを貫き続けているのは、セレッソ大阪だと思う
もちろんそれに納得されていないだろうが
かと言って卑下されている訳でもない
彼らは積極的に若手選手を育成して
その選手らを惜しみなく(海外チームを含めた)他クラブに移籍させているし
また移籍しやすい・オファーがかかりやすい体制も整えている
得に私がセレッソのマネジメントに注目している点は
(これは恐らく偶然ではないと思うのだが)
セレッソ大阪はどの時代でも、その当時の日本代表が使用するシステムと酷似した戦術でリーグを戦っている
⚽️実はこれは、バルセロナのユースチームや⚾️日本だとソフトバンクホークスのファームで採用されている方針でもある
バルセロナのユースは必ずトップチームと同じシステムを敷く事が義務付けられている
だからトップチームが442ならば442、343なら343の布陣を敷き
そして対応したトップチームの選手が不調ならば、ユースチームで対応する選手に召集がかかる
トップカテゴリーに近いシステムを採用していれば、トップカテゴリーから招集される可能性が高まるし、選手のモチベーションも上がるという事だ
[Wikipediaより]
セレッソとは反対に * リーグ優勝 * アジアチャンピオンACL優勝〜トヨタカップ(CWC)出場
…を果たすなど、輝かしい成績を残しているが故に
現状に納得が行かない層が多いのが
両クラブともクラブ自体は育成型クラブへ舵を切る覚悟を決めている様には思えるのだが
その周知にはもう少し時間かかる模様だ
現在の日本サッカーは才能の殆どがヨーロッパに放出されるため、自国のリーグで代表選手を観戦する機会は殆どない
従って、日本代表の人気がどんなに上がってもリーグの人気に直結しないのが現状だ
例えばもし、三笘薫選手が今フロンターレに所属していれば、フロンターレの試合のチケットは絶対に手に入らないだろう
かつてのJリーグはそんな状態だった
[Photo by Wikipedia]
発足当時のJリーグはどの試合のチケットもプラチナチケットと呼ばれ、サポータークラブに入会していてもチケットは入手できず
スポンサー企業のツテを使って、どうにか観戦できる。そんな時代が続いていた。
逆に当時のJリーグのスター達は、今の選手達をみて、随分と羨ましく思っているだろう
この状況をある程度打開する方策として、今試みられているのが
こういった選手を集めるクラブ方針である
このリターン型クラブで代表的なのが
⚽️サッカーなら鹿島アントラーズとヴィッセル神戸 🏀バスケットならばアイシン(現シーホース三河)だ
鹿島は内田篤人さんをはじめ、一度鹿島を離れても鹿島に戻ってキャリアを全うする選手が非常に多い
ヴィッセル神戸については…具体的な選手名は敢えて言及しないが、代表選抜に意欲を抱けない選手をマネジメントしてリーグを戦っている
[Wikipediaより]
また、先程育成型クラブの代表として挙げたセレッソ大阪は、育成型でありつつ、また香川真司選手というリターンして来た選手を主軸に据えて戦ってもいるので、リターン型クラブであると言っても良い
色々な意味で、セレッソ大阪のマネジメント能力は高いと私は感じ入っている
👇昨日の記事の続き
行き過ぎた勝利主義に疑問が出され
最近では「エンジョイサッカー/エンジョイバスケット」的なチームが
老若男女問わず増えてきたけど
実はエンジョイチームも危険性は高いのよ、というのが今回のお話しです
(*´ω`)
多くのエンジョイチームでは勝利を目的に掲げるのがご法度なので
特に育成世代のエンジョイチームでは
勝利以外のスローガンが強望されるのだけど…
そこで大抵は人間育成・教育という、やたらデカいワードが横行する
でも(では)そんなチームの指導者や保護者らに
「人間育成て、どんな事をするの?」と聞くと
要は「大人(指導者)のいう事を聞く子供を作る事」といったアンサーになる
「🤣それ、洗脳じゃーん」と反応すると、否定はされるけど、大抵は具体的な話は伺えない
また勝利至上主義のチームでは、連敗が続けば「勝利という結果が出ていない事」を根拠にして、指導者サイドへある程度のプレッシャーをかけられるのだけど
エンジョイチームではこれができない
そこで
を、競い合う
何だか新興宗教団体みたいなチームになってしまう
…って、ケースもあるみたいね?
👆これはタイトルの通り
「サッカー、バスケットやっていて楽しい時ってどんな時か?」と聞かれたとき
「対戦相手に勝つ事」と答える参加者は実に多い
従って、ベンサム理論に基づき
チーム参加者の最大幸福が「対戦し、勝利する事」であった場合は
エンジョイチームとは勝利至上チームとなってしまう
勝利至上主義に疑問を持って作ったエンジョイチームが
いつの間にか否定していた筈の勝利至上主義チームへ傾倒してしまうのは
こういったロジックなのです