カノープスの足跡~星祭りの夜に

カノープスの半生記を備忘録メモとして残します

カノープスの自分史を備忘録メモとして残します
思い出の足跡を記憶のあるうちに書いておきます
リンク貼っているゆくえの日記は現在の日常
もうひとつのリンク星祭りの夜に は詳しく書き足して過去から現在までをまとめて行く予定です

このブログは昭和30年代生まれの女性、ゆくえが自分史を書いていきます。
福岡県生まれ愛知県育ちのアラ還です。
記事を読んで懐かしく思い出したり、そんな時代だったんだなと感じて下さったら嬉しく思います。

現在進行形のアラ還の日常は別ブログ「ゆくえの日記」で綴っております。興味のある方はリンクから覗いてやって下さいませ。

3年生になると商業科目の商業実践って科目が始まった
これは2時間使ってやる授業
実際に経営者になったらって言うシュミレーション
株価や商品の価格や為替なんかを学ぶんです
市場を名古屋と東京に分けて教室も専用の教室で真ん中を官公庁、銀行の机にして黒板には為替レートやら株価やら貼られて伝言板も作られます
小売業、卸業者、生産者に分かれて1年間商売をして利益を出すのが目的です
赤字になったら落第とか( ̄▽ ̄;)
まあ、これは嘘でしたけど(笑)
私は銀行の役でした
先生が勝手に決めるので選べない
銀行は赤字にならないので安心です
役所は2人、これはクラス委員がやりました
銀行は4人、これは簿記の成績の良い人
2クラス合同でやりました
私は銀行なので手形や小切手、為替、貸付けなんかをしてました
まあ、社会の縮図と言うのか?
裏取引が横行してましたね(笑)
幾らにするからオレから買ってくれとかね
ヤバいから高く買ってとか
役所は税金をむしり取り(笑)
銀行は貸付け利息を催促
でも楽しかったですよ
経済の仕組みとか体験するのは大事ですね

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1978.
鉄道のダイヤ改正の時期
新しい学校、職場へ通い始める季節
今は全く無いけど昔は春闘の季節
若い人は知らないだろうけど
労働条件の改善や、賃金の値上げなどの交渉をする
組合VS会社の闘いがあった
労働者の立場は弱かったし労働条件も悪かった
最終手段がストライキだ。
最近では自販機の補充をする人達のサビ残問題で駅や空港の自販機から飲み物が消えた事があった位かな?
昔は労働者は必死に交渉に当たった
その先人達のおかげで労働条件の改善が進んだ
父親の職場では経営陣が交渉時に興奮した労働者が肩に触れた位で被害届を出し、労働者が何日も留置所に入れられたりした

毎年、春になるとストライキがあるのが風物詩となるくらいに春には春闘で電車が止まった(^_^;)

私の現在の職場の組合はパートの私ですら3千円毎月徴収されるけど
御用組合と成り下がっている
強制的に加入なのでムカつくが。
圧倒的にパートの組合員が多いのに交渉は社員の待遇改善が主にされる
去年のパートのベースアップは2円だった…
社員並の労働時間で月に340円のベースアップですね
10年以上働いてますが初めてのパートのベースアップですよ(笑)

高校2年生の夏休み

部活で仲良くなった友達の親戚の店でアルバイトすることになった

観光地で国定公園にある売店と食堂
友人はそこに住んでいる

通学は大変そうだ( ̄▽ ̄;)

東海道自然歩道とかいうハイキングコースもある

かなりな急勾配の舗装された道を行くか、自然歩道の山道を行くか?

アルバイトは過酷だ

友人の親戚が書き入れ時のアルバイト探すのに苦労するのはアクセスの悪さだな

車なら急勾配の道を慣れた人ならスイスイと行けるはず

山道だから怖いけどね

アルバイトは歩くしかない

バスもあるらしいけど

研修センターもあるからね

私たちは夏休み中、山登りをした(笑)

一緒に通った友人は食堂の仕事が向いてなかった…

いらっしゃいませ!とか注文聞いたりとかが苦手みたいで

売店でひたすらみたらし団子を焼いてました

私は食堂で注文聞いて運んでって仕事してました

バイト代は冬休みの友人達との旅行に使うため

体力あったな私
その観光地に住んでた友人は後に私の親友となり

今はその観光地の裏の墓地で眠っています

24歳。早いお別れでした

バイトも一緒にしたし、旅行もいっぱい行った

お揃いの服やグッズや沢山の思い出

親友が旅立ってから、もう40年も経つのか

与えられた時間を私はどう過ごしたのか?

もう遅いけど後悔ばかりの人生だった



あとどれくらいの時間が残されてるのか分からないけど

頑張ってみよう!

自分史も書き上げて行きたい

1977年位のお話です。

部活で合宿をやることになった。高校2年生の時、試合の日程で強豪の私立高校が不参加だったので勝ち進み、何故か国体に出れる事に(^_^;)

強化合宿をすることになり…

それが校内で(笑)

教室に布団を敷いて寝るという

シャワールームは体育館の横にあってクラブハウスも同じ所に

夏だったんだけど夜まで練習して、グラウンドから坂を登り教室へと向かう途中

狭い通路を1列で歩いていると、誰かが

「ねぇ、こうやって歩いててさぁ1番後ろから人が消えていったりしてぇ(笑)」

って言った途端全員走り出しました。周りは真っ暗で坂の芝生は滑るし、もう這うように登りました
夜の学校って怖いですね
他の教室とかは恐ろしくて覗けなかった
階段とか廊下とかも非常灯しか点いてないし、薄暗い。
まあ、そんなこんなで布団に入って怪談話と恋バナになるわけです
トイレも怖いのでみんなで行きました
私はその頃、霊感強いって言われていて金縛りにあったりしてたので語り部でしたね(笑)
20歳過ぎたら金縛りは無くなりました
不思議ですね。
その後、不思議体験したのは30歳過ぎてから高熱で寝込んでる時くらいかな?
住んでた社宅には子供の霊がいるって噂で他の人も体験したけど、私も寝てる周りを小さい子が走り回る足音とはしゃぐ声が聞こえましたね
ノンレム睡眠だとか思春期の不安定な精神状態だとかが原因かもしれませんが
まあ、不思議なままでいいと思います
何でもかんでも科学的な考察で解釈するのも味気ないですもの
平安時代から江戸時代の夜の闇を恐れる人間の本能の生み出した物の怪達を消し去るなんて野暮ってもんでしょ?
ロケットに乗って宇宙に行く時代だけど、お守りやロザリオを身に付けて行くものね。
そこにはお守りを渡してくれた人の愛情と祈りが封じ込まれているもの
ワクチン接種の時に娘はいつもお守りにヒトガタを作って自分の息を吹き込んでくれます。1文字だけ安と書かれています
安心と安全に終わるようにとの願い

あらあら、話が飛んじゃった(笑)
娘の為にまだまだ頑張りますよ

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