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【コンサル物語】20世紀初頭(1900年〜1920年代)のBig4コンサルティング事情①

21世紀現在、グローバルなコンサルティング会社となっているBig4各社ですが、ルーツとなる会計事務所は20世紀初めのアメリカで既に設立されていました。今回はBig4のルーツとなる会計事務所がアメリカのコンサルティングビジネスにどのように関わっていたのか、その歴史を紹介したいと思います。時代は20世紀初頭の1900年〜1920年代です。

2002年のアーサー・アンダーセン消滅後、大手会計事務所をルーツにもつコンサルティング会社はBig4と呼ばれる4社(PWC・Deloitte・KPMG・EY)になりました。一方で20世紀初頭のアメリカではBig4のルーツとなる8つの事務所が既にトップ10の上位を占有している状態でした。

8社を設立の古い順にご紹介します。( )内は後のBig4での名称、末尾の西暦がアメリカでの事務所設立年です(8社の多くは19世紀中頃にイングランドやスコットランドで誕生しアメリカに進出してきた事務所です)

Big4のルーツとなる会計事務所のアメリカでの設立年
①プライス・ウォーターハウス(PWC)1890年
②アーサー・ヤング(EY)1894年
③ハスキンズ・アンド・セルズ(Deloitte)1895年
④ピート・マーウィック・ミッチェル(KPMG)1897年
⑤クーパース・アンド・ライブランド(PWC)1898年
⑥トウシュ・ロス(Deloitte)1900年
⑦アーンスト・アンド・アーンスト(EY)1903年
⑧アーサー・アンダーセン 1913年

①と⑤が1998年に合併しプライス・ウォーターハウス・クーパース(PWC)
②と⑦が1989年に合併しアーンスト・アンド・ヤング(EY)
③と⑥が1989年に合併しデロイト・トウシュ・ロス(Deloitte)
④とKMGが1990年に合併しKPMGにそれぞれなります。
⑧は1989年にコンサル部門が分離独立し(後のアクセンチュア)、会計部門は2002年に消滅します。

この8社の1920年のランキングは次のような感じでした。

ニューヨーク証券取引所上場会社の監査クライアント数(1920年時点)
1位 ①プライス・ウォーターハウス 81社
2位 ⑦アーンスト・アンド・アーンスト 37社
3位 ②アーサー・ヤング 28社
4位 ③ハスキンズ・アンド・セルズ 27社
5位 ④ピート・マーウィック・ミッチェル 25社
6位 ⑤クーパース・アンド・ライブランド 20社
7位 ⑥トウシュ・ロス 15社

『闘う公認会計士』

プライス・ウォーターハウスが他社を大きく引き離し断トツの1位でした。最もアメリカ進出が早かったプライス・ウォーターハウスは、会計士業界で名実ともにリーダーとなっていました。後発で新興のアーサー・アンダーセンは10位までにも入っていない状態でした。

これが約10年後の1932年になると次のようになっています。( )は1920年からの増加数です。

ニューヨーク証券取引所上場会社の監査クライアント数(1932年時点)
1位 ①プライス・ウォーターハウス 146社(+65社)➙
2位 ③ハスキンズ・アンド・セルズ 71社(+47社)➚
3位 ⑦アーンスト・アンド・アーンスト 71社(+34社)➘
4位 ④ピート・マーウィック・ミッチェル 56社(+31社)➚
5位 ②アーサー・ヤング 49社(+21社)➘
6位 ⑤クーパース・アンド・ライブランド 48社(+28社)➙
7位 ⑥トウシュ・ロス 27社(+12社)➙
8位 ⑧アーサー・アンダーセン 24社 ➚

『闘う公認会計士』

プライス・ウォーターハウスの独走は変わらないですが、8位にアンダーセンが顔を出してきました。このようにBig4のルーツとなる各事務所は、アメリカの会計事務所で既に上位を独占する存在になっていました。

1910年代には大手会計事務所は会計監査以外にも事業を拡大するようになりました。1914年7月に欧州を中心に勃発した第一次世界大戦とその後1917年4月にアメリカが参戦したことを受け、アメリカでは連邦税の導入が一気に進み毎年のように税率の見直しが行われました。

アメリカの税金については第一次世界大戦の戦費調達という目的から、特に1917年、1918年に様々な税が企業に課されるようになり、企業にとっては税金対応は極めて重要な問題になっていきました。この頃にはBig4各社でも税務サービス部門が設立され、監査以外の業務にも拡大していった事例と見ることができます。

例えば、アーサー・アンダーセンは大学で連邦税のコースを開講し多くの聴講生を集めました。他にもアーサー・ヤング(後のEY)が1919年に新たに税務部門を設置、プライス・ウォーターハウスも1919年にニューヨーク事務所に税部門を設置し増大する税問題に対応しました。各事務所は税務サービスで獲得した顧客に対して会計監査やコンサルティングサービスを提供することで事業拡大を進めました。

コンサルティングに関して言えば、各社の対応はコンサルティング推進派と慎重派の2つに分かれていました。

推進派は、会計事務所は監査業務に留まっているだけでなく、クライアントの要求があれば新しい領域であっても進出していくべきだという考えで、コンサルティング分野に積極的に進出していったグループです。一方の慎重派は、会計事務所は会計監査という仕事に専念すべきだという考えのグループでした。

推進派の急先鋒は間違いなくアーサー・アンダーセンでした。アンダーセンが事務所設立時(1913年)の提供サービスに税務サービスやコンサルティングのサービスを含めていたことからも明らかです。アンダーセンに続く事務所として、アーンスト・アンド・アーンスト(後のEY)やピート・マーウィック・ミッチェル(後のKPMG)が挙げられます。一方慎重派は会計士業界のリーダーであり重鎮であったプライス・ウォーターハウス(後のPWC)でした。

アーンスト・アンド・アーンストはオハイオ州クリーブランドのアーウィン・アーンストとセオドア・アーンスト兄弟が設立した会計事務所です。コンサルティング分野に早期に参入しており、1903年に会計事務所が設立されてから5年後にはサービス部門という名でコンサルティング部門を立ち上げています。このコンサルティング部門は初期の頃、原価計算や合併調査など、主に会計および財務上の問題を扱っていました。しかし、1920年代半ばにはコンサルティング重視に大きく舵を切り、問題を特定し解決策を提供していくというコンサルティングスタイルに変わっていきました。事業運営全体を分析して経営陣を支援し始め、会計事務所に加え、経営コンサルタントにもなっていった特徴を持っていた事務所です。

このように、Big4のルーツとなる各社は規模の大小はあれど、20世紀初頭からコンサルティングビジネスを展開していた事がわかります。

(参考資料)
『闘う公認会計士』(千代田邦夫)

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