夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

何を弾くかと何を着るかは似ているかもしれない

2012年のフランス映画「タイピスト!」(原題:Populaire)

コロナで寝ながら思いついたこと

コロナで発熱、悪寒、咳、頭痛に苦しんだ約2週間、私はほとんどベッドで横になっていた。

そして横になっていた時間の約70%は本当に寝ていた。

自分でもどうしてこんなに寝られるのか、不思議だったくらいだ。

思うに、鎮痛剤のロキソニンには副作用として眠気を催す効果、というのがあるからかもしれない。

とにかく私は2-3時間をサイクルとして、こんこんと眠り続け、むくっと起きてはトイレに行き、水分を撮り、体温を測ってメモ書きし、また布団に潜り込むということを繰り返した。

きのうも書いたように、ピアノが弾きたい、とはまったく思わなかった。

がしかし、ピアノの練習についてちょっと思いついたことがあったので、忘れないように書いておく。

クラシックピアノの選曲と何を着るかの相似性

ピアノ学習者はどのように選曲しているのだろうか?

思うに、難易度の低いものから高いものへ、特定の作曲家に偏らないよう、まんべんなく、あらゆる時代様式を網羅するように学習しているのではないだろうか?

もちろんこれは、音楽という芸術に親しむにあたって、かくあるべき王道であると思う。

これを着るものに例えて言えば、

スーツ、ワンピース、パンツ、フレアースカート、ティアードスカート、ミニスカート、クロップドパンツ、ワイドパンツ、スキニーパンツ、Tシャツ、カットソー、オーバーオール、ロングドレス、カクテルドレス・・・

をとっかえひっかえ着ているようなものではないだろうか?

しかし人間だから、当然、似合わないものというものもある。

スーパーモデルならいざ知らず、普通の人は意識的、無意識的であるにしろ、自分がいちばん自分らしく見えるものを選んで着ているのではないだろうか?

人の体型はさまざまである。

背の高い人、低い人、いかり肩、なで肩、はと胸、でっちり、短足・・・

それらをうまーくカバーしつつ、自分の顔色に映える色を選んで組み合わせればいいのであって、なにも体型の難点を誇示するような服を着る必要はないはずである。

もっとも、どうしても、「この服が着たい!」と思えば体型がどうの、年齢はどうのと言わず着ればいいのだ。

クラシックピアノの選曲も、洋服と同じで、自分の演奏がいちばん「まし」に聞こえる曲を選んだほうがいいのではないだろうか?

ましてや、私なんぞ、六十路をはるかに過ぎ、自分の愉しみのためだけにピアノを弾いているのだから。

本当は50年代のファッションが大好き!

ところで私がふだん何を着ているか、というと、夏はTシャツにパンツ、冬はセーターにパンツ、という判で押したように同じスタイルである。

しかし私にだって、もっと違うものが着たい、という欲求がないわけではない。

実は、私は50年代のポップレトロなファッションが大好きなのだ。

このファッションがよく表れているのが、2012年のフランス映画「タイピスト!」

(原題:Populaire)。

あ、でも一般的には、オードリー・ヘップバーンが「麗しのサブリナ」で見せたファッションが50年代ファッションの典型と言われているのかもしれない。

www.youtube.com

自分の技術力にみあったピアノ曲

でもねぇ、私がいくら50年代ファッションが好きだと言っても、こういうのは今、どこに売っているのだろう?

見かけないなぁ。

それにもうすぐ70に手が届こうかというばあさんが、こんな落下傘スカートやパフスリーブのワンピースを着ていたら、ちょっとギョッとしないか?

人目を気にするわけではないが、自分を客観的にみるとぞっとする。

だからピアノの曲も、自分の技術力にあったものを弾いたほうがいいのではないか、と思い至ったのだ。

 

大腸がんで逝った中村紘子さんとは比べ物にならない

中村紘子氏(1944-2016)

ピアノが弾けなかったコロナ期間

コロナで苦しんでいた約2週間、ピアノはほとんど、というかまったく弾かなかった。

たしか発熱の最初の2、3日間は、がんばってなんとか弾こうとした。

多分、それはまだ今までの体力が残っていたせいだと思う。

ところが何も食べられなくなってから数日たつと、余剰の体力もまったくなくなり、

「ピアノなんかどうでもええわ」

というか、ピアノの前に座る気力さえなくなったのだ。

たかがコロナで・・・である。

ここで私が再三思い出したのが、2016年に72歳という若さでがんで逝った、ピアニスト中村紘子さんのことである。

中村紘子さんのピアノ愛はがんに負けない

www.nikkei.com

上記の記事にもあるように、中村紘子さんはみずからが大腸がんであることを公表していた。

そればかりか、

(引用始め)2014年2月の手術では、がんはすべて取り切れず、治らないことを自覚しながら様々な治療を受け、その副作用に悩まされながらも、「がんが治っても、ピアノが弾けなくなるのは困る」と、天職であるピアノ演奏を継続していた。(引用終わり)

らしいのだ。

がん治療の副作用ってこわいんでしょ~

痛いんでしょ~

苦しいんでしょ~

そのなかでもピアノを弾き続けるなんて、私には考えられない精神力である。

と同時に、これまではピアノ一筋で生きてきたのだから、(病を得たこれからは)ちょっと違う人生を送ってみたい、という発想はまるでなかったのだろうか、と疑問も残る。

やはり天才の考えることは凡人とはまるで違う、と言わざるを得ない。

キャサリン妃の長い髪よ、永遠に

同時に先日、がんを公表したばかりのイギリスのキャサリン妃のことも思い出した。

最近はまったくニュースを追っていないのでわからないのだが、がん治療のため、妃のみごとな長い髪が失われるようなことがあったらどうしよう、と心配したのである。

しかしあの長い髪は治療中はさぞかし邪魔になるだろう。

でも下々の者とは違って、妃の場合、毎日シャンプー、ドライヤーで乾かしてくれるひとがいるだろうから、邪魔とは感じないのかもしれない。

いやそれでもなぁ、と実にしょうもないことを堂々巡りのように考えていたものだ。

ゆっくりと休憩だらけのピアノ再開

ようやくモノが食べられるようになった2週間後、やっとすこしピアノを弾いてみようかな、という気持ちになってきた。

本当は衰えた指の筋力を取り戻すために、ハノンなどの基礎練習をやったほうがいいのかもしれないが、残念ながら今はそれも耳が受け付けない。

食べられなくなって弱った胃腸とおなじく、耳も許容範囲が一段と狭くなってきているようで、美しい旋律しか聞きたくないのだ。

それで弾きなれたバッハの曲を、ゆっくり~ゆっくり~片手ずつ弾いている。

そして10分弾けば休憩。

これを5回くらい繰り返せばもうへとへと。

体力が戻るのって、ずいぶん時間がかかるらしい。

 

熱があってもこれだけは食べられるのがフルーツボトル

Dole フルーツボトル トロピカルフルーツ

コロナ発症18日目

3月31日にコロナを発症してからはやきょうで18日目。

やっと微熱もなくなり、きょうは掃除機をざっとかけ、洗濯物も畳み、近所のバス停まで歩けるかどうか試してみた(歩けたよ!)。

長かったなぁ。

比較的健康と思われる67年間を過ごしてきたせいか、今回のこの病は本当にキツかった。

食欲などまったくなくなり、「おなかがすく」ということがどういうことなのか、もう忘れてしまっていたぐらいだった。

最初の頃こそ、夫ちゃんにヨーグルトを買ってきてもらって、一日に小さいのを1個ずつぐらいは食べていたのだが、もともとヨーグルトはそれほど好きでない。

じきに見るのもイヤになった。

そしてほどなく、

「ああ、風邪をひいたときには、私はこれしか食べられないんだ!」

というものを思い出した。

それは子どものときには「みつ豆」、そして67歳の今は「Dole フルーツボトル トロピカルフルーツ」である。

熱がでたら子どものときは「みつ豆

私が子どものときに食べていたのは、缶詰の「みつ豆」。

フルーツの角切りに寒天、黒い豆がはいっているやつ。

もっとも「豆」は固いから、ないほうがいいのにと思っていた。

これをおしゃれに盛ると下のようになる。

とにかく子どもの頃、母からは

「風邪ひいたらみつ豆が食べとうなるなんて、ホンマ変わった子や」

と笑われていた。

そして今。

別に缶詰の「みつ豆」でいいのだが、缶は捨てるときに手を切りそうなので、もう数年はどんな種類も買ったことがない。

というわけで、今は「Dole フルーツボトル トロピカルフルーツ」なのだ。

今は毎日「Dole フルーツボトル トロピカルフルーツ」

Dole フルーツボトル トロピカルフルーツ」は地元のスーパーでも夏は盛大に陳列されていたと思う。

しかし今は季節柄、果物売り場にひっそりとあるかなきかの風情である。

仕方がないので、背に腹は代えられず、今回はアマゾンで注文して、翌日に配達してもらった。

1個500円ぐらいのを計8個である。

しかし2-3日待ってもいいのだったら、アマゾンよりも安く売っているサイトもありそうである。

これのいいところは

  • 果汁100%で砂糖不使用(本当か?)。
  • パイナップル、パパイヤが混ざっていて彩りがきれい。
  • 開封であれば常温保存:つまり冷蔵庫の場所をとらない。

熱があるときに冷たいものはよくないのか?

ところで熱があるときに、こういう物ばかり(だけ?)を食べたがる私はよほどの変人なのか?

だっていろいろなサイトをみても、風邪のときは(コロナも風邪の1種ではあるし)、おかゆ、うどんなどが望ましい、と書いてあるし。

しかし、私からすると、37-8度も熱があるのにそんな温かいものを食べていたら、カラダが燃え上がりそうである。

適度に冷たいものを撮ったほうが、理にかなっているような気がするのだがなぁ。

ちなみにようやく私の熱は、平熱35.8度に戻りつつある。

いつ「フルーツボトル」のお世話にならなくてもよいか楽しみなのだが、やっぱり来週ぐらいかなぁ。

オンライン診療を利用した:コロナ発症9日目

コロナ発症から数えて9日目

早いもので、コロナ発症から数えて9日目となった。

熱は相も変わらず、36-37.5度をいったりきたりしている。

つまりロキソニンを飲んだら数時間は36度台になる。

ところが翌朝測るとまた見事に37度台を回復している。

まったく、こんなんで回復なんかせんでええのに。

まあ、過去にはインフルエンザにもかかったことがあったし、風邪をひいて寝込んだことは数回あったと思う。

しかし、これほどまでに食欲がなく、なにも食べられないといったのは初めてだ。

コロナに罹る前は確か体重は52.5キロはあったと思う。

それが今や48キロ!

そりゃヨーグルトしか食べてないもんね。

痩せてよかったではないか、と思われる向きもあるかもしれないが、もう見た目を重視する年頃も終わったからね。

とにかくこのしんどさをなんとかしたい。

オンライン診療は高い?

先日、処方されたロキソニンは5日分だったから、もうあっというまに飲みきってしまった。

でもクリニックにまでバスにのって行く元気はまったくなかったので、「オンライン診療」を申し込む。

パソコンから希望の時間帯を選択し、先生からの電話を待つ、というやつ。

お会計は3520円。

高い?

でもウチのように遠隔地に住んでいる場合、背に腹は代えられない。

数値が好きなお医者さん

ふだんはほとんどベッドに寝ているが、電話とはいえ、さすがに居住まいを正して先生からの連絡をキッチンで待った。

電話があったのは7分遅れ。

この遅れも「なんとかしてーな」と思い、イライラする。

やっとかかってきた電話の主、つまり先生に、

「熱が下がらなくて、咳がでて、もうしんどくて・・・」

と訴えると、先生はずばり、

「しんどさのピークを10とすると、今のしんどさはいくらぐらいですか?」

うーん、数値で聞かれてもなあ、

お医者さんは数値が好きなのかなぁ。

私は

「5から6かな、いやマシな時は4ぐらいです」

とめちゃくちゃアバウトな答えで、こういう患者は困りものだろう。

とても親切な薬剤師さん

診療を終えてから、カード決済でお支払いをすます。

そのあとすぐに、薬局の女性から電話がかかってきた。

薬は宅配便で送ってくれるので、その説明だが、わかりやすいように懇切丁寧に説明してくださる。

ロキソニンだけではなく、このごろは品薄な咳止め薬も送ってくれるのだ。

そして支払いは?というと、

「こんどこちらにいらっしゃるときでいいです!」

って。

つまりツケ?

カード払いかネットバンキングならすぐに払えるのだが、後払いでいいと言われるとなんか感激してしまったよ。

いいねぇ、薬剤師さん。

私はこのとき初めて、薬剤師さんになったらよかったのに、と思った。

だって私は血をみるのがダメだから看護師さんは無理無理だけれど、薬剤師さんならひょっとして人の助けになれたかもしれないのに・・・と思ったのだ。

ま。もう遅いけどね。

 

 

行けなかった赤松林太郎氏のピアノリサイタル

赤松林太郎氏のピアノリサイタルはキャンセル

きょうは2か月以上前から予約していた赤松林太郎氏のピアノリサイタルの日であった。

まだ熱が続き、30分以上起き上がっているのが苦しい身としてはキャンセルするしかなく、キャンセル料のかからないきのうのうちに、電話でキャンセルしておいた。

電話に出られた「芦屋クラシカ」のかたは、予約を受け付けてくださったかたと同じかただと思うのだが、とてもとても感じのよいかたなのだ。

「ご病気でいらっしゃるのに、わざわざお電話をいただいて、恐縮です。ありがとうございます。どうぞ、ごゆっくりお休みください。またの機会にはぜひ・・・」

といった調子で、どこぞの歯医者の受付嬢とはエラい違いである。

赤松林太郎氏のシンフォニア1番

赤松林太郎氏は、ピティナではおなじみの方であると思うし、バッハに関する演奏動画もたくさんアップしていらっしゃる。

私は一昨年、シンフォニアの1番を弾いた時、そのメリハリの利いた演奏に感動し、何回も聴かせていただいた。

いや、マネをするところまではいかないので、雰囲気を取り入れる、いわばイメージトレーニングである。

www.youtube.com

「芦屋クラシカ」という会員制のクラシックサロン

その赤松氏のリサイタルが「芦屋クラシカ」であるのを知ったのは、ほんの偶然だった。

だいたいそれまで私は「芦屋クラシカ」という会員制のクラシックサロンの存在を知らなかったのだ。

付近にいる芦屋市民にも聞いて見たが、誰一人知らない。

ということは、ちょっと謎めいた存在らしいのだ。

まず、ネットをぐぐっても、「芦屋クラシカ ただいま会員募集中!」といったのも見たことがない。

またネットの、たとえばブログ記事にも、

「ワタクシは、芦屋クラシカという会員制クラシックサロンのメンバーですが・・・」

というのも見たことがない。

わかったことは、江崎グリコの会長氏が私財を投じて設立された、すばらしく雰囲気のよいサロンらしいこと。

そして土日のコンサートには、会員でなくても聴きに行けること、だった。

つまりはローターリークラブのような存在かな?

そしてそこに、平日顔パスで出入りできるのは、ホンマモノの金持ち芦屋市民なのだろう。

ウチとは違うのだ。

お金持ちには縁がない

私が一も二もなく、ここで開かれる赤松氏のリサイタルに予約したのは、正直いうと、赤松氏のピアノが聞きたいと言うよりも、豪勢なサロン、そこに置かれているピアノという楽器に興味があったからである。

氏のピアノ演奏ははっきりいって二の次だったのだ。

だから神様にはその意図を見抜かれ、コロナに罹って行けなくされたのではあるまいか?

だって~~

ホンマもののお金持ちが集まるコンサートって、どんなものか興味があったのだ。

ベルサイユとかトリアノン的な装飾が施されているのか?

もちろん、そこへ行くからには私も一張羅の服と靴を用意したのだけれどね。

残念ながら、お金持ちには縁がない現実を突きつけられたかのようである。