第1の習慣「主体的である」 名著「コヴィー の 7 つの 習慣」で「ゴキゲン×ヤリガイ」のある人生を手に入れる 2

アーリーリタイアした時に、再読したくなったフランクリン・コビィー博士の名著「7つの習慣」を、自分なりに読み解く企画の第2弾です。

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名著「7 つの 習慣 スティーブン コヴィー」でゴキゲン×ヤリガイのある人生を手に入れる 総集編 – ゴキゲンLifeShift (gokigenlifeshift.com)

 

 

前回は、実践のための「7つの習慣」要約として、第1部「パラダイムと原則」の趣旨を説明しました。

「7つの習慣」で「ゴキゲン×ヤリガイ」のある人生を手に入れる 1 – ゴキゲンLifeShift (gokigenlifeshift.com)

 

そこでは「7つの習慣」が、「依存→自立→相互依存」という連続したパラダイムのシフトであることを理解するが最重要でした。

 

私的成功の段階 ①依存の自覚:ひとは誰でも、誰かに対して「依存状態」にあると、気づくこと

自立の段階   ②自立:「依存」から脱して、「私」へのパラダイムシフトをすること

公的成功の段階 ③相互依存 :自立した個人として、社会の中の「私たちへのパラダイムシフトをすること

 

 

今回から、「7つの習慣」の習慣をひとつづつ読み下していきます。

第1回は、私的成功の基本となるコンセプト、「主体性」です。

 

私的成功 第1の習慣 「主体的である」 - 主体性を発揮する

 

*「7つの習慣」の30周年記念版以降、習慣の名前も時代性を反映して、いくつか呼び変えられています。

 そこで旧版読者にもわかりやすく、ここでは、第*の習慣 「新版名」ー 旧版名 と表記します。

 

自立に至る「私的成功」には、前提が存在します。

我々はいかなる状況においても、何かしらに「依存」しているということです。

私的成功とは、自らが陥っている、その「依存状態」に気づき、そこから「自立」することを目指すことです。

 

今回の第1の習慣では、依存状態から脱する基本姿勢を説いています。

物事を「我が事」としてとらえ、「我が事として行動する術」を身に着けることが、このパートの目的です。

 

再読するたびに気づく「新たな依存」状態

 

10数年ぶりに再読して感じたのは、60歳になろうとしていても、自分はいまだに「依存」しているという事実でした。

 

初めて「7つの習慣」を読んだ30代では「家族」に依存していました。同時に20代の時には、見事に「親」に依存していたことを自覚しました。

再読した40代では「自分が立てた事業プラン」に依存していました。ヤリガイがすべてで、家族を犠牲にしても、事業の成功を優先させていました。

そして50代の今回は、「会社帰属意識」に依存していた自分に気づきました。この「組織への帰属意識」から卒業するために、今回、この要約シリーズを始めたのだと思います。

そして、この要約を完成させることで、「組織に依存しない新しい相互依存の形」を模索するのだと、予言的に悟りました。これはその旅なのだと知りました。

 

こんな風に、とある「依存状態」から脱し、自立した自分として、公的な挑戦をし、それなりに成功したつもりでも、実際には、次に、なにがしかを頼り、新たな依存すべき対象を見出して、「依存」してしまう。

 

そう「依存したがる」ことが、「人間の本質」なのでしょう。

そして、社会的な存在としてみれば、「依存」と「自立」は、永遠の輪廻であり、人間の宿業なのかもしれません。

 

逆に考えれば、コビィー博士が主張するように、「7つの習慣」が「成長の連続体」であるとするならば、我々は、いかなる状況においても、何かしらに「依存」している。そして、その依存から脱して、自立を促し、相互に依存する成長のスパイラルを描く。その「依存の輪廻」の存在への気づきこそが、「肝」なのです。

 

よく、「7つの習慣」は、再読するたびに違う印象を得る、再読するたびに「そんなことが書いてあったのか」と新鮮な気持ちで読んだ、と言われます。

たぶん、その都度の読者における「依存対象」の違いが、毎回の印象の差になるのではないでしょうか。

 

実際は、要約すると大した分量ではない「7つの習慣」ですが、豊富な事例、豊富な引用が、こうして多様な人々の、多様なシーンに対応しているような気がします。

 

「選択の自由」をもたらす4つの能力

 

コビィー博士は、人間の基本的な原則として、まず「選択の自由」を投げかけます。

そして、外部から「刺激」を与えられ、それに「反応」する間の「判断」に、焦点を当てます。

 

人間だけがこの「刺激」と「反応」の間に、「判断」する能力を持つとしています。

動物は、たとえ知力が高い動物であっても「本能」に基づいて行動しているからです。

 

人間は、「刺激」と「反応」の間に4つの判断能力を有します。

・自覚:自分自身を客観的に見つめる能力

・想像:現実を越えた状況を推察する能力

・良心:心の奥底で善悪を区別し、原則を意識する能力

・意思:他の様々な影響に縛られずに、自覚に基づいて行動する能力

この4つの能力があるからこそ、人間を他の存在とは、別の高次の存在にしているのです。

だからこそ、その能力を最大限に生かして、「選択の自由」を発揮する。

 

「選択の自由」こそ、自覚、想像、良心、意思の力を用いて、人生を「主体的に生きる」ために使うスキルです。

 

ここで、登場した「主体性」について、

コビィー博士は、「責任(responsibility)」という単語を、

「反応(response)」と「能力(ability)」の2つに区分し、

「刺激」と「反応」の間に、人間しかできない選択の自由を発揮して、

「感情を抑えて自らの価値観を優先し、自発的に、かつ責任を持って行動する」

ことだと説明しています。

 

「選択の自由を行使する人間は

自分の行動に責任を持ち、他人のせい、状況のせい、条件のせいにしない。

自分の行動は、一時的な感情の結果ではなく、

一貫した価値観に基づいた選択の結果だと知っている」

 

そして、選択の自由を行使するためには、「自ら動く率先力を発揮すること」が基礎体力になると明言しています。

反応的な言葉を使わず、責任転嫁をしない。

そのために「主体的な言葉」を使うのです。

 

「依存」を自覚するための 2つの輪

自分がいかに主体的か、逆にいかに反応的かを知る素晴らしい方法として紹介されるのが、有名な「関心の輪と影響の輪」です。

 

自分が知的にも、感情的にも関心を持っていることを描いてみる。

健康のこと、家族のこと、職場のこと、社会問題、芸能ゴシップ、国家体制、戦争、気候温暖化・・・。

その淵を輪でくくると、それがあなたの関心の輪の最大値になります。

 

この作業を意識的にするのは簡単ではありません。

自分の関心の輪の最大値を知っている人は少ないと思います。

そして、それ故に、無自覚に関心の輪がどんどん広がってしまっている人が多いと思うのです。

とりあえず、すべてを関心の輪の中に入れてしまって、重くて動けなくなった人たちをよく見かけます。

 

* 自分は、年に一度、いまの自分の関心の輪がどこまで広がっているかを確認する作業をしています。

NHKの「欲望の資本主義」というドキュメンタリーを使う手法です。

この方法については、こちらをお読み下さい。

アーリーリタイアしたらしたいこと 関心の輪としての「欲望の資本主義」 – ゴキゲンLifeShift (gokigenlifeshift.com)

影響の輪としての4領域 – ゴキゲンLifeShift (gokigenlifeshift.com)

 

さて、本題。この関心の輪を俯瞰的に見てみると、その中には、自分の行動でコントロールできる部分と、自分の力が及ばない領域があることに気付きます。

この自分の行動でコントロールできる部分を「影響の輪」と呼びます。

この影響の輪に時間と労力をどのくらいかけているかによって、主体的な人と、反応的な人が、区分されます。

 

反応的な生き方

反応的な生き方を図に書くと影響の輪が小さくなっている様子がよくわかります。

反応的な人が、労力をかけるのは影響の輪の外です。

他者の弱み、周りの環境の問題、自分にはどうしようもない状況に関心が集中しています。

そのくせ、自分が行動を及ぼせることへの関心が薄く、周囲からもあてにされないので、どんどん影響の輪がしぼんでいきます。

なので、ひとのせいにする態度、被害者意識が増えて、どんどんネガティブな言葉を発し、マイナスエネルギーをまき散らすのです。

 

近視眼的な生き方

 

前回までは読み飛ばしていたが、60歳近くになってズシンと来たのは、この影響の輪が、肥大化して、関心の輪を飲み込んでしまうパターンが指摘されていたことでした。

 

コビィー博士は、人生の成功者に共通の「近視眼的な生き方」も見通して、警告を与えていました。

ある程度、地位や財力、役割、人脈を得ると、それで満足して、それを守ることに固執して、関心の輪を広げる努力を怠り、それまで知り抜いた世界の中だけで生きていこうとする人を「近視眼的な生き方」として批判しています。

これも自己中心的で、反応的な生き方なのです。まだチャレンジャーだった若いころには気が付かない指摘です。

 

主体的な生き方

 

では、関心の輪と影響の輪が理想的な生き方はなにかというと、この主体的な生き方の図になります。

 

主体的な生き方は、影響の輪の中に労力を集中します。

自分が影響を及ぼせる物事に働きかけ、影響を及ぼすことができる仲間を励ます。

その行動には、ポジティブな情熱が宿るので、影響の輪を徐々に押し広げていく作用があります。

そしていつしか、影響の輪の外側にあった事柄にでも、影響を及ぼすことができるようになるのです。

ただし、その影響の輪は、関心の輪より大きくなることはない。

なぜなら長期の視点でみれば、徐々に関心の輪と影響の輪の双方が拡大しているからです。

 

インサイド・アウトの実践

第1の習慣には有名な名言があります。

「問題が自分の外にあると考えるならば、その考え方こそが問題である」

自分の外(関心の輪)にあるものに支配を許していると、問題を責任転嫁する。

これをアウトサイド・インの考え方と呼びます。

 

主体的な人の考え方は逆。

変化のパラダイムはいつでも自分から起こります。

インサイド・アウトの考え方を実践していきます。

「自分自身が変わる。自分の内面にあるものを変えることで、外にあるのもを良くしていく」のです。

主体的な人は、もっと才能豊かになれる、もっと勤勉になれる、もっとクリエイティブになれる、もっと協力的になれると考え、その考えに基づいて、ためらいなく行動します。

 

影響の輪を実践するための「問題のとらえ方」

 

我々が直面する問題は、3つに区分できます。

そして、それらはすべて主体的にアプローチすることで、解決できます。

 

・直接的にコントロールできる問題 = 自分の行動に関わる問題

→ 習慣を改めることで解決できる。この領域は明らかに自分の影響の範囲の問題。

「7つの習慣」の第1~第3の習慣=私的成功は、それを解決するための学びです。

・間接的にコントロールできる問題 = 他者の行動に関わる問題

→ 影響を及ぼす方法を変えることで解決できる。

「7つの習慣」の第4~第6の習慣=公的成功は、それを解決するための学びです。

・コントロールできない問題 = 過去の出来事、動かすことができない現実

→ どんなに気に入らなくても、自分の力で及ばない問題ならば、我々は、その問題に対する態度を根本的に改める必要があります。

「笑顔をつくり、穏やかな気持ちでそれを受け入れて生きる術を身に着ける」こと。

 

これほど、主体的な行動はないでしょう。

無理に考えても、それはコントロールできる問題にはならないのですから。それをそのまま主体的に受け入れるのです、笑顔を持って。

 

  「主よ、私に与えたまえ。変えるべきことを変える勇気を。

   そして、変えられないことを受け入れる心の平和を。

   そして、これらのふたつを見分ける賢さを」

    アルコール依存症構成団体の祈りの言葉

 

いま、「7つの習慣」を読み直す意味こそ、この言葉にあるのかもしれません。

会社を離れ、過去の栄光を捨て、コミュニティを新しくゼロから築いていく、いま、この時に。

 

変えるべきことを変える勇気。

変えられないことを受け入れる心の平和。

そして、これらのふたつを見分ける賢さを。

 

これこそが、ゴキゲンとヤリガイのバランスを求め、生涯持続可能な社会貢献を目指す、自分が求める「大人の智慧」なのだと思いました。

 

次回の第2の習慣 「終わりを思い描くことから始める 」ー 目的を持って始める に続きます。

 


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