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【コンサル物語】『武器よさらば』(ヘミングウェイ)〜20世紀初頭のアメリカを描いた文学作品〜

20世紀初頭のアメリカではシカゴやニューヨークを中心に、後に巨大コンサルティング会社となる会計事務所や経営エンジニアリング会社が誕生しました。第一次世界大戦とその後の好景気に象徴される時代でした。今回はそのような時代のアメリカやアメリカ人を描いた文学作品を見ていきたいと思います。

最初にご紹介するのは、ノーベル文学賞作家でもあるアーネスト・ヘミングウェイ(1899〜1961)の『武器よさらば』です。

作品の舞台は第一次世界大戦中(1918年頃)のイタリア、スイスではありますが、主人公フレデリック・ヘンリーは志願してイタリアに従軍した20代のアメリカ人です。ブーズ・アレン・ハミルトンの設立者エドウィン・ブーズやマッキンゼー・アンド・カンパニーの設立者ジェームズ・マッキンゼー等のように、当時の多くのアメリカの若者が招集された第一次世界大戦の一つの例として、またアーサー・アンダーセンを含めた当時20代の同世代の人達の姿を主人公フレデリックを通して見ることができると思います。

『武器よさらば』には第一次世界大戦を通じて一人のアメリカ人の生と死が描かれていると思っています。主人公フレデリックは戦闘で死ぬわけではありませんので、生と死とはフレデリックの心のことを指しています。

自分なりの強い意志と誇りを持ちイタリアに従軍したフレデリックは、負傷兵の運搬役として敵国オーストリアとの国境最前線に配置されました。戦況が不透明な中でも自軍のために日々の仕事をそつなくこなす、クールで格好良い男として描かれています。それは彼が自分らしく生きている時間だったのではないでしょうか。

そんな中で出会ったイギリス人看護師のキャサリン・バークリーに恋に落ち、キャサリンと過ごす時間を通じてフレデリックの生きる喜びは最高潮に達していました。

ところがキャサリンとの幸せな時間が永遠に続くことはなく、最後にはフレデリックとキャサリンとの別れが描かれています。キャサリンを失った時、フレデリックの心は死んでしまったと私は感じました。直接的ではないものの、戦争の中で生きることと死ぬことが描かれ、当時の20代アメリカ人男性の一つの生き様を知ることができる素晴らしい作品だと思います。

さて、ここからは『武器よさらば』が描く戦争について触れたいと思います。

作品を読み始めたとき、この作品に描かれる戦争にとても違和感を感じました。少なくとも私自身が学校や社会から学んで知っていた最前線の戦場はほとんど触れられておらず、代わりに全く違った状況が作品の中にあったからです。

最前線の戦場といえば、例えば時代設定の近い日露戦争を描いた『坂の上の雲』(司馬遼󠄁太郎)のように、戦闘員同士のドンパチが激しく描かれる酷くて暗いイメージでした。ところが『武器よさらば』で描かれている戦場は酒と女がこれでもかと盛り込まれた、いわば酒場のようなものでした。それはある種陽気で楽しい雰囲気さえも醸し出している描写であり、受け入れるのには少し時間がかかりました。

勤務中に酒を飲むのは当たり前だったようです。

「待て」
リナルディがいった。
「一杯、飲んでいこう」
リナルディはトランクを開けて壜を取り出した。
「ストレーガはお断りだぞ」
おれはいった。
「いや、グラッパだ」
「よし」
リナルディはふたつのコップにグラッパをついだ。おれたちは人差し指を伸ばして、コップを合わせた。グラッパはかなり度数が高い。

『武器よさらば』(ヘミングウェイ/金原瑞人 訳)

戦闘に巻き込まれた時でさえ、フレデリック達はお酒と食事を欠かしませんでした。

ナイフを取り出すと、開いて、刃をぬぐい、チーズの表面の煉瓦の粉をそぎ取った。 ガヴッツィがパスタの入った洗面器を渡してくれた。
「先に食べてください、 中尉」
「いや、下に置いて、みんなで食べよう」
「フォークがありませんよ」
「かまうもんか」
おれは英語でいった。おれはチーズを切り分けて、パスタの上にのせた。
「さ、座って食べよう」
おれがいうと、四人がまわりに集まってきた。手を出そうと しないので、指をつっこんでつまみ上げた。かたまっていたパスタがほぐれた。
「高く持ち上げるんです、 中尉」
手を思いきり高く上げると、長いパスタの端が皿からやっと離れたので、下の端をからくわえて吸いこみ、最後をぱくっと口におさめた。かんではチーズをかじり、かんではワインを飲んだ。錆びた鉄の味がする。おれは水筒をパッシーニに返した。
 「まずいですよね」
パッシーニがいった。
「ずいぶん前に水筒にいれて、ずっと車に 乗せてたんです」
四人とも、顔を洗面器の上まで持っていっては、パスタを持ちあげ、上を向いて吸 いこんでいる。おれはもうひと口頬ばると、チーズをかじって、ワインで口をすすいだ。

『武器よさらば』(ヘミングウェイ/金原瑞人 訳)

『武器よさらば』の前半部分は戦場で真面目に仕事をするフレデリックが描かれていますが、作品の後半では180度変わり、戦争に嫌気がさし戦場から離れていくフレデリックの姿が描かれます。また戦場の描写は全編通して激しい戦闘シーンはありませんが、売春や略奪、仲間の殺害等を通じて戦争の醜さ、酷さがはっきりと描かれています。

兵士相手の売春宿の女たちがトラックに乗りこむところだった。女は七 人、帽子をかぶってコートを着て、小さなスーツケースを持っている。そのうちのふたりは泣いている。
(中略)
その女の子はきつい目でこちらを見た。もうひとりの子はうつむいたままだ。こちらを見た女の子は、ずいぶんなまった言葉で話したので、ひと言もわからなかった。 小太りで浅黒く、十六歳くらいに見えた。

『武器よさらば』(ヘミングウェイ/金原瑞人 訳)

次は、運搬途中の町で民家に押し入り食料や飲料を略奪するシーンです。

「食べ物はあまりないですね」
ピアーニがいった。
「一切合切持っていったって感じです」
ボネッロが大きな白いチーズを、ごついキッチンテーブルの上で切り分けた。
「どこにあったんだ?」
「地下室です。ピアーニがワインも見つけました。それからリンゴも」 
「立派な朝食じゃないか」
ピアーニが籐編みの籠に入ったワインの大壜から木の栓を抜くと、傾けて銅の鍋にたっぷり注いだ。
「いいにおいだ」
ピアーニはそういってから、 アイモに声をかけた。
「コップを持ってきてくれ」
軍曹たちが入ってきた。
「チーズでもどうだ?」
「出発したほうがいいと思うんですが」
 軍曹がチーズを食べ、ワインを飲みながらいった。
「出発するよ。心配しなくていい」
ボネッロがいった。

『武器よさらば』(ヘミングウェイ/金原瑞人 訳)

こちらは、助けてやった味方の軍曹が規律を乱したので殺害をしたシーンです。

「おれがやります」
ボネッロがいった。おれがピストルを渡すと、ボネッロは、道にうつ俯せに倒れている軍曹のところに歩いていった。ボネッロはかがんで、銃口を男の 頭に当てると引き金を引いた。弾は出なかった。
「撃鉄を起こすんだ」
おれがいった。ボネッロは撃鉄を起こして、二発撃った。それから男の両脚を抱えると、道路から引きずっていって、生垣のそばに置いた。ボネッロはもどってきて、おれにピストルを返した。
「人でなしめ」
ボネッロはいうと、死体のほうを見た。
「見てくれましたか、 中尉?」

『武器よさらば』(ヘミングウェイ/金原瑞人 訳)

さて、いかがでしょうか。フレデリックは誇りを胸に戦場に赴いた訳ですが、その誇りが踏みにじられたとき彼は戦争から離れていった、と私は作品全体を読み終えて感じました。作品の舞台と同時代・同世代として現実の世界で生きていたアーサー・アンダーセン、エドウィン・ブーズ、ジェームズ・マッキンゼーといったコンサルティングの開拓者達も、分野は違えどフレデリックと同じように誇りを持って生きていたことでしょう。フレデリックの生き様と彼らの生き様には少なからず重なる部分があったと私は考えています。

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