RIYO BOOKS

RIYO BOOKS

主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『無心の歌』『有心の歌』ウィリアム・ブレイク 感想

f:id:riyo0806:20241127201231j:image

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

ロマン主義の先駆けとして知られるウィリアム・ブレイク(1757-1827)は、靴下商を営む父親のもとに生まれ、幼い頃から溢れる詩才を垣間見せていました。窓から覗き見る神の姿、庭の木に舞い降りる天使たちなど、幻視を訴えるブレイクを見て、父親は画家の道を歩ませました。ブレイク家はイギリス国教徒に属していましたが、その思想はマルキオン主義に傾倒していました。真の至高の存在である神と対を成す悪の創造神デミウルゴスによる対立が、ブレイクの価値観の根底に刻まれました。父親の商才により労働者階級にありながら比較的裕福な暮らしのなかで育ち、少年時代にはデッサン学校で美術を学びます。そこからブレイクは、十四歳で銅版画師ジェイムズ・バザイアの工房に徒弟として師事し、五年間を修行に費やしました。基礎的な工程技術を学びましたが、当時の流行に合わせたバザイアの取り組み姿勢に反感を抱いたブレイクは職を辞して、王立美術学校で彫刻を学びます。ラファエロミケランジェロといったルネサンス時代の作品に影響を与えられ、どのように自身の作品へ「信仰と詩性」を込められるかということを追求します。言い換えれば、時代を超えて「ゴシック美術」を生み出そうとしていたのだと言えます。


芸術が「連環的なもの」であるという認識は、ブレイクは幼い頃より理解しており、銅版画の修行中にも溢れる詩性を解き放つように詩作にも取り組んでいました。現存するブレイク作品にも十四歳で書き上げたものがあり、早い段階で芸術家としての顔を窺わせていたことが理解できます。未熟でありながらも一貫した宗教観と詩性は、後の作品に通ずるものが見えます。


ブレイクの作品の多くは聖書や神話といったものを題材としているため、彼は神秘主義者や幻視者と呼ばれることがあります。これは、ブレイクが形而上に思想を置いていたという訳ではなく、神、天使、精霊、悪魔が、実際に我々の住まう現実の社会にこそ存在すると考えていたからでした。ブレイクが生きた時代は、イギリス産業革命フランス革命が、欧州社会に大きな変化を与えた激動の時代でした。都市は工業化によって中流階級が大きな資産を獲得し、労働者階級と呼ばれる民衆は厳しい社会的立場を与えられます。また、激化する奴隷貿易の拡大は、欧州諸国の近代化に合わせて階級による差が広がり、より一層に格差社会が構築されていきました。このような世界の動きに、ブレイクは憤りと期待を同時に抱いていました。ブレイクは、およそ神によって作られた人間は全て平等であるべきであるという教えのもと、格差社会、女性蔑視、人種差別など、蔓延している差別意識を撤廃するべきであると考えていました。そのような差別意識を撤廃する希望として「革命」を支持しました。しかしながらフランス革命は、後期にかけてのロベスピエールによる恐怖独裁政治(テルール)に見られるように、ブレイクが期待した「既成の差別意識の撤廃」とは、程遠い形で政治が進められていきました。このときの絶望を描いた『月の中の島』は、ブレイクの真の象徴的な作品とも言われていますが、政治的な関わりもあり、未完に終わりました。ブレイクは、格差社会だけでなく、啓蒙思想における合理主義、制度化された宗教、慣習的な結婚の伝統といった「神の存在を無視した人間の都合の良さ」による制度を、その芸術家人生において、一貫して否定し続けました。


本作『無心と有心の詩』は、その後に生まれました。まず1783年に『無心の詩』が執筆され、1789年に魂の相反する『有心の詩』が生まれ、1793年にこれらが合本として発表されます。本作で見られる「非正統的宗教観」は、神学者スウェーデンボルグの影響を強く受けています。前述の価値観による霊的神学によって描かれる作品には神の存在とその信仰が込められ、作品で描かれる相反する魂は「神とデミウルゴス」の対立に呼応しています。ここには、ブレイクの望んだ「革命によって成されなかった」倫理的な秩序が提示されています。


ブレイクは「芸術的連環」によって、書き上げた詩に装飾画を添えています。非常に手間と費用の掛かる新たな手法で描かれた作品は、ブレイクの生前にはごく僅かな範囲でしか流通していませんでした。そのため、ブレイクは芸術家として生前は無名であったと言われています。彼の作品は、詩と装飾画を切り離して考えることはできません。非正統的信仰や霊的神学の傾倒、そして視点によっては「既成社会の破壊」とも言える考え方と、生み出す神話的な作品から、ブレイクは周囲から変わり者であると認識されていました。一部の芸術的理解がある人々には熱心に讃えられましたが、大多数の人々には作品を理解されることがなく、晩年を苦しい経済状況で過ごすことになりました。しかし、彼の残した連環的芸術作品には、深い独創性と天才性が見出されます。


「詩」は形式と韻律を含んでおり、「口承文学」という面を持っています。ブレイクは「詩」を「視覚的な装飾画」として描き出すことに、ある種の皮肉を見せています。吟遊詩人に挙げられるように、「詩」は歌い上げるものという性質がありますが、これを文章で捉えるという行為そのものが、ブレイクを「ロマン主義」的な姿勢であると示しています。特に本作の序文では、吟遊詩人が「笛を吹く」「歌を歌う」「詩を書く」と提示されており、ブレイクの「詩」に対する芸術的態度を明確に表しています。


本作は、幼少期に見られる「汚れの無い牧歌的な平和世界」と、大人が社会に与えられる「堕落と抑圧による陰鬱世界」を対比的に描いており、登場人物や出来事が呼応するように対置されています。柔和な美徳を表す「子羊」に対して、陰鬱で野生を見せる「虎」を歌い、対照的な視点と価値観を提示しています。無垢な価値観を生きた者が、成長過程で多くの陰鬱や悪意を経験し、そして構築された新たな価値観によって辿る人生には、無垢のころに眺めたものが違うもののように映ります。多くの詩は物語の断片のように描かれていますが、双方に関わらずブレイク自身の体験を反映させている訳ではなく、俯瞰的な目線で眺めながら社会を描いています。この社会は、前述のような「格差社会」「女性蔑視」「人種差別」、さらにはこれらの原因となる「専政的な権力」「風土的差別観」「宗教の制度化」などが反映され、それらを厳しく批判しています。特に『有心の詩』においては顕著に描かれ、「虎」のような「無垢を無視した凶暴さ」や、嫉妬や恥という経験によって否定される「純粋愛の脆さ」などを強く訴えています。これは「純粋な信仰心」を裏切る教会や政治へと連なり、(当時の)社会そのものを否定していると言えます。

 

残忍は人間の心臓を、
嫉妬は人間の顔を、
畏怖は人間の神聖な形を
秘密は人間の衣服を持つ。

人間の衣服は鍛えられた鉄、
人間の形は火を噴く鞴(ふいご)、
人間の顔は封印された溶鉱炉
人間の心臓はそのひもじい咽喉。

ウィリアム・ブレイク『有心の歌』「神の姿」


また、ブレイクは作中で「聖書の象徴」を頻繁に用いています。韻律にも讃美歌やバラードを用いることで、神的存在を全面に展開しています。このような「社会のなかで存在する神」は、読む者へ信仰の持ち方や意義、そして社会の在り方を見直させるきっかけを与えています。ブレイクが眺める景色は神のそれに近しく、真のイエスの子としての目が機能しているという見方もできます。この一貫した宗教観は、ブレイクの詩性に通底するものであり、どの作品にも見られる重要な意識となっています。

 

われわれが嘘をまことと信ずるようになるのは
目を通してものを見抜かないとき
その目は一夜で亡ぶべく一夜で生まれた
たましいが光の輝きの中に眠っているときに
神は姿をあらわす 神は光である
夜に住むあの哀れなたましいの持主には
しかし神ははっきりと人間の形を示す
真昼の領分に住む人たちには

ウィリアム・ブレイク『無心のまえぶれ』


晩年のブレイクは、ダンテ・アリギエーリ『神曲』の挿絵を描きました。膨大な作業量を必要とするこの仕事は、ブレイクの死によって未完に終わりました。しかしながら、遺された七つの作品には素晴らしい詩性と信仰が込められており、現在でも感銘を与え続けています。そして亡くなる直前には妻に寄り添われ、讃美歌を口ずさみ、とても幸福な空間のなかで息を引き取ったといいます。

既成社会に縛られては奴隷になる、一つの理想的な体系を創造しなければならない、ブレイクが抱いた決意は終生変わらず貫き通され、その人生の最後まで創作を続けました。ブレイクの代表的な作品『無心と有心の歌』、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

privacy policy