よく、うつ病もしくはうつ的で大変な状態の方から「これは甘えなのか」「甘えとそうじゃないことの境界がわからない」という言葉を聞く。
とても悲痛な心の叫びだ。
自分もメンタル疾患と休職を経験した身として大変共感できる。
自分は30代だが、自分より若い人はもっと大変なのだろう。
少ない人生経験で、この複雑で閉塞感が増した社会で生きていかなくてはならない。
SNSでも、彼らの心の叫びが飛び交っている。
こういう状況で、メンタル疾患の経験者の立場から自分なりで考えをまとめようと思った。
タイトルにもあるとおり、「甘えかどうかの境界は自分基準で良い」
という事。
その理由を結論から言うと、
「自分の人生経歴を一番よく知っているのは、自分だから」と言う点である。甘えとは何か?
よく言われるケースとしてはこんなところだろう。
- 周りも皆頑張っているのに、自分だけ権利を主張するのは「甘え」だ
- こんなところで妥協してたらこの先やっていけない。それは「甘え」だ
- 自分で自分を甘やかすな。そのような考えでは成長できない
自分も10代・20代の頃よく周りから言われていた。
そういう言葉に対して今なら、知らんがな。と言いたい。
そして、
お前はそれを堂々と言えるぐらい立派な人間なのか、とも言いたい。
しかし若い当時は自分で抱え込み、むしろ自分自身にも「甘えるな」と言い聞かせていたものだった。
卑怯な人間や、都合の良い人間がいること、価値観の押し付けが人権侵害であることを知らなかった。
純粋すぎたのだ。
「甘え」など曖昧な概念だ。人によって定義も違う。
そのようなあやふやな考えで、自分を苦しめる必要などないのだ。
自分を甘やかすのも必要な時だ。
話を戻そう。
「自分の人生経歴を一番よく知っているのは、自分だから」甘えは不要だという話。
当たり前だが、自分の人生経歴は、自分の記憶に刻み込まれている。
他人が自分も人生経歴を100%把握するのは無理なのは明らか。
だから、過去に受けた傷・トラウマが原因で自分を甘やかすことがあっても問題ない。
むしろそういう時期も必要だ。
実際、甘えと他人に言われたら頭にくると思う。
なぜなら、
自分の何を知っているんだ
と思うからだ。
その感覚は正しい。
自分の人生経歴や辛い感情を理解しようとせず、土足に踏み込んでくる暴挙を許してはいけない。
不快な相手にどう対処していけば良いか
それでも干渉してくる他人はいるかもしれない。
そういう悪質な相手とは、距離をおくしかない。
そして、自分に共感してくれる人、賛同してくれる人を大切にした方が良いと思う。
そうすることで、力も湧いてくるし、パフォーマンスも発揮できるはず。
自分をわかってくれる人のために頑張る。これで良いのだ。
そう言う時は、甘えかどうかは関係なくなる。
つまり、周りに奉仕したいという気持ちになるはずだ。力も湧いてくる。
こうやって立ち直れるのではないだろうか?
自分も20代後半から、付き合う人を選ぶことは積極的にやってきた。
だいぶ生きやすくなってきたと思っている。
クセのある人とは一時的に仕方なくても、長期的な付き合いは不可能だ。
残念ながら、彼らの思考は良心的ではない。
他人を騙す、搾取する、そういう姿勢がメインにあることを疑わなくてはならない。
本人に悪気があれば当然だが、悪気がないケースもある。
そう見抜いて、付き合う人間を選んでいくべきだ。
まとめ:信頼関係を結んでいる相手のために頑張る
思いの丈を話してみたが、自分の最大の理解者は自分。
だから、甘えの基準は自分で引いて良いということだ。
そして、他人のために頑張るかどうかは、信頼関係がベースにある。
平気で自分を罵ったり、イジったりする人間なんかのために、頑張る必要はない。