♀へ性転換実話
いつも寝床にしているうちの
ひとつのネットカフェでてつづきをして、
いつもの料金を支払い、
淹れたての、いつものコーヒーを片手に
半個室へむかう。
どれもいつものことだ。
もはや目をつむっていたって
店内を歩くことだってできたかもしれない。
とびらをあけて。
荷物を捨てる。
それから
パソコンの電源を入れ
ゲームにログインした。
そのゲームは
世界各国のさまざまな人々が
同時接続することのできる、
いうなれば
もうひとつの現実世界がそこにはある。
自分のキャラクターをうごかし、
あいてのキャラクターとコミュニケートする。
会話は基本、チャットで行われるが、
じっさいに通話をしながら
ゲーム世界内で交流をすることも
少なくはない。
いまの時代ならきっと、
表現方法はほかにもあるだろう。
けれどもわたしが１０代のころはまだ、
SNSも出はじめのころであったし
その点。
ネットゲームのなかであれば、
女性として。女性のキャラクターをうごかして、
チャットでコミュニケーションをして。
ありのままの自分のすがたで、
ある意味で " 日常 " ともよぶことができる
日々を。
時間を。
過ごすことができたのだ。
だから
ひとりの夜は
ネットカフェでゲームに没入する。
このゲームの世界のなかであれば
誰だってわたしを知ることがないし、
誰だってわたしを知ることができる。
長くやれば、
気の合う友人だってできる。
ゲームをしない人からすれば
信じられないことかもしれないが、
お互いの顏が隠されているばあい、
直接こころとこころのやり取りがなされるようで
時に現実世界よりも
深い関係になりやすいものである。
深い話もした。
性についての
悩み相談だって。
当時。
わたしの軟いこころの
拠り所であったことは
確かである。
だが。誰もわたしの顏やからだを知らない
その世界のなかで、
ひとりの例外は、あった。
わたしと現実で会うことができる、
ひとりの男の子がいた。
今夜もまた、彼はゲームのなかにいる。
わたしのキャラクターは、
その彼のキャラクターのまえでたたずむ。
わたしは相手に手をふって、
あいさつをする。
すると彼もおなじようにした。
それから、
今日はログイン早いじゃん
とチャットが送られてきた。
わたしたちのやりとりは軽快だ。
うん。早めにきた。
珍しい。今日はバイト休み？
休みにしてもらったー。
風邪？
ううん。そういうわけじゃないけどさ。
時間あるならダンジョン、
クリアしにいこうぜ。
いいよ。
彼とは、ゲームのなかだけの
付き合いではない。
年齢は、同い年。
出会いは、中学校に進学した
はじめの年のことだった。
わたしたちはおなじクラスで、
席がとなりになった。
第一印象では、まるで鋭利な刃物のような
恐ろしさを感じたことを
よく憶えている。
彼は切れ長の目に、透きとおるくらいの
白い肌。
肌だけでなくて
髪や瞳、爪やくちびるのどれも
色素がうすくて
繊細なガラス製品のようであった。
いわば、面がよい。
そしてそうした印象に反して、
引き締まった体が、喧嘩っ早い性格が、
ギャップとなって。
よく女子同士の話題にあがっていたことは
知っている。
そんな彼と、女々しいわたしは、
どうしてみょうに気が合ったのだろう。
いや、ちがう。
気が合ったのではない。
きっとつながり合ってしまったのだと思う。
こころの深いところに巣食う、
人生に失望している
暗い感情の部分で。
ゲームのことは
すべて彼から教わった。
わたしたちのあいだで、遊びというものは
現実の世界で会って、どこかに行ったり
なにかをしたりするわけではない。
深夜。
ゲームの世界でおちあって
時間を潰すということのほうが
ひどく一般的である。
それからわたしは
中学２年生で完全に不登校となり、
やがて彼も、わたしを追うようにして
学校に行かなくなった。
まだ、中学生のふたりだ。
くわえて。
彼には彼なりの闇というものを、
そのこころに宿している。
よって無論、
恋愛などという関係にはならない。
あくまで友人。そして、
こころの奥底に巣くう
暗い感情でつながりあっていた関係性。
ことばにせずとも
わたしたちは
人生に射した失望という
死へのカウントダウンのなかで
お互いを
信頼していたのであろう。
希死願望。
本来
生と死を共有することが人間である。
方面は、ひかりの方向ではなかったかもしれない。
ただ死へと向かう道中の、暗い闇夜のなかで、
彼とわたしは、こころの深いところを
共有していたんだ。
だから彼とわたしのあいだに
これからの未来についての話は
一切出てこなかった。
わたしたちのあいだに
未来だの、性についてだのという
ひどくプライベートな
ことばは
今までなかった。
彼はわたしの事情に
早くから気がついていたが、
人生に失望をしていたわたしたちにとって、
求めていたのは生きることではなく
ただ死ぬことだったから。
だからそういう意味合いでは、
心底。
彼を驚かせてしまったのだと
おもう。
わたしは人生に失望していた。
ただ、死ぬことを求めていた。
今宵までは。
あのさ。じつは話があってさ――。
ひととおりの、ゲームの世界での
" 仕事 " を終え
なにをするでもなく
時間を持て余していた、深夜。
わたしはおもむろに
彼にチャットをはじめた。
なに？ あらたまって。
うん。まあ。なんていうか。
と文字をうったところで、
キーボードをたたく指がぴたりと
とまってしまう。
――なんていうか。
なんと、言おう。
性については、面と向かって
話をしたことはない。
けれどもわたしに対する扱いからして、
配慮からして。
彼はじゅうぶんに
わたしを理解してくれていることなど
分かりきっていたことである。
だから。いまさら
ことばにするなんて
なにをどう告げてよいのかもわからない。
それにやっぱり驚かれて
やっぱり嫌われてしまうかもしれない。
なにより。
なにかがわたしのこころに引っかかる。
この気持ちは、一体何だろう。
ひかりを求めだしたのだ。わたしは。
いやもしかしたらずっとずっと
ひかりだけを求めていたのかもしれない。
だから苦しかったのかもしれない。
――……それは彼に対する、
裏切りになるのではなかろうか。
引き金をひいて、
闇のなかで放たれる弾丸は
彼を撃ちぬいてしまいやしないか。
そういった一抹の不安だって、あった。
――なんていうか。
なんていうかさ。
もし。
もし、の話だよ。仮の話だよ？
なんだよ。笑 早く言いなよ。
うん。……、もし仮に。そうだな。
わたしが宇宙からやってきた宇宙人だったら
どうおもう？
は？ 宇宙人？ 何のこと。笑
だから宇宙人だって！
もしわたしが人間じゃなくて宇宙人だったら
どうおもうの？
どうおもうって。
うーん。別になにも。
ていうかおもしろそうだから、話はしたいかな。
そっかあ。
震える指先が、キーボードのうえで
こまやかな音をたてる。
息がつまる。肺がいたい。
けれどもわずかの、安堵もある。
そうだ。彼はこういう人だった。
たとえわたしが、違う星からやってきた
宇宙人であったとしても
おもしろがって、仲良くしてくれるような人。
だから
信頼している。
――わたしは
ひかりのなかを、歩いていたい。
まだ死ぬことができない。
この人生で、やらなければならないことが
たくさんあるような気がするから。
死ねないよ。わたし。
わたしは、まだ。
あなたは、どう？
深呼吸して、
指先にちからを入れた。
ぽつりぽつりと、チャットを入力してゆく。
わたしさ。まあ。
〇〇も知ってくれてはいるとおもうけどさ。
あの、なんていうか。
わたし。ちゃんと
女として、
――……生きていこうとおもってる。
今日。たまたま母親と出くわしちゃってさ
話したんだ。
薬の投与とかさ。
あるんだ。
ほら最近テレビでも出てる、〇〇さんっていうひと。
あんなひとみたいな、さ。
そういうのできるらしくてさ。
その時間。どれくらいだったのだろう。
彼からの返答が来るまでには、
３分ほど間があった。
それでも体感は、１０分も２０分にも感じられ、
息がつまるようで苦しかった。
彼から返答がない。沈黙のあいだ。
ただ、耳に流れてくるのは
ゲームのなかでかかっている音楽だけ。
深夜にかかっているであろう月が、
画面のなかの夜空にも浮かんでいる。
現実にはありえないくらいの、
満点の星空だ。
彼とはなんどだって過ごしてきた。
この星空の下で――。
画面のなかでの、
文字でのやりとりだ。
だから声はないし、あたりまえだが
音声でもない。
けれどもわたしには聴こえた。
彼の返答は、
とても短いもので、
それもポツリと呟くような声で、
チャットをしたのだと
わかった。
――…… 本気？
わたしはそう問われ
生唾を飲む。
渇いた喉に、
痛みがともなう。
うん。本気。
ほんとうに？
うん。ほんとに。
ほんと。
そっか。
彼の、そっかという呟きは、
まるで満点の星空に投げだされてしまって
さまようばかりのようにもおもえる。
行く先のない、小さな舟。
かえる港をうしなって、
ただ流れるように、たゆたっている。
それからもまた、
５分や１０分の間があった。
わたしはコーヒーを流しこんだり、
たちあがって、トイレにも行った。
それでも彼からの、つづきのことばがない。
不安になった、そのときだった。
彼は、つづけてチャットしてきた。
俺は、まあ。
おまえのことはわかってる。わかってた。
そのほうがおまえらしくていい。
俺は、まあ。その。
応援するよ。わかってたし。
だけどさ
ひとつ約束してくれよ。
俺と、最後の約束。
これらの彼のことばは
さきほどの呟くようなものとはちがって
明確に声になっていて、
しっかりとした芯がとおっていることが
わたしにはわかった。
ちからづよさがあった。
たくましくもあった。
わたしが、暗闇のなかでも
ずうっとやってこられたのは、
こうした彼の
ちからづよさのおかげでもあった。
どうしてだろう。わたしはこのとき、
ぼんやりと。
（――男の子って、すごいな……）
とおもったことを憶えている。
なに？ 約束って。
知りたい？
あたりまえだよ。笑
じゃあぜったい守ってくれよ。
えー。そんなのわかんないよ。
できないかもしれないじゃん。
は？ できないはないんだよ。
約束。知りたかったら、約束守るって言え。
はいはい。守ります。
だから教えて？
絶対だな？
絶対だって。笑 ねえ。
わかった。
俺との約束。
俺はおまえをずっと応援する。
女として生きるんなら、
俺との約束、な。
世界一の女になれよ。
世界一、綺麗になって
可愛くなること。
それが俺との約束。な？
わたしはおもわず
息をのんで――。
ひとり、ネットカフェの暗い個室の
画面のまえで、
滔々と涙をながした。
まるで涙がとまらなくて、
ながれる滝のように溢れて出た。
彼はきっと、この先、
わたしが彼のもとから離れて行って、
連絡も取れなくなることが
わかっていたのだとおもう。
死をもってつながっていた
わたしたちの関係性が
ゆるやかに解かれていったことが
わかっていたのだとおもう。
わたしはわたしを、
ようやく生きはじめたのだ。
彼の切なさや、悲しみが、
つよさでもって、ことばにのってくる。
世界一の女になれ。
彼は最後に、そう約束しろと告げて、
いまもその約束は、わたしのこころの深い部分に
碇をおろして沈んでいる。
静かな夜には、
うすいヴェールのかかった朝には、
彼のことをいまも
おもいだして、わたしは考えている。
あのときを最後に、
わたしたちは連絡を取り合わなくなった。
あれから１０年以上の月日が流れて、
同窓会にも顔を出さないわたしは、
彼の現在をしるよしもない。
生きているのか、
あるいは――、どうか。
まだ生きていようと、
あるいは天国にいようと、
幸せになっていてほしいのは確かだけど
それよりもなによりもまず
わたしが人生をとおして
彼との約束を果たさなければならない、
とおもう。
それが一番の、彼に対する
恩返しだとおもう。
死をもって、最後、
わたしはどのようなものを両手にかかえて、
彼と再会をすることができるのだろう。
精いっぱい、
生きねば――……。
約束を果たして、わたしは、
世界一、綺麗で可愛い女になって、
おばあちゃんになって、
わたしは。
彼とまた会いたいから。
だから。
精いっぱい、
生きねば
と。
鳴り響いてやまない彼の、声が、
いまもなお。わたしの耳元で
たしかな声となって
響いている。
▼ ぽちっとして
応援してくれたら
うれしくて甘栗ポンッなるよ 
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