こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
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本作『ペリクリーズ』は1607年から1608年に掛けて執筆された作品で、「四大悲劇」と呼ばれる『ハムレット』、『マクベス』、『リア王』、『オセロー』が発表された後の、シェイクスピア晩年に生み出されたものです。晩年に開花したシェイクスピアの悲喜劇(ロマンス劇)は、大きく前半と後半に分けることができ、前半部分で語られる悲劇調の物語から、後半部分で神や魔法による生死を超えた劇的な好転が繰り広げられる点が特徴です。『ペリクリーズ』の展開はまさに典型的に当てはまり、前半の不幸の連鎖から精神が蘇るように事態が好転していきます。種本は、当時でも古典的に浸透していた十四世紀の詩人ジョン・ガワーによる『恋する男の告解』(Confessio Amantis)の中に描かれた「タイアのアポローニアス」についての物語を用いています。
本作は、実に現実からかけ離れた展開を見せて、予測のできない危険と不幸の連鎖に身を委ねるペリクリーズの生き様を描いています。特に主題として見せる「二重性」を随所に散りばめ、事態によっては対比的に、或いは連鎖的に、繰り返しのような印象を与えながら、塗り重ねるように訴えています。また全篇を通して、美徳と悪徳、貞潔と不貞、秩序と混沌、美と醜などが、登場人物を鏡のように見せながら対比的に進められていきます。そして特徴的な点は、種本の作者である詩人ガワーが冒頭より登場し、物語の進行役として、場面の切り替えや時空の超過の折に説明を加えながら黙劇を挟んで演じます。
ガワーの登場により始まる物語は、アンタイオケ王国の場面から語られます。王アンタイオカスの宮殿の門には、幾つもの撥ねられた首が並べられていました。これは王の娘に求婚したものの成れの果てで、王の出す謎を解き明かすことができなければ処刑されるという条件の結果でした。しかし、アンタイオカスとその娘は近親相姦の関係にあり、世間的にこの関係を隠すために求婚は募るものの、求婚者を真には求めていないために、次々と処刑をしてその場を繕っているという状況でした。そうとは知らずに求婚にやってきたタイアの王ペリクリーズは、その謎解きに成功しましたが、同時に王と娘の近親相姦を理解することになり、身の危険を感じてタイアへと逃げ戻ります。当然のようにアンタイオカスは刺客をタイアに送りますが、ペリクリーズは信頼する臣下ヘリケイナスと相談のうえ、タイアを任せて旅に出ることにしました。
ペリクリーズは飢饉に見舞われたターサスへと向かい、大量の穀物を持参して救うとともに、身の安全を願い出ます。これにターサスの太守クリーオンと妻ダイオナイザは感謝とともにその願いに応じようと伝えます。するとその後、ヘリケイナスよりペリクリーズへと手紙が届き、アンタイオカスの刺客が今にも弓を引き絞るように迫っていることを伝え、タイアに程近いターサスは危険の域にあると伝えます。長居できなくなったペリクリーズは再び船で旅へと向かいますが、雷鳴轟く大嵐の被害に遭い、船の難破によってその旅は途絶え、ペンタポリスの岸辺に打ち上げられます。幸いにも気の良い漁師たちの救いがあり、王のサイモニディーズが開く馬上槍試合に参加することになりました。これは王の娘タイーサの結婚相手を選ぶための催しであり、それに勝利したペリクリーズは王とタイーサの双方から気に入られて結婚することになりました。そのころ、タイアでは国王不在を嘆いた他の臣下たちから詰め寄られたヘリケイナスは、悪王アンタイオカスと娘が天罰により焼死したことを伝えるとともに一度タイアに帰還するように訴える手紙を送ります。
ペンタポリスで事態を把握したペリクリーズは、身籠った妻タイーサと乳母リコリダとともに、船でタイアを目指します。しかしまたもや大嵐に巻き込まれ、その最中にタイーサが子を産み落として死んでしまいます。嘆く間もなく船長が信じる迷信に従い、死者であるタイーサの遺体を船外へ投げ出さなければならなくなり、丁寧に大きな箱へ埋葬して海に流しました。この箱は翌朝のエフェソスの岸辺に流れつき、貴族であり医者であるセリモンに拾われました。するとセリモンの観察によりタイーサが死亡していないことを見極め、懸命な救命措置で奇跡的に生命を繋ぎ止めました。一方のペリクリーズは、我が子マリーナを連れて混乱の海をタイアへと連れて危険にさらすことは避け、ターサスへと立ち寄りクリーオンとダイオナイザを信用して匿ってもらいます。ようやくタイアへと戻ったペリクリーズは、ヘリケイナスと再会を果たして無事にタイアの王として戻りました。
時が経ち、タイーサはエフェソスの神殿で女神ダイアナの巫女となり、マリーナは芸に秀でた美しい女性に育ちます。しかし、マリーナの美しさと多芸に嫉妬したダイオナイザは、我が子の可愛さのあまり、マリーナの暗殺を試みます。殺されるまさに直前、海賊が襲いかかってきてマリーナを誘拐しました。エフェソスの北方にあるミティリーニの売春宿に売られたマリーナは、自分の運命を嘆きながらも、客に説教を与えながら貞潔を守り続けます。そんな折、ミティリーニの太守ライシマカスが訪れてマリーナに会うと、その説教にいたく感動し、大金を与えて今の環境を変えることを指示します。そのころ、ペリクリーズは我が子へ会うためにターサスへと向かいますが、そこで知らされた事実は娘マリーナの不幸な死の顛末でした。クリーオンとダイオナイザは過去の飢饉の恩を忘れたばかりか、彼らの悪行を全て闇に葬ろうと、マリーナの墓石を見せて一芝居うったのでした。墓を前にして悲嘆に暮れるペリクリーズは、精神を乱して船に飛び乗り旅を続けます。誰とも話を交わそうとしないペリクリーズを嘆きながら、同行するヘリケイナスは食糧の調達のためにミティリーニへと立ち寄ります。そこで迎えた太守ライシマカスは、ペリクリーズ一行を歓迎し、なんとか力になりたいと挨拶を申し出ます。塞ぎ込んだペリクリーズを見たライシマカスは、マリーナの歌を聴けば精神にも変化を与えるだろうと提案して、彼女を呼ぶようにと計らいます。ここでペリクリーズとマリーナが互いの不幸を語り合い、奇跡的な再会を果たすことになります。我が子を抱きしめた幸福と、我が子を殺そうとした悪人への憎悪とに挟まれながら、ペリクリーズは眠りにつきます。そこへ女神ダイアナが姿を現し、エフェソスの祭壇へ祈りを捧げるようにと啓示します。辿り着いたペリクリーズが祈りを捧げると、愛する夫の姿と声に感動して巫女タイーサは失神しますが、セリモンが救命措置の一連を説明すると、家族全員が再会したことを理解して幸福に包まれます。
『ペリクリーズ』は、舞台が何度も変化して、慌ただしく纏まりが見られない劇であると言えます。登場人物はそれぞれに深みがあまり無く、性格にも突出した激しさは見られません。本作、または他の悲喜劇でも言えることですが、このようにシェイクスピアは意図的に「特定の登場人物」を深く掘り下げるのではなく、「物語全体で主題を訴え」ようとして執筆していたように考えられます。前述した「二重性」において、謎解きと槍試合、王アンタイオカスと王ペリクリーズ、二度の嵐など、事態や事象の繰り返しが見られ、双方の対比が顕著に表現されています。そして、対比の根底にあるものは「善と悪」であると言え、登場人物たちの道徳観が運命という形で神々によって審判され、それぞれに応じた結末が用意されています。これらの二重性は、物語の世界における一貫性として存在し、本作を纏め上げる一つの構成要素として役立っています。
女神ダイアナが登場する点から、本作の世界は我々の住む地とは別の世界を見せ、古典的な表現で物語を描写しています。時を超えて長い苦労の期間を歩み、重なる危険な航海を見せ、家族が引き離される不幸を乗り越え、神による超常的な力に助けられ、奇跡的な再会によって結ばれるという構成は、より一層に現実から離れた御伽話の要素を含んでいます。しかし、物語の筋が破綻するわけではなく、通底するキリスト教の摂理に則り、善を救済する清々しい劇へと昇華させています。作中で見せる二重性のなかでも、サイモニディーズ(善)とアンタイオカス(悪)、セリモン(善)とダイオナイザ(悪)などが立場に合わせて対比的に描かれ、勧善懲悪としての結末を明確に見せています。
ああ、ヘリケイナス、頼む、私を殴ってくれ、
深傷を負わせいますぐ苦痛を与えてくれ、
さもないと、押し寄せる歓びの津波に
呑みこまれ、命の岸辺は崩れ、
嬉しさに溺れてしまう。
そして、劇の構成としても、物語の進行としても、終幕までを一貫して纏め上げる存在が、進行役の詩人ガワーです。場面が変化する状況説明や、時間を駆けるあいだの黙劇を説明するだけではなく、ペリクリーズの忍耐や、ヘリケイナスの忠誠、セリモンの慈善などの、登場人物たちに作者が付与した人間性を代弁するようにガワーは語ります。
ガワーと同時代に活躍した「英詩の父」ジェフリー・チョーサーは、彼を「道徳的な詩人」であると評しています。シェイクスピアが種本にガワーの作品を用い、ガワー自身にも登場させて劇を進めようとしたことは、ガワーの持つ道徳観によって見つめ語られるペリクリーズたちの物語を、現在(発表当時)のエリザベス女王亡き後に不安定を見せた世に、訴えかけるように書き上げたのではないかと感じました。
シェイクスピア晩年の悲喜劇の始まりとして大きく変化した演劇形態を持つ本作は、観客から賛否両論ではありましたが、現代では非常に人気の高い作品となっております。『ペリクリーズ』、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。