社会ってどうしてこんなにも厳しいんだろう

 

なんだか生き辛いな

 

このままで一生を終えてしまうのか・・・

 

 

社会の荒波に打ちのめされて過ぎて、どうしても気持ちが上向いていかない。

 

 

そんな心理状態のままでこの先も生きていくと考えたら絶望しかない。

 

 

僕自身、社会人になりたての頃は辛いし出口が見えないし、かといって誰かに助けを求めることもできないままに宙を見つめていたものです。

 

 

それから数年が経ちましたが、今の僕個人としては、”厳しくて辛いなら逃げるか受け流した方がいい”という意見です。

 

 

社会が厳しいのは確かかも知れません。ただ、その中で生きていくしかないのかというと、そんなことは決してありません。

 

 

歯を食いしばって懸命に頑張っているあなたにとって、何かしらのヒントになればいいなと思って書いています。

 

 

社会が厳しい、辛いと感じる理由

 

どこか薄暗く、後ろ向きな気持ちばかりが湧き起こってしまう現代社会。

 

 

僕としては、以下のような要素が影響しているのかなと思います。

  • 低賃金長時間労働がスタンダード
  • 不条理や理不尽があっても耐えなければいけない
  • 一歩でも踏み外せば奈落で見向きもされないという風潮
  • みんなそうだから弱音を吐くなという思想

 

低賃金長時間労働がスタンダード

 

この国の所得は低下の一途をたどっていて、この先好転していく見込みも薄い状況です。

 

 

それでいて1日のほとんどを食われてしまうような長い労働時間。

 

 

経済的にもカツカツで、それでいて時間の自由すらない。

 

 

これでは報われた気がしないし、一体どこで安息を感じることができるのでしょうか。

 

 

壊れるまでこき使われて使い倒されて、とうとう壊れてしまったら簡単に切り捨てられてしまう。

 

 

労働者なんて使い捨て

 

 

そんな風に言われている気がして嫌気がさします。

 

 

不条理や理不尽があっても耐えなければいけない

 

とりわけ仕事に関してですが、筋の通らないことで溢れているなとつくづく感じます。

 

 

わけのわからない理由で上司から叱られたり、意味不明な業務を押し付けられたり、理解できないような理屈で干されたり。

 

 

だからといって声を上げようものなら僕のように一瞬で異端と社会不適合者の烙印を押されます。

 

 

明らかにおかしいし間違っているのに、それに対して何も言えずにただ耐えることしか許されない。

 

 

こんなのはストレス以外のなにものでもありませんよね。

 

 

一歩でも踏み外せば奈落で見向きもされないという風潮

 

いい学校に入って成績優秀であれ

 

いい企業に就職して立派に勤め上げろ

 

そうしないと日の当たらない人生になる

 

どう考えても違和感しかないですが、この社会にはこんな価値観が未だに根強く残っています。

 

 

少しのミスや間違いすら許されないような風潮のせいで、常に嫌な圧と負荷が掛かった状態。

 

 

だから息苦しいし、休まる暇がなくて辛いと感じるんですよね。

 

 

みんなそうだから弱音を吐くなという思想

 

みんな頑張っているしそれが当たり前、だから弱音を吐いたり脱落するのは軟弱者だ

 

 

この考え方は一種の同調圧力であり、大昔から現在に至るまで脈々と受け継がれています。

 

 

この考え方、目に見えない圧力のせいで、つい無理をし過ぎてしまうし、明らかにキャパオーバーな生活をして心身が悲鳴を上げてしまう。

 

 

だけど弱音を吐くことも逃げることも許されない。そんな素振りを見せようものならすぐに叩かれてしまう。

 

 

だから厳しいと感じるし、辛いと思ってしまうんですね。

 

 

何度も修羅場を突破してみて思うこと

 

僕自身、幼少の頃から周囲の大人や学校の先生などから見えない圧をかけられ続けてきました。

 

 

そしてそのうち、

 

常に100点じゃなければ意味がない

 

受験で失敗するなんて絶対に許されない

 

といった具合に自分自身を追い込んで痛めつけていましたね。

 

 

周囲の期待を裏切るのが恐いし、そうなったら誰も気にかけてくれなくなるんだと。

 

 

強力な圧力とストレスを常に感じながら競争を続け、高校受験に大学受験、そして就活という修羅場を成功という形で突破してきました。

 

 

結果を残せたのは良かったと思いますし、周囲の人間もみんな喜んでくれました。

 

 

ただ僕自身としては、ひたすらに辛く苦しかったですし、とにかく疲れたというのが正直なところです。

 

 

これが本当に自分がやりたいこと、好きなことなら感じるものは違っていたのかもしれません。

 

 

でも僕の場合は、進学も就職も、そこに自分の本心はありませんでした。

 

とにかくいい成績さえ取っていれば何かと有利

 

いい大学に入ってしまえば安心

 

医療系の国家資格を持っていれば食いっぱぐれる心配がない

 

こんな他人事のような理由で人生の駒を進めていたんですね。

 

 

本心を度外視していたこともあって、身体的な疲労は寝ることで回復するのですが、メンタルや深層心理の部分は常にストレスを感じたままで全く楽にならないんです。

 

 

社会人になってからも常にストレスに晒されて、それでいて一向に出口が見えないことにも苦しみました。

 

 

一体いつになったら楽になるのか分かりませんでしたし、その時が来ることは多分ないだろうなとも思いました。

 

 

このままだと遅かれ早かれ病んでしまうだろうし、だったらアクションを起こして現状を変えないとダメだ

 

 

色々悩んだ結果、このような境地に至りました。

 

 

社会が厳しいなら逃げてしまえ

 

この世の中は、堅苦しい固定観念や時代遅れの思想に溢れています。

 

 

そのしがらみや枠組みの中に自分自身を閉じ込めているからこそ、人生が辛く苦しいものになってしまうんだと思います。

 

 

僕としては、そのような小さな世界でじっとしているのはもったいないと考えています。

 

 

少し視野を広くとって外界に目を向けると、今の時代には実に様々な生き方をしている人がたくさんいます。

 

 

この事実から見えてくるのは、”鬱陶しいしがらみや束縛から抜け出せる可能性がある”ということですね。

 

 

あなたは今まで、弱音も吐けなければ逃げることも許されないという心理状態で必死に頑張ってこられたことと思いますが、厳しくて辛いと感じるのなら逃げてもいいんですよ。

 

 

今回はいい機会なので、”厳しくて辛い社会の中でただ耐えるしかない”という先入観を吹っ飛ばしてしまいましょうか。

 

 

制約や束縛にまみれた生活から抜け出したいと考えた時、まずは自分の心の声を聞いてみるといいです。

 

自分は本当はどう生きたいのか

 

自分はどんなことが好きなのか

 

自分は何が欲しかったのか

 

自分は何をやりたかったのか

 

これらの問いに対する答えこそが、あなたの意志であり本心になります。

 

 

僕としては、自分自身の意志や本心の通りに生きることが、真の人生を歩むことだと解釈しています。

 

 

あなたは今回、風通しの悪い古い考えをアップグレードし、さらに自身の欲求にも気づけました。

 

 

あまり実感はないかも知れませんが、これはとても大きな一歩ですよ。

 

 

やっぱり考え方って重要で、それによって生きる世界も見える景色も全く違ったものになってしまいますからね。

 

 

何もかもを抑え込まれた人生なんてもったいないだけ

 

時間とお金と住む場所と人間関係。

 

 

それら全ての決定権を他人に握られ、ただひたすらに出口の見えない毎日を繰り返していく。

 

 

やりたいことも行きたい場所も会いたい人も買いたいものも、全てを我慢して生きていく。これは一体誰のための人生なのか?

 

 

何もかもを抑え込まれているせいでいつも無気力だし、人生の質感も下がってしまう。

 

 

みんなそうしている、自分だけ踏み外すわけにはいかない

 

 

こんなくだらない理屈の下敷きになったままで老いていく。普通に考えて納得できるわけがないんですよ。

 

 

今の社会が厳しくて辛いのは、ハッキリ言ってこの先もまず変わらないと思います。

 

 

何しろ時代錯誤の悪しき価値観がベースになっていますからね。今後も親から子へと受け継がれていくことでしょう。

 

 

そんなスケールの大きいものに変われと期待するよりも、さっさと自分自身で行動を起こした方が遥かに脈ありだと気づきました。

 

 

かつては社会のしがらみによるダメージを一身に受けていましたが、今ではやり過ごしたり受け流したりするのがほんの少しばかり上手くなったかなと自負しています。

 

 

一度きりの人生ですから、なるべく上向いた気持ちで過ごせる生き方を選びたいところですね。