持っている幸せの数はみな平等である
嘘である
何をやっても不運な人、行政からも見捨てられる人はいるのだ
いじめっ子のように何をやっても周囲から肯定される人は
社会に出てからも上司に他人の悪口を吹き込んで大いに信頼され
楽しく暮らしていく
社会に出てからもいじめをやり続けることは
人生成功するのに必要不可欠であるというわけだ
いじめを推進する日本の学校教育は成功しているのだ
持っている幸せの数はみな平等である
嘘である
何をやっても不運な人、行政からも見捨てられる人はいるのだ
いじめっ子のように何をやっても周囲から肯定される人は
社会に出てからも上司に他人の悪口を吹き込んで大いに信頼され
楽しく暮らしていく
社会に出てからもいじめをやり続けることは
人生成功するのに必要不可欠であるというわけだ
いじめを推進する日本の学校教育は成功しているのだ
いじめは大人に相談しろ。必ず守ってくれる。
そんな呑気な論調を見る。
団塊ジュニアの子供時代はイジメが奨励されていた
いじめっ子は明るく元気で誰からも好かれる子
いじめられる側にすべての原因があると大人たちは確信していた
どうやったらいじめられっ子が死んでくれるかな
教師も親もそれだけを考えていた
私はいじめっ子が嫌いだった
他人に嫌がらせをする奴がどうしてよい子だったりするのか
しかし親も教師も嫌がらせをする子こそが
とってもいい子で最高なのだと言い続ける
ああなりなさいと厳しくしつけた
自分はああはなりたくなかった
しかしそれで成功なのだろう
人生を成功するには他人に嫌がらせをして誰かを不幸にしなければ
自分が幸せにはなれないのだ
そしていじめっ子は今も楽しく暮らしているのだ
「どんな親孝行をしていますか」
県外への就職を望んだ私に多くの会社がそれを聞いてきた。
女は結婚するまで親元で大事に育てられ、父親に守られ母親から家事を学ぶべきである。大学を出たら地元へ帰り、結婚するまで親元にいるべきである。
女性の採用は自宅通勤に限る。そんな会社もごく普通だった。「親御さんが心配している。とにかく帰りなさい」そうやって諭された。
いじめっ子を最上位のものとする地元へは帰りたくなかったが、帰るのが子供の義務であるらしい。きょうだいは妹のみであるため、親は長女の私が親と同居して家を継ぐのだと子供の頃から決めており、県外での就職活動に「大学へ行かせてあげたのに親を見捨てるのか」と激昂した。
中学の時も高校の時も、いじめっ子やイジメ推奨の教師に迎合し「学校へ行かないなら死んで」と言ってきた親である。田舎で不登校などやる子供は親が責任をもって殺さなければならない。本来なら自分は中学時代に死んでいた。これ以上親は何を求めるのか。
自己紹介で自分で自分のことを「明るい!」という人が嫌いである。それを言っているのはほぼ例外なくいじめっ子であった。
明るいというのは往々にして口数が多いことを指す。一番他人の心をつかむお喋りは悪口である。明るい子は一日中他人の悪口を言っている。それは教室の隅で本を読んでいるような自分のような者がターゲットにされた。
教室の真ん中で大勢の人を集めて、他人をあげつらい上機嫌になっている明るい子。教師は彼ら彼女らをクラスの中心人物で人気者だと最高評価を与える。推薦だってお手の物だ。いじめられっ子のほうは他人と交わらない問題のある子として親に注意し推薦もまず通さない。親はなぜ先生の言うことを聞けないの、クラスの子(いじめっ子)と仲良くできなのと叱咤。こちらの言い分は一切聞かなかった。
いつだって明るく元気ないじめっ子は世の中上手くわたって勝ち組になるのである。
出身中学では卒業してからうん十年後に学年全体での同窓会をやることが決まっている。無論、行くはずもないし連絡すら来ないが(同窓会案内が業者の丸投げ仕事なら、連絡がこないのは実家が引っ越したためか)、別のクラスだった何人かがSNSに挙げているためたまたま目にした。始終和やかなムードで、教師たちがありがたい話をして終わったらしい。
教師たちのありがたい話は決まっている。中学時代に培った友情が、何十年も続き、この先も続いていくのは素晴らしい。本当に良い仲間、良い時間であった。それを提供した自分たち教師に対する賛美でもある。
欠席教師の名前はなく、当然同学年すべての担任たちも来ていただろう。いじめに加担した教師たち。いじめっ子たちが皆その高校へ行くことを知りながら熱心に地元高校への進学を進め、これから先もいじめっ子たちとずっと一緒だよと嘲笑った教師。
同窓会でいじめっ子たちに囲まれて、私がしてきたことは本当に正しかった。こうして、あの頃可愛がっていたいじめっ子たちが私を慕ってやって来てくれて、本当に嬉しいと感涙していたのだろう。
田舎のカーストは永遠不滅である。