コロナで寝ながら思いついたこと
コロナで発熱、悪寒、咳、頭痛に苦しんだ約2週間、私はほとんどベッドで横になっていた。
そして横になっていた時間の約70%は本当に寝ていた。
自分でもどうしてこんなに寝られるのか、不思議だったくらいだ。
思うに、鎮痛剤のロキソニンには副作用として眠気を催す効果、というのがあるからかもしれない。
とにかく私は2-3時間をサイクルとして、こんこんと眠り続け、むくっと起きてはトイレに行き、水分を撮り、体温を測ってメモ書きし、また布団に潜り込むということを繰り返した。
きのうも書いたように、ピアノが弾きたい、とはまったく思わなかった。
がしかし、ピアノの練習についてちょっと思いついたことがあったので、忘れないように書いておく。
クラシックピアノの選曲と何を着るかの相似性
ピアノ学習者はどのように選曲しているのだろうか?
思うに、難易度の低いものから高いものへ、特定の作曲家に偏らないよう、まんべんなく、あらゆる時代様式を網羅するように学習しているのではないだろうか?
もちろんこれは、音楽という芸術に親しむにあたって、かくあるべき王道であると思う。
これを着るものに例えて言えば、
スーツ、ワンピース、パンツ、フレアースカート、ティアードスカート、ミニスカート、クロップドパンツ、ワイドパンツ、スキニーパンツ、Tシャツ、カットソー、オーバーオール、ロングドレス、カクテルドレス・・・
をとっかえひっかえ着ているようなものではないだろうか?
しかし人間だから、当然、似合わないものというものもある。
スーパーモデルならいざ知らず、普通の人は意識的、無意識的であるにしろ、自分がいちばん自分らしく見えるものを選んで着ているのではないだろうか?
人の体型はさまざまである。
背の高い人、低い人、いかり肩、なで肩、はと胸、でっちり、短足・・・
それらをうまーくカバーしつつ、自分の顔色に映える色を選んで組み合わせればいいのであって、なにも体型の難点を誇示するような服を着る必要はないはずである。
もっとも、どうしても、「この服が着たい!」と思えば体型がどうの、年齢はどうのと言わず着ればいいのだ。
クラシックピアノの選曲も、洋服と同じで、自分の演奏がいちばん「まし」に聞こえる曲を選んだほうがいいのではないだろうか?
ましてや、私なんぞ、六十路をはるかに過ぎ、自分の愉しみのためだけにピアノを弾いているのだから。
本当は50年代のファッションが大好き!
ところで私がふだん何を着ているか、というと、夏はTシャツにパンツ、冬はセーターにパンツ、という判で押したように同じスタイルである。
しかし私にだって、もっと違うものが着たい、という欲求がないわけではない。
実は、私は50年代のポップでレトロなファッションが大好きなのだ。
このファッションがよく表れているのが、2012年のフランス映画「タイピスト!」
(原題:Populaire)。
あ、でも一般的には、オードリー・ヘップバーンが「麗しのサブリナ」で見せたファッションが50年代ファッションの典型と言われているのかもしれない。
自分の技術力にみあったピアノ曲を
でもねぇ、私がいくら50年代ファッションが好きだと言っても、こういうのは今、どこに売っているのだろう?
見かけないなぁ。
それにもうすぐ70に手が届こうかというばあさんが、こんな落下傘スカートやパフスリーブのワンピースを着ていたら、ちょっとギョッとしないか?
人目を気にするわけではないが、自分を客観的にみるとぞっとする。
だからピアノの曲も、自分の技術力にあったものを弾いたほうがいいのではないか、と思い至ったのだ。