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【コンサル物語】Big4の誕生(プライス・ウォーターハウス)と19世紀会計士の年収事情

 1840年代、50年代には今日のBig4ファームに通じる会計事務所がロンドンにいくつか誕生しています。その中からプライス・ウォーターハウス(後のPWC)誕生の歴史を見ていきたいと思います。

 1849年12月24日(月)サミュエル・ローウェル・プライスは友人のウィリアム・エドワーズとのパートナーシップ※を解消しロンドンで会計事務所を始めることになりました。これがプライス・ウォーターハウス(PW)会計事務所の誕生と位置づけられています。プライス28歳のときでした。

※パートナーシップは共同出資で運営される組織形態の一種です。定義調に言うと二人以上の人間が金銭、労務、技術等を出資する営利行為またはその契約のこと

 当時のロンドン・ガゼット紙にそのときの告知が出ているのでご紹介しましょう。ロンドン・ガゼット紙はイギリス政府による公式な政府公報(日本でいう官報)です。

サミュエル・ローウェル・プライスとウィリアム・エドワーズの事務所解散を報じているロンドン・ガゼット1850年1月1日号の表紙
サミュエル・ローウェル・プライスとウィリアム・エドワーズの事務所解散を報じているロンドン・ガゼット1850年1月1日号の10ページ

10ページの画像の左下(枠線内)に解散を伝える記事が出ています。

お知らせ ロンドンのグレシャム・ストリート5番地で会計士業を営んでいたウィリアム・エドワーズとサミュエル・ローウェル・プライスは12月24日にパートナーシップを解消することになりました。
ここに署名します。1849年12月31日。
ウィリアム・エドワーズ
サミュエル・ローウェル・プライス

(原文)NOTICE is hereby given, that the Partnership Heretofore existing between us the undersigned, William Edwards and Samuel Lowell Price, carrying on business as Accountants, at No. 5, Gresham-street, in the city of London, was dissolved on and from the 24th day of December instant.-As witness our hands this 31st day of December 1849.
William Edwards. 
S. Lowell Price.

 この後1865年までの約15年間、プライスは個人会計事務所を運営していました。そして1865年、プライス44歳のとき新たなパートナーシップをウィリアム・ホプキンス・ホーリーランド(当時58歳)と始めました。おじさん二人で始めた会計事務所でしたが、二人は若手でパートナーシップを結べる人物を探していました。そこでホーリーランドはかつてロンドンの大手会計事務所で一緒に仕事をしたことがある若者をプライスに紹介しました。その男が、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンを出たばかりの24歳の若者エドウィン・ウォーターハウスでした。

 プライスとホーリーランドは間もなくエドウィン・ウォーターハウスともパートナーシップを結び、ここにプライスとウォーターハウスが揃いました。

 パートナーシップは1865年5月1日に最終決定され、事務所設立に際して3人は共同出資方式を採用、比率はプライスが50%、ウォーターハウスとホーリーランドがそれぞれ25%の割合でした。これ以降もそうですが、会計事務所は個人が出資して設立する方式が一般的になっていきます。会計事務所だけではなく多くのコンサルファームは多少の違いはあるにせよパートナーシップ形態を取っています。

 ウォーターハウスはパートナーシップ契約に基づき、プライスに1,000ポンド、ホーリーランドに250ポンドを支払いました。彼らはロンドンのグレシャムストリート44番地に事務所を設立し、1899年までの30年以上その事務所を拠点にしていました。事務所名は1874年までは「Price, Holyland & Waterhouse」(プライス・ホーリーランド・ウォーターハウス)とし、ホーリーランドが引退したあとは「Price, Waterhouse & Co.」(プライス・ウォーターハウス)に改名されました。その後124年間プライス・ウォーターハウスは会計事務所として存続し、1998年にプライス・ウォーターハウス同様に会計Big6の一角を占めていた Coopers & Lybrand (クーパース&ライブランド)会計事務所との合併でPriceWaterhouseCoopers(PWC)となりました。

キング通りの角にあった入居当時のクイーンズアシュアランスビル。プライス・ウォーターハウスは1階から3階までを確保し、1899年までここにとどまった

 こうして、プライス・ウォーターハウスの場合は比較的多様な背景を持つ3人が集まり、パートナーシップを組むことになりました。プライスは窯元業の息子で、若い頃に地方都市ブリストルで会計士になりました。大きな報酬を得ることができるロンドンに移り、やがて自分の事務所を設立しました。

 プライスより14歳年上の友人ホーリーランドは簿記の経験が豊富で、ロンドンで倉庫会社の共同経営者をした後、個人事務所を経て当時ロンドンで大手事務所の一つだったコールマン・ターカンド・ヤングス&カンパニーに就職しました。プライスとホーリーランドは社会的地位、経験、年齢がほぼ同じでした。

 そしてウォーターハウスは、プライスより20歳年下の24歳であり、異なった経歴の持ち主でした。ウォーターハウスの父親は、リバプールで綿花の仲買業で成功し一家はかなり裕福な暮らしをしていました。父はエドウィンをロンドン大学へ入学させましたので、ウォーターハウスは他の2人の創業者(プライス、ホーリーランド)たちよりも教育水準が高く、第2世代の会計士でした。

 ところで、ウォーターハウスがプライスとホーリーランドにそれぞれ支払った金額1000ポンドと250ポンドは今の日本円ではどれぐらいなのでしょうか。以前ご紹介しましたが、1860年代前後のイギリスポンドを現在価値で置き換えてみるとだいたい1ポンド5万円という相場で考えても良さそうです。弱冠24才の若者が少なく見積もっても6000万円を超える現金を支払ったというのは信じがたいですが、ウォーターハウス家はたいそう金持ちだったのは間違いないようです。

ポンド現在価値の参考
https://finance.yahoo.co.jp/brokers-hikaku/experts/questions/q1018435525
https://spqr.sakura.ne.jp/wp/archives/827

 さて、数名で始めた会計事務所の仕事は清算・破産等の手続きが中心でしたが、プライス・ウォーターハウス設立直後の1866年にイギリス最大の産業であった鉄道会社のひとつロンドン・アンド・ノースウエスタン鉄道の監査人に指名されました。当時のノースウエスタン鉄道はイギリスに10社程あった鉄道会社の中で「1850年代以降、イギリス最大の鉄道」(湯沢威 氏)との評価もあるクライアントであり、会計監査の仕事を獲れたことはプライス・ウォーターハウスが大きく成長するきっかけになるものでした。

 その後大手金融機関も監査クライアントに抱えるようになり、会計の専門家としてその立場を確立し地位を上げていきました。それはプライス・ウォーターハウスの売上高にも現れており、1866年から1887年の間に監査業務からの専門収入は9000ポンド(現在の日本円で4億5000万)から1万5000ポンド(同7億5000万円)にまで伸びています。更に3年後の1890年には13万4000ポンド(67億円)に急上昇しています。その後も急速に成長し、1901年にはウォーターハウスが会計士の見習い時にお世話になった、大手会計事務所のターカンド・ヤング会計事務所を追い抜くまでに成長しました。

 会計士という職業は新しい職業でしたが成功すれば収入面で相当稼ぐことが可能な職業でした。プライス・ウォーターハウス会計事務所の拡大に伴い、プライス、ホーリーランド、ウォーターハウスのパートナー3人の収入もかなりの額になっていました。

 1870年に会社で上げた14,677ポンドの利益を1869年1月のパートナー契約に従って分配すると、プライスは7,788 ポンド(49分の26)(現在の日本円で約3億9千万円)ホーリーランドは4,193 ポンド(49分の14)(現在の日本円で約2億円)、ウォーターハウスは2,696ポンド(49分の9)(現在の日本円で約1億3千万円)の収入を得ていたことになります。プライス・ウォーターハウスのパートナー3人の年収は当時のイギリスの階級別と比べても、高位聖職者、高級医師、法廷弁護士といった高貴な職業の平均年収(1,000〜2,000ポンド)を凌いでおり、プライスにいたっては中小貴族、大商人、大銀行家の年収(10,000ポンド)に迫る程でした。

 もちろんプライス・ウォーターハウスのように、会計士として成功した人々の年収であり全ての会計士が同じだけ稼げたわけではありません。事務所の中でもパートナーとそれ以外では全く違っていましたし、また、会計士と名乗っていてもそれだけで生活できない人々もいたことは既に見てきた通りです。

 プライスはブリストルの窯元業を営む家系に生まれ、会計士として成功しました。リージェンツ・パークのヨーク・テラスに住居を構え、会計士引退後はファーナム・ロイヤルにカントリーハウスを持つような裕福な人生を送りました。

 ウォーターハウスは裕福な家庭で生まれたとはいえ、彼も会計士として成功し39歳のときにはこちらの大邸宅に住むほどの収入を得ていました。

 彼らの会計事務所は19世紀のイギリスで成功を納め、その後世界中で100年以上繁栄し続けます。その成功の歴史的背景について次回迫ってみたいと思います。

■参考資料
『近代イギリスの歴史』(木畑洋一/秋田茂 編著)
『TRUE AND FAIR』(EDGER JONES)

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