ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

魚と日本人 濱田武士

2024-05-02 10:59:00 | 

未だ終わりの見えないウクライナ戦争であるが、忘れていけないのがウクライナは農業大国であったことだ。

過去形で書いたのは、ウクライナ戦争により大幅に農作物の出荷量が減ることが予想されているからだ。ウクライナは小麦や大麦、大豆などの大輸出大国であり、もう既にパスタ麺などの値上げが相次いでいる。

それだけではない。農産物の輸出大国であるアメリカでは干ばつと水不足により収穫量の減少が予測されている。アメリカは大規模農家が多く、豊かな土壌をもつのだが農業用水はカナダ国境あたりから水路を引いてもってくる。降雪量の減少と、農業用水路の老朽化などの問題があり予算の関係で補修すらままならない惨状である。

また農産物の輸出では南米もやはり干ばつや土壌の塩害などで苦しんでいる。アフリカに至っては部族の縄張り問題も絡めて農業用水だけでなく生活用水まで相争う状況である。それ一因の人口の増加があり、生存権を賭けた争いに繋がりかねない。

一方、シナを抜いて世界最大の人口を抱えるインドや、やはり人口急上昇中のインドネシアも食料問題を抱えている。いずれも一朝一夕では解決できない難問である。ましてや人口急増中のアフリカや南米では食料問題は国家どころか民族の存亡にかかわる重要な問題となる。

人は金がなくても生きていけるが、水と食料がなければ生きてはいけない。だからこそ古来より国家は支配する民の胃を満たすことを最重要課題だと捉えていた。国家だけではない。ユーラシア大陸を縦横無尽に席巻した遊牧民族は、人だけでなく家畜の食料を確保するために村落を襲い、街を襲い、国家すら滅ぼした。人の生死を決める食料問題は、いつの時代でも最重要課題である。

翻って我が日本は食料輸入大国として知られている。農地を減反し、古来からの主食であった米から輸入小麦に変え、魚食よりも輸入豚肉や輸入鶏肉、輸入牛肉を庶民に安く提供してきた。気が付いたら生鮮食品(野菜、鮮魚)を扱う小売店は激減し、大資本家が牛耳る大規模小売店舗が町の中心にそびえたつ。

食料品の価格調整機能を持つ卸売市場は衰退し、大規模店舗が小売り価格を決めるようになって久しい。今や農家や漁師は絶滅危惧業種であり、政府はなんら対策を打たないのは周知の事実である。かろうじて与党・自民党は大事な票田である農家に公共事業を提供するが、野党はご高説を垂れるのみ。

ただ幸なのは、日本は島国であり暖流と寒流の合流地点であるがゆえに雨に恵まれ、その雨を蓄える山地も多い。もっともこの山地を切り開いて中華製の太陽光パネルで埋め尽くそうとする善意に満ち溢れた政治屋様は少なくない。

また世界有数の漁場を持つが、その漁場をシナやコリアの大型漁船に荒らされても、報道すら避ける心優しきマスコミ様はどこの国のマスコミなのだかよく分からない始末。おかしなことに、農業にせよ漁礁にせよ現場に近ければ近いほど、役人も政治家も問題意識は高い。

しかし、現場を離れれば離れるほど、農家や漁師よりも消費者寄りの立場をとる役人や政治家が増える。その頂点たる霞が関や永田町には、事なかれ主義に染まったエリート官僚様と、当事者意識の欠如した政治屋様が、食糧危機のような面倒な問題を圧し潰して、マスコミ受けの良い政策に夢中になる。

だが、いくらマスコミ様が無視し、エリート官僚様が誤魔化し、政治家様が先送りにしようと食料危機は確実に訪れる。私はその時期を、原油の枯渇に連動して派生して発生するとみている。原油はビニールハウスを温め、漁船を動かすだけでなく、肥料にもなれば、漁具にもなる。

原油が一バーレル1000ドルの時代が来ないと誰が確約できようか。小麦粉が輸入できずパンもパスタもラーメンも食べれなくなる。豚も鳥も牛も輸入が難しくなり、国内での育成すら困難になる。おそらく、そうなった時、日本人の胃袋を満たすのは沿岸漁業だと思う。

そんな日が来ないことを祈りたいが、後一世紀以内に発生する可能性は非常に高いと思いますね。


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