otaku8’s diary

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『The Girl with the Needle』感想~解体された構造と遺された生~(ネタバレなし)

 


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 マグヌス・フォン・ホーンの新作『針を持つ少女(原題)』(→『ガール・ウィズ・ニードル』)を観た。第97回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされている。第一次世界大戦後のコペンハーゲンを舞台に、工場労働者である主人公が工場長との子を宿したまま行き場を失い、堕胎にも失敗したところを養子縁組業者の女性に助けられるが...という話である。

 実際の事件にインスパイアされている本作は、描かれる事件そのものは陰惨であるが、より強調されるのは、抑圧的なその社会構造であり、子供や女性、見世物として生きる「奇形者」たちである。劇中、彼らは別に聖人として描かれるわけではないが、それでも構造の犠牲者だというふうに描かれる。

 そういった構造の暴力を示すのに、まず素晴らしかったのはまずビジュアル面である。撮影は『EO』のMichal Dymek。コントラストの強いモノクロの映像で、戦争の影の残る時代感を見事に表現していた。そしてその時代感こそが先述した構造そのものを体現するものであり、彼らを呑み込んでいくのである。途中、リュミエール兄弟の『工場の出口』を明らかに彷彿とさせるショットが出てくるが、これも当時の空気感を再現するのに一役買っていた(同作は1895年の作品なので時代は少しずれているが)。

 さらに、ここで音楽が加わることで本作は特異な切れ味を醸し出している。劇半を担当したのはデンマーク出身のアーティストFrederikke Hoffmeier、自分は知らなかったがインダストリアル・ノイズの作家として「Puce Mary」という名で活躍しているらしい。ここで、ノイズ音楽およびその音楽性について評価した記事を見かけたので引用する。

www.ele-king.net

同ページの中で、特に気になったのは以下の文章。

そう、音響/ノイズの持続と暴発の中には「音楽」が解体され尽くしたカタチ、つまり世界の現象が融解してしまった後に蠢く「何か」が蠢いている。だからこそノイズ音楽は「最後の音楽」なのだ。(中略)現代の若きノイズ・アーティストたちは「世界」への不安と不信から生まれる自我の葛藤によってノイズを生む。そのノイズは同時に抑圧された生の発露でもある。

これはまさに、本作で描かれるものに当てはまる。当時の時代感を再現し、その構造の暴力を示しながら、それを解体する。そして、そこに遺された不安定で、しかし力強い「生」を吐露するかのような作品である。