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『禅林句集』7.一撃忘所知 一撃所知を忘ず いちげき しょちを ぼうず

2023年04月05日 | 禅林句集

禅の悟りについて、「石がカーンと鳴るのを聞いて悟った」というエピソードを耳にしたことはありませんか。この言葉が、まさにそれです。

「一撃」は「カチーン」と鳴る音、「所知」は知識、頭の中の記憶にある知識を指すので、「一撃忘所知」は、「カチーン」という音を聞いて、これまで得た知識の全てを忘れた」という意味です。この言葉に「悟った」という内容はありません。それなのに、「悟り」を表す言葉とはちょっと不思議です。

どうやら、「知識を忘れるとはどういうことか」がポイントのようです。そこにこの言葉の真意、この言葉の主人公、中国唐代末期9世紀の禅僧香厳智閑(きょうげんちかん)禅師の悟りがある。

香厳禅師は博識で有名でした。師匠である潙山靈祐(いざんれいゆう)禅師(771-853年)から、「父母未生以前の一句」について、つまり、「生まれる前の自分とは何か」を問われました。特に臨済宗の禅僧は、「公案(こうあん)」と呼ばれる課題を師匠からいただいて返答します。一度で認められることもあれば、最後まで認めてもらえないこともあるようです。香厳禅師は何しろ博識の勉強家です。自分が学んだ知識を駆使して一生懸命答えました。しかし、何度答えても師は認めてくれません。教えを請うと、それでは自分の答えにならない、と不親切です。香厳禅師は自分が学んできた書を捨てて燃やし、以後何年も地道な修行をしましたがわかりません。それでも禅師は諦めず、初心に帰るつもりで師の元を離れ山に入って墓守りとして過ごします。すると、ある日、外掃除で出たゴミを捨てたとき、混ざっていた瓦礫の石が竹に当たって「カチーン」と鋭い音を立てました。香厳禅師が忽然と悟ったのはその時でした。遂に答えを得たのです。禅師はさっそく沐浴し香を焚いて遠い潙山禅師に礼拝し、師があえて答えを教えてくれなかったからこそ得られた悟りであり歓喜であると礼を言いました。「一撃忘所知」は、そのときの気持ちを偈(げ)と呼ばれる漢詩にしたときの最初の一句なのです。

香厳禅師は、頭でっかちになって学んだ知識の全てを忘却し、ただひたすら無心に「カチーン」という音を聞きました。これは禅宗的には、自分が「カチーン」という音そのものになった、ということのようです。この体験は、悟りは日常の中にあり、見るもの聞くものの全てが自分とも一体となった仏そのものであること、また、悟りは静的なものではなく日常の仏法の実践にあることを示すそうですが、香厳禅師は、その仏法すら超越したといいます。前に書いた「萬法一如」の感慨だったとも考えられるでしょう。

しかし、俗人にとって最も興味深いのは、石が当たった音を聞けば誰でも悟れるわけでないことです。香厳禅師は、修行の途上で今一度謙虚な気持ちに戻って更に何年も修行をし直しました。師匠から出された課題を忘れることなく探求し続けました。なんと立派なことでしょう。禅師の悟りは決して偶然のものではなく、努力の積み重ねがあったからこそ得られたのです。しかも、独力で得たわけだから喜びも計り知れなかったでしょう。

ところで、「父母未生の一句」を問われたら、あなたはどう答えますか。

私は、「私は私だ」です。生まれてくる前の私も私で、生を受けて半世紀以上在るのも同じ私だからです。胎内にあっては、その一つ一つの細胞に太古から続く過去が積み重なっているでしょう。今にあっては広い空間の片隅に座し、他の存在とさまざまなものを交換する自分が在る。私自身が持つ自分という意識は時を経て変化し続けているでしょう。しかし、私を作っているのは私の意識だけでありません。「水を飲みたい」と意識してコップに手を伸ばそうとするとき、意識より先に手を伸ばす行為が始まっていると聞いたことがあります。それは通常「私だ」と意識できる以外の「私」が存在することを意味します。そうした幅広い意味での「私」は父母未生であっても存在しうるのではないでしょうか。それは、「萬法一如」に通じる「私」ではないでしょうか。このように考えると、誰でも悟りを開いた香厳禅師と変わらない存在のはずです。ただ、当然ですが、悟りを得た香厳禅師とそうでない私の間にはものすごく大きな隔たりがあります。それは、私はこの事実(!)を「所知」として認識してるだけだということです。日常的に体感して納得しているのではない、頭でっかちの知識にすぎないことです。潙山禅師は、この私の回答を決して認めてくださらないでしょう。それどころか追い払われるでしょう。「頭でっかち」の saber ではだめなんです。

「一撃忘所知」と「萬法一如」は切っても切り離せない関係ではあるまいか。つらつらそんなことを思いました。

 

参考文献等

『訓註禅林句集(改訂版)』柴山全慶諞 書林其中堂 

『分類総覧禅語の味わい方』西部文浄著 淡交社

「男の隠れ家」2023年4月号 株式会社三栄

ちなみに、香厳禅師の偈を SAT大蔵経DB 2018 から紹介します。下線部2カ所、語録と傳燈録で字句が異なるようです。

 潭州潙山靈祐禪師語録   

更不假修時動容揚古路。不墮悄然機。處處無蹤跡聲色外威儀。諸方達道者。言上上機。

景徳傳燈録卷第十一 

一撃忘所知 更不假修治    
動容揚古路 不墮悄然機    
動容揚古路不墮悄然機。此句舊本
並福邵本並無。
今以通明集爲據    
處處無踪迹 聲色外威儀    
諸方達道者 咸言上上機

 


閑話休題1 多面的な「一つ」

2023年03月05日 | 閑話休題

わかってる人は鼻で嗤うであろう、あまりに当たり前すぎるだろうと私が想像することをあえて書いてみる。

禅林句集の言葉を解読しようとしたり、禅にまつわる書物を広げたりすると、禅の教えは、「萬法一如」のごとく、本当の真実は「一」という単純な言葉にならざるをえないのではないか、と疑いたくなってくる。

禅において悟りの境地を「○」の記号で象徴するのも、真実を「一」とするのに似た表象だろう。何であれ書き表せばわかったような気になるのが人の常だが、「○」はもちろん「一」にしても記号的だから、実は何のことかわからない。記号は常に誰か他者から意味を教えられなかったら理解し得ないものだからだ。

悟りに達した人は「一」や「○」のように言葉にならない理(ことわり)や境地を解するだろうが、これから悟りを求めようとする人、求めるまででなくても正直な気持ちで何か見いだしたいと願う人にこれらを伝えるには、やはり何とかして言葉に代えて伝えるほかない。禅林句集の数多くの言葉も歴史に伝わる高僧の言行録も、禅の真実を誰かに伝えようと知恵を絞り、手を変え品を変え、表現方法を変えてなした努力の賜物だろうと思う。

禅林句集など読み進めることで、主意は一つではあるまいか、と思い至った次第である。

もちろん、「一」「○」へのアプローチ方法は言葉だけにあるのでない。というか、言葉は最後の手段に過ぎないのが本当のところだろう。

私が感じるに、「修行」と呼ばれるものは、端から見ると身体を徹底的に重視するようにみえる。悟りに到達する方法が言葉そのものでないのが真実だからだろう。身体を用いるから言葉は用いないという意味ではない。同じ言葉を知るにも、紙面で知るのと何らかの行為の上で体感して知るのとで、持つ意味は異なろう。なおかつ、一言「修行」と言ってもさまざまなアプローチがあるものだろうし、もうそのあたりは、ど素人の傍観者には全く伺い知れない、想像つかない感覚、身体感覚による知だと思う。

突然で恐縮だが、スペイン語には「知る」という意味の語が2つある。Saber とconocer である。和訳すればともに「知る」だが、例えば、どこかの店や場所について知識としてだけ知っているときは saber を用いるが、行ったことがあるなど経験を伴って知っているとき、また、人を実際に知っているとき、 conocer は用いられる。この違いは、英語で I know of Tom. という表現にはトムには会ったことがない響きがあるが、I know him. と言うと彼に会って知っている、という意味になるのに似ている。¿Conoces Tokio? (あなたは東京を知っていますか?)は、東京に行った経験があって知っているか、という意味になる。

さて、本題に戻るが、禅における「知る」は、conocer に当たる「知る」ではないか。ところが、日本語では、多分、中国語でも、頭だけの知と体験的な知の区別をしないから、頭でっかちの理解に向かう間違いは起こらないか。「一」や「○」が象徴として用いられるのは、その誤解を避けるためではないか。言葉だけで知る saber ではいけないのだ。「修行」とは全てが個々人の体験であろう。言葉は重要であっても、いくら修行者の経験談を熱心に聞いたところで自分自身の体験にはならない。その認識の象徴が「一」「○」だったりするのではないか。

ここで少し気になるのは宋代の禅僧大慧宗杲禅師(1089-1163年)である。たまたま知っただけだが、大慧禅師は臨済録の版木を焼いたという。大変立派な禅僧だったのに、なぜ祖師臨済義玄の言行録を焼いたのか。

推論されるのは、いくら臨済録といえど所詮は言葉の集合体に過ぎないことだ。だから、そこから得た知は saber の域を出ず、conocer たり得ないからではないか。当時の宋では臨済宗が隆盛を極めた。何ごとでも盛んになれば同時に誤りも起こりがちになる。禅師は紙面の言葉である臨済録に修行僧たちが囚われすぎるのを防ごうとしたのではあるまいか。私の勝手な想像にすぎないが。

禅が言葉を超えた身体性に立脚した己の経験に依るとなると、「一」「○」に到達する方法は多岐に及ばざるをえまい。身体を通した経験は体感でしか得られないから一人ひとり異なってるに決まっている。禅の修行道場での生活は規則的で画一的、食べるもの、着るもの、やることなすことは、皆同じであろうにもかかわらず、「一」「○」に挑む方法が、各人の身体という個性に応じて多岐にわたる事実は、非常に対比的である。現代社会における個性について考える上で興味深くないかと思う。

参考文献等

「後世における大慧宗杲の評価」野口善敬 『論叢 第8号 2013年3月』

               花園大学国際禅学研究所


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『禅林句集』6.萬法一如 万法一如 ばんぽう いちにょ・まんぽう いちにょ

2023年03月03日 | 禅林句集

「萬法」とは万物、この世のありとあらゆるものを指します。世の中のものは何であれ、全く同じものは一つとして存在しません。空の月とそれを見る私たちは全く違う存在です。私とあなたも違う存在です。同じ製品を作る大量生産で検品が必要なのは、同じ材料で同じ方法で作っても違いが出るからです。このように、世界は異なるもので出来上がっているのに、禅では、どんなに違って見えるものでも根源まで辿れば同じ一つに行きつく、と教えます。それが「一如」だそうです。

すべての異なるものを指して「この世のすべての根源は一つである」とはとても不思議ですが、この不思議が「悟り」に至るそうです。

『分類総覧禅語の味わい方』には、「天地輿我同根萬物輿我一體(天地と我と同根、万物と我と一体)」(碧巌録)という言葉が「萬法一如」と同じ意味だとして南泉(なんせん)禅師(748-835年)の逸話が紹介されています。南泉禅師の門下には陸亘大夫(りくこうたいふ)という居士(こじ)、出家せず在家にいながら修行する人がいました。あるとき陸亘大夫は、万物と我は一体という「萬法一如」に相応する言葉の素晴らしさを禅師に語りました。悟りの境地に関することなので褒めてもらいたかったようすです。しかし、禅師は庭の牡丹の花を指し、「人はこの牡丹の花を『ああ、美しい』と、夢見心地で見ている」と言いました。禅師は、悟りの境地が何であるかを語るのは未熟であること、理屈を捨て去って美しい花を見て、ただただ無心に美しい、と眺めることに「萬物一如」という真実が輝く、と教えたのです。

私たちも、ときに自然の風景を見て「美しい」「素晴らしい」と感動します。そのとき心にあるのは、美しいとか素晴らしいと思う気持ちだけで、前日の嫌なことも良いことも、俗世間の話題も他人の噂話も、おいしいご馳走のこともお腹が空いていることも、他人と自分を比べてあれこれ羨んだり自慢げに思ったりする気持ちも一切ないはずです。また、無心に見つめる自分はその対象に相向かい合っていても決して対峙しているわけでないでしょう。対象と自分は物理的には別個の存在でありながら溶け合うかのように一体化する。ひょっとしたら感動することで無心になるのかもしれません。「萬法一如」はそんな状態かもしれません。

と、こんな風に頭でっかちに語るのは容易ですが、禅の言葉の実際は、自分の身体と内面の奥深くに関わるので、頭で、理屈で納得したところで本当のところは無意味かもしれません。

『分類総覧禅語の味わい方』には、また、「すべての存在は一切平等なのだ」と書いてあります。「平等」は、「差別がない、区別がない」という解釈ですが、日常の感覚と少し異なります。「あなたと私は平等だ」という言説は、平等意識さえ持っていればすんなり理解できるでしょう。しかし、私たちは通常、「空の太陽と自分」や「小さな虫一匹とそびえ立つ山」を「平等である」と言いません。天体である太陽と人間、生き物である小さい虫と自然の地形というように、ジャンルが異なるものを同列に並べて「平等である」、「区別がない」とは決して言いません。ところが、仏教、禅では、それらですら「一如」と言い切ります。一体どうしてか不思議ですが、前に書いた、美しい花という対象物とそれを見る自分は物理的に全く別の存在にもかかわらず「一如」にたり得るという考えに基づけば、平等であり区別がないということになります。しかし、それでも、すんなり飲み込めない。

お笑いになるかもしれませんが、私にとって最も単純な回答は物理化学的解釈です。世界の物質の全ては、あなたも私も、虫も山も、全てが陽子や中性子、電子で、量子でできていて、運動、熱量などのエネルギー法則に支配されている仕組みに変わりはない、というものです。これは、科学者が理論と実験を重ねて確立した事実、たとえ暫定的であっても事実と言って良いでしょう。一方、仏教や禅の教えは、悟りを求める修行者が全存在をかけて得たものです。両者はアプローチの仕方がまったく異なりますが、仏教、禅があらゆる存在を超越して真理の極限に到達したものなら、この「萬物一如」、9世紀に生きた禅僧臨済義玄(りんざいぎげん・?-867年)の言行録『臨済録』のこの言葉が20世紀・21世紀の最先端科学と一致して何ら不思議ない気がします。20世紀になって、正しく座禅をすると心持ちが変わるのは、その人の身体が脳波や血流などの変化が関わる、と科学が教えてくれました。同様に、「萬法一如」も、禅僧が悟りの境地で体感した科学かもしれません。

宇宙飛行士の中には、宇宙から地球を眺めて人生観が変わる人がいると聞いたことがあります。広大な宇宙に浮かぶ小さな一つの星地球のちっぽけな存在にすぎない人間を見出すからでしょうか。地面に寝転がって大空を見上げても同じかもしれません。大きくどこまでも広く深く遠い空は、あれこれ思い煩いがちなことがらを頭の外に出し、ものごとのとらえ方を変えてくれるかもしれません。禅宗は、総じて今を生きる人に何らかの生き方を体感させて教える宗教であるように思います。「萬法一如」もそんな教えを言語化した一つでしょう。しかし、言うは易し、体感するは難し。

 

 参考文献等 

『訓註禅林句集(改訂版)』柴山全慶諞 書林其中堂 

『分類総覧禅語の味わい方』西部文浄著 淡交社

『臨済録上巻』山田無文著 禅文化研究所

 


『禅林句集』5.撥水求波 水を撥って波を求む みずをはらってなみをもとむ/はっすいきゅうは

2022年08月20日 | 禅林句集

人は迷って苦しむことがあります。そこで、禅では「悟り」によって、迷いの苦しみを解放しようとします。「撥水求波」では、「悟り」を「波」にたとえています。この言葉は、「悟り」である「波」を求めているのに、波を作る「水」を追い払ってしまう、「迷いそのものが悟りであることを知らぬ愚かさ」を表すそうです。

さて、皆さん、納得されましたか。

私は、わかったような、わからないような、変な気分です。字面はその通りでしょうが、どうも合点がいかない。

その昔、学校の勉強で、「必要条件」「十分条件」というのを習ったことを思い出しました。例えば、「りんごならば果物である」が真である、つまり正しいとき、「果物はりんごであるための必要条件で、りんごは果物であるための十分条件だ」ということです。図で描くとわかりやすいでしょう。

下の図、黄色と青の円の図を見て下さい。大きな黄色の円である「果物」の中に、小さな青色の円の「りんご」がある状態です。言い方を換えると、「りんごなら必ず果物だが(図の青い部分)、果物だからと言って必ずしもりんごとは限らない(図の黄色の部分)」ということです。

さて、「撥水求波」では、「水」が「迷い」で、「波」は「悟り」のたとえになっています。「果物」が「水」で、「りんご」が「悟り」に当たると考えてみましょう。私たちはりんごが欲しかったら果物屋に行きます。りんごが欲しいのに果物屋を避けて通る人はいません。しかし、悟りにおいては、りんごが欲しいのに、果物屋を退ける、というのがどうやらこの言葉が表す愚かさのようです。

こう考えると少しわかったような気になるかもしれません。

でも、まだ腑に落ちない。

なぜなら、「水」である「迷い」が必ずしも「悟り」になるとは限らない、と見なすことができるからです。「果物屋」に行っても「りんご」は売り切れてないかもしれません。この図の黄色の部分です。

ああ、困った。

「撥水求波」の愚かさは、「水」を常に黄色の部分だと思っているようです。「あの果物屋に行っても、りんごは決して売っていない」と思い込んでいるようなものです。

中学生や高校生が試験勉強するときに、「これは試験に出るかどうかわからないから覚えるのは効率が悪い。」と言って真面目に勉強しないのに似ているかもしれません。

「果物屋を追い払ってりんごを欲しがる」人はただの愚か者です。同様に、「撥水求波(水を払って波を求める)」も愚者の行為ですが、「水」が生活必需品として常に身の回りにあることを考慮すると、また違う見方ができるかもしれません。

「水」は生活の至るところにあるのに、私たちには、そのどこが「悟り」の青い部分になるのか、また、どこが「無駄」とも言える黄色の部分になるのか、わかりません。水はあまりにありふれているので、私たちは、自分が「水を払っていないか」、常に間断なく我が身を振り返る必要があります。いつ、どこで、図の青い部分に遭遇するのかわからないからです。このように解釈する「撥水求波」は、なんと厳しい言葉でしょうか。

しかし、上記のような間断ない賢明な営みを想定すると、やがて、迷いに動じない人の姿が浮かび上がってくる気がします。他人が見ていようがいまいが善行をなす人の姿に似ているかもしれません。最終的には、以下に示した図の黄色の部分がない青い円だけの図になるということです。(「必要十分条件」になるということです。)それがまさに、「水」で例えられる「迷い」と「波」に例えられた「悟り」について、「迷いそのものが悟りであること」という『禅林句集』の解釈になるのかもしれません。

修行僧が目指す「悟り」は、毎日の修行の全てに全身全霊をかけた営みの成果ですから凡人には無理でしょう。しかし、人が生きる上で大切なことを学ぶつもりなら、「悟り」に到達できなくも、私たちも「撥水求波」によって何か得るものがあるかもしれません。

上記は、ただ単に私の脳裏に浮かんだことだけです。この言葉は出典の記載もなく、「SAT大正新脩大藏經テキストデータベース2018版 (SAT 2018)」 という莫大な数の経典を網羅したデータベースを検索しても1件もヒットしませんでした。しかし、特定の言葉が今に伝わるのは何らかの理由があってのことでしょう。この言葉のわからなさ、わかりにくさは、人に考える余地を与えてくれます。その自由こそが禅の言葉が持つ面白さで、魅力でもあるのでしょう。

 

       

参考文献等   出典 ?

『訓註禅林句集(改訂版)』柴山全慶輯 書林其中堂 

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『禅林句集』4.拈華微笑 ねんげみしょう

2022年07月26日 | 禅林句集

「拈」は「指先でつまむ」という意味です。この「華」は、金波羅華(こんぱらげ)という花であるとされています。(この花がどのような花だったかを調べてみましたが、わかりませんでした。)

「華を指先でつまんで微笑む」という意味の「拈華微笑」は、耳に心地よく響き、目にも優しい像を描いてくれることでしょう。この穏やかで美しい言葉は、『虚堂録』という中国南宋の虚堂智愚(きょどうちぐ)禅師(12-13世紀)の語録が出典とされていますが、もともとはお釈迦さまに由来します。

お釈迦さまは30代で悟りを得て、その後、教団を作って各地を回り、人の集まりで説法、お話をして教えを広めました。今から2500年ほど前の遠い昔です。仏教の教えは奥が深いので、もちろん、説法の言葉だけで伝えられるものでないはずです。お釈迦さまは、ご苦労があったとしてもものともせず熱心に人々に接して教えを説き続けたことでしょう。

お釈迦さまは80歳で入滅(にゅうめつ)、亡くなられたと伝えられていますが、晩年のある日、説法をする際に、このときはいつもと異なり、ただ黙って金波羅華の華一枝を差し出しました。それっきりです。説法なのに何もおっしゃらないので、皆、きょとんとしています。しかし、一番弟子の迦葉(かしょう)だけは違いました。一人、お釈迦さまの心をくみ取って、にっこり微笑んだのです。それがこの言葉の由来です。

仏教の教えは、言葉で言い尽くすことができない深いものだとされ、実際、そうでしょう。晩年のお釈迦さまは、自分の命がさほど長くないと感じ、大切な教えをどうしても後に続く人たちに伝えたかったはずです。勝手な解釈をすれば、お釈迦さまは、金波羅華一枝に、言葉では言い表すことができない教えを託したわけです。それを迦葉は、お釈迦さまの意図通り、はっきり理解してにっこり笑って応えた、という次第です。

「拈華微笑」のこの場面は、お釈迦さまの深い教えが弟子迦葉に、もっと言えば、次世代に受け継がられたまさにその瞬間で、さらに言えば、仏教が、これ以降今に続く2500年の長い歴史を持つに至った契機を表すと解釈できるでしょう。お釈迦さまはやがて亡くなりました。しかし、教えは迦葉に引き継がれ、さらに次世代へと絶えることがなく続いてIT時代の現代に伝授され、今なお信仰されているのは誰もが知るところです。何億人もの信者を持つ宗教の中で、仏教はかなり古い歴史を持ちます。(注)その長い歴史の第一歩を踏み出したのが「拈華微笑」というお釈迦さまと弟子迦葉の美しいやりとりだったと言えるでしょう。

臨済宗大本山の妙心寺には、「微笑会」という妙心寺の重要文化財・塔頭伽藍護持、顕彰等を目的とする会があります。(誰でも会員になることができます。)昭和45年設立で半世紀の歴史を刻みますが、「微笑会」の「微笑」は、この「拈華微笑」に由来していると伺いました。この命名は、お釈迦さまの教えが世代を超えて受け継がれたように信仰の機縁になる文化財を護持、顕彰するに実にふさわしい名称でありましょう。

 

参考文献等 

『訓註禅林句集(改訂版)』柴山全慶輯 書林其中堂 

『分類総覧禅語の味わい方』西部文浄著 淡交社

『岩波仏教辞典第2版』中村元他編集 岩波書店

妙心寺微笑会 https://www.myoshinji.or.jp/mishokai 

注・信者数が億単位の宗教は、他にキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教が思いあたるが、起源がはっきりしないヒンドゥー教を除けば、仏教が最も歴史が古いだろう。


『禅林句集』3.半合半開 はんごうはんかい

2022年07月25日 | 禅林句集

字句の通り、半分は合わさっているが半分は開いている、非常に中途半端な状態を表す言葉です。「中途半端」は、決して褒められたものでないし気分だって良いはずないでしょう。『禅林句集』には「解ったようで解らぬ。あちらか、こちらか」とあります。そんな妙な言葉が、なぜ、禅の言葉なのでしょう。

しかし、何についても100%完璧なことがあるのでしょうか。「私はよく知っている」と自分で思っても、本当に100%わかっているのでしょうか。そのようにとらえると、何か糸口が見えてきそうです。

突然ですが、「ダニング=クルーガー効果」を聞いたことがありませんか。(注1)アメリカの研究者デイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーによる研究で、2000年にはなんとイグ・ノーベル賞心理学賞を受賞しました。

この研究を元にしたグラフの曲線(注2)がとても興味深いのです。ものごとの理解、能力の程度について、人が主観的に抱く印象を横軸は能力の高さ、縦軸には主観的な自信の程度をとって曲線で表しています。人が何かものごとを習得しようとするとき、初心者、あまり能力の高くない人はちょっと取り組んだだけで、自信がゼロからいきなり急上昇して頂点に達するというのです。しかし、中級者、ある程度能力が付いた人は、一度ピークに達すると自分の能力不足に気がついて「自分は何もできない、何も知らない」と、急に自信をなくし、グラフの線はいきなり右下がりになってどん底に至る。まるで天国から地獄に落ちたかのような変化です。その後、地獄から這い出すように修練を積んでいくと、人はやがて自分の能力を客観的に見ることができるようになって自信を回復させ、グラフの線は緩やかに右肩上がりになります。

子どもの頃の勉強や習い事、あるいは専門的な仕事を始めた頃を振り返ると思い当たるかもしれません。初心者は易しい基礎的なことを多く学んで「よし、わかった!できた!」と自信を抱きます。できることが増えてくると「自分は完璧だ!」と全能感さえ持ちます。しかし、さらに勉強や練習、さまざまな仕事を続けると、少しずつ難しい課題に出くわし、わからないことやできないことが増えてきます。それまでの調子の良さはどこかに行って絶望的な気持ちになります。習い事でも仕事でも諦めたくなるのがこの時期です。しかし、めげずに努力して研鑽を積むと、少しずつ、再度自信を持ちはじめます。この自信は初心者が持つ全能感ではなく、あくまでも自分に不足している力と体得した力を客観的に正しく認識した上での本物の自信です。

真剣に勉強をした人は、「勉強はすればするほどわからなくなる」と言います。それは、初心者が言う「わからない」とは全く異なる「わからない」です。わかるところとわからないところを区別した上で未知の世界に挑み、奥深さを知った上で「わからない」と表現するからです。誰であっても、何であれ深く理解し、体得する過程で必ず感じることでしょう。私はこの状態こそが「半合半開」ではないかと思います。

現代社会は、何かとクリアカットに白黒をはっきりさせることを良しとしますが、それは初心者が陥る全能感や中級者が持つ絶望だったりしないかと思います。しかし、「半合半開」という言葉が教えてくれるのは、次なる修練の過程、自分のわかること、納得できること、わからないこと、納得できないことを認識しながら、絶えず研鑽を積んで高みを目指す長い歩みではないでしょうか。いみじくもダニング=クルーガー曲線のこの部分には、“Slope of Enlightenment”(啓蒙の坂)、“Plateau of Sustainability”(持続の台地)という名称が与えられています。私は、これは、仏教が、禅が遠い昔から教えてくれる「半合半開」にぴったりではないかと思うに至りました。

上記は単なる私の個人的な思いつきに過ぎません。しかし、難解な『碧巌録(へきがんろく)』の「半合半開」という奇妙とも言える言葉が、まさかイグ・ノーベル賞につながるとは、初めてこの言葉に出会ったときは思いもしませんでした。(だから、禅の言葉は面白い。)

 

参考文献等   出典 碧巌録第十八巻

『訓註禅林句集(改訂版)』柴山全慶輯 書林其中堂 

『分類総覧禅語の味わい方』西部文浄著 淡交社

(注1)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ダニンク=クルーガー効果

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BC%9D%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC%E5%8A%B9%E6%9E%9C

(注2)Wikimedia Commons File:Dunning–Kruger Effect 01.svg

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dunning%E2%80%93Kruger_Effect_01.svg 

https://blog.with2.net/link/?id=2089266

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『禅林句集』2.看看臘月尽 看よ看よ臘月尽く みよみよ ろうげつ つく

2022年07月20日 | 禅林句集

この言葉は、「うかうかしていると1年が、人生が尽きてしまう。気をつけろ。」という警告です!

中国語の「看」は、日本語の「見る」にあたる語です。中国語では、同じ文字を2つ重ねる言い方が好まれ、意味を強めたり、何らかのニュアンスを与えたりします。また、「看」には、日本語の「~してみる」にあたる意味もあります。ですから、「よく見なさい」か「看てごらん」なのかはともかく、英語の “Look!” のように、強く人の注意を引いているのは間違いないでしょう。「看」は、また、「みるみるうちに、すぐに」という意味もありますが(注)、ここではやはり「見る」という動詞の意味で取る方が、「うかうかするな」という切迫感、緊迫感が伝わりやすいように思います。

「臘月」は、陰暦12月のことです。禅の言葉は、掛け軸になってお茶会で床の間を飾ることが多いのですが、12月には、「看看臘月尽」を掛けることがあると聞きます。1年を振り返り、新しい年を迎える節目として身を引き締める機会になるのでしょう。

12月になれば、1年ももう終わりです。年齢を重ねれば重ねるほど、1年は早く過ぎます。ふと気がつけばもう12月という経験がある方も多いでしょう。しかし、たとえ12月がまだ先でも、この言葉を胸に毎日を大切に過ごしなさい、と解釈すれば12月にこだわる必要はありますまい。

なお、「臘月」の「臘」は、禅の修行道場等で行われる12月の「臘八大接心(ろうはつおおぜっしん)」の「臘」です。修行道場では、12月1日からお釈迦さまが成道(じょうどう)した、つまり、完全に悟りを得たとされる8日早朝まで、修行僧は、横になって寝ることがありません。ひたすら座って座禅をする、とてつもなく厳しい修行をすると聞きます。お釈迦さまの成道にちなんでいるとは言え、1年の締めくくりの12月に、身体を深部から駆使し、身体のあり方を徹底的に体感させる厳しい修行をする事実から、禅には大切な言葉がどんなに数多くあっても、それらは決して身体から遊離した頭でっかちのものではなく、人間が持つ普遍的な身体性に立脚していることは想像に難くないでしょう。私はただ頭でっかちに想像するだけですが、禅の言葉は身体という裏付けがあるからこそ真実があり、長く語り継がれることになったのでないかと思います。

参考文献等  出典『虚堂録』巻第一

『訓註禅林句集(改訂版)』柴山全慶諞 書林其中堂 

『分類総覧禅語の味わい方』西部文浄著 淡交社

『岩波仏教辞典第2版』中村元他編集 岩波書店

『全訳漢辞海』戸川芳郎監修 三省堂

注・中学生の国語教科書に掲載されていた、中国・唐代の詩人杜甫(8世紀)の有名な詩「絶句」に「看」が「みるみるうちに」の意味で使われています。「江碧鳥愈白 山青花欲然 今春看又過 何日是帰年」

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『禅林句集』1.照顧脚下 脚下を照顧せよ  きゃっかをしょうこせよ

2022年07月03日 | 禅林句集

禅宗では、出家したばかりの若い僧侶は「雲水(うんすい)」と呼ばれ、「禅堂」と呼ばれる禅の修行場で集団生活を通して仏教、禅の修行をします。その禅堂の玄関によく掛かっているのが「照顧脚下」というこの言葉です。玄関では履き物を脱ぐので、「照顧脚下」は字句通り、「足下を見なさい」、「履き物をそろえなさい」という意味になります。

「照顧脚下」は、14世紀から15世紀の日本の禅僧孤峰覚明(こほうかくみょう)禅師、亡くなってから送られた名前諡(おくりな)三光国師(さんこうこくし)の言葉とされますが、西暦500年前後に達磨(だるま)大師という禅僧が、遠い西の国インドから中国に禅を伝えた古い歴史と、実は深い関係があります。

達磨大師が伝えた禅宗がさらに日本に入ってきたのは、その数百年後の13世紀、鎌倉時代でした。禅宗は、当時の新興仏教、鎌倉仏教の一つとして、日本で広く盛んになりました。そんな頃、ある僧が、三光国師に、達磨大師が遠いインドからはるばる禅を伝えた意味を尋ねました。この問いは「祖師西来意(そしせいらいい)」として、禅僧の間でしばしば課題になる深い内容です。しかし、三光国師は、「照顧脚下(足下を見なさい)」という、非常に身近な言葉で返しました。尋ねた僧はきっとびっくりしたことでしょう。

「求めるものは、インドや中国といった遠い所、達磨大師が生きた遠い昔でなく、今、ここ、私たちがいる足下にある。私たちは、今まさに、仏道、仏の教えの中にいる。」と、今の自分自身こそが答えだとおっしゃったわけですから。

三光国師の「照顧脚下」は、達磨大師という偉大な人物の遠い昔を、今の自分が生きる現実に直結させました。私には、そこに三光国師の偉大さがあるように思われてなりません。

仏道と言うと難しく聞こえますが、過去を現代につないで「今、ここ」を見つめ直した「照顧脚下」、「足下を見よ」は、仏道修行以外にも通じるように思われませんか。誰にだって自分の足下があり、しかしその足下は、過去と切り離されたものでは決してないでしょう。

ところで、この「照顧脚下」の出典は同国師による『徹心録』とされていますが、現存する『徹心録』はどうやら1冊しか存在しない貴重な書のようです。佐藤秀孝氏による下記研究論文によると、論文発表時の平成8年度には所在不明だったとありましたが、龍谷大学図書館の蔵書を検索すると、2017年に配架になり現在は存在することがわかります。しかし、素人には手の届かない書物のようで残念です。国師から「照顧脚下」と返答された僧が、その後どうしたかが、もし『徹心録』に記されているとしたら、知りたいではありませんか。

それにしても、これほど有名な言葉の出典が、仏教に関わる文献のデータベース「SAT大正新脩大藏經」にもなく(注)、国立国会図書館にも存在せず、一般には手の届かない大学図書館に唯一存在するとは大きな驚きでした。しかし、この事実は、禅が書の内にあるものでなく、今に生きて存在することを如実に表す好例かとも思います。

 

参考文献等

『訓註禅林句集(改訂版)』柴山全慶輯 書林其中堂 

『分類総覧禅語の味わい方』西部文浄著 淡交社

「孤峰覚明と瑩山紹瑾 -瑩山門下としての覚明の活動を踏まえて-佐藤 秀孝 」

               印度學佛教學研究44 巻 (1995-1996) 2 号

 データベース - 龍谷大学図書館

 注・データベース SAT大正新脩大藏經テキストデータベース2018版 (SAT 2018)で「照顧脚下」を検索すると、『續傳燈録巻第29』「若借路須照顧脚下」の1例がヒットするが、三光国師の言の方が意味深いように思う。

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『禅林句集』0

2022年07月03日 | 禅林句集

禅宗寺院には『禅林句集』という書物がきっとある。掛け軸や色紙に書かれることが多い含蓄ある文言の集大成である。

禅宗には「公案(こうあん)」と呼ばれる問答による課題があるせいか、意味深い言葉が多く存在し、茶道の掛け軸に用いられたりもする。過去の偉大な禅僧の言が大半だが、生き方、暮らし方、ものの見方の真髄を表す詩文も含む。うんうん言いながらもついつい読み進めたくなる、素晴らしい文化遺産である。

禅宗では「和尚さま」と呼ばれる僧侶、最も位の高い「老師さま」と呼ばれる方々の中には解説の書物を書いておられる方もおみえである。法話などの形式で、インターネットなどで拝見、拝聴できるものも見つかる。しかし、私のような禅にゆかりがなかった人間にはちょっと難しいと感じる解説もけっこうある。禅の言葉の数々が元々から難しいだけでなく、解説の中にも専門用語が見られるせいで難しいと感じるような気がした。

何だかずいぶん魅力的なものが目の前にあるのに、もったいないと思った。

知る限り、禅宗の僧侶の皆さんはとてもお優しい。また、私のようなちっぽけな人間は一瞬でそれと見透かしてくださる。これが、実にありがたい。私は自分を立派に見せる必要もなく、へりくだる必要もなく、はしたなかろうと地のまま、ありのまま在る。

そんな気持ちで、私は、自分で『禅林句集』を読もうと思った。

手に取ったのは、『訓註禅林句集(改訂版)』柴山全慶輯(書林其中堂)である。(いくつか参考にした文献等は、その度に記した。)

お付き合いいただければ幸いである。

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自己紹介

2022年07月03日 | 自己紹介

禅宗寺院には禅に関する書や書物が身近にある。難解でわからないが、わからないなりに興味深い。静寂を見つけ、折りふし紐解く。

卑院は龍安寺の境内にある観光寺院ゆえ、庫裏は実のところ、静寂から遙かほど遠い。訪れるお客さまに湯豆腐、精進料理をお出ししているからだ。お客さま方には、庭に臨む広い書院の座布団にお座り願って小さな池に注ぐ水音と鹿威しの響きを耳にお召し上がりいただく。

「ここは、放っておいてくれるからいい」とおっしゃる方がみえる。

庭は、龍安寺石庭の枯山水とは全く趣を異にする、苔生す緑豊かな庭園である。春には桜が、雪柳が、藤が、夏は青もみじが夏に赤いもみじと共に、秋は言わずもがなの紅葉が彩りを添える。うっすら雪が積もる冬の日もある。繁忙期はざわつくが、閑散期の書院はそこはかとなく時を過ごしていただける広々とした空間である。向こうには龍安寺の鏡容池が見える。

龍安寺は大きな山を背負っている。雨が降れば山から幾筋ものせせらぎが音を立てる。西源院の池はその水を引いている。水は、とどまらない。さらさらと大きな鏡容池に流れ出る。そして、さらに水門から川へ、ついには海へと至る。

すべてが龍安寺の山に始まる長い時の流れである。

なかなか面白いと思う。

私は、この寺院とご縁ができた寺庭である。在家出身で、禅の修行も禅が何であるかも知らない。それでも、寺という空間を知り特有の書物を知り言葉を知り、雑感を述べたくなった。

1年に数回程度の更新になるだろうが、続けていけたらと思う。

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