ヌマンタの書斎

ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

高校の無償化

2025-03-28 09:10:28 | 社会・政治・一般

私が十代の大半を過ごした街である三軒茶屋は、わりと外国人の多い街でもあった。

なにせ韓国人居留区があり、朝鮮学校もあった。でも小学生の頃は普通に近所の遊び仲間として健やかに過ごしていた。ちなみに日本語でお喋りし、遊びのルールも我々と変わらなかったと記憶している。親御さんとも普通に挨拶していたし、銭湯などで会うことも多々あった。差別とか対立もなかった。

でも、今にして思うと、それはご近所さん同士だったからだろう。商売の絡みもあり、対立するよりも円滑な関係であるほうが互いに良かったからではないかと思う。

状況が変わったのは中学進学以降だ。私が進学したS中学の隣には朝鮮学校があり、その境界である壁の上にはわざわざ金網が張られていた。私たちが校庭で行われる入学式へ向かうと、壁の向こうから盛んに騒ぎ立てる。金属パイプで金網を叩く奴らもいた。凄い迫力だったと記憶している。

気が付いたらかつての遊び仲間は離れてしまい、挨拶さえ出来る雰囲気ではなくなっていた。S中学は区内屈指の不良中学と云われたが、先生たちが怖すぎて校内ではどの生徒も大人しくしていた。腕っ節の強い先生ばかりで、ちょっとでも粋がれば、文字通り袋叩きにされた。私も数回、保健室に運び込まれた口である。

だが放課後は別である。なまじ悪のS中などと云われていたせいで近辺の大人たちの監視の目が厳しい。なかには博徒系の怖い人たちもいて、とてもじゃないが地元では悪さは出来ない。それでも近隣の中学生同志では、しばしば揉め事が起きる。困ったことに、それを肴に酒を飲んで監視している大人がいる始末である。まぁ道具を使わない素手の喧嘩なら見過ごしくれたが、汚い喧嘩はすぐに止めに入ってきた。

ちなみに自転車で巡回している警官たちは、私らが喧嘩を終えてからのんびりやってきて、偉そうに説教かましてきた。変な街ではあるが、そのせいで大怪我するような喧嘩は滅多になかったと思う。

ただし例外があった。それが朝鮮学校の生徒たちとの喧嘩である。一応、地元では関わり合うことは避けたが、少し離れると衝突することがままあった。なにせ連中は道具持参である。木刀や金属パイプ、自転車のチェーンと危ない道具を隠し持っているので、素手では圧倒的に不利である。だから逃げるが勝ちとなる。

でも囲まれてしまい逃げ切れない時もあった。私も一度だけ逃げそびれて袋叩きの目にあったことがある。滅茶苦茶にぶっ叩かれて失神したのだが、気が付いたら公園のベンチに寝かされていた。痛みに耐えながら起きると、戻ってきた仲間の肩を借りてその場を立ち去った。警察の事情聴取なんて真っ平ごめんである。

不思議なのは、誰が私をベンチの上に寝かせたのか、だ。仲間に訊くと、武器をもって戻ってきた時には既に朝鮮学校の連中の姿はなく、私だけがベンチに寝かされてという。はて?いつからそんな親切になったのだ。大概人目に付かない場所に放り出されるだけなのだが。

憶測になるが、襲ってきた朝鮮人のなかにかつての遊び仲間がいたのだろうと思う。それ以外、考えられないからだ。いささか複雑な思いではあるが、集団心理は分っていたので、近所にまだ済んでいた遊び仲間に直接問うようなことは避けた。

私は中二の冬には真面目っ子になり、そうなると朝鮮学校の連中から狙われることはなくなった。塾通いで忙しくて、夜遊びをしなくなっていたので接点がなくなっただけだ。やがて高校に入り山登りに夢中になり、ますます夜遊びから遠ざかったせいで、悪ガキ仲間とも疎遠になり、朝鮮学校の連中とは一切かかわらなくなっていた。

そして高校卒業とともにその街を離れ、数十年がたった。バブル期の再開発のせいで三軒茶屋は見知らぬ街になり、韓国人居留区も朝鮮学校もなくなっていた。小綺麗なマンションと、閉店した小売店が寂しい街になってしまい、私はますます足が遠ざかるようになった。

その頃になると社会人として落ち着き、退職後の人生を考えるようになったかつてのクラスメイトたちから誘いがあり、時折飲み会に参加した。悪ガキ仲間も親になり、人並みの暮らしをしていることに妙に安堵したものだ。

悪ガキ仲間の一人が、嫁さんが私のことを知っていると聞き、よくよく訊き出すと小学生の頃に私がその嫁さんの実家に遊びに来ていたことがあったそうだ。ちなみにその嫁さんは南コリアの方であり、当然に朝鮮人学校にも通っていたそうだ。

その次の飲み会の時に、その嫁さんも連れてこられて挨拶した。かすかに覚えている女の子であった。兄貴はどうしていると尋ねると、今はアメリカで市民権を取って暮らしているそうだ。ちなみに妹さんも彼も日本国籍に変更しているとのこと。やはり、あの日本人拉致事件が公表されたことが大きかったそうだ。

その時聞いた朝鮮学校の話が凄かった。毎朝、教室に飾られた金日成とその息子の写真に敬礼し、授業はもっぱらコリアの尊厳と日本人への反感を募らせることに重点が置かれているそうである。はっきり言って学校ではなく、コリアのための私塾ではないかと思う。

他にもいろいろ聞かされたが、一番印象的だったのは疑問に思ってもそれを口に出せる雰囲気ではなく、気が付いたら教わることが当然の真理だと信じ込んでいたことだった。彼女にせよ、今は国外にいる兄にせよ、そのおかしさに気が付いたのは、あの小泉政権の時の安倍外相が拉致日本人を連れ戻した時以降だったそうだ。

今までの朝鮮学校で教わった真実が崩れ去った瞬間であり、洗脳が溶けた瞬間でもあったという。彼女の両親や親せきの中には疑心暗鬼に陥り、相当な諍いが生じたそうだ。しかし、長い物に巻かれる安堵感は捨てがたく、再び元の反日思想にしがみついた人も多かったそうだ。

ただあの拉致事件が明らかになって以降、総連や民団を抜ける人が増えたのは間違いなく、彼ら兄妹もそのタイミングで日本に帰化したそうだ。ただ兄(私の幼馴染)は総連及び朝鮮学校への怒りと喪失感に耐えがたく、最後は日本を出国してアメリカに渡ったとのこと。

おかげで私は再会を果たすことが出来なかった。

現在、石破政権において高校の無償化が実施されようとしており、その対象に朝鮮学校を含めよと騒ぐ人たちがいる。断言しますけど、あれは日本の学校法に定める教育機関ではありません。せいぜい言って私塾です。根本的に日本のためにならない存在です。

差別の問題でもなく、人権の問題でもありません。日本の税金の補助を受けたいのならば、日本の法律の定める教育内容に従うべきです。それが法治というものです。まぁ人治国家の人たちには理解しがたいのでしょうがね。

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ホームでのバーレーン戦雑感

2025-03-27 09:20:25 | スポーツ

少しだけ可能性がみえた試合だった。

20日木曜の夜に日本で行われた北米中央アジアワールドカップ大会のアジア予選を、日本は見事に突破した。それは分っていたことであり、むしろ私はアジアの国々のレベルの低さにウンザリしていた。多分、世界に通じるだけのレベルにあるのは日本、イラン、韓国くらいだと悲観していた。

しかし、今回のバーレーンの戦い方は見事であった。しっかりと組織化された守備、カウンター攻撃への切り替えは、前回0-5で敗退した国とは思えない試合ぶりであった。実際、前半の試合は、多少バーレーン寄りの審判ではあったが、拮抗した試合であり見応えがあった。

ガルフ杯優勝が糧になっているのだろうと思うが、外国人監督に任せた成果でもある。実際、よくチームを立て直したと感心しました。短期間でここまで出来る監督を迎えたバーレーンは今後が期待できます。

一方、ダメだったのが中国。あのキックはないだろう。どうみてもボールではなくサウジの選手を蹴るためのキックだとバレバレ。巨大な市場を抱えるシナをFIFAが期待しているのは分かるけど、あんなカンフーサッカーをやっているうちは世界は遠いい。

前々から書いてますが、日本がワールドカップ大会で上位に行くためには、アジアのレベルアップが欠かせません。長年視ている人は分かると思うけど、日本がアジア予選を勝ち抜く為の戦い方ではヨーロッパや南米には通じません。

サッカーの戦い方を世界基準に切り替えてからワールドカップ大会に挑むのが、日本の悩みの種でした。いくら選手の大半が欧州のリーグで戦っていても、代表チームの戦術や意識をアジア相手から世界基準へと変えるのは、日本にとってハンディキャップ以外のなにものでもありません。

今回で8回目のワールドカップ大会出場ですが、過去の大会でもアジア予選突破から、ワールドカップ大会仕様にチームを意識改革することには常に難儀してきたのです。その意味で、今回のバーレーンのような戦い方が出来るチームがアジアに増えることは、日本にとって有益です。

残り三試合、残っていますが出来るならば森保監督には少し冒険して欲しい。今まで出番がなかった若手を是非とも使って欲しい。現在、好調なオーストラリアには負けそうな気がしますが、経験を積ませることはチームの底上げにつながります。

同時に欧州リーグで戦う選手たちを休ませる機会でもあるので、負けても良いから若手を使って欲しいです。

追記 サウジ戦についてはまた改めて書きます。

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病院回り

2025-03-26 00:30:03 | 日記

明日というか本日は朝から夕方まで二つの病院、三科目受診とCT検査なのでお休みします。朝食抜きで気力がないです。

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母親を喰った人形 ラムジー・キャンベル

2025-03-25 10:37:45 | 

正直、ハズレを引いた気分。

まだ若いながらも野心に燃えていあ早川書房が80年代初頭に「モダン・ホラー・セレクション」と銘打ってホラー小説を次々と刊行したことがあった。クライブ・パーカーやクーンツなどが恐ろし気な表紙絵と共に書店に棚積みされていたことを覚えている方もあろうかと思う。

残念なことに、この野心的な試みは営業的には成功とはいえなかった。おかげで現在では古本屋を丁寧に探さねば見つからぬお宝的存在になっている。

日本においては怪談小説はあれど、欧米で大人の読み物となっているホラー小説の市場はまだまだ理解されていなかった。早すぎた野心的試みであったと私は思う。

その後、キングの作品が次々と映画化されてヒットを連発したことから、徐々にホラー小説は陽の目を見ることが出来た訳で、早川が廃版としてしまったホラー小説の掘り出しては、義務的気分で読むことをコツコツとやっている。

表題の作品は新古書店で見つけて買い込んだのだが、正直ホラー小説としてはイマイチだと思う。ただし終盤に向けての疾走感は見事だ。でも本質はホラーというよりはサイコ・ホラーというべき作品だと思う。

キリスト教徒の方だと、この作品の怖さが分かり易いのではないかと思うが、日本人向けとしては如何なものか。あと全体として饒舌に過ぎて、短編としてまとめたほうが作品が締まると感じた。

少し残念に思ったけど、長年の課題の一つだったので、ようやく宿題を片付けた気分です。

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確定申告雑感

2025-03-24 09:14:03 | 経済・金融・税制

30年以上確定申告業務をやってきたが、今回ほど困惑したことはない。

その原因が増税メガネと言われたのが嫌で、それを払拭するために岸田・前首相が打ち出した定額減税である。

なに、この矛盾だらけの減税策は?

率直に言ってよくぞ財務省及び国税局は受け入れたものである。いや、それ以上に大変だったのは業務の大半というか、尻ぬぐいをさせられた市区町村の税務課であろう。

実は昨年夏前から、この定額減税の取り扱いは各市区町村の税務担当部署を困惑させていたらしい。疑問点を問い質す電話をすると帰ってくる返答が尽く違う有様である。正直、役所の担当者に同情してしまった。

白状すると、こりゃダメだと年の中途で諦めてしまった。どうせ年末までには減税の仕組みが再整備されるだろうと期待したからである。実際、この難問に官庁は奮闘したと思う。だが完全ではないというか、税の法理論構成上矛盾が多すぎる。

なんだよ、あの端数切り上げ支給ってさ。まぁ、貰えるなら文句はないだろう的ないい加減というか現実的妥協の末の定額減税だと思う。税金の仕組みに詳しい顧客から説明を求められて、これほど困惑したことは過去なかったと思う。

意地悪な私の邪推ですが、これは思い付きで、ろくに根回しもせずに言い出した岸田氏のスタンドプレー。あたしゃ精神的に疲弊しましたよ。

以上、思いっきり愚痴でした。

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