黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【光る君へ】#11 まだ子どもだったまひろ💦現実離れの頭でっかち故に道長のプロポーズを潰す

現実を知る道長、頭でっかちなまひろと伊周

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第11回「まどう心」が3/17に放送された。エンディングで破局したまひろはあの恐ろしき廃邸にひとり残されすすり泣いたが、もうね、こちらも急転直下の破局にアララ・・・だった。

 先に行く前に、あらすじを公式サイトから引用させていただく。

(11)まどう心

初回放送日: 2024年3月17日

兼家(段田安則)の計画により花山天皇(本郷奏多)が退位し、為時(岸谷五朗)は再び官職を失うこととなった。まひろ(吉高由里子)は左大臣家の娘・倫子(黒木華)に父が復職できるよう口添えを頼むが、摂政となった兼家の決定を覆すことはできないと断られる。諦めきれないまひろは兼家に直訴するが…。一方、東三条殿では道隆(井浦新)の嫡男・伊周(三浦翔平)らも招いて宴が催され、栄華を極めようとしていた。((11)まどう心 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 今回の残り数分。BGMのギターがカッコ良くかき鳴らされる中、廃邸で待つ道長に、駆け寄る笑顔のまひろ。乙丸に「若君、もういいかげんにしてくださいませ」と、まひろを垣間見に行った道長が怒られながらも(乙丸カッコイイ~言う時は言うね)、恋してる2人がようやく会えたシーンの幕開けだ。

 2人は無言で抱き合い、口づけを交わす。

道長:妻になってくれ。遠くの国には行かず都にいて、政の頂を目指す。まひろの望む世を目指す。だから、傍にいてくれ。2人で生きていくために俺が考えたことだ。

まひろ:それは、私を北の方にしてくれるってこと?・・・妾になれってこと?

道長:そうだ。北の方は無理だ。されど、俺の心の中ではお前が一番だ。まひろも心を決めてくれ。

まひろ:心の中で一番でも、いつかは北の方が・・・😢

道長:それでも、まひろが一番だ。(抱きしめる)

まひろ:(振り払って)耐えられない、そんなの!

道長:お前の気持ちは分かっておる。

まひろ:分かってない!

道長:ならば、どうしろというのだ!(一瞬怒鳴った後、穏やかに)どうすれば、お前は納得するのだ。言ってみろ。

まひろ:(怯えたように声を失っている)

道長:・・・遠くの国に行くのは嫌だ。偉くなって世を変えろ。北の方でなければ嫌だ。勝手なことばかり・・・勝手なことばかり言うな。(まひろを置いて、去る)

 もちろん、現代では「お前が心の中で一番、だけど妾になって」等と言う価値観の男は早々に「バカにするな!」と切って正解。それに、怒鳴る男も最低だ。男に怒鳴られたら、非力な女は怖さが発動して固まるだけだろう。

 だけれど世は平安。偉くなる男ほどたくさんの妻妾を持ち、それにも耐えて他の妻妾を気遣うのが、できた上級貴族の北の方なのだろう。

 まひろの母「ちやは」は、北の方だった。父は妾の下にも通ったが、基本的にまひろは両親の仲睦まじい姿を見て育ったから・・・。でも、それは下級貴族だから出来たこと。身分高い男を相手にそれを望むのは酷だよね、ましてや更に偉くなることを望むのだったら、彼には経済的にも身分的にも強い北の方が必要だ。

 物語上、まひろはまだ成長途上の16~17歳の頃。夢見る女子でも仕方ない。無残に死んだ直秀のためにも自分ができない「世を正す」立場に道長を押し上げようと、遠くの国には一緒に逃げないし、全て理解して込み込みで道長に別れを告げ「死ぬまで見つめ続ける」と前回は言ったのかと思い、ブログでもそう書いた。

 が、ぜーんぜんそこまでの大人じゃなかった😞紫式部への道は、まだ遠かった。

 まひろの頭の中では、学問にすこぶる励むことで出世もできるし、世も正せる、という程度の理解だ。現実はそうじゃなく、あの手この手、汚い偽りを繰り出しても帝を引きずり降ろしてトップに立つのだと、道長は知っている。

 その場合、結婚は政治の一部だ。打毬の後で着替えながら公任&斉信が述べていた通り、貴族の女は身分が全て。妻の財力政治力が無ければ男もトップには居られないのだ。好きな女は妾にするものと言っていた。

 まひろ、あの時は何を聞いていたのか・・・道長と自分の世界を阻む身分差を受け入れたくなくて、ボーイズの言うくだらない貴族の現実から目を逸らせていただけかな。その点も、道長様と私が正すべき、と考えていたのか。

 人は一面的でもなく、あの反応は年相応なんだから、まひろが現実離れしていると責められたもんじゃない。けれど、書物の理想しか知らないまひろじゃ、道長と思いがすれ違い、気に入らないプロポーズを粉砕しても仕方なかった。

 道長は、自らの落ち度によって直秀を失って自責の沼に落ち、政治の世界でトップに立つという熾烈な現実に揉まれ育ち、一家挙げての息詰まる政権乗っ取りの謀に直面したばかりだ。

 何と、即位式で使われる高御座に据えられていた、嫌がらせと見られる子どもの生首まで平然と始末し、自分の袍で拭って「穢れなど無い」と言い切った。まるで兼家パパみたいになってきたじゃないか。蛙の子は蛙か。

 急速に大人にならざるを得なかった道長とまひろのギャップは開くばかりだ。

 そうそう、大人と言えば、道長の長兄・道隆の嫡男・伊周が、いつの間にか大人びて出てきた。ママ高階貴子に「大人のお話に口を挟むものではありませぬ」と窘められても、演じる三浦翔平は見るからに立派な大人。「は?」となってしまったが、12歳前後の設定らしい。

 彼はいきなり「晴明殿。父は笑裏蔵刀。顔は笑っておりながらも刃を隠し持っておりますぞ。お気を付けなさいませ」と安倍晴明に威嚇的に言った。たぶん母方仕込みの漢文だろうが、晴明は心中で苦笑(きっと)。

 いつも晴明は意味ありげに相手の顔を見ているが(顔相を見ているのだろう)、印象は以前晴明に父の非礼を詫びていた道長の方が断然良いだろうね。

 頭でっかちで無鉄砲という点で、伊周はまひろと共通するキャラだ。先行きを考えると、三浦翔平の整った顔なんだけど既に小憎らしい。ドラマではどう造形されるのだろうか。隣に座る定子の子役ちゃんが、大人の定子を演じる高畑充希にそっくりで、NHKの子役発掘力がまた発揮されていた。

政治が分かり、花も実もある倫子様

 さて、まひろなんだが。賢い賢い言われても、現実には通用しない点では父為時そのまま、こちらも蛙の子は蛙だ。ただ、紫式部になるんだし、こういった経験が執筆の肥やしになっていくんだね。

 貴族社会の何たるかの一端をまひろに率直に教えてくれた人が今回2人はいたが、彼女は理解できないままに終盤で道長と向き合い、別れることになった。2人とは倫子と兼家だ。

 花山帝の突然の退位によって官職を失って散位になった父の、打ちしおれた姿を受け、まひろはまず左大臣家の姫である倫子に会いに行き相談した。左大臣の力で官職を得ようとしたのだ。

倫子:まひろさん、どうなさったの?

まひろ:突然お伺いして申し訳ございません。

倫子:私は暇ですからよろしいんですけど。

まひろ:今日はお願いがあって参りました。実はこの度のご退位により式部丞の蔵人であった父が、官も職も失ってしまいました。

倫子:まあ・・・。

まひろ:父は裏表のない真面目な人柄で、学者としても右に出る者がいない程の学識がございます。必ずや新しい帝のお役にも立てると思いますので、何とか左大臣様に・・・。

倫子:(かぶりぎみに)それは難しいわ。だってそれ、摂政様がお決めになったことでしょう?

まひろ:はい、ですから左大臣様に・・・。

倫子:摂政様のご決断は、すなわち帝のご決断。左大臣とて覆すことはできません。(言葉を失うまひろ)ごめんなさいね、お力になれなくて。

まひろ:では、摂政様に直接お目にかかって・・・。

倫子:(ビシッと)おやめなさい。摂政様はあなたがお会いできるような方ではありません。

 ここまで物事をハッキリ言ってくれる倫子様。なんと優しい。書物は読まないと言いながら、政治的な物事の動きはちゃんと頭に入っている。それをもったいつけず、まひろに教えてくれたのだ。

 カッコいいなあ、倫子様。花も実もある誠実な大人だと思う。おっとりと、でも姉御肌というか。

 それなのに、人の言語を理解できないとしか思えないまひろ。必死なんだろうが、ある意味倫子様の言葉を軽んじる行動に出た。なんと、おやめなさいと言われたのに、摂政兼家に直談判に及んだのだ。

 優しく、けれどしっかり本質を言ってくれる言葉を軽んじる人ってどうなのかな・・・心の中で「そうは言っても」と自分を譲らない。相手が怒鳴るとか、叫ぶとかしないと耳を貸さないのだろうか。必死過ぎてか。

 そんなまひろが、倫子様から見て「何か、嫌」とならないか心配だ。

 後半の、倫子様とまひろの女子トークは恐ろしかった。互いの想い人が同一人物だと知らずに会話をしている2人には震えあがったが・・・こんなに政治力のある人を敵に回しちゃいけないよ、まひろ。

 やっぱり、まひろが「源氏物語」の明石の上のように道長の子を産み、それを身分高い紫の上の立場の倫子様が育て、入内させるという妄想が捨てきれない。道長のために協力し合い、彰子の入内プロジェクトを成し遂げる2人が見てみたい。倫子様、道長に頼まれたら断れなそうだから。

夢の中を、ホップ、ステップ、砕け散るまひろ

 倫子様の次にまひろが会いに行ったのが、前述のように摂政兼家。まひろは止まらない。

藤原兼家:為時の娘?

家人の平惟仲:ええ。お目にかかれるまで帰らぬ(!)と申し、裏門に居座っておりますが、やはり追い返しましょうか。

まひろ:(面会のために案内される。「ここがあの人の家」と心中で息を飲む。座って待っていると、兼家がやってくるので深々と礼)

兼家:面を上げよ。賢いと評判の高い為時の娘とはそなたのことか。

まひろ:お目にかかれて恐悦至極に存じます。(頭を下げる)

兼家:わしに何の用だ?

まひろ:父のことでお願いに上がりました。摂政様の御為に、父は長年お尽くし申して参りました。不器用で至らぬところもあったやも知れませぬが、不得手な間者も精一杯務めておりました。何故、何もかも取り上げられねばならぬのでございましょうか。どうか父に官職をお与えくださいませ。どうか、どうかお願い申し上げ奉ります。(頭を下げる)

兼家:(立ち上がり、まひろを見下ろす)その方は、誤解しておるのう。(顔を上げたまひろの顔まで腰をかがめて)わしの下を去ったのは、そなたの父の方であるぞ。

まひろ:存じております。摂政様が「長い間、ご苦労であった」と仰せくださったと・・・。

兼家:(強く)そこまで分かっておって、どの面下げてここに参った。そなたの父はわしの命は聞けぬとはっきり申した。わしは去りたいと申す者を止めはせぬ。されど、一たび背いた者に情けを懸けることもせぬ。わしの目の黒いうちにそなたの父が官職を得ることは無い。下がれ。

まひろ:(呆然と、涙目で兼家を見上げる)

 「兼家様はわしをお許しにはなるまい。この先の除目に望みは持てぬ」と為時パパは息子惟規に言っていた。当初は「兼家様が長い間ご苦労と言ってくれた」などと、かなりおめでたいパパ・・・💦と思っていたが、佐々木蔵之介演じる宣孝が「今すぐ東三条院に謝りに行け」と慌てふためき、召人のいとが泣くほど常識外れを自分がやっていると、実は分かっていたのだね。

 その時に、まひろは「父上はご立派でございます」と言ってしまったと思う。見ていて、ああ、そんなこと言っちゃったらダメだよ!と世俗にまみれたコチラは思った。娘の理想で縛られているパパに、上塗りするような事を言ってさらに縛るほど、まひろは事の大きさが理解できていなかった。

 道長がまひろを妾にしたくても、今回の兼家への押しかけ談判がアダになりそう。絶対に兼家には会わせられないだろうな。しかし、妾なら親に会わせ許可をもらう必要も無いか・・・。

 まひろは今も、直談判の何がいけないの?と思ってそうだ。若さゆえの無鉄砲な行動力が眩しく見えてしまう宣孝が、かなり彼女を褒めちゃうからな・・・さすが将来の夫。

藤原宣孝:摂政様に会いに行ったのか。お前、すごいな。

まひろ:すげなく追い返されました。

宣孝:会えただけでも途方も無いことであるぞ。ひとこと慰めを言うぐらいのつもりで来たわしに比べて、お前は真に肝が据わっておるのう。摂政様に直談判するとは・・・。

 今回、賢いと音に聞く娘はどんなもんかとの興味から引見しただけだったろう摂政兼家に、まひろは当たって砕けて、現実をご丁寧に教えてもらった。陰で「虫けら」とまひろを呼びつつ、なんとお優しい(皮肉)。

 もちろんドラマ的には面白いから、まひろの無鉄砲は悪くない。ただ、会えるまで帰らないと言い張るなど、まひろもまひろで強引なハラスメント気質見え隠れでハラハラする、単に子どもなのかもしれないが。

 だけど一応、突破力があってさすが将来の紫式部だと書いておく。隠れていたい凡人の目線で見ると空恐ろしいばかりだが、表に自ずと出る大物は違うのだな。

妾は嫌だのこだわりはどこから

 先ほどの宣孝との会話の続きで、まひろの婿取りの話が出てきた。まひろの北の方へのこだわりが見える。

まひろ:私に何かできればと思いましたが・・・下女たちにも暇を出して、私もどこかで働こうかと。

宣孝:婿を取れ。有望な婿がおれば何の心配もない。

まひろ:このような有様の家に、婿入りする御人なぞおりますでしょうか?

宣孝:北の方に拘らなければ、いくらでもおろう。(まひろ、途端に気まずそうに目線を外す)ほほう・・・そなたは博識であるし、話も面白い。器量も・・・そう悪くない。誰でも喜んで妻にするであろう。婿がおれば、下女に暇を出すこともないし、働きに出ずともよい。為時殿は好きな書物でも読んで暮らせばよい。誰か心当たりはおらぬのか?

まひろ:妾の話が出てからずっと不機嫌そう)おりませぬ。それに私は妾になるのは・・・

宣孝:わしにも幾人かの妾がおるし、身分の低い者もおるが、どのおなごも満遍なく慈しんでおる。文句を言う者なぞおらぬぞ。男はそのくらいの度量は皆、あるものだ。(呆れたような顔をして宣孝を見ているまひろ)もっと男を信じろ、まひろ。身分の高い男より、富のある男が良いな。若くてわしのような男はおらぬかのう・・・ハハハハ(まひろ、一緒になって笑ってしまう)探してみるゆえ、心配するな。(まひろ、イヤイヤとかぶりを振る)為時殿には会えなんだが、まひろと良い話ができた。では帰るぞ。

 この会話が、道長との喜びの再会からスピーディに破局に至った際に思い出された。2人は離れていても思い合い、互いに逢瀬を思い浮かべるほどだったのに、まひろは道長の妾になってほしいとの要望に「そんなの耐えられない!」と反発し、道長が考える2人が寄り添って生きる未来を砕いた。

 そもそもが現代の視聴者(女子)に寄り添ったキャラ設定なのだと思うが、まひろが妾を毛嫌いする理由には、道長の兼家パパの妾である道綱の母(財前直見)の手による「蜻蛉日記」を左大臣家のサロンで倫子様たちと読み、学んでいるのもあるだろう。

 赤染衛門先生が「言葉の裏に込められた思いを感じ取れるようになると、良い歌が詠めるようになります」という点では、まひろはまだまだ。話の行間が読めて良い歌詠みになるのはこれからだろうが、妾の恨みつらみだけは、蜻蛉日記によってずっしり受け止めてきたはずだ。

 プラスして、一家の使用人ながら「いと」という身近な存在が、このところ為時の妾以下の召人の立場で苦しんでいる。まひろも男女関係について深く考えさせられているだろう。

 今回も「父上は?」とまひろに為時の所在を聞かれて「殿さまは高倉に」と、引きつった顔で妾の下に(介抱に)出かけていることを、いとが告げていた。(いとは為時が瀕死の妾の介抱に行っていることは知らされていないか?前回の高倉探索の後、まひろに様子を聞こうとしたのに、タイミング悪く道長から手紙が来ちゃってたから。)

 いとは前回も、まひろの琵琶に涙しながら繕い物をしたりしていた。惟規が婿入りしても姫様のそばに置いてくれとまひろに懇願した時、惟規についていけば良いと返されたら、多少元気を取り戻して「殿さまは高倉にくれてやります」と言っていた。

 まあまあ、なぜ妾が嫌なのか色々あるのだろうけれども、これから後出しで出てくる決定的理由もあるかもしれない。

 しかし思うに、何よりもまひろは道長が大好きで、他の人とシェアするなどとんでもなく、彼を独占して2人の世界を生きていきたいのだろうな。意地悪な見方かもしれないが、支配欲は強そうだ。ナンバーワンでありたいのかも。

 そんなまひろが分不相応にも北の方を望み、皮肉にも道長と別れることになった。何もかもを望み過ぎると、こうなる。ほどほどを知るんだろうか。

北斗七星の意味

 今回は、番組の最後の「光る君へ紀行」でユースケ・サンタマリア演じる安倍晴明が取り上げられていた。

 紫式部や道長の時代に、朝廷に置かれた役所の1つ、陰陽寮に所属したこと、朝廷や貴族たちの相談役として人々の信望を得ていたこと、千年の時を越えて今尚人々の心を魅了し続けていること等がナレーションで語られたのだったが、見事に「占い」とか「呪術」とは言わない。なぜ?

 晴明が人々の信望を得るにしても「占いで」だったのに、NHK的にNGなのかな、あまりに迷信的じゃないかと言われるのを恐れて。

 ちなみにテロップや映像では、道長の「御堂関白記」での晴明に関する記述の他、晴明が子孫に残したと伝わる占術の書「占事略决」の「占病祟」といった字が大写しになっていた。

 確か、安倍晴明ら陰陽師が呪詛を解くための、北斗七星の形に歩みを進める呪術的な足づかいがあるというのを、磯田道史の「英雄たちの選択」という番組で見た気がする。(「陰陽師・安倍晴明 平安京のヒーローはこうして誕生した」 - 英雄たちの選択 - NHK

 明治になって、大久保利通や西郷隆盛が明治天皇を表に引っ張り出したい時に、厄除け(?)のために、いちいち北斗七星の形に天皇を歩ませようとする陰陽師がいたら邪魔だったろうと、磯田は言っていたと思う。想像するとおかしかった。

 それぐらい、陰陽道では大切に扱われている北斗七星。それが、今回は目についた。

 まず、即位する幼い帝の衣装の背中に北斗七星の刺繍が。幼帝は例の、嫌がらせの生首が置いてあった高御座に座った訳で、当時の死穢思想からいったら・・・それを跳ね返し幼帝を守る意図の北斗七星だったか。(私は生首よりも、帝の後ろに立っている介添え?の黒い袍の公卿の方が、絵面的に怖かったけど・・・。)

 また、兼家らの策略によって退位させられた花山帝が、新帝即位のタイミングで呪詛の真言を唱えていたものの、数珠が切れて呪詛はならなかった。その時に、散らばった数珠が北斗七星の形に並んだのも、陰陽師の力によって呪いは妨げられたと示していたのかな。

 そして、兼家と道長が生首の件を話し、道長の判断を兼家が褒めた夜の空を飾るのも、北斗七星だった。安倍晴明に守られ、即位式を一通り終えたということを示しているように見えた。

 そもそもが、兼家は晴明の策を買って花山帝退位⇒一条帝即位⇒兼家摂政を成し遂げた。それを忘れちゃいけなかったね。

兼家に噛みつく道兼

 花山帝を退位に追い込んだ功労者だと自負のある道兼が、道隆一家と宴を楽しんでいた兼家に噛みつき、報いることを忘れてはいないと言いくるめられていた。道兼の娘も一条帝に入内させると兼家は約束していたが、確かに道隆の定子に次いで、道兼の娘も入内していた。(藤原尊子 (藤原道兼女) - Wikipedia

 しかし、彼女が入内したのは、兼家(990年没)も道兼(995年没)も亡くなってからの998年、数え15歳だそうだ。母は一条帝の乳母だそう。道兼の娘は、兼家の存命中はまだ幼く、約束は果たせなかったか。それに、あの兼家ならなんだかんだと理由を付けそうだ。道兼本人も、娘をなかなか入内させられなかったようだ。あまりに幼くてもね。兼家がわざわざ言及したところを見ると、そこら辺も後にエピソードになるか。

 兼家はドラマではどんな死に方をするのだろう。陰陽師に守られて、安らかな死なのか、それとも・・・。道長は、心優しき三郎を完全に脱し、頂に上ると心に決めたせいか父の片鱗を見せるようになった。道長の今後の変貌が心配になっている。

(敬称略)

 

【光る君へ】#10 陰謀進みメンタル限界の道長、まひろに使命諭され別れ(?)の逢瀬

えっと、夜8時のNHKでしたよね?

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第10回「月夜の陰謀」が3/10放送された。脚本家が「平安のセックス&バイオレンス」を宣言していたんだから、主役カップルがプラトニックのままな訳はなかった。

 が、やはりNHKの夜8時だから、ちょっと驚いた。例えば小学生の大河ファンがいるご家庭では、お子様方のお目目を塞いだりしたんだろうか?

 大河ドラマや朝ドラの女子の主役というと、物凄く恋愛関係に疎いとか鈍感であるように描かれることが多い印象がある。または、恋愛が成就して両想いになっても「なんでそうなるの」というくらい2人が会えなかったり。王道は、時間がワープして、いつの間にかママになっているパターンだろうか。

 でもこのドラマは脚本が大石静だから。朝ドラ「ふたりっこ」でさえ、ヒロインの片方がベッドシーンに至って話題になっていたんだし、今作でも、果敢に突き進んでも不思議ではなかった。

 これまでの大河ドラマでもそれなりにラブシーンはあったしね。昨年の大河ドラマ「どうする家康」の「側室をどうする」の回では、夜伽がコミカルに描かれていた。一昨年の「鎌倉殿の13人」では、ガッキーの「おかえりなさい」に皆でキュンとして「良かったね、義時」となったんだったよなあ。

 今年のまひろと道長の関係は、結ばれて良かったねと単純には言い難いほろ苦さがある。美しいとしか言いようのない月夜の逢瀬だったものの、オープニングテーマの一度は繋がれた指が離れてしまう映像が示唆するところを気にすれば、これっきりなのかもしれない。

直秀がいない廃邸は怖い

 本題に入る前に、あらすじを公式サイトから確認しておこう。

(10)月夜の陰謀

初回放送日: 2024年3月10日

兼家(段田安則)は道長(柄本佑)たち一族を巻き込んで、秘密裏に花山天皇(本郷奏多)を退位させ、孫の懐仁親王(高木波瑠)を擁立する計画を進め始める。その頃まひろ(吉高由里子)は、家に帰ってこない為時(岸谷五朗)を案じ、妾の家を訪ねてみる。そこには身寄りもなく最期を迎えようとしている妾の看病をする為時の姿があった。帰宅したまひろのもとに道長からの恋文が届く。まひろは道長への文をしたため始めるが…

 気になってしまったのは、2人が会ったのが、以前直秀が案内してくれた廃れた邸跡だったということ。まひろがフラフラ出歩くのが貴族の姫としてまず有り得ないところ、しかも夜中で徒歩だよ?

 前は、直秀という頼りになる人物が陰から守ってくれていた。だからセキュリティ対策はOKだったが、彼が居ないとなれば、治安の悪い当時、姫が夜中に廃れた邸に赴くなんか不可能なんじゃ・・・。

 どこかに乙丸が隠れているのか?それでも頼りないなあ。

 前回のブログで、弟は大学寮に入り、父為時は妾の看病のためにそちらに行きっぱなしになることで、まひろの周りが仕える人々を除くと何となく人払いされているようだと書いた。まひろの自由度が増し、恋愛をするには好都合だと思い、当然、道長がまひろの下へとやってくるのだと思った。

 まひろは、妾に関する父為時の振る舞いで傷ついていた「いと」に優しく接していたから、彼女を味方に引き入れることができそうだし、だとしたら、自邸で道長と普通に会えそうだった。(ところで今回、いとは弟惟規の乳母だけではない存在だったことがはっきりした。)

 廃れた邸なんて、「源氏物語」でも光源氏に連れていかれた夕顔が命を落としたじゃないか。ドラマの廃邸は六条にある設定だったと思うが、夕顔が襲われたのは六条御息所の生霊だ。

 物の怪だけでなく、住居に困った盗賊やら誰が住み着いているかわからない。掃除もされてなければ、夏なら虫だらけ。そこで貴族の坊ちゃん嬢ちゃんが夜中に会うなんて、無茶だよなあ😅若いなあ。

道長は謀略により追い込まれ、逃げ出したくなっていた

 さて、文句はこれくらいにして・・・前9回のブログでこう書いた。

直秀を欠いたからこそ、道長とまひろの間に離れがたい絆ができるのだと思う。こんな経験をしたんだから、幼なじみのような関係から本当の恋人同士へと一気に関係が変質するような気もする。直秀は、キューピッドの役目を終えたのだ

 直秀を死なせたことで、トライアングルの一角が欠けて残った2人が恋人同士として急速に近づくことになったのかなと前回を見た段階では思ったが、今回を見ると、どうも直接的にはそういうことではなかったようだ。

 一番の理由は、道長の父・兼家が強引に進めている謀略によって「俺もう無理」状態に道長のメンタルが追い込まれてしまったことらしい。そこで、何もかも嫌になって逃げ出したい道長は、まひろに縋りついたか。

 前9回は、まひろと父・為時が桜の花びらがこぼれ散る中、惟規を大学寮へと送り出したところで「つづく」となった。桜の花びらがハラハラとそんなに多くなく散っていたのだ。つまり、直秀らを葬ったのは986年(寛和2年)春か、その前だ。

 今10回の冒頭では、ユースケ・サンタマリアの安倍晴明が「23日は、歳星(木星)が28宿の氐宿を犯す日」だと説明し、「12年に1度の犯か」と兼家パパも受けた。当時当たり前の知識なのか。

 晴明は6月23日丑の刻(午前1~3時)のクーデター実行を兼家パパに進言したのだったが、パパは「すぐではないか!支度が間に合わぬ」と言っていた。旧暦だから6月は現在の7月?つまり、桜が散っていた第9回から数か月経過した初夏の話が第10回なのだろう。

 道長がまひろに手紙を送り始めたのは、この謀略が進み始めて以降。単に直秀を失ったことでまひろとの関係が進展したのなら、手紙を送り始めるのを数か月待つ必要などなかった。

 だから、手紙を受け取ったまひろは「(直秀の埋葬を思い浮かべ)あの人の心は、まだそこに」と言ったのだね。大切な友人が死んで、悲しみ、自責の念に襲われ悩んでいたとして、数か月じゃ「まだ」って言うほどの日は経っていないのではないかと引っかかりはするものの・・・まひろは頭の回転が速い。

 道長は、直秀を葬ることになってしまった己が罪による心の傷が癒えないうちに、貴族である自分の一族が恐れ多くも帝に対して冒そうとしている政変に直面し、どうしようもなく、いたたまれなくなったのだろう。

 家庭内では、

  • 得意がる道兼(でも父には道綱と共に便利使いされているだけだが)がうるさい兄弟間での駆け引きもあるし、
  • 父は陰で道長には「事をしくじった折には、お前は何も知らなかったことにして家を守れ」「父に呼ばれたが、一切存ぜぬ、我が身とは関わりなきことと言い張れ」と更なる謀を命じるし、
  • 仲の良いはずの姉・詮子様は自分の息子のために道長の結婚相手を2人も決めてしまうし(ところで源明子女王、演じるのは男女逆転「大奥」の阿部正弘の中の人かー。美しかったね)。

 道長は自分の意志とは関係なく、がんじがらめの駒。まともな心ある母・時姫を失ってから、まるで心許せる家庭環境じゃないのはよくわかる。ここまでよく耐えてきた。

古今和歌集をパクって送る道長、コピペはイケマセン

 女性に和歌を送るのが当時の恋愛上のルールだったとして、送るにしても自作ではないのか?まひろが「好きな人がいるなら歌を作ってあげるわ」と昔、道長に代作を申し出ていたのだから、このドラマの中でも自作の和歌を恋人には送るもの、という常識があったのだと思う。

 でも、道長君は古今和歌集からパクってまひろに送るのだ。余程自信が無いのか・・・まひろも「なんで」と言ってたが、恋路とはいえ剽窃はダメだよ、当たり前でしょう。

 まあ、まひろみたいな相手に自作の和歌を送るのは嫌だよねえ、添削して返されそう(全視聴者に添削されるのも😅)。それに、古今和歌集の和歌なら、どこかで聞いたことがあるし、後からでも調べられるから見ている側にはありがたいかな。その前に、ドラマで口語訳されていたが。

 道長の古今和歌集と、まひろからの陶淵明の漢詩とのやり取り(口語)を並べると、こうだった。

道長:そなたを恋しいと思う気持ちを隠そうとしたが、俺にはできない。

まひろ:これまで心を体のしもべとしていたのだから、どうして一人くよくよ嘆き悲しむことがあろうか。

道長:そなたが恋しくて死にそうな俺の命。そなたが少しでも会おうと言ってくれたら生き返るかもしれない。

まひろ:過ぎ去ったことは悔やんでも仕方がないけれど、これから先のことは如何様にもなる。

道長:命とは儚い露のようなものだ。そなたに会うことができるなら命なんて少しも惜しくはない。

まひろ:道に迷っていたとしてもそれほど遠くまで来てはいない。今が正しくて、昨日までの自分が間違っていたと気づいたのだから。

 このやり取りじゃあ大変だ。道長は「会いたい、会いたい、会いたい」と分かりやすくズバリと伝えてきているのが分かるが、まひろとは永遠にすれ違うのか💦追い込まれている道長に、まひろの返事の仕方は厳しい。

 ここで道長が行成にアドバイスを求めたところ、「道長様には好きなおなごがおいでなのですね」と、ちょっとしょんぼりした行成だったが(やっぱりね・・・)、こう言った。

行成:そもそも和歌は、人の心を見るもの聞くものに託して言葉で表しています。翻って漢詩は、志を言葉に表しております。つまり、漢詩を送るということは、送り手は何らかの志を詩に託しているのではないでしょうか。

 それで「少しわかった」と言った道長が、次にまひろに送ったのが漢文「我もまた君と相まみえぬと欲す」だったのが笑えた。これって陶淵明の続きなのか?そうじゃなさそう。ストレートな「志」ではあるよね・・・とにかく会いたいと。

 まひろもこれで、まどろっこしく漢詩を送っててもダメか、直接会って伝えようと観念したかな。

まひろの思いは

 前回「遠くの国」の終わりで、まひろは父とこんな会話をした。

為時:お前が男であったらと、今も思うた。

まひろ:私もこの頃そう思います。男であったなら、勉学にすこぶる励んで内裏に上がり、世を正します

 その後、「言い過ぎました」と父と笑ったまひろだが、「世を正します」を言わせたのは直秀の死だ。

 自分が男であったならという思いは、男で上級貴族である道長に対しては、「直秀のために」その立場を生かして世を正してほしい、となっていくのだね。正に、自分ができないことができる羨ましい立場に道長は生まれたのだから。男女差もそうだけど、身分制度の厳しい時代には殊にそうだろう。

 また、まひろは「直秀のために」と思って立ち向かうことは、道長の深い後悔の念をも救うことになると思っているのだろうな。実は道長が心を痛めているのはそれだけじゃなくて、家族の命運が懸かる大掛かりな陰謀が切迫している訳だけど、もちろん彼女はそんな事までは知らない。

 でも、道長はまるでマフィアの家に生まれちゃったみたいなものだよね。そうそう人に言えない陰謀なんか抱えちゃって。たまらんな。

 それで、出会っていきなりのキス!となったのはドラマチックだったけれど、まひろの気持ちとしてどうなんだ?とちょっと驚いた。彼女の方も、そこまで道長への気持ちが醸成されていたとは・・・甘く見ていた。

 そのあたりを説明してくれた2人の会話はこうだった。

道長:一緒に都を出よう。海の見える遠くの国へ行こう。俺たちが寄り添って生きるにはそれしかない。

まひろ:どうしたの?

道:もっと早く決心するべきだった。許せ。

ま:そんな・・・。

道:藤原を捨てる。お前の母の仇である男の弟であることを止める。右大臣の息子であることも、東宮様の叔父であることも止める。だから一緒に来てくれ。

ま:道長様・・・うれしゅうございます。

道:まひろ!(抱きしめる)

ま:うれしいけど・・・どうしていいか分からない。

道:分からない?父や弟に別れを告げたいのか?そのために家に帰れば、まひろはあれこれ考えすぎて、きっと俺とは一緒に来ない。だからこのまま行こう。お前も同じ思いであろう?心を決めてくれ。まひろも、父と弟を捨ててくれ。

ま:大臣や摂政や関白になる道を、本当に捨てるの?

道:捨てる。まひろと生きてゆく事、それ以外に望みは無い。

ま:でも、あなたが偉くならなければ、直秀のような無残な死に方をする人はなくならないわ鳥辺野で、泥塗れで泣いている姿を見て、以前にも増して道長様のこと好きになった。前よりずっとずっとずっとずっと好きになった。だから帰り道、私もこのまま遠くに行こうと言いそうになった。でも言えなかった。なぜ言えなかったのか、あの時はよくわからなった。でも、後で気づいたわ。2人で都を出ても、世の中は変わらないから。道長様は偉い人になって、直秀のような理不尽な殺され方をする人が出ないような、よりよき政をする使命があるのよ。それ、道長様も本当はどこかで気づいてるでしょう?

道:俺はまひろに会うために生まれてきたんだ。それが分かったから今、ここにいるんだ!

ま:この国を変えるために道長様は高貴な家に生まれてきた。私とひっそり幸せになる為じゃないわ。

道:俺の願いを断るのか。

ま:道長様が好きです。とても好きです。でも、あなたの使命は違う場所にあると思います。

道:偽りを言うな。まひろは子どもの頃から作り話が得意であった。今言ったことも偽りであろう。

ま:幼い頃から思い続けたあなたと、遠くの国でひっそり生きていくの、私は幸せかもしれない。

道:ならば!

ま:けれど・・・そんな道長様、全然思い浮かばない。ひもじい思いもしたことも無い高貴な育ちのあなたが、生きてくために魚を取ったり木を切ったり、畑を耕している姿。はあ、全然思い浮かばない。

道:まひろと一緒ならやっていける。

ま:己の使命を果たしてください直秀もそれを望んでいるわ

道:偽りを申すな。

ま:一緒に遠くの国には行かない。でも私は、都であなたのことを見つめ続けます。片時も目を離さず、誰よりも愛おしい道長様が政によってこの国を変えていく様を、死ぬまで見つめ続けます

道:一緒に行こう。

 この、2人の別れにも聞こえる言葉をまひろは告げているのに、その後、どうしてラブシーンになるのか?少々混乱した。

 そもそもまず、道長はともかく、そんなにまひろ側が道長を大好きだったなんて。幼い頃は気になる程度かと思っていた。左大臣家のサロンで道長の話が出るたび、分かりやすく目を見開いて固まっていたから、成長してから好きは好きだったのだろうが、道兼という仇の存在が、心の中で大きく邪魔をしているのかと・・・。

 逆なのか。道兼が居たからこそ、道長への禁断の思いが膨れ上がっていた。

 プラスして直秀の死、そしてその埋葬を共にしたこと。泥塗れの道長を見てずっと×4好きになったんだもんね。ここでぐっとまひろの道長への思いは高まったんだね。

 それなのに、出てくるのはあの漢詩なんだな・・・自分の気持ちを抑え込み、道長を使命へと振り向けるつもりで。高尚過ぎる。まひろが気持ちを抑え込みすぎちゃってたもんで、こちらはついて行けてなかった😅再会していきなり熱いキスを交わすほどだったとは。驚いた。

 道長は「偽りを申すな」と繰り返していた。家族や貴族仲間と気持ちを偽って生活をしているから、救いは偽りのないまひろと直秀だけ(百舌彦もいるけどねー)。まひろが言葉を尽くして説明しているのに、まだ「一緒に行こう」と言っていた道長に、死ぬまで見つめ続けるという自分の言葉が偽りじゃないと分からせるために、証として一緒に寝たってことなんだろうな。

 道長は「振ったのはお前だぞ」「また会おう。これで会えなくなるのは嫌だ」と言っているから、まひろのこれきりの気持ちも伝わっているらしい。これは2人の別れのシーンだったのだと、理解した。

 まひろは「人は幸せでも泣くし、悲しくても泣くのよ」「幸せで悲しい」と言っていた。両想いを確かめられても、別れるんだもんね・・・。

事変での道長は

 道長は、これ以後はまひろに指摘された「己が使命」をはっきりと意識しながら生きていくのだろうか。

 手始めに寛和の変での道長だが、内裏に呼ばれた際にも無の境地のような表情をしていた、異母兄の道綱が落ち着かない様子MAXだったのに比べて。

 「これより、丑の一刻にございます」の声で兼家パパが「これより、全ての門を閉める」と言った時、詮子様は目をギュッと閉じ、道長はいよいよか、というようなやや高ぶった目を向けたが、すぐに表情は消えた。

 帝の位の在りかを示す剣璽が兄2人の手で東宮の下へと運ばれ、いよいよ道長の出番。「行って参ります」と兼家パパに告げ、関白の下へと馬を走らせた。

関白頼忠:何事じゃ。

道長:ただいま帝がご退位され剣璽は梅壺に移り、東宮が践祚あそばされました。

関白:なんと・・・。

道長:関白様も急ぎ内裏へ。

 馬上の道長の表情は遠くて窺い知れなかったが、関白への口上を申し述べる彼は、引き締まった声で、ああ、運命を受け入れたのだろうかと感じさせた。

 ところで、この政変の途中でとても気になったのが道隆と道綱が運んだ、帝の即位に関わる剣璽のこと。帝のお住まいの清涼殿から持ち出して道隆兄弟に渡す典侍ら女房2人の顔も引きつっていた。なぜ易々と?協力させられている訳?

 女房らも、これは大変なクーデターにガッツリ関与しているとの意識はあったはずだ。怖かっただろうな・・・何か失敗したら消されるだろうし。いや、成功した暁にも兼家パパならもしかして?

 この辺の疑問は公式サイトで説明されていた。(をしへて! 佐多芳彦さん ~藤原兼家が運ばせた「剣璽」とは? - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 道長、兼家パパを反面教師に、こんな権力者にはならないでね。死ぬまで見つめているまひろが泣くよ・・・と思う訳だが、ドラマでは後の道長をどう描いていくのだろうか。

 次回、花山帝をたばかった道兼が、己の立場を思い知らされるらしい。それはそれで1ミリぐらい気の毒。花山帝に仕えていた父為時が、退位によって職を失い、立場を思い知らされるのは、まひろも同じことか。

(敬称略)

【光る君へ】#9 役目終えたキューピッド直秀、遠く黄泉の国へ😢

せっかくの成功オリジナルキャラ直秀なのに

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第9回「遠くの国」が3/3の雛祭りの日に放送された。う~ん、直秀について残念過ぎて色々と言いたくなるが、まずはあらすじを公式サイトから引用しよう。

(9)遠くの国

初回放送日: 2024年3月3日

東三条殿に入った盗賊の正体は直秀(毎熊克哉)ら散楽一座だった。道長(柄本佑)の命で検非違使に引き渡される。一方、直秀らの隠れ家を訪ねていたまひろ(吉高由里子)は盗賊仲間と勘違いされ、獄に連行される。宮中では、花山天皇(本郷奏多)と義懐(高橋光臣)の関係が悪化し、代わって道兼(玉置玲央)が信頼を得始めていた。その頃、兼家(段田安則)を看病する詮子(吉田羊)を思いもよらぬ事態が待ち受けていた。((9)遠くの国 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 ニコニコと桜餅を食べた日に、まさか我が推しキャラ直秀に涙で別れを告げねばならなくなるだなんて思いもしなかった。

 直秀は、主役のまひろを挟んで道長とトリオを形成する重要キャラだった。こんなにもあっさりと命を失うとは。2人をつなぐ闇のキューピッドであり、今後は、道長の隠密ポジションへと立場を変え、続けて活躍していくかと勝手に期待していた。ねずみ小僧とか、飛猿とか、風車の弥七とか、御庭番でもいいけどそんな感じ。

 ああ・・・でも、あれだけまひろと道長の2人が1日かけて埋葬したのだもの、本当に死んじゃった設定なんだなあ。実は生きてました!は無いのだろう。遠くの国に流罪になった直秀と数年後に再会とか、話としてアリだったと思うのだけど、死ななきゃならなかったかー。

 推しだから言う訳ではないが、ゼロから育ててこれだけ成功した人気オリジナルキャラだけに勿体ない。大河でオリジナルキャラが叩かれる例は「麒麟がくる」の駒ちゃんとかが記憶にあるが、愛される例になるのは大変なこと。

 その直秀を切っても構わず先に進んでいけるぐらい、このドラマは面白くなるんだね、そういうことだ。

 戦略的に言って、民放のドラマが10回前後で1クールだと思うから、50回近くとなる長い大河ドラマだと、1クールごとにスパイスとなるキャラを取り換えて進行するつもりなのだろうか。つまり、視聴者の飽き対策。次のクールは誰が担うのか。

手ずから直秀ら7人を葬った道長とまひろ

 さて、流罪になった直秀ら散楽一座7人が獄を出る時刻は、卯の刻というから、早朝5時から7時に当たるのだそうだ。確かに検非違使の獄前で道長とまひろが門番と相対した時には、まだ暗かった。

 (百舌彦が乙丸に、道長のモノマネをしてまひろへの伝言を告げる様子がおかしかった。並んで張り合って走って百舌彦がゼーハーしたり、最近は従者2人の関係が面白くて目が離せない。)

 そして「屍の捨て場ではないか」と道長が門番に言った鳥辺野へと、一座は既に向かっていた。馬で後を追った2人の頭上には、同方向に多くのカラスが飛ぶ。縄で手を縛られた一座が放免の2人に前後を挟まれ、靄の中を進む様子が見えた時にも、カラスが何かをついばむ様子が大きく映り、おどろおどろしかった。

 薄明るくなった頃、鳥辺野を進む道長とまひろが、とうとう直秀ら一座の亡き骸を発見。既に彼らをエサとしていたらしい複数のカラスが飛び去り、倒れている一座がはっきりと目に入った。これはショックだ。

 道長は、呆然として「手荒なことをしないでくれ」と心付けを渡した自身の行動を思い返した。彼の期待とは全く逆の結果が、悲しくも眼前にある。

 「愚かな」と一言つぶやき、うつぶせの直秀の骸を表に起こした道長は、固くこぶしに握られた土塊を払い(悔しさで死ぬ間際に握りしめたか😢)、代わりに両手に自分の扇を持たせた。

 これについて、ネットでは「芸人として葬りたかったから」扇を持たせたとの解釈を見たが、扇=あふぎ=また会おう、の意味があると京扇を餞別に渡された経験があるので、私としてはこちらの説を取りたい。

 扇を下さったのは、源氏物語がお好きだった高校時代の国語の先生。まだ大切に持っている。先生にお会いして「光る君へ」のお話がしたいなあ・・・。

 私の感慨はともかく、道長は、直秀との黄泉の国での再会を願って自分の扇を渡したのだろう。

 当時の死穢思想からは、貴族の坊ちゃんが自ら鳥辺野に赴いて、放置されている遺体に扇を握らせるなんて、めまいがするような格別の行動だろう。直秀への惜別の情を示すには、それだけでも十分だったかもしれない。

 しかし、そこでは終わらない。道長は、日が高い間ずっと、無言で手で土を掘ってせっせと7人を葬った。まひろもそれに付き合って。なぜそこまで・・・の理由は、皆を埋め終わってから道長が口にした。

道長:すまない(最初はまひろに。彼女の衣の汚れを払おうとする)。すまない(葬った7人に)。皆を殺したのは・・・(泣き顔になって)俺なんだ。(自分を拳で2度叩き)余計なことをした!(泣いて絞り出すように)すまない・・・すまない、すまない!すまなかった!(まひろ、背中から道長を抱く)すまなかった!(ふたりとも泣く)

 夕日の中、無言で帰途に就く2人ともが呆然とし、表情は生気を失っていた。馬の背に揺られるまひろも、馬を引く道長も。これが秀逸だった。

 道長が獄からまひろを連れ帰った時、道長はまひろに「信用できる者なぞ誰もおらぬ。親兄弟とて同じだ。まひろのことは信じておる。直秀も」「あいつはあれで筋が通っておる。散楽であれ盗賊であれ、直秀の敵は貴族だ。そこを貫いているところは信じられる」と言っていた。

 それなのに・・・道長にとっては人生で初めて経験する大きな挫折だろう。自分のせいで信頼できる2人のうちの1人の命を失った。痛恨の極みだ。

 まひろと道長は、まひろの母・ちやはの死で仇同士として忌まわしく結びついていた。特別な絆だ。ここにまたトリオの1人の直秀を共に葬った経験を経て、さらに心の結びつきは強くなっただろう。

 と言うか・・・直秀を欠いたからこそ、道長とまひろの間に離れがたい絆ができるのだと思う。こんな経験をしたんだから、幼なじみのような関係から本当の恋人同士へと一気に関係が変質するような気もする。直秀は、キューピッドの役目を終えたのだと思った。

貴族のたしなみ、穴掘り?

 それにしても。蛇足だが、素手であんな風に土を掘ったりできるのか?ベランダガーデニングの土作りが遅れている私は、7人をいとも簡単に貴族の坊ちゃんのヤワヤワな手で土葬できた鳥辺野のフカフカの土を見て瞠目した。

 道長も手伝ったまひろも2人とも、道具も軍手もないのに、指は血だらけにもなっていないようだった。

 一緒に見ていた家族も「きっと鋼鉄の指なんだ」「打毬のように平安貴族のたしなみとして穴掘り競技があるんだ」などと言い出したが、あそこは鳥葬や土葬の弔いの場だから・・・積み重なる遺体が微生物に解体され、フカフカの培養土みたいになっていたってことなんだろうか・・・怖すぎる。よく足を踏み入れたものだ。

 本来だったら前の方の骨とか衣類とか分解に難がある物が、2人が掘るたびにザクザク出てきたんだろうな。死臭もしただろう。背景の木には、死者が着ていただろう衣服が風化したっぽい布も引っかかっていた(NHK、芸が細かい)。

 でも、そんな恐怖もお構いなしに、直秀らを運命づけた自らの浅はかな行動への悔恨に突き動かされて、道長は行動したのだろうね。まひろも逃げずに最後までいた。これは、普通の姫にはできないよ。

なぜ直秀は殺されたのか?

 道長が「余計なことをした」と言った、心付け。公式サイト(用語集 大河ドラマ「光る君へ」第9回より - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)によると、受け取ったのは看督長(かどのおさ)という検非違使長に属する下級役人で、牢獄の管理や犯人逮捕を行う役目があるそうだ。

 なぜ彼は、直秀らを殺すことにしたのだろうか。この看督長、以前に道長が誤認逮捕された時にいた人か?下っ端の放免の何人かはまひろの顔も覚えていて、お馴染みのようだったが。

 もし看督長が以前もいた人なら、道長に対して「あ~、前にも貴族様権限で解き放たれた右大臣家の坊ちゃんか」と、既に反感を持っていたかも。今回、道長があからさまに金に物を言わせたので、さらなる反感を買った可能性もある。同じ手を回すにしても兼家パパならもっとうまくやったんだろうが、狸寝入り中なので・・・。

 ネットで見た有力説は、この看督長が、道長に「手荒なことをしないでくれ」と言われたので⇒通常の鞭打ち30回や腕をへし折る刑を避け流刑にはなったが⇒流刑地に送る手間やコストを惜しみ⇒一座は殺された、というもの。

 そうなのかな・・・私は、まひろが先に看督長によって解き放たれたことが気になった。

 道長が心付けを渡した直後、道長は、偶然に捕らえられてきたまひろと乙丸を目にして「この者は私の知り合いゆえ身柄は預かる」と慌てて交渉し、看督長が「どうぞお帰り下さいませ」と縄を切ってまひろらを自由にした。そして、道長はまひろの手を引き、そそくさとその場を去ったが、見送る看督長の表情がねえ・・・。

 あの顔を見ると、当初「なぜそのようなお情けを」と訝しく思った看督長も「右大臣家の坊ちゃんの目的は女だったか、なるほどね」と合点し、「女を渡したのだから坊ちゃんは満足しただろう」と心付けの件は終わったと考えたのではないだろうか。

 だから、直秀ら一座に対しては、特に気にせず処断した、か。

 また、あの心付けの効力が直秀らにも及んだとしても、意味が逆に捉えられて念入りに吟味された可能性もある。余罪を調べていると言っていたから、通常は30回の鞭打ち刑のところ余罪が積み上がれば鞭打ち刑等は消え、流罪決定か。

 そこに、わざわざ一座を検非違使に引き渡してきた右大臣家が、心付けまでご丁寧に渡してきたのだ。散楽では散々右大臣家をバカにしていた一座だし。そこで、表向きは流罪、内々に処刑と決まったのでは。

 いずれにしても、道長はヘタを打ったってことなんだろうけど・・・でも、まひろは助かった。まひろが連行されてきた時、かなり心配そうだった直秀も、解き放たれたのを見てホッとしていた。彼はまひろを気にしていた。今思うと泣ける。

兼家始動、フィクサーは安倍晴明

 今回も、吉田羊の女御詮子様に「キャー」と叫ばせた時の兼家・段田安則の目が、権力奪取に向けて不気味にやる気満々だった。やっぱり兼家パパの謀略だった。

 こちらもキタキタキタキタと身構えたが、実は安倍晴明の策だったとは。兼家にはバカにされていたのに。・・・そうか、晴明はだからユースケ・サンタマリアなんだね。頭の中の野村萬斎は完全に消し去っておくよ。

 晴明に策があると持ち掛けられて「買おう」と言った時の、兼家パパの悪ーい生き生きとした表情が印象深い。右大臣様、お主もトコトン悪よのう。源雅信を取り込み兄らを圧倒していた詮子様でもまだまだ小玉、父親に及びもしなかった。

道長:ち・・・父上の病は偽りだったということでございますか?

兼家:内裏の殿上の間で倒れたところまでは真である。家で目覚めたが、目覚めなかったことにした。何故か。これは我が一族の命運に関わる大事な話じゃ。身を正してよく聞け。

回想の道隆:遅いではないか、晴明。

回想の晴明:瘴気が強すぎる。右大臣様と私だけにしてください。(気を失っている兼家の枕元で祈祷する。お不動様の真言が聞こえた)

回想の兼家:ううう・・・。

回想の晴明:右大臣様。気が付かれましたか?右大臣様。おお・・・ただいま皆様を。

回想の兼家:待て。わしはどうなる?このまま東宮懐仁様のご即位を見届けられず死ぬのか?

回想の晴明:そのようなことはございませぬ。安倍晴明が命懸けでご祈祷いたしておりますゆえ。

回想の兼家:帝には・・・(晴明に背中を支えられて起き上がる)速やかにご譲位いただき、懐仁様のご即位を急がねばならぬ。されど、帝は思いの外しぶとくおわし、わしには策が無い。

回想の晴明:策はございます。

回想の兼家:なんと・・・。

回想の晴明:私の秘策、お買いになりますか?

回想の兼家:買おう。

回想の晴明:されば・・・。

兼家:晴明は、このまま眠ったふりをしろと言いおった。そして内裏に亡き忯子様が怨霊となり、右大臣に憑りついたという噂を流した。晴明は自らその話を帝に申し上げた。愛しき忯子様の怨霊と知って帝は、おののいておいでらしい。のう道兼。

道兼:(誇らしげに兄らに少し視線をやってから)日々、涙ながらに憂いておられます。(父に頭を下げる道兼を、どういうこと?という視線で見る道隆、詮子、道長)

兼家:これから先が正念場じゃ。内裏でさらに色々なことが起きる。わしが正気を取り戻し、忯子様の迷える御霊が内裏に飛んでいき、彷徨っていると晴明が帝に申し伝える。忯子様の御霊を鎮め、成仏させるために帝が成すべきことは何か?これより力の全てを懸けて、帝を玉座より引き下ろし奉る。皆、心してついてこい

道兼、道隆:はっ。(道長、やや頭を下げるのみ)

兼家:詮子、源なぞ何の力もない。わしについてこなければ懐仁様ご即位は無いと思え!

 いつもは女御となった娘を「詮子様」と呼び、敬って会話をするのに今回は「詮子」。兼家の本音が出た。「帝を玉座より引き下ろし奉る」を聞いて、「日出処の天子」の蘇我馬子のセリフ「帝を弑し奉る」がバーンと頭に浮かんだのは、私だけじゃないはず。敬意が全くないすごいとしか言いようのない謙譲語(?たぶん)を久しぶりに聞いた。

 この時の道兼のドヤ顔が過ぎる。帝に取り入った手口を得意げに兄と弟に説明する場面も、虫唾が走る。DV気質丸出しだ。元々加害者側の人間だからこそ、上手に被害者ぶって振る舞うことができ、周りは騙され同情しがちだ。

 それに、愛する人を失って打ちひしがれる花山帝の弱みに付け込む人間のクズ、とんでもない奴だ。こんな兄からは距離を取りたいよね、道長。

 兄の道隆に、なぜ先に知っていたと問われた道兼は「兄上や道長より私が役に立つと父上がお思いになったからですよ」と大きく出た。そして「兄上や道長がのんびりと父上の枕元に座っている時に、私は体を張って父上の命を果たそうとしていたのです」と挑発した。

 子ども4人を前に真相を明かす兼家パパはド迫力。長男道隆、次男道兼は魅了された。だが、道長は、帝の亡き女御への哀惜の念を利用する心無い家族を前に、さらに心が離れそうに見える。驚きの陰謀は既に始まり、道長も片棒を担ぐことから逃げられない。次回、たまらんよなあ。

 詮子も無言だった。我が子の即位までは父親を利用しておこうと思うだろうが、彼女がまた、どう考えを巡らせるのか興味深い。

何となく・・・まひろの周りから人払い?

 今回は直秀惜別の回だったが、彼が去ったことで、まひろと道長の恋路が本格的にスタートすることになるのかもしれないと、先ほども書いた。

 あのグニャグニャしていた弟の惟規もそれなりに立派になり、大学の寮に入るため家を去った。あの時の父為時からのはなむけの言葉「一念通天、率先垂範、温故知新、独学孤陋」は、惟規が1つ分かった!と言って笑いを誘ったが、こちらも音だけパッと聞いても分からないものだ。花山帝への御進講といい、テロップを出してくれないかなあと時々思う。

 話がそれた。弟惟規が家を出て、父為時も「高倉の女のもとにお出かけ」で家を空けるのだよね・・・惟規乳母いとの嫉妬を買いながら。今後、長く帰ってこないらしい。

 となると、乙丸や、いと等の雇人が在宅するとしても、まひろはかなり自由だ。道長との恋の進展に、その自由の意味するところは・・・次回も見逃せない。小麻呂ちゃん登場も、また期待している。

(ほぼ敬称略)

【光る君へ】#8 母の仇・道兼来訪に大緊張のまひろ一家・・・やはり言えないよね

まずは小麻呂情報から

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第8回「招かれざる者」が2/25放送された。先ほど(3/2の土曜日)再放送もあった。今回は、日曜日に忙しくて見られなかったので、ようやく落ち着いて見られた(録画やNHK+を見ればいいじゃんね、とは思うけれど・・・ほら、東京タワーはいつでも登れると思うといつまでも行かないって言うでしょう?あれと同じ)。

 さて、こちらは元々我が家の王子様猫を愛する猫ブログなので(一応今も)、前回の平安ポロ会場でずぶ濡れになって行方をくらました小麻呂😢(左大臣家の倫子様飼い猫)がかなり気になっていた。

 そしたら、テーマ曲後にドーンと小麻呂登場!生存確認できた全国の小麻呂ファンは、安堵で胸をなでおろしたことでしょうよ。小麻呂のおかげで物語は良い感じに転がり大活躍だし、それだけNHKも小麻呂ファンに気を遣ったってことかな。

 ところでこの小麻呂ちゃん。YouTubeで人気の「タイピー日記」(タイピー日記/taipi - YouTube)に出てくる「おぎん」くんに似てる。小麻呂ちゃんが出てくるたびに「おぎんこ~」と心の中で思ったりしてしまう。私だけかな。

 ではでは、公式サイトからあらすじを引用しておこう。

(8)招かれざる者

初回放送日: 2024年2月25日

倫子(黒木華)たちの間では、打きゅうの話題で持ち切り。斉信(金田哲)らの心無いことばを聞いたまひろ(吉高由里子)は心中穏やかでない。そんな中、宮中で兼家(段田安則)が倒れる。安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)のおはらいが行われるが効果はなく、道長(柄本佑)ら兄弟が看病にあたる。一方、為時(岸谷五朗)を訪ねて道兼(玉置玲央)がまひろの家に突然現れる。母のかたきと対じすることになったまひろだったが…((8)招かれざる者 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 時は寛和元年(985年)。このドラマは、ずいぶんとゆっくり進んでいる気がする。昨年の「どうする家康」は、お馴染みの戦国時代で、さらに超有名人の家康が主役だったから行く末が見えてしまい、「瀬名の話にこんなに尺を取っていて家康の最期まで辿り着けるか」と気を揉んだ・・・が、ちゃんと終わった。

 見慣れぬ平安の世を進むこの「光る君へ」も、大石静脚本だし、きっと良い頃合いで進んでいるのだろう、心配することない。今まで「源氏物語」の方に気を取られ、作者の周辺に興味を持たなかったのは何故だったのか不思議なくらい面白いし。今や、何をどう描くのか、勝手に妄想を膨らますのが楽しい。

 さて、オープニング前は、数え16歳のまひろと20歳前後の道長が、互いに相手を思う夜が描かれた。「少女漫画大河」と誰かが言っていたけど、確かにピッタリなお年頃だ。

 まひろは心の中で「もう、あの人への思いは断ち切れたのだから」と、自分に言い聞かせている。そうじゃないと思うけどなーと、見ているこちらはニヤニヤしながら思う。

 道長も、打毬の日にチラ見したまひろを思い返している。しかしあの日、彼の切れ長な横目が発するラブラブビームにしっかり絡め捕られたのは、倫子様と、しをり。

 女子トークの場で、公任推しの茅子と道長推しの、しをりが言い争う中「私もあの日の公任様は大人しかったように思います」と冷静を装って割って入ったのは倫子だったが、後で両親から婿入りの話をされた時に彼女が「道長様💕」とつぶやき、ポワンと頬をピンクに染めていたのが乙女チックで可愛かった。これまた見ていてニヤニヤだ。

 この女子トークの最中に、行成の代わりに急遽打毬に駆り出された直秀を「猛々しくもお美しい」と褒めた赤染衛門が言ったセリフがさすがだった。

赤染衛門:人妻であろうとも心の中は己だけのものにございますもの。そういう自在さがあればこそ、人は生き生きと生きられるのです。(茅子としをりがキャ~と歓声をあげる)

 そう、口に出すのはまた別だと思うけれど心は自由。まひろは真顔で赤染衛門を見つめていた。クリエイターとして心に響いたんじゃないか。

直秀と友になりたかった道長

 貴族のナリをした直秀が、F4と一緒に歓談していたのには驚いた。まあ、「道長の最近見つかった弟」という体で打毬を無理やりやらせた以上、それだけでサヨウナラという訳にも行かなかったのかな。

 でも、直秀と友達になりたかったにしても、道長は自分の住む世界に彼を引き込むのはNGじゃないかな・・・直秀には刺激が強すぎる。F4に再度会わせるなどは止めた方が良かったよね。

 道長は、宿直で自分が射た盗賊ではないかと直秀を疑った。いや、確信に近かった。だから、聞くことは聞いて、釘を刺したつもりだったんだろう。でも・・・だとしたら大甘だなあ。

直秀:兄上。

道長:ん?

直秀:私は身分の低い母親の子ですので、このようなお屋敷は生まれて初めてです。ぜひ、お屋敷の中を拝見しとうございます。

斉信:東三条殿は広いぞ。東宮の御母君・詮子様も時々お下がりになる。

公任:酒の後、ゆっくり案内してもらえ。

(略)

直秀:兄上。

道長:はあ、ここには誰もおらぬ。兄上は止めておけ。

直秀:西門の他にも通用門はあるのか?

道長:なぜそのようなことを聞く。

直秀:なぜと言われてもな・・・ただ、広いな~と思っただけだ。

道長:今日の直秀は、別人のように見えるな。

直秀:俺は芸人だぞ。何にだって化けるんだ。

道長:ハハ・・・そうであったな。ところで、左腕に傷があったがいかがした?

直秀:散楽の稽古でしくじった。

道長:矢傷のように見えたが、何か刺さったか?

直秀:(道長を真っ直ぐ見ながら)稽古中、小枝が刺さったのだ。俺らしくも無いことで、我ながら情けなかった。

道長:ふ~ん。

直秀:東宮の御母君のご在所はどこかな?

道長:お前は、藤原を嘲笑いながら何故そのように興味を持つ。

直秀:よく知れば、より嘲笑えるからだ。(毬でキャッチボールする道長と直秀)

 道長が直秀に盗人を止めてもらいたいとして、何を言えたかな。もっと突っ込まなくちゃ!「友だと思うお前を、盗賊として捕えたくないんだ!」とハッキリ言っちゃえよ~とも思う反面、いやいや、言えないでしょ、あれぐらいしか道長には言えないとも思う。

 道長は、貴族仲間や家族など、本来彼が居るべき場所に居てもいつも居心地が悪そうだ。右大臣家など諸々に対して自分が抱く鬱屈を理解して話ができる相手に、直秀がなってほしいと期待していたのだろうね。

 しかし、それは直秀からすると無理な話じゃないのか。

 道長と話しながら、直秀は、盗みの下見とばかりに東三条邸の通用口などを確認していた。それも仕方ない。持たざる人が、こんなにもふんだんに持っている人の暮らしを目の当たりにしたら、怒りさえ湧きあがろう。

 これは直秀の立場、彼の感情に無頓着な道長の罪だ。直秀を守るためにも、道長には可哀そうだけれど、相応の距離は置くべきだったんじゃ?

 後日、直秀が捕らえられた時、道長は苦悶の表情を浮かべた。でも、なんで盗賊を止めないんだと一方的には直秀を責められないよね。むしろ、エサを撒いたのは自分。自分の愚かさで友を失うんだと自分をも責める、ないまぜの感情があの表情だったのではないか。柄本佑が素晴らしかった。

直秀がまひろにプロポーズ?

 直秀は「なぜ打毬に出たの?」とまひろに聞かれて「奴らを知るためだ」と答えた。「散楽に生かすため?」といかにも気軽に聞くまひろは、無邪気な少女だ。(ついでに従者の乙丸も無邪気よな。散楽メンバーと楽し気にしゃべってる💦)

直秀:都の外は面白いぞ。

まひろ:直秀は、都の外を知っているの?

直秀:ああ。丹後や播磨、筑紫でも暮らしたことがある。

まひろ:(立ち上がって)都の外はどんなところ?

直秀:海がある。

まひろ:海?見たことないわ。

直秀:海の向こうには、彼の国がある。晴れた日には海の向こうに彼の国の陸地が見える。海には漁師がおり、山には木こりがおり、彼の国と商いをする商人もいる。都のお偉方はここが一番だと思ってふんぞり返っておるが、所詮、都は山に囲まれた鳥籠だ。

まひろ:鳥籠・・・。

直秀:俺は鳥籠を出て、あの山を越えていく。(とんびの鳴く声)

まひろ:山の向こうの海があるところ・・・。

直秀:一緒に行くか?(真剣にまひろを見つめる)

まひろ:・・・行っちゃおうかな

直秀:フフ・・・行かねえよな。

 まひろは「海」に大いに好奇心を刺激され、「鳥籠」に逃げた雀と母の言葉を思ったかもしれない。そんな風に思わせる表情が吉高由里子は本当にうまい。

 「都の外は面白いぞ」「一緒に行くか」と誘う直秀の言葉はプロポーズとも聞こえる。将来、父に付いて紫式部が「山の向こうの海がある」越前に赴くのも、この影響からなんだろう。

 ここまで、推しの直秀のことを散々ブログでも書いてきたが、次回がとにかく恐ろしい。なるべく事前に物語情報を入れないようにしているつもりだが、不吉な予感しかない。

 公任を演じる町田啓太のキラキラした雰囲気と違い、毎熊克哉には薄っすら悲しさが漂っていて、「どう家」の大岡弥四郎といい、悲劇が似合ってしまうからなんだろうな。せっかく人気なんだし、オリジナルキャラをそんなに早く消し去らないよね?と期待したいけれど・・・。

左大臣家の本音

 もったいつけても史実だし。道長の左大臣家への婿入りは、円融帝の女御・詮子の左大臣を東宮の後ろ盾へと取り込みたい思惑と、兼家のそれぞれの思惑とが合致して滞りなく進み・・・と思ったら、倫子を溺愛する左大臣その人は反対のようだった。

 左大臣源雅信は、妻穆子(むつこ)との会話で本音を言っていた。

雅信:藤原道長はまだ従五位の下、右兵衛権佐(うひょうえのごんのすけ→つまり「鎌倉殿の13人」で源頼朝が当初呼ばれていた佐殿!)だぞ。そのような下位の者を倫子の婿にできるか。

穆子:でも、右大臣家の三男でございましょう?偉くおなりになるのは間違いありませんわ。

雅信:義懐らが力を持てば、何がどうなるか分からぬ。それに、右大臣家は好まぬ。関白家の嫡男・公任殿なら考えんでもないが。

穆子:関白家の公任殿は見目麗しく目から鼻に抜ける賢さで、おなごにも大層マメとの噂です。そういう遊びの過ぎる殿御は倫子がさみしい思いをしそうで、私は嫌ですわ。

雅信:右大臣家の三男とて、先日の打毬の会では姫たちに大層騒がれたそうではないか。赤染衛門がそう申していた。

穆子:あなた・・・衛門と2人でお話なさったの?

雅信:(アワアワして)廊で会えば話ぐらいするであろう。

穆子:何か・・・オホホホ、嫌。

雅信:わしは今、何を言おうとしていたのだ。お前が変なことを言うから分からなくなってしまった。ああ、そうであった。わしは右大臣のあのガツガツした風が何より嫌なのだ。父親を見れば息子たちは自ずと分かる。詮子様とて右大臣にそっくりだ。右大臣のひな型など、この家に入れたくはないのだ。

 左大臣と、心は自由な赤染衛門の秘密が垣間見れたような気がするが、左大臣は右大臣をここまで嫌っていたか。倫子様の希望は道長一択なのに。

まひろと倫子は、明石の君と紫の上?

 改めて、公式サイトにある倫子の人物紹介を読んでみたら、こう書いてあった。

道長の嫡妻 源 倫子(みなもとのともこ)

黒木 華(くろき・はる)

藤原道長の嫡妻。源雅信の娘で、宇多天皇のひ孫。おおらかさと強さを併せ持つ女性。まひろ(紫式部)とも交流があり、不思議な関係が築かれていく。

 「不思議な関係」って何だ。ネットで見た、まさかあの説が・・・?

 史実では結婚していないとされる紫式部と道長。だが、このドラマではかなり互いに思い合っている。こうなったら結ばれないのはむしろ無理難題なんじゃないかと、私は考えている。

 それは皆さんも同様らしく、このドラマでは、まひろは「源氏物語」の明石の君の存在になるのではないかとの面白い説が、ネットのどこかで唱えられていた。えーと、URLがどこだったか・・・💦

 「源氏物語」では、身分は低いけれど教養深い明石の君が、光源氏の娘を産む。その姫君は光源氏の正妻格の紫の上に引き取られ、貴婦人として養育され、帝に入内して明石女御となり、将来は国母にもなる。入内の際には実母の明石の君が女房となって付きそったが、これは紫の上の明石の君への配慮からだった。

 つまり、ドラマでは・・・身分が低いまひろが道長の娘を産み、その娘彰子が嫡妻の倫子に引き取られて貴婦人へと育てられ、一条天皇に入内するとしたら・・・実際に、まひろ(紫式部)は彰子の女房になるのだから明石の君との一致点は多く、話としてもかなり面白い。

 そういえば、明石の君って琵琶の名手だった!まひろも、母譲りの琵琶を今回も奏でていたね。明石の君も、父親の明石の入道が琵琶の名手、それにどうして気づかなかったか・・・!

 こちらのサイトにも琵琶の話でそんなことが書いてあった。

 この4人の女性の中で一番、身分が低いのが明石の君。一時、都落ちしていた光源氏と結ばれ、女児にも恵まれますが、そのわが子(明石の女御)も紫の上の養女になって入内し、今や別世界の住民です。そうした高貴な人たちに囲まれてても物おじせず、教養深く、落ち着いたたたずまいを見せるのが明石の君でした。

 同じように決して身分が高いとは言えず、しかし才能は絶賛された紫式部本人と重なり合う部分も多いようにも思えます。明石の君は、紫の上や六条御息所のように目立つキャラクターではありませんが、ここぞという場面で「神さびたる」と形容するほど、紫式部が深い思い入れを持ってその人物像を創り上げたことが伺われる存在です。その彼女を象徴する楽器が琵琶でした。

 明石の君の父親で、光源氏と娘を結びつけることに力を尽くした明石入道も琵琶の名手で、光源氏の琴と合奏したこともあります。この点もまひろと母親のちやは、とは相似形です。

 まひろと琵琶の胸を打つシーンは、こうした明石の君を巡る様々なエピソードから生まれてきたものかもしれません。(【光る君へ】第8回「招かれざる者」回想 まひろが琵琶に寄せた母への想い 「源氏物語」光源氏の邸宅に響いた琵琶の音 紫式部も尊敬の赤染衛門 – 美術展ナビ (artexhibition.jp)

 琵琶を通じて、まひろとちやは、そして明石の君と明石の入道が相似形。それが琵琶だけの話に止まらないとしたら、確かにまひろと倫子は、彰子を挟んで「不思議」とも言える関係を築くことになるだろう。そうか、その方が絶対に面白そう✨✨

 宣孝との結婚で生まれる賢子が、実は道長との間の子で宣孝との結婚はカモフラージュ!という説も捨てがたいけれど、まひろ=明石の君説の方が、より「源氏物語」を踏襲しているし、ドラマチック。いや、欲張りかもしれないけど両方取りでもいいよ・・・益々先が楽しみだ。

兼家パパの陰謀、怖すぎる

 前回、まひろの為時パパは、バカ正直にも、花山帝への間者を辞めて右大臣兼家の手を離れたいと兼家に宣言してきてしまった。今回は、それによって兼家の魔の手が為時にも伸びてきてしまった。

 そうか、そろそろ兼家による花山帝退位への仕掛けが始まったか。

 兼家は、自分の手を離れた為時には容赦がない。その悪魔の使者は道兼だ。ほとほと道兼はまひろ一家にとって疫病神だ。事件当時、色々と揉み消した兼家は、当然為時の妻(まひろの母)が道兼の被害者だと知っているだろう。知ってて道兼を差し向けるんだから、本当に残酷な人だ。

 まひろと道兼の対決は後で書くとして、そこに至る経緯を振り返る。花山帝は、叔父の義懐を従二位に上げ、さらに権中納言にもし、関白にもしようとしていた。つまり、現在権力を握る貴族たちにとっては横車を押される状況が迫っていた。

 そして、寛和二年(986年)の年が明け、義懐は公卿の面々を前に、花山帝の意向として「陣定を当分の間、開かぬこととする」と宣った。公卿のお歴々へのお役御免宣言に等しい。

 これに対して、大声で異論を唱えたのが右大臣兼家だった。

右大臣藤原兼家:権中納言義懐、勘違いが過ぎるぞ!

左大臣源雅信:その通りだ!帝がそのようなことをお考えなさるはずがない!

藤原義懐:帝の叡慮に背くは、不忠の極み。

兼家:(立ち上がり)不忠とはどちらのことだ。帝のご発議もまず陣定にて議論するは古来の習わし。また時に帝とて誤りを犯されることはある。それをお諫め申さぬままでは、天の意に背く政となり世が乱れかねぬ。帝がお分かりにならぬとあれば、なぜそなたがお諫めせぬのだ!これより、帝をお諫めに参る。関白様、左大臣様。

雅信:うむ。

義懐:待たれよ。帝は本日は御不例にて。

兼家:どけ!(義懐を突き飛ばしたが、体調に異変が起き、倒れる)

 兼家は、興奮して頭に血が上ったか。花山帝は「右大臣め、いい気味じゃ、これで目の上のたんこぶが居なくなった」と喜んだ。「これは天の助け」と言った義懐には、しかし、まひろの父・為時は咎めるような視線を向けた。

 「このままでは命が危うい」と言われ寝込んだ兼家だったが、いかにも怪し気。気を失っていたのに、道兼にのみ目をカッと見開いたのだ。この後は映らなかったが、花山帝を引きずり下ろすための指示を、道兼に飛ばしたのだろう。道兼はすぐに行動に移る。

 まずは花山帝に近づき信頼を得なければならない道兼。帝に自作自演を疑われないように周到に両腕に打擲の痕を付け、人の善い、まひろパパ為時に接近。わざわざ傷を見せて「父に疎まれている」と同情を買った。

 花山帝の疑いの目を凌げるほど、道兼の芸は細かい。そこまで兼家が病床で指示できたか?道兼が、父の意を汲み、虐げられた息子としての芝居を打っているのかな。

 怪しげな力で道長を助けた安倍晴明も、一枚噛んでそう・・・もしかしたら、兼家が倒れたのも、始めから全部嘘か?頭に血が上ったのも嘘だった?

 花山帝に道兼の「苦境」を伝え、引き合わせてしまった為時。「どこへ行っても私は嫌われる」と訴える道兼は怪しいけれど、為時は道兼を可哀そうだと思ったんだね。妻の仇なのだが、同情してしまって踊らされてしまうのだね・・・。

 まひろが弟の惟則に「父上はこんな争いに巻き込まれたくないの。静かに学問を究め、学問で身を立てたいだけなのよ」と説明した時の、為時の顔。まひろの言葉に縛られている?とも思うが、娘の理想の父でありたいだけの善人なんだなと思った。

まひろ~!さすがに言えないか

 ということで、道兼はさらに為時を懐に抱き込むために酒を持参してまひろ宅に来訪。事情を知る乳母を含め、一家は心臓をつかまれたように真っ青だ。御方様を無残にも殺した張本人を、心から歓迎できるわけがない。

 今回のクライマックス、一家vs.道兼の心理戦にはドキドキした。

乳母いと:お帰りなさいませ。

為時:うん。いかがした。

いと:それが・・・(無理やりに為時を人陰に連れていく)

為時:誰か来ておるのか?顔が青いぞ。

いと:藤原道兼様が・・・お酒もお持ちになり、為時殿と飲みたいと仰せになって。

乙丸:御戻りでございます!(まひろ帰宅)

為時:(まひろの前に立ちはだかって)お前は今少し外におれ。乙丸。

道兼:為時殿。

為時:これは失礼をいたしました。

道兼:ご息女か?

まひろ:(礼をして顔を上げ、来訪者が道兼と知って固まる。屋敷内に走って逃げる。心配気に見送る為時、いと。まひろは自室で息をつき、琵琶に目をやる)

道兼:(リラックスして酒を飲みながら)ああそうか、息子は間もなく大学か。大変じゃな。

為時:は。(うつむいている)

道兼:為時殿の息子なら、聡明であろうから心配は要らぬか。

為時:いえいえ、それがさっぱり。(酒を勧められる)あ、私はもう。

道兼:つまらぬな。せっかく訪ねて参ったのに。

まひろ:(琵琶を持ってしずしずと廊を進んできて座る。琵琶を置き、礼)このようなことしかできませぬが・・・お耳汚しに。(琵琶を弾く。母の姿が脳裏に蘇る。無言ながら、まひろを気遣う為時)

道兼:はあ、見事ではないか。体中に響き渡った。琵琶は誰に習ったのだ?

まひろ:母に習いました

道兼:母御はいかがされた?(緊張する為時)

まひろ:母は・・・(記憶の中で道兼に刺される母ちやは)7年前に身まかりました

道兼:それは、気の毒であったな。ご病気か?

まひろ:(血だらけの道兼の顔を思い浮かべつつ)・・・はい。(厳しい表情の為時、いと。まひろ、表情を動かさず礼をして)失礼いたしました。(去る)

道兼:(為時に)麗しいが、無愛想じゃな。

為時:申し訳ございません。

道兼:おい、そなたもどうじゃ(いとに。いと、礼)

為時:お捨て置きくださいませ。

道兼:楽しく飲もうと思うたが・・・ハハ、真面目な家じゃ。ハハハハハ(為時、微妙に憤然とした表情)

 五節の舞姫を務めた時に道兼を見つけたまひろは、もし隣に三郎が居なかったら「人殺し!」と叫んでいたかも・・・と道長に告白していた。

 今、道兼の隣には道長はいない。道兼の前に進み出た時、まひろ、言っちゃうのか?と固唾を飲んだが、形見の琵琶を奏で、母の死について道兼に問われた彼女は、無表情で言いたい言葉を飲みこんだ。

 本当は、「おまえじゃ~ミチカネ~!おまえが殺したんじゃ~!」と言いたかっただろう。いや、全視聴者が言いたかったはず。

 まひろは言えるわけがない。もしも、まひろが真実をぶつけたとする。青ざめた道兼は去り、その代わりに右大臣家の武者どもが、まひろ一家を潰しに来ただろう。右大臣家の名誉を守るためとあらば、その程度の犠牲を犠牲とも思わず実行しそうだ。

 結局、弱い者はこうやって長いものに巻かれるしかないのか。

 まひろは、道長の「一族の罪を詫びる。許してくれ」「俺は、まひろの言うことを信じる」という言葉を、涙しながら思い出していた。そこにやって来て、「よく辛抱してくれた」と頭を下げる父に、こう言った。

まひろ:私は道兼を許すことはありません。されど、あの男に自分の気持ちを振り回されるのはもう嫌なのです。それだけにございます。

 あの男とは果たして道兼だけか。道長も?悲しいなあ、まひろ。でも、前回の平安ポロの日の「品定め」での会話に、道長は賛同してなかったからね、誤解しただろうが。

 次回予告を見たら、まひろは両手を縛られ荒っぽく連行されていた。そして従者の乙丸が、道長従者の百舌彦と並んで走っていた。こうなると、道長がまひろを助けるんだよね?しかし、直秀の件は気が重い。

(ほぼ敬称略)

【光る君へ】#7 平安のポロ・打毬は楽しそう、だが残酷なボーイズトーク

猫・小麻呂は無事か?火事は大丈夫?

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第7回「おかしきことこそ」が2/18に放送され、平安時代のポロ・打毬がとーっても楽しそうだった。やってみたい。まず馬に乗れなきゃだけど。かの時代の文化がこうやって贅沢に再現され、それを見る幸せを、毎週感じている。

 しかし・・・猫の小麻呂が~!ずぶ濡れだったじゃないか~!まひろが男どもの「雨夜の品定め」(「源氏物語」のような宿直の夜じゃなかったけど)にいたたまれずその場を離れたのは、「え~そんなひどすぎる😢」とショックを受けがちな乙女の気持ちとして分からないでもないが、探していた小麻呂はどうしてくれるの?雨の中、放って帰っちゃうの?それはないよね?

 左大臣家の一の姫・倫子様が可愛がっている猫だから、まひろだけでなく、きっと従者とかが大挙して探しているはずだと思うけど(というか、なぜまひろが出しゃばって探す?)、雨水が苦手な猫は多いし、当時の環境では逃げた飼い猫には厳しかろう。猫好きをかなり心配にさせる設定だった。

 まひろ、本当に小麻呂に何かあったらどうしてくれるんだ(怒)。まあ、あのような広場に小麻呂を連れて行った倫子が悪いし、小麻呂の導きが無ければまひろはボーイズトークを立ち聞きできなかった。だけどね・・・「私が(探す)」と言ったのだから、まひろは最後まで責任を持って探してやってほしい。せめて「ここで追いかけたんですけど見失って」とか、誰かに情報を引き継いでほしい。

 今週は猫の日(2/22)もあった。小麻呂の安全が気になって、全然物語が入ってこない猫好きは結構いたと思う。

 もう1つ気になったのが、まひろが燃やした道長の恋文の燃え殻。落ちていった先に枯れ草が見えて、えええー火事になる!とギョッとした。あれ大丈夫?盛り上がっていいシーンになるはずだったのにこちらは気もそぞろ、台無しだ。

 手紙を燃やすなら、はっきりと火鉢とか水たまりの上で燃やしてちょうだいね。あんな大きなお袖をしているのだし(事前にずぶ濡れになっていたが)。もし、まひろの家が全焼したら、道長の手紙を燃やしておセンチになってる場合じゃない。・・・いや待て、次回、火事になることで物語が動くんですか?だったら伏線として仕方ない。

 しかし、まひろ、道長に返事を書かなかったんだね。お手紙に返事を書かないって当時はかなり非常識なのかと、で、お返事必須だからこそ、以前まひろがやっていたような手紙の代筆業が成り立つのかと思っていた。違うのかな・・・これも伏線だったりして。

 道長はまひろに「振られた!」と言ってはいたものの、従者・百舌彦が手紙の返事が来ないのはおかしいからとやっぱり考えて、確認しようと乙丸と接触して「ええ!三郎は右大臣家の若君だったんですか~」みたいな展開になったりして?

 まあ、従者が目端の利かない二人だからこそ、物語として面白くなるんだろうね。

 さて、先に進む前に公式サイトからあらすじを引用する。

(7)おかしきことこそ

初回放送日: 2024年2月18日

道長(柄本佑)への想いを断ち切れないまひろ(吉高由里子)は、没頭できる何かを模索し始める。散楽の台本を作ろうと思い立ち、直秀(毎熊克哉)に直談判。まひろの演目は辻で披露され、次第に評判を呼び大盛況に。噂を聞きつけた藤原家の武者たちが辻に駆けつけ大騒動に。一方、道長や公任(町田啓太)ら若者たちはポロに似た球技・打きゅうに参加する。招待されたまひろは倫子(黒木華)たちと見物に行くことになるが…((7)おかしきことこそ - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

直秀の正体に気づいた道長

 「光る君へ」版の「雨夜の品定め」が公任や斉信によって展開されていた打毬控室で、道長は直秀の腕の傷を見て自分が射た盗賊だと気づき、言葉を失っていた。宿直の時に「人を射たのは初めてゆえ」と、その手応えにショックを受けていたもんね。

 その時、同僚の貴族が平然と言ったセリフ「猪や鳥は射たことがおありでしたよね。同じことではございませぬか。相手は盗賊、猪や鳥よりも下にございます」「心の臓を射抜いておれば、今頃命を落としておりましょう」を思い合わせると、何とも考えさせられた。

 こういう事を平気で言う人たちに囲まれた環境にいながら、道長が自分なりの独自の感性や価値観を持ち続けられたのは何故だろう。亡き母・時姫の教えと、市井に出かけて民たちの姿を見ていたからだとは思うけれど。

 そういえば、兼家パパが安倍晴明への当てつけで道長に言ったセリフは、言葉面だけなら現代でも通じる。

兼家:人は殺めるなよ。人の命を操り奪うは、卑しき者のすることだ。

 兼家パパの場合、「卑しき人にやらせて、道長自らは手を出すな」が本意なんだろう。だが、当時のような厳然とした身分差が無い現代であれば、最初から卑しき人などおらず、皆への良きメッセージに聞こえる。兼家の言葉なのが意外なほどだ。

 さて、次回予告で「捕らえました!」と家人らが道長に報告していたが、その画面で抑え込まれていたのは直秀らだったようだ。つまり、散楽一座は右大臣家に盗みに入って失敗するらしい。今回、まひろが台本を書いて盛況だった散楽を蹴散らされて邪魔された恨みから、右大臣家に報復を試みるのかな。悲劇につながりそうで怖い。

 以前も書いたように、直秀のモデルになっているのは貴族だけど盗賊の藤原保輔(藤原保輔 - Wikipedia)かしらと思ったのだが、そうだとしたら、今回はまだ花山天皇が在位中の985年だ。保輔が史実で死ぬのは988年だから、もう少し先のはず。直秀、退場はまだ早いからね。

 今回、腹痛で打毬をドタキャンした行成の代わりに、ピンチヒッターとして道長が直秀を連れてきて「最近見つかった弟」と公任らに説明した。そこで直秀に貴族要素を持たせたのも、ムムム、もしかして保輔・・・と思わせた。違うかもだけど。

 しかし、保輔が初めて切腹した人物とか聞いてしまうと、直秀がそんなことになったらヤダなあ。

 でも、なぜ直秀は、いきなり上級貴族の遊びの打毬があんなにうまくできるのか?ただ身体能力が高いだけ?実はどこかの貴族の生まれだったりして・・・道長の弟なんてことはないにしても。

遠ざかろうとして、道長を引き寄せたまひろ

 今回のサブタイトルは「おかしきことこそ」だが、これをまひろに言ったのは直秀だった。前回も言っていた「私は道長様から遠ざからねばならない。そのためには何かをしなければ」の件での思索を深めるまひろが、思い返していた。

まひろ:(夜、ひとりで考えている)おかしきことこそ・・・。

回想の絵師:おかしき者にこそ、魂は宿る。

回想の直秀:笑って、辛さを忘れたくて辻に集まるんだ。下々の世界では、おかしきことこそめでたけれ。

(絵師の描いた、鳥獣戯画のような動物たちの絵・・・それを思うまひろ)

 道長から心の距離を取るため、何かをせねばとまひろが取り組んだのが散楽の台本だった。「狐に騙される猿たちの話よ。猿の顔をしているのは毎度おなじみ右大臣家の一族」とまひろが持ち掛けると、一座は乗った。

 が、それを採用した直秀らの散楽一座は、「藤原への中傷が過ぎる」と右大臣家の武者らの怒りを買って襲われた。いきり立つ武者どもを路上では見送った道長は、帰宅してから事を理解して「なぜ止めないのだ!」と激怒、武者らが向かった散楽の現場へ駆けつけた。

 そこで、まひろと再会する道長。じゃじゃーん。道長から遠ざかろうとしたまひろなのに、道長を引き寄せちゃったね。

 現場には検非違使の一行もご来場で、うろうろしていたまひろは、以前、道長が誤って捕らえられた時の放免に「お前、あの時の!」と、つかまりそうになる。そこを道長が割って入り、彼女の手を取り、現場から共に逃げるのだ。ワクワク。

 道長とまひろは、ここでどさくさに紛れて手を握る(!)チャンスに恵まれた。哀れ、倒れたまま顧みられない従者の乙丸・・・と思ったら、「邪魔をした」と言いつつ、2人が逃げた先に乙丸を連れてきたのは直秀。彼は道長の従者百舌彦の面倒まで見てくれていた。優しい。

 「帰りましょう、姫様!」と乙丸に強く言われ、まひろは道長とろくに会話もせずに帰ることになったが、この場の道長、やっぱり良いな・・・。「みんなに笑って欲しかっただけなのに・・・私が考えたの」というまひろに、「俺たちを笑いものにする散楽をか?」と静かに問い、「そうか、俺も見たかったな」と言うのだもの。懐の深さと共に、彼の悩みの深さも見せたね。

 見つめ合う2人、まひろもキュンとくるはず。もう、平安のロミジュリで良いと思う。

打毬しながらチラ見するふたり

 もどかしいまま別れた2人は、打毬会場でまた会うことになった。プレーしながら道長はまひろをチラチラ目で追う。まひろも道長を見たり、道長の視線を感じると猫を撫で、目を伏せたり忙しい。ああ、もどかしいこと。(チラ見は御簾があったら無理だったね。やっぱりドラマには邪魔か~💦)

 まひろは行かないと言っていたのに、何が行く気にさせたのかな。やっぱり物書きならではの好奇心だろうか。実際に見てみたい、と思ったか。それを言い訳にした恋心が絶対に裏にはあるけどね。

 ところで、あの姫様方に出された案内状は、斉信がまとめて出したのだろうか。気のあるファーストサマーウイカのききょうだけに出すのもなんだから、という理由でまひろにも来たということは、道長は案内状には関与していなかったっぽい。

 斉信は、花山天皇ご寵愛の妹が7月に死んだばかりなのに喪服を着るでもなく、「気晴らしに」と打毬で大っぴらに遊んじゃっていいのか。「女御様追悼打毬大会」だったのか?そういえば、女御の葬送の様子も描かれなかったが・・・。

 当時の服喪のルールがよく分からないが、源氏物語「薄雲」では藤壺女御が厄年の37歳で亡くなり、濃い鈍色の直衣姿の光源氏が出てくる。殿上人は皆が喪の黒に沈んだとの描写もあった。まあ、全部やっていたらキリが無いのだろう。

 打毬は、演者さんたちは馬にも乗れて屋外でかなり楽しそう。けれど、ずいぶん練習したんだろう。と思ったら、リアル公任の町田啓太は大した練習も無く一発OK!だったと、斉信役のはんにゃ金田がYouTubeで言っていた。はー、すごい運動神経だ。

 倫子様を筆頭に、居並ぶ姫君たちも美しかった。このドラマでは、あえて上級貴族でも姫君が堂々と御簾を降ろさないから、姫様方のカラフルなお衣装の袖口が御簾からこぼれて雅だわ~という話も無く、ダイレクトに姫様方の品評会が控室の公達の間で始まってしまった。

斉信:ハハハハ・・・姫たち、だいぶ慌ててたな。

公任:牛も暴れていたしな。(控室に皆で駆け込んできて着替えが始まる。まひろ、隠れて聞いている)いや~直秀殿の杖の振りは見事だったな。ハハ。(直秀、無言で外を見る)そういえば、漢詩の会の時のでしゃばりな女が来ていたな。斉信のお気に入りの。

斉信:ああ、ききょうだけ呼ぶのはマズいから、漢詩の会にいたもう一人も呼んでおいたよ。

公任:ああ、為時の娘か。

斉信:うん。

公任:あれは地味でつまらぬな。

斉信:ああ、あれはないな。

道長:斉信は土御門殿の姫に文を送り続けていたんじゃなかったっけ?

斉信:今日見たら、もったりしてて好みではなかったわ。

道長:ひどいな。

斉信:ききょうがいいよ。今はききょうに首ったけだ。

公任:だけど、女っていうのは本来為時の娘みたいに邪魔にならないのが良いんだぞ。あれは身分が低いからダメだけど。

斉信:まあ、ききょうも遊び相手としてしか考えてないけどな。

公任:俺たちにとって大事なのは恋とか愛とかじゃないんだ。いいところの姫の婿に入っておなごを作って入内させて、家の繁栄を守り、次の代につなぐ。女こそ家柄が大事だ。そうでなければ意味がない。そうだろ?道長。

道長:(聞いていなかったか)ん?

斉信:関白と右大臣の息子なら引く手あまたというところか。まあ、いずれにせよ家柄の良い女は嫡妻にして、あとは好いたおなごのところに通えばいいんだよな。

公任:斉信の好いたおなごは人妻だろ。

斉信:えっ、そうなの?

公任:知らなかったのかよ。

(まひろ、いたたまれず去る。その姿を扉近くに立っていた直秀が見つける。道長は直秀を見て、腕の傷に気づく。)

 いやあ、明け透けなボーイズトークだった。公任の上級貴族男子の哲学「女こそ家柄」は、まひろにはどう聞こえたか。

 以前、三郎(道長)が貴族ではないと思い込んでいた頃、まひろは「身分なんかいいのに」とお気楽だった。でも、自分が右大臣家から低く見下げられる側になってみて、そして道長への恋心が募る今となってみると・・・つらいねえ。

 こういう王道の身分違いの恋が描けるのが時代劇の良いところ。大河ドラマなんだけど、人間を描くのだもの、こういうラブ要素もあっていいよね。(その点、申し訳ないけど昨年の「どうする家康」は築山殿だけに集中、他のあまたの側室がなおざりで残念だったな・・・。)

まひろパパ為時の行く末が心配

 長いものに巻かれるのが常道の、バランス感覚の優れた人たちからしたら信じられないような行動を、今回、為時がやらかした。帝を欺き奉る間者は辛いから止めたいと、いずれ権力を握るに決まっている次の天皇の祖父である兼家に、正面切って言ってしまったのだ。

 何を考えているのか、とこちらも青ざめる思いだったが・・・これは、為時が妻を失った辛さを良く知っているからだと思う。

 妻を殺されても、涙を呑んで右大臣家の次男坊を殺人者とすることはできなかったあの時。今、最愛の女御を失った花山帝の姿をお側近くで見ているからこそ、あの頃の自らの辛さが心中に蘇り、右大臣のために間者として働くことがこの上なく辛くなってしまったんじゃないか。

 (それにしても・・・女御を失っても死穢の関係でご遺体にも触れられない花山帝はおいたわしい限りだが、泣き伏す時に手にしていたのは、あの女御の手をぐーるぐるにしていたリボンでは?彼女を偲ぶアイテムがアレなのね?w)

 もちろん、為時が言ったように花山帝が曇りなく自分を信じているという負い目もあるだろう。けれど、ベースには右大臣家は仇であるという意識が、妻の死を思い出すことでより強く意識の表面に浮かび出てきたのではないか。

 それに前回、まひろの覚悟を聞いてもいた。仇の右大臣家にだけ繋がりがあるのは嫌でございます、だから左大臣家にもつながりを持ち続けるためにサロンにも通います・・・みたいな。だから「喜べまひろ」と言ったのだろう。

 見ているこちらは花山帝の退位が近いと知っているから、まひろ一家の経済がいきなり心配だ。イケオジ宣孝や乳母いとが「今すぐにでも東三条邸に行って取り消して来い」という言葉につい賛同してしまう。でも、倫理に通じた学者さんなんだもんねー。

 為時は今は帝の側近としての給料もあるのだろうし、右大臣からの間者手当が無くても暮らしは大丈夫だと思っちゃったか。そんな計算は出来ないか。先を読んで行く宣孝のような能力が無い、学者一辺倒の人物はつらいね。

 それにしても、乳母の立場でいとが為時にあそこまで言うか!と宣孝もまひろも戸惑っていたような。まあ、いつの間にか嫡男の乳母だけじゃない立場に、彼女もなっていたってことなんだろうな・・・(ゲスの勘繰り)。

気弱になった?兼家

 為時が右大臣兼家に間者を辞めたいと申し出をした場面は、兼家の考えは役者さんがどっちにもとれる表情をするものだから、裏があるのかどうなのか、よくわからなかった。つまり、段田安則の演技がうますぎて、煙に巻かれた。

兼家:帝のご様子はどうじゃ?

為時:日々、お気持ちが弱られております。

兼家:それだけか?

為時:今日は一日、伏せっておいででした。

兼家:近頃さっぱり注進に来ぬゆえ、いかがしたのかと思っておった。

為時:申し訳もございません。帝のご様子をお知らせすることが・・・苦しくなりました。

兼家:ん?(初めて為時の方を見る)

為時:右大臣様の御恩は、生涯忘れません。されど、この御役目はお許しくださいませ。帝は私のことを心から信じておられます。これ以上、帝を偽り続けますことは・・・どうかお許しくださいませ。(深々と頭を下げる)

兼家:(為時に歩み寄って)そうか、そんなに苦しいこととは知らなかった。長い間、苦労を掛けたな。(ポンポンと首のあたりを叩く)(為時が体を起こして兼家を見る)もうよい、これまでといたそう。(にこやかに、為時の目を見て笑い、去る)(為時が再度、深く礼をする)

 兼家の「これまでといたそう」と最後に言った際の笑みを、どう理解すべきなのか。お前、これから俺の世になるというのに、分からんことを言う奴だな・・・と面白がっているのか。バカな奴、と憐れんでいるのか。

 ただ、本心から「そんなに苦しいこととは知らなかった」と言い、為時を役目から解き放った可能性も全く無いわけじゃないようにも思った。

 兼家は、怖くなったようだったし。女御まで殺すことはなかったと、安倍晴明を難詰していた。

兼家:詫びることは無いのか?

安倍晴明:お褒めいただくことはあると存じますが。

兼家:腹の子を呪詛せよとは言うたが、女御様の御命まで奪えとは言うてはおらぬ。やり過ぎだ。

晴明:さようでございましょうか?腹の子が死すれば皇子の誕生はなくなり、女御様もろともに死すれば、帝は失意のあまり政を投げ出されるか、あるいは再び女にうつつを抜かされるか・・・どちらにしても、右大臣様には吉と出ましょう。この国にとっても吉兆にございます。

兼家:長い言い訳じゃのう。

晴明:いずれお分かりになると存じますが、私を侮れば、右大臣様御一族とて危うくなります。

兼家:ほほう。

晴明:政を為すは人。安倍晴明の仕事は、政を為す人の命運をも操ります。

兼家:お前の仕事はただ財のためだ。そんなことは前からお見通しだわ。褒美が足りないなら、そう申せ。もったいぶりおって。

 この後の安倍晴明の道長へのまなざしが大いに気になったが、兼家パパは、呪詛の結果は依頼した自分が負うものと怖くなっていたのだとは思うけれど、晴明の力を信じていたのかいないのか、イマイチよくわからない人だとも思った。

 力を信じればこそ、呪詛を頼みもし、やり過ぎだと責めもする。それなのに、その人を「ただ財のため」「もったいぶりおって」などと罵倒するなんて、命知らずとしか・・・えーと、どっちなんですかね?

 ただ、兼家は怖い夢を見て、懲りた様子。財前直見にヨシヨシされて「道綱~道綱~」と刷り込まれて「ウン」と言っていたのも、気弱になっていたからだろう。

 死んでしまった女御を皇后に立てたいと花山帝が望んでいるからと陣定で検討された時も、はっきり拒絶せず「前例があればOK」と許容した。義懐も右大臣には反対されると思っていたから「あれ?」という顔だった。

 少し、兼家は変わったのかも。晴明に命じて花山帝の妻子を呪詛した負い目もあって心境の変化があり、為時にああ言ったのかも・・・。段田安則の演技はそんな風にも見えた。

 (ところで、先の円融帝の「中宮」が存在する状況下、花山帝の死んだ女御を「皇后」に冊立する話が出ている。この件は引っかかる。後々、道長が「中宮」は「皇后」とは別モノだから両方居てもいいよね!と自分に都合よく横車を押すのは有名な話。この時点で既に別モノとの認識を皆が持っていたなら、後々の道長の行動は何の問題も無い。今回のドラマはそれでいいのか?道長を悪者にしないための環境づくりなのか?)

 でも、兼家みたいな悪党が気弱になったら終わりだ。彼は次回予告によると倒れるようだ。そこで例の大問題が進展するはずだが・・・。

 そのキーマンになる道兼は、今回、兄の道隆の思いやりのある言葉に涙していた。

道兼:義懐ごときが兄上を飛び越えて参議になるなど、腹立たしいことにございます。

道隆:そのことは気にしておらぬ。いずれ父上の世は来る。それは即ち、私たちの世ということだ。

道兼:それはそうでございますが・・・。

道隆:それよりお前、父上に無理をさせられて疲れておらぬか?お前は気が回る。その分、父上にいいように使われてしまう。そうではないか?(道兼の盃に酒を注ぎ)わしは分かっておるゆえ、お前を置いてはゆかぬ。(感涙にむせぶ道兼)

 道隆こそ、兼家のような根っからの性悪を父に持って嫡男として苦しかっただろうな、妻・貴子の存在は救いだが。このシーンでは、兄として弟を見る目が優しくて救われる(これに裏があったら怖すぎる)。

 次回、なんとまひろは仇の道兼と直接会う羽目になるらしい。その時、彼に「人殺し」と叫ばずに済むだろうか。

(ほぼ敬称略)

 

【光る君へ】#6 道長、まひろに畳みかける恋の歌~ヒューヒュー!

見てる側もドキドキだよ

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第6回「二人の才女」が2/11に放送された。時季は丁度バレンタイン前じゃないか、ここで燃え上がる恋心をね・・・NHKもやりますよ!ということで、公式サイトからあらすじを引用させていただく。

(6)二人の才女

初回放送日: 2024年2月11日

まひろ(吉高由里子)は道長(柄本佑)と距離を取るため、そのライバルの左大臣家で間者を続けることを決断。一方、道長は道兼(玉置玲央)の口から、まひろの母の事件をもみ消したのが兼家(段田安則)であることを知り、一家が背負う闇の深さに戦りつを受ける。そんな中、宮中で勢いを増す義懐(高橋光臣)一派に対抗するため、道隆(井浦新)は若い貴族たちを招いて漢詩の会を催すことに。参加を申し出たまひろだったが…((6)二人の才女 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 まずは道長の兄道隆が主催する漢詩の会。ここには学者として招かれた為時のお供としてまひろが参上した。弟惟規が尻込みして逃げたので(大丈夫か弟)。

 その参加について、まひろは父親の心をうまーく刺激していた。言ったのは「ぜひ父上の晴れ姿拝見しとうございます」だったんだけどね・・・今回は、左大臣家のサロン参加継続の理由でも為時を感心させていたが、既に数え15歳にして父親を掌で転がすなんざ大したものだ。

 今、15歳と書いたが、前回ブログまでは、ドラマの時代考証担当の倉本一宏著「紫式部と藤原道長」の巻末の略年表にある天延元年(973年)生まれに従い、永観二年(984年)のまひろを「数え12歳」と書いていた。それが、諸説ある中、NHKの今回のドラマでは970年生まれを採用したと知ったので、今回からは970年生まれへ転換したい。

 こちらの記事によると、NHKの「光る君へ」のガイドブックにまひろは970年生まれと書いてあるそうだ。

asa-dora.com

 そうだよね・・・まひろがまだ数え12歳じゃ(つまり満11歳)、どうしても道長19歳との恋の話は進めづらい。見ている側の現代の価値観が邪魔をして「いいのかな~」とすっきり応援できない気分が残る。

 数え15-16歳だってどうなの?という声はあろうけれども、相手がオッサンじゃなくて19-20歳だからギリ若者同士の恋として今の価値観でもOKじゃないか。その点も考慮して、NHKは970年生まれに主人公を設定したんだと思う。

 さて、漢詩の会に話を戻す。世は寛和元年(985年)となり、まひろは数え16歳とますますこちらがホッとする年齢になり、父のお供で道隆の家での漢詩の会に参加した。漢詩が苦手だから遠慮するみたいなことを言っていた道長はやっぱり登場、彼抜きでのF4は有り得ない。

 ここで、遅れて入ってきた道長と、まひろは視線を交わしてハッとするんだね・・・会の最中だから無言なのがもどかしい。だけれど道長、やってくれました!

 漢詩については詳しくないので(いや、他も詳しくないけど)、現代語訳がご本人たちのナレーションで入ってくれたのが助かった。道長の選んだ詩はこうだった。これを父為時が詠みあげるというね・・・もう、まひろはどうしていいかわからないシチュエーションだ。

下賜の酒は十分あるが 君をおいて誰と飲もうか

宮中の菊花を手に満たして私は ひとり 君を思う

君を思いながら 菊の傍らに立って

一日中 君が作った菊花の詩を吟じ むなしく過ごした

 素人には、まひろを想う恋の歌にしか聞こえなかった。まひろにもそう聞こえたはず。朗詠される間の吉高由里子の表情が物語っている。でも、その場にいる他の人たちにはそう聞こえず二人だけが気持ちを通わせているという、ウルトラうまい設定だ。

 「道長殿もお見送りを」「道長殿?」とせっつかれなかったら、道長は何か言葉をまひろに掛けていたのかな・・・いや、隣にききょうがいるもんねえ、無理だったよね。視線だけを交わすふたり。これがまた、もどかしさを増したシーンだった。

 漢詩に限らず、和歌やら当時の古典の素養のある方たちのネットでの解説が頼りになる。読むと、本当に勉強になる。それを素人なりに乱暴にまとめると(間違ってるかも😅)、道長の漢詩にある「君」こそが、ききょうの言った「白楽天の無二の親友だった元微之(げんびし)」であり、この詩は彼のことを白楽天が詠んだものだったらしい。

 そして、ハツラツと発言していたききょう(ファーストサマーウイカが良い味、後の清少納言)の言葉を聞いた時の、道隆の妻高階貴子のニッコリ微笑みが意味深。貴子の漢籍の素養は実家の関係で大したものらしく、将来の定子の女房としてききょうに唾つけた、ということなんだろう。

 後に、白楽天と元微之の関係は、ロバート秋山演じる実資と道長との関係になぞらえられるらしい(実資に可愛がられてたはずの道長の方が、すいすい出世していったので)。実資の書いた「小右記」に道長の有名な望月の歌が記録されていることは知られている。

 この漢詩の会で、ききょうが良いと言った斉信の選んだ漢詩の一節も気になった。「酒をなみなみと注いでくれ。早くしないと花が散ってしまう・・・」。

 なんと縁起の悪い。まさに斉信の一族が頼りとする女御の妹の命は散ろうとしていたのに。「お隠れに(死んだ)」と聞いた花山天皇は、被り物もせずに(つまり現代ではパンツいっちょの感覚らしい)寝所から飛び出てきたほど慌て、哀れだった。

 ずっとセリフ無しだった井上咲良は、お隠れの前にセリフがあって良かった。お兄ちゃん、瀕死の妹を前に出世の話ばかりで鬼だったけどな(はんにゃだけにw)。

恋文キターーーーーー

 そして!とうとう!道長からの文がまひろのもとに届けられた。

ちはやぶる神の斎垣(いがき)も越えぬべし

恋しき人のみまく欲しさに

 なんと直球な・・・恋しい人に会いたくて神聖な斎垣も越えちゃいそうって、これは、まひろも恋文を思わず胸に抱くよね。

 確か「源氏物語」で六条御息所が娘の斎宮に付いて伊勢に下る前に、光源氏は精進潔斎の場にも関わらず彼女に会いに行って、この伊勢物語の本歌を踏まえて斎垣も越えるとか何とか会話していた。

 この場面の道長の気持ちは、源氏のあの場面をまざまざと思い出させたが・・・何だっけ、野々宮詣で・・・確認したところ「賢木」の巻だった。

【源氏物語】【賢木 02】源氏、野宮に六条御息所を訪ねる【原文・現代語訳・朗読】

 解説の部分に「斎垣も越えはべりにけれ 『ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし大宮人の見まくほしさに』(伊勢物語七十一段)。『ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし今はわが名の惜しけくもなし』(拾遺・恋四 人麿)などをふまえる」とある。

 道長の歌は伊勢物語の本歌取りだけれど、気持ちで言ったら後者の歌の方が近そう。これは万葉集?

 ドラマの道長とまひろの関係で言えば、越えなければならない「斎垣」は仇同士ということ。まひろの母を道長の兄が殺した、その忌まわしい重い鎖の関係を越えても「恋しき人」って・・・ヒューヒュー(古い)言いつつ、次回の展開をおとなしく待つか。

 ただ、まひろは道長から離れることを心に決めていた。さて次回、どうなるのか。

道長から離れるために、まひろが決めたこと

 まひろが「紫式部」へとなるために動き始めた兆しのような描写も、今回は見られた。984年も暮れのこと、道長が道兼に一族の闇を突きつけられ慄然としていた頃のことだ。

 (そういえば、道長が道兼の殺人を忘れるとずいぶん簡単に言っていたように見えて、「どうして?」と疑問だった。もっと引っ張るかと思った。道長も、この時には「まひろのことを思い切るしかない」と考えていたのだろうか。)

まひろ:(心の声)私は道長様から遠ざからなければならない。そのためには、何かをしなければ・・・この命に、使命を持たせなければ

 この三段論法が、どうもしっくり来なかった。なぜそうなるか?と。

 「道長から遠ざからなければ」の次に「何かをしなければ」と来たら、どこか具体的に彼から離れるような手段を講じる話かと思った。例えば、父に受領になってもらって地方に下り、同行することで物理的に彼から離れるか。または、心理的距離を取るために、あえて誰かと結婚してしまうか。ますます左大臣家ベッタリになるのもそうだろう。

 しかし、そうじゃないみたい。「何かをしなければ」の後に続くのは「この命に使命を持たせなければ」なのだ。使命を与えられれば、本当の望みを手放すこともできるということか・・・つまり使命とは、自分を支える「人生の拠り所」になる何かのことだよね。

 まひろの場合、自分の心の奥底を素直に見つめれば、真の望みは、言葉と裏腹に「道長と共にあること」だと理解していそう。それを悲しく諦める、その代わりに欲しいのは自分を奮い立たせる何か、ということか。

 さて、その後、散楽一座の出し物の台本を書く気になったまひろ。五節の舞で倒れた舞姫の話(自分のことじゃんね)はどうかと振られて、「じゃあ、こういうのはどう?」と直秀ら一座に考えた話の筋を伝えるが、一座には受けない。そして言われてしまう。

直秀:大体、その話のどこがおもしろいんだ。散楽を見に来る民は皆、貧しくカツカツで生きてる。だから笑いたいんだよ。笑って辛さを忘れたくて辻に集まるんだ。下々の世界では、おかしきことこそめでたけれ。お前の話は全く笑えない。所詮、貴族の戯言だ。

まひろ:・・・ん~笑える話。今度、考えてみるわ。じゃあね、稽古頑張って。

 これでまひろは、自分が好きなように書くだけではなく、受け手を楽しませるというプロ意識を持って、作家として歩みを進めることになるのだろうか?「源氏物語」を書く大作家への第一歩かな。

思惑入り乱れ、道長は婿入りへ?

 左大臣家の姫・倫子は、サロンにてまだ馴染めない振舞いをするまひろも排除せず、温かく接する。まひろの話を聞いて「苦手なものを克服するのも大変ですから、苦手は苦手ということでまいりましょうか」と声を掛け、「内裏でのお仕事は鈍いくらいでないとね」と父・左大臣を引き合いにやんわり教育する。サロンの女主人として、なかなか賢い。

 やはり、猫を追いかけたのは右大臣・兼家の目に留まるよう、わざとだったかな(そもそも、上級貴族の姫が、邸内とはいえ人前にて走る!なんて有り得ないとは思うが、ドラマだし)。

 倫子の思惑通り、兼家は道長に「左大臣家の一の姫はどうだ」と言い、婿入りを勧めた。兼家も、左大臣家と結び付くことができれば何かと都合がいいからだ。

 そして、同じく左大臣家への婿入りを道長に勧めた人がいた。「私には裏の手がありますゆえ」と前回、兄の道隆に啖呵を切っていた姉の詮子だ。やはり詮子が意志を持って動き出した。

 彼女は左大臣源雅信を呼び出した(ふたりの間に存在するはずの、女御様の前の御簾はどこに行った)。

 そうそう、この時、「東宮様をあちらへお連れ申せ」と詮子に言われて「さあ、参りましょう」と東宮を誘ったのが乳母の藤原繁子。詮子の叔母、兼家の妹に当たる人物だ。

 この繁子さん、なんと道兼の妻だと公式サイトに書いてあったので仰天した。道兼の妻にしては・・・老けているよね。父の妹だし(この時代の感覚では同母でなければOKみたいだけど)。どういう経緯で妻になったのだろう。東宮様の乳母なんだから、道兼の思惑は推して知るべしだ。

 脱線した。東宮を去らせてからの、ストレートな詮子と源雅信との会話は見ものだった。

詮子:わざわざ局まで来ていただいて、済まぬことです。

源雅信:とんでもないことでございます。されど、女御様が私に御用とは何事かと存じました。

詮子:先の帝に毒を盛り、ご退位を促したのは我が父であること、ご存知でしたか?

雅信:そ・・・それはさすがに、それは有り得ぬと存じますが。

詮子:ご退位の直前に帝ご自身がそう仰せになったのです。間違いありません。私はもう父を信じることは出来なくなりました。都合が悪ければ私とて懐仁とて手にかけるやもしれませぬ。

雅信:それはございませんでしょう。

詮子:危ないので、表立って父に逆らうことはしません。されど、私は父とは違う力が欲しいのです。もうお判りでしょう。(困った顔をしている雅信)もう私の言葉を聞いてしまった以上、後には引けませんよ。覚悟をお決めなさい。(膝を進めて)末永く東宮と私の力となること、ここでお誓いなさい。・・・さもなくば父に申します。左大臣様から、源と手を組まぬかとお誘いがあったと。

雅信:そのような理不尽な・・・。

詮子:私は父が嫌いです。されど父の娘ですゆえ、父に似ております。

雅信:・・・私なりに、東宮様をお支え致したいと存じまする。

詮子:ああ・・・(一段降りて、まさかの雅信の手を取って!)有難き御言葉。生涯忘れませぬ。(手を放して)ところで、左大臣様の一の姫はおいくつですの?

雅信:22でございます。

詮子:殿御からの文が絶えぬそうではありませぬか。

雅信:いや・・・それが全く関心を示しませんで、殿御を好きではないのではないかと妻とよく話をしておりますが・・・。

詮子:そうですか・・・私のように入内して辛酸を舐めるよりはよろしいかもしれませぬ。

(雅信退出、道長がやってくる)

詮子:ああ道長、やっと会えたわね。お前、左大臣家に婿入りしなさい。

道長:は?

詮子:評判の姫らしいわよ。年は少し上だけど、それもまた味があるわ。

道長:味・・・何でございますか?それは。

詮子:フフフ。私の言うことに間違いはないから。いいわね。

道長:(無言)

 詮子がこんなにもあからさまな手段に出るとは思っていなかったが、彼女はただ父にやられて打ちひしがれている人間ではなかった。

 大きな不安を抱えていただろうに、それを逆手に取り、父に匹敵する左大臣に目をつけて自分の力の源にしてしまおうと考えるだけでも凄いが、奥方やらの女同士の関係を頼っての裏から手を回すのではなく、表立っての乾坤一擲の直談判で左大臣にYESと言わせてしまった。いやはや。

 倫子が自ら蒔いた種も少しはあるにせよ、お気の毒にも、左大臣家は右大臣家の内部闘争に巻き込まれるのが決まってしまった。逃げ場は無かったね。

 詮子(吉田羊)が「父に似ております」と言った時、確かに表情まで段田安則がちらついた。確かに顔の系統は、よくよく見るときょうだいの中で一番兼家に似ていた。そして思考も兼家張り。皮肉にも、道隆・道兼・道長の三兄弟よりも一番父の血を色濃く受け継いでいたらしい。

 そして、道長は完全に「何の話?」状態で自分の婿入り先が決まった。今は、まひろのことで頭がいっぱいなのにねー。貴族の結婚なんぞ、そんなもんだろうが、彼も源雅信もお気の毒。

(敬称略)

【光る君へ】#5 特別な絆=道長は仇の弟、重い鎖で結ばれたふたり

ずっと心にしまわれていた、あの日の事

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第5回「告白」が立春の日の2/4に放送された。公式サイトからあらすじを引用させていただく。

(5)告白

初回放送日: 2024年2月4日

道長(柄本佑)が右大臣家の子息であり、6年前に母を手にかけた道兼(玉置玲央)の弟であることを知ったまひろ(吉高由里子)はショックを受けて寝込んでしまう。事態を重く見た、いと(信川清順)はおはらいを試みる。一方、まひろが倒れたことを聞いた道長は、自らの身分を偽ったことを直接会って説明したいとまひろに文をしたためる。直秀(毎熊克哉)の導きでようやく再会することができたまひろと道長だったが…((5)告白 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 前回描かれた五節の舞の後、やっぱり倒れて寝込んでいたまひろ。お祓いに来た憑坐と法師陰陽師は、乳母のいとが御方様は亡くなったと言ったことで怪しげに頷き合い、まひろが倒れたのを亡き母ちやはのせいにしてお礼の米を稼いで去った。

 いとは弟惟規の乳母であり、初回から登場しているが、いいとこある。ちゃんとまひろのことも心配して、当時の人並みな「治療」のために彼らを呼んだわけだ。「もう呼ばないで」とまひろは言ったが。

 まひろは、お礼参りの帰りに母親が殺されているのだ。神仏等への信頼は薄くもなるだろう。

 父・為時が、正気に戻ったまひろに、初めて思いを正面から告白した場面も心に残った。父にお願いもされた。でも、それをまひろが素直に聞ける訳もない。家族の誰かが殺されて、皆が皆同じタイミングで同じ方向を向ける訳もなかろう。

為時:わしは賭けたのじゃ。お前が幼い日に見た咎人の顔を忘れていることに。されど、お前は覚えておった。何もかも分かってしまったゆえ、分かった上で頼みたい。惟規の行く末のためにも、道兼様のことは胸にしまって生きてくれ。ちやはも、きっとそれを望んでおろう。

まひろ:母上が?

為時:お前が男であれば大学で立派な成果を残し、自分の力で地位を得たであろう。されど惟規はそうはゆかぬ。誰かの引き立てなくば、真っ当な官職を得ることもできぬ。

まひろ:右大臣様におすがりせねばならぬゆえ、母上を殺した咎人のことは許せと?!

為時:お前は賢い。わしに逆らいつつも何もかも分かっておるはずじゃ。

まひろ:わかりません。(顔をそむける)

 五節の舞姫のひとり(まひろ)が倒れたことは憑き物につかれたと噂になっており、それが道長の耳にも届いた。分かりやすく、無言で立ち往生した道長は、まひろの昏倒は自分の素性を舞の途中に知ってしまったことが理由だと考え、手紙を書いたんだけど・・・。

 この時点での手紙の様子を察するに、色恋のカケラもない感じ。道長はまひろへの気持ちがまだニュートラルだと信じていて恋だとは意識できていないからなのか、単に彼が無粋なのか。この時点では何とも言えない。

 とにかく道長はまひろに謝りたい気持ちになった訳だが、彼が思いもしなかった告白が待っていたんだよね。

(六条のどこか、まひろが待っていると直秀が道長を連れてくる)

道長:右大臣藤原兼家の三男、道長だ。

まひろ:三郎じゃなかったのね。(横目で見ている)

道長:三郎は幼い時の呼び名だ。出会った頃は三郎であった。お前を騙そうと思ったことは一度とてない。驚かせてしまって済まなかった。会って話がしたいと思い、文を書いた。

まひろ:父の前でそのことを詫びて、どうしようと思ったの?

道長:ただ・・・詫びるつもりであった。(柱の陰で直秀が聞いている)

まひろ:(道長の方を向いて)誠は・・・三郎が道長様だったから倒れたのではありません。あなたの隣に座っていた男の顔を見たからなのです。

道長:道兼のことか?

まひろ:あの顔は一生忘れない。

道長:兄を・・・知っているのか?

まひろ:6年前・・・母はあなたの兄に殺されました。私の目の前で。(驚く道長)6年前、父は播磨の国から戻っても官職を得られず、食べることにも事欠いて下男や下女が逃げ出してしまうほど貧しくて・・・そんな時、右大臣様が東宮様の漢文の指南役に父を推挙してくださったのです。官職ではないけれど、父も母もこれで食べていけると喜んで、次の日、母はお礼参りに行くと言いました。

 私が河原で三郎と会う約束をしていた日で・・・私は三郎に会いたかった。行かないって言ったけど、行きたかった。

回想のちやは:(小走りのまひろに)まひろ、今日のあなたはおかしいわよ。(馬のいななき)

回想の少女まひろ:あっ!

回想の道兼:(馬で疾走、まひろと出会い頭にぶつかりそうになり、落馬。下男の刀を抜いて走り、その場からまひろを守って離れようとするちやはを背後から刺す)

まひろ:あの道兼が・・・(ちやはの返り血を浴びる道兼の顔)三郎の隣に座ってた。もし道兼だけだったなら、私は人殺しと叫んでいたかもしれない。でも、三郎が居て。

道長:(表情を失って)すまない。

まひろ:父は、禄を頂いている右大臣様の次郎君を人殺しにできなかったの。

回想の為時:(涙を流しながら)急な病で死んだことといたす。

回想の少女まひろ:なぜ!母上は殺されたのよ!父上!

まひろ:東宮様のご様子を右大臣様にひそかに知らせる役目もしていたから。

道長:すまない。謝って済むことではない・・・が、一族の罪を詫びる。許してくれ(頭を垂れる)。

まひろ:兄はそのようなことをする人ではないと言わないの?

道長:俺は・・・まひろの言うことを信じる。・・・すまない。

まひろ:別に三郎に謝ってもらいたいと思った訳じゃない。

道長:ならば、どうすればよい。

まひろ:わかんない・・・三郎のことは恨まない。でも、道兼のことは生涯呪う。

道長:(胸を押さえて)恨めばよい。呪えばよい。

まひろ:あの日、私が三郎に会いたいって思わなければ・・・あの時、私が走り出さなければ・・・道兼が馬から落ちなければ・・・母は、殺されなかったの。だから、母上が死んだのは私のせいなの。(しゃくり上げ、ひどく泣きながら)

道長:(まひろに歩み寄り、背中に手を回す)(直秀、去ろうとする)待て。お前、名前は?

直秀:直秀だ。

道長:直秀殿。今宵は助かった。礼を言う。

直秀:直秀でいい。

道長:まひろを頼む。(走って去る)

直秀:帰るのかよ・・・。(まひろ、泣き続けている。馬のいななきが響く)

 今回のクライマックス。この吉高由里子の演技を、柄本佑は「ゾーンに入っていた」と2/10のスタジオパークで言っていたが、本当に演技とは思えない、見ているこちらも心が深く痛む、涙を抑えられない演技だった。

 まひろ、この6年間ずっと辛かったね!と、そっと背中に手を置きたい気持ちにこちらもなっていたので、「まひろを頼む」とその場を後にする道長に「帰るのかよ」と直秀と一緒に突っ込んだ。

 気持ちは分かるけど、まひろが6年越しにやっとのことで心の中身を言葉にしたのだから(多分初めてのことだろう)、自分の気持ちの解決に走らず、一旦受け止めてほしかった。

 まひろは「母上が死んだのは私のせいなの」と言った。そう言葉にするのはどれだけ辛かったことか。だけれど、そうじゃない。仮に、馬上にいたのが道兼じゃなくて道長だったら?長兄の道隆でも良い。少女まひろに出会い頭にぶつかるのを避けようと落馬したとしても、ちやはが殺されることなぞは無かったと容易に想像がつく。

 あれは道兼個人のせい。まひろのせいではない。まひろは悪くないんだよ、と言ってあげたいけど・・・この被害者遺族の罪悪感・自責の念(サバイバーズギルト)は、周りがそう言っても理屈じゃなく、簡単には拭えるものじゃないと聞く。それは故人を助けたかった愛情ゆえのことだよね。苦しみから脱するには時間もかかるだろう、本当に痛ましい。

 (孫娘が殺され、その時に在宅していた祖母が事件に気づかず孫娘を守れなかった罪悪感から「私が殺した~(ようなもの)」と嘆き悲しんだら、それを真に受けた警察に逮捕されてしまった冤罪事件が昔あったと記憶している。いやいや、あなたは家にいただけで殺してないでしょ、というロジックが通じない程の大きすぎる悲しみの表明が祖母の「私が殺した~」だったのだろう。今は被害者支援も進み、そんなポンコツ警察は無いだろうけど。)

 この重すぎる罪悪感を、物語とはいえ、まひろはたった6歳で抱えてしまった。殺人者は処断もされずにおれば、余計に心の中で自責感が膨れ上がるんじゃないか。その溜め込んだ感情が怒りとなって、父に向っていたのだろうね。

自分は加害者の弟、という重い事実

 「まひろを頼む」と言って道長が向かった先は、道兼の下。当時、自分が道兼から受け続けた暴力の経験からも、道兼ならやりかねないと考えただろうが、道長らしく、慎重に確認から入った。

 満月の夜、ひとり馬を走らせる道長の複雑な胸中を思うと・・・自分はまひろの仇の弟かもしれないのだ。兄弟の縁は切りたくても切れない。道兼には否定してほしいと、そう思っていただろうな。

道長:兄上。6年前、人を殺めましたか?お答えください。

道兼:やっと聞いたな、お前。やはり見ておったか。(回想。返り血を浴びた道兼の姿を見てしまった、当時の三郎)虫けらのひとりやふたり、殺したとてどうということもないわ。

道長:何だと・・・(道兼の胸ぐらをつかんで)虫けらは・・・お前だ!(道兼に殴りかかる)

道兼:(殴られ、烏帽子も取れて)父上に言ったのはお前ではないのか?

道長:え?

道兼:父上もご存知だぞ。何もかも父上が揉み消してくださったのだ。

道長:(兼家を見て)誠でございますか?!

兼家:我が一族の不始末、捨て置くわけにはゆかぬでな。(愕然とする道長)

道兼:そもそもお前が悪いんだぞ。

回想の時姫:何をしておる!

回想の三郎:弱き者に乱暴を働くは心小さき者のすることと申したら、兄上が・・・。

道兼:お前が俺をイラ立たせなかったら、あのようなことは起こらなかった。あの女が死んだのも、お前のせいだ。(道長、言葉を失う)

兼家:ハハハハハハハ・・・。道長にこのような熱き心があったとは知らなんだ。これなら我が一族の行く末は安泰じゃ。今日は良い日じゃ。ハハハハハハ・・・。

 まひろの仇の弟だったと分かった道長には最悪の日を、良い日じゃと言って笑う父兼家。道長にも闘争心があると見て、安泰じゃと言ったのだろう。熱き心が発動するポイントは、親子で大きく違いそうだけれど。

 道兼がネットでサイコパスと呼ばれていたが、サイコパスならこの父の方では。前述の例え、もし兼家が馬上にあって少女まひろと出くわしていたら?彼なら、片頬にあの笑みを浮かべつつ事も無げにちやはを惨殺したかもしれない。その前に、まひろをも平然と片付けたかも。ゾッとする。

 兼家と道兼は同じ思考回路を持つかのように見えるが違うようだ。道兼は、ただ父に褒められたい一心なのだと思う。

 そして道兼にとり、父母それぞれが目をかける弟は、どこまでいっても憎い存在。ただ、武官でもあり体格で上回る道長には、いつの時点からか力で叶わないと観念しているのだろうか。殴り返しては来なかった。

 しかし、道兼は言葉で道長の心を抉った。「お前が俺をイラ立たせなかったら」「あの女が死んだのも、お前のせいだ」と。優しい普通の人たちは、こういった言葉に素直にやられる。道兼は典型的な「せいだ病」にかかっているDV気質のクズ男だとよくわかる。

 まず「子どもじゃあるまいし、自分で自分の機嫌ぐらい取れ!」と、こういうクズ男には言いたい。転んだ娘の定子に、自分で起き上がるように導いた道隆の妻・高階貴子に指導してもらいたい。そんな弱い心で、宮廷を渡っていける訳がない。

 そして、「じゃあ何?あんたは遠隔操作されて人を殺したとでも?頭が空っぽな操り人形なんだね!」と言いたい。「大奥」の黒木様だとはとても思えない。ああ、ムカムカする(程の素晴らしい演技をするよね、中の人)。

 このクズ男の兄になんか負けるな、道長!しかし、道長の心はクズ男の言葉にハマって罪悪感いっぱい。自分はまひろの仇の弟、それも自分のせいだという重い十字架をドーンと背負ってしまった(たぶん)。まひろは道長のことは恨まないと言っていたけれど、恨まれて当然だ、と(きっとそう)。

 公式サイトの相関図を見ると、まひろと道長の間には「特別な絆」があると示されているが・・・それは、身内が被害者と加害者の「仇関係」だったのか。しかも「そもそもは自分のせいだ」と思う自責感の強い者同士。この心理的な障壁は手ごわそうだ。貴族の格の差もあるし。

 まあ、まだ数え年12歳と19歳だから。まひろが書くことになる「源氏物語」では紫の上も12歳で適齢期扱いだったけれど、NHK的には現代の視聴者向けにそんな恋人関係は描きたくないだろう。しばらくは焦らされるはず。でもずっと焦らされたくはないなあ。

 ところで、どこかで見たが(多分X)、紫式部が後々イケオジ宣孝と結婚して儲ける賢子は実は道長との子で、カモフラージュのために宣孝が結婚した形にしてくれるのでは?という考察だったのだけど・・・なぜにカモフラージュする必要に迫られるのかはさて置いておいても、もう道長と結ばれない結末は悲しすぎるから、その路線に1票入れておきたい。

花山天皇、政争に敗れたから悪評をたてられた?

 前回書きそびれた花山天皇。今回、彼が愛する忯子(井上咲楽。はんにゃ金田演じる斉信の妹・弘徽殿女御)は、何かセリフを言う前に早くも病んだ。

 前回入内し、NHK的には限界プレイ(手首にリボンをぐ~るぐる)に挑んでいたとネットでも騒がれたが、ご寵愛が過ぎて・・・というか、要するに懐妊し、つわりに苦しんでいるようだ。

 この忯子の腹の子を呪詛し奉ることを、安倍晴明が藤原兼家だけじゃなく、公卿一同に命じられていたシーンが怖かった。御簾の陰に並んでいた皆が皆、自分たちが仕える今上天皇の子を殺そうと言っているのだ。

 段田安則の兼家は、以前は関白の娘・遵子が身籠らないように何とかしろと晴明に命じていた。娘が天皇の子を産むかどうか、それで一族の命運が分かれる時代だ。

 そして権力闘争によって何かが歪み、おかしくなった人間が兼家なんだろう。「内裏の仕事は騙し合いじゃ。嘘も上手にならねばならぬぞ」と息子に教えていた。

道長:そういえば、先日四条の宮で公任や斉信らが帝のご在位は長かろうと話しておりました。

兼家:ほう。

道長:帝はお若く、お志が高く、すばらしいと。

兼家:お前もそう思うのか?

道長:分かりませぬ。

兼家:分らぬことを分からぬと言うところはお前の良いところでもあるが、何か、己の考えは無いのか?

道長:私は、帝がどなたであろうと変わらないと思っております。

兼家:ほほう・・・。

道長:大事なのは、帝をお支えする者が誰かということではないかと。

兼家:そのとおりじゃ。よう分かっておるではないか。フフ。我が一族は、帝をお支えする者たちの筆頭に立たねばならぬ。筆頭に立つためには東宮様に帝になっていただかねばならぬのだ。わしが生きておればわしが立ち、わしが死ねば道隆が立つ。道隆が死ねば道兼がお前か、道隆の子、小千代が立つ。その道のためにお前の命もある。そのことを覚えておけ。

 このあたり、「鎌倉殿の13人」で聞いたような話だ。同じようなことを、若き北条義時も、道長も言われている。筆頭=てっぺんに立ちたいんだね。その争いがドロドロの素だ。

 兼家は、道長とのやり取りで、花山天皇が若く、志高く、思いのほか長期政権になるのではとの若手連中の見方を知り、早速阻止に動いたようだ。関白、左大臣と談合し「未熟な帝と成り上がりの義懐ごときは、ねじ伏せればよろしい」と息巻き、珍しくも大臣同士意気投合した。

 花山天皇は、贅沢を禁じ、銅銭を世に広め、正しい手続きを経ていない荘園を没収する荘園整理令など「新しい政治」と称してあからさまに関白と左右大臣らの力を抑える思い切った政策を取ろうとし、危なっかしい。ロバート秋山(黒いけど、思いの外ちゃんと演技しているよね)の実資も忠告していたが、若い天皇を、側近の義懐(「梅ちゃん先生」が懐かしい高橋光臣)らも守り切れなかったのだろう。

 次回以降に描かれる退位の顛末が注目だが、まだ20歳にもなっていない真っ直ぐな若さ、純情さが哀れだ。あっけなく兼家の描いた罠にはまるのだろう。

 花山天皇は、あまり評判が良くない人物だが、公卿らに真正面から戦いを挑み過ぎ敗れ、そのせいでこれでもかと悪評をたてられ、女好きなどの人物像も作られたような気がしてならない。

 現代の政治にも通じる話か。自分たちの脅威になってくると見ると、お雇いのDappiを使って悪評を散々に煽り立て、精神的に追い詰めてお払い箱にする、とか?権力を握る人間のやることは変わらない。

 前回、父兼家になるべく早く花山天皇を退位させる方策を問われて、天皇としてとても相応しくない悪い噂を流す、その準備は万端整っていると道隆は言っていた。(以前に卑怯な噂を流せと言われて怯んでいたけど、父に言われれば何でもやるようになるんだな・・・。)

 それが、即位式で高御座に女官を引っ張り込んで事に及び・・・との噂だったのだろう。即位式では本郷奏多の花山天皇は、女を引っ張り込むどころか、「ほれ、ほれ」と扇を操る奇妙な足技を見せることも無く、大人しく座っている映像が出たものね。

 次回、悲しんで心が弱っているところをやられてしまうのだね。哀れだ。

倫子様のたくらみ?

 一つ一つの出来事が、当時は計算尽くで企まれ動いていたと見えてきてしまうと、あの猫が走り抜けたのも、もしかしたら・・・と思った。

 冒頭の、まひろが倒れて不在の左大臣家のサロン。メンバーの茅子が「どうせなら、帝とか右大臣家の3人のご兄弟とかならよかったのにね」とサブングル加藤の侍従宰相のお通いがあった肇子について話す。

 倫子は「右大臣家の3人のご兄弟はそんなに見目麗しいの?」と聞く。茅子は「はい。皆様お背が高くお美しゅうございました」と、にこやかに答えた。

 ふうん、お美しいんだ・・・そう心にとめた倫子が行動を起こしたのではないか。

 左大臣家で関白と右大臣が談合をする場に、倫子は猫を追って現れた。「小麻呂!」と呼ぶ倫子の声が響き渡り、一旦猫が逃げた方向に消えたが、戻って「失礼いたしました」と詫びた。

 そこで父の左大臣が「ご無礼致しました。今のは我が娘、倫子にございます」と説明、右大臣の兼家は興味深そうに目を凝らして倫子を見ていた。

 これで、見目麗しい3兄弟は射程に入った。関白の様子は不明だったが、関白の嫡男の公任は尚更美しい公達であるし、どちらに転んでも悪くはない。姫様、やる時はやる。

詮子の「裏の手」

 道長の姉の詮子にも注目している。今回は、兄の道隆が父・兼家との仲たがいを収めようと詮子の下に来ていた。妹でも女御様で東宮の母だから「詮子様」だ。

 「分かり切ったことを、誰に向かって言っているのですか?兄上は」と詮子が腐す。道隆は「分かっておられるなら是非、父上と和解を」と畳みかけるが、詮子は「嫌です」ときっぱり。

 さらに「愛しき夫に毒を盛った父を、私は生涯許しませぬ」「父上には屈しませぬ。私には裏の手がありますゆえ」と宣言した。

 この「裏の手」は何だろう?とワクワクする。前回、気に入りの道長を左大臣家に婿入りさせ、右大臣家の権力を道長に取って代わらせることを目指して詮子が動くのかと思ったが、婿入りの話は、また別口で兼家と倫子の思惑で動きそうな雲行きだ。

 となると、裏の手?楽しみにしておく。

(敬称略)

【光る君へ】#4 二重のショックに負けず五節舞をやり切ったまひろ。次回が待てない

まひろはまだ子どもだよね

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第4回「五節の舞姫」が1/28に放送された。さっそくあらすじを公式サイトから引用する。

(4)五節の舞姫

初回放送日: 2024年1月28日

互いに身分を偽ってきたまひろ(吉高由里子)と道長(柄本佑)だったが、まひろはついに素性を明かす。道長も真実を語ろうとするが…その頃、円融天皇(坂東巳之助)の譲位を知った詮子(吉田羊)は挨拶のために謁見するが、思いもよらぬ嫌疑をかけられる。ある日、まひろは倫子(黒木華)からの依頼で、即位した花山天皇(本郷奏多)の前で五節の舞を披露する舞姫に選ばれる。そこでまひろは驚愕(がく)の真実を知ることに…((4)五節の舞姫 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 コロナの倦怠感が長引く中、頭も回らないが最後の五節の舞は目が離せなかった。あまり見てないのにイメージだけで物を言ってなんだけれど韓国ドラマ風というか、昔の山口百恵の「赤いシリーズ」(←古い・・・💦「赤い衝撃」とかね)みたいなインパクトと言うか。

 五節の舞と言えば、「源氏物語」では「少女(おとめ)」の巻で光源氏の従者の惟光の娘が舞姫に選ばれて華やかに舞い、源氏の息子の夕霧は舞姫に懸想する。彼女は典侍という女官として宮中への出仕が決まっているから一時離れるものの、後には夕霧の側室になる。

 昔、このあたりを読んだ時に勝手に華やかな舞を妄想して私までフワ~っと舞い上がっていたが、それが映像として見られたのが本当に嬉しかった。NHKならでは、録画を何度でも見返したい。

 吉高由里子も美しく、「お目に留まらない自信がある」なんて訳がない。美しい女優さんが演じる主人公が自分は美しくないと思い込んでいるドラマあるあるだ。

 しかし、すごいことになった。このゴージャスな舞の最中に、まひろは緋色の袍(=五位、つまり父親の六位より上位)を着ている三郎(居眠り中w)を見つけてしまい、隣には母を殺した殺人者「ミチカネ」を発見!!よく立ち往生せず、扇を取り落とすこともなく、舞を続けられたものだ。舞っている最中は、まだ考えがまとまらない部分があったからか。

 他の舞姫たちが右大臣家の3兄弟を丁寧に説明してくれたことで、まひろは三郎(道長)の素性をしっかり認識した。そしてミチカネ(道兼)についても。セリフの「道隆様」に続けての「道兼様」がとても言いにくそうで、見ているこちらは「分かるわー。まひろの心理的抵抗感が出てる吉高凄い」となった。まひろがくず折れそうなところで第4回は終わったが、次回のまひろは、きっと心がパンクして寝込むだろうね。

 まひろは女子の成人式である裳着の儀を終えていたけれど、年齢は今の高校生ぐらい?冒頭で永観二年(984年)と書いてあったので、時代考証を務めておいでの倉本一宏著「紫式部と藤原道長」の巻末にあった略年表を見てみたら・・・えええ、紫式部の生まれは973年?!984年は満年齢で11歳、数えでもまだ12歳程度か。そりゃまだ子どもだ。確かに子どもっぽい演技をしているもんね、吉高由里子は・・・。

 ちなみに、道長は966年生まれ。984年時点では年表には19歳だと書いてある。数え年で19歳なんだな。12歳と19歳、現代だとちょっと問題があるカップルだね。

 しかし、12歳の女子が男の声を出して代筆仕事なんかできるのかなあ・・・まあ、そこのところ、あまり真剣に考えないようにしよう。

 まひろは、左大臣家の倫子(確か前回20歳とか言っていた?)にたしなめられる場面(竹取物語について話す「絵合」の巻を思い起こさせる)や、宣孝に愚痴をこぼす場面を見ていても、考えが浅く、確かにまだまだ子どもだ。その彼女が、子ども心を砕かれた母殺害事件。母の仇ミチカネと、恋心を抱く三郎との関係を目の当たりにすれば、それはショックだろう。

 ドラマ終わりで次回予告を見せられちゃったので、次の第5回「告白」では、あの日の事件についてまひろが涙ながらに道長に告げるらしいし、道長は兄の道兼と直接対決するらしい。ひゃー、これは絶対見なきゃ。

身分はまひろが下だった

 これまで、まひろは自分は貴族だけれど、三郎を貴族じゃないと思い込み悩んでいた。皮肉なものだ。

 父の為時が六位でずっと宮中でのお役目も無く、藤原でもずっと下だから気にしないで、と三郎に言っていたまひろ。宣孝に「あの男には近づくな」と言われた時に、こう嘆いていた。

まひろ:身分とはとかく難しいものでございますね。貴族と民という身分があり、貴族の中にも格の差がある。

宣孝:しかし、その身分があるから諍いも争いも起こらずに済むのだ。もしもそれがなくなれば、万民は競い合い世は乱れるばかりとなる。

 この後、まひろが父・為時に間者を頼まれた話題に移ってしまったので、この宣孝の言葉にまひろは特に反応せず終わった。

 これまでのところ、まひろは散楽の直秀に誘われて「面白そう」と一緒に付いて行こうとしたり(さすがに従者の乙丸に制されていたが)、身分差を気にしていない。それが世慣れぬ若さによるものなのか(つまり、大人へと年を重ねるに従って考えが変わっていくのか)、身分を気にしたくない反発心というか頑固さを既に強く持っているのか、まだ分からない。つまるところ、まだ子どもなんでね。

 三郎がいわゆる「民」の範疇にいると信じていたからこそ(つまり、貴族の自分の方が上)まだ余裕もあったのだろうけれど、実は彼が右大臣家の三男坊と知って、まひろはどう考え、どんな態度を取るようになるのだろうか。

第二の彼・直秀は盗賊だった

 ところで、既にまひろ(12歳の子どもだけど)を挟み道長と三角関係になっているように見える直秀(「まんぷく」塩軍団出身)は、散楽一座の仲間と共に盗賊を働いていた。あれだけ身軽なチームが、たまに辻で散楽やってるだけの集まりだなんて訳がなかった。

 ただ、まひろが左大臣家のサロンで言っていたように、盗み取った物を民に分け与える義賊なのだろうか?そこら辺は不明だ。

 以前のブログで私が「怪しい」と書いた、道長の従者の百舌彦にちょっかいを仕掛けていた女「ぬい」は消えてしまったが(もし、まだ出てくるようなら今後右大臣家に忍び込むための情報を百舌彦から得ていたか?)、散楽一座は当時の世相を見せてくれるネタの宝庫に見える。色々と楽しませてくれそうだ。

 字幕を見ていたら、一座の中心で口上を述べていた男の名は「輔保」と書いてあったので「え?もしかして」と思ったが、別人と勘違いをしていた。調べたら、頭に浮かんだのは貴族なんだけど盗賊として知られた「保輔」(藤原保輔 - Wikipedia)の方で、名前の字が上下反対だった。

 藤原保輔は988年に没しているので、ドラマの時代にちょうど生きているはず。保輔は輔保のモデルなんだろうか。

卑怯な円融天皇

 道長の姉・詮子(吉田羊)が、今回も可哀そうな目に遭っていた。

 ドラマでは前回までに、父の兼家が次男・道兼に命じて詮子の夫である円融天皇に毒を盛って体調を悪化させた。今回、天皇は詮子の産んだ自らの一人息子を東宮に据えたい気持ちから玉座を退き、花山天皇が即位した。東宮は望み通り、詮子が産んだ懐仁親王、後の一条天皇だ。

 懐仁親王を巡り、天皇と兼家の利害は一致していたのだが、待てない兼家は一刻も早く孫を東宮➡帝に据えて、自分が摂政になりたい。そのために円融天皇は早めに帝位を追われた。

 詮子は、足蹴にされても愛しい背の君として円融天皇をずっと見続けており、健気にも退位の折に挨拶に赴いた。相談された時に、道長ね、ちゃんと「挨拶に行くのは止めておきなよ」と言ってあげれば良かったのにね・・・。

 望みを断ち切れない詮子は、そう思いたくなかったのかもしれないけれど、円融天皇は最初から詮子を見て兼家を思い浮かべており、その点は気になった。

 つまり、ずっと目の前の詮子を見ずにバックの父親を見ている人だったのだろう。だから、この期に及んでも、詮子が述べる心を込めたいたわりの言葉が全く聞こえていないのだ。

 そうして、きっと兼家には面と向かっては言えなかったことを身代わりとばかりに詮子にぶつけ、とうとう扇を投げつけケガまでさせ、さらに「人のごとく血なぞ流すでない、鬼めが」と彼女を罵倒した。

 弱虫め、鬼はどっちだ、なんて卑怯な・・・坂東三津五郎のファンだったから円融天皇を演じる息子がこんな役で悲しくもなる。けれど、よく言えば人間臭い天皇の役をきっちり憎らしく演じたということだ。

 中の人も「政治的なことが絡んできて気持ちが変化」「これは現代の価値観からはとても理解できない」等とインタビューで言っていたが・・・そうだね、理解できない。円融天皇こそ弱虫の鬼だし、詮子は相当気の毒だ。

詮子、父と戦え!

 御所から退出してきた詮子が実家の宴に怒鳴り込んできた時、相変わらず「人でなし」な対応をする兼家。これには同席する道長も堪らないようだった。

詮子:父上!

兼家:おお、詮子様。

詮子:帝に毒を盛ったというのは誠でございますか!(道隆、道兼、道長が父の顔を見る)父上!

兼家:(とぼけて)一体何ごとで?

詮子:(兼家の前に進み出て、涙声で)帝と私の思いなぞ踏みにじって前に進むのが政。分かってはおりましたが、お命までも危うきに曝すとは。

兼家:何を仰せなのか分かりませぬな。お命とは、誰のお命の事でございましょう。

道兼:(お付きの者たちに?)下がっておれ。

道隆:詮子様、大きく息をなさいませ、大きく(座から立ち、詮子の背に手をかける)。

詮子:離せ!(座り込んで)懐仁のことも、もう父上には任せませぬ。私が懐仁を守ります。そうでなければ、懐仁とて・・・。

道隆:詮子様。

詮子:いつ命を狙われるか・・・。

道隆:詮子様、お口が過ぎますぞ。

詮子:(道隆に、怒って)兄上は何もご存じないのですか!嫡男のくせに!(道兼に、声を和らげて)兄上はご存知なの?(振り返って、ややきつく)道長!

道兼:薬師を呼びます。

詮子:要らぬ!薬など、生涯飲まぬ(立ち上がり、泣きながら出ていく)。

兼家:・・・長い間の独り身ゆえ、痛ましいことだ。これからは楽しい催しなどを考えて、気晴らしをさせてやらねばならぬな。(道長は反発する表情を浮かべる)飲み直そう。興が冷めた。

道隆:父上。存じ上げなかったとはいえ、今、事情は呑み込めました。詮子様にはお礼を申さねばなりませぬな。これで父上と我ら3兄弟の結束は増しました。何があろうと父上をお支えいたします。

(頭を下げる道隆、道兼。兼家の視線に促されて渋々頭を下げる道長。満足そうにうなずく兼家。横目で父をにらむ道長)

 ああ、ホントに人でなし。兼家が「長い間の独り身ゆえ、痛ましい・・・気晴らしをさせてやらねば」と言い出して、自分がやったことを棚に上げ娘をバカにするのも大概にしろ、人の心が無いのかと頭にきた。

 そして道隆は、詮子にお礼を言わねばと言いながら、父の敷いた道を突き進む。どちらも劣らぬ人でなしだ。こんなやり取り、詮子と仲が良いのだったら道長は付いていけないはず。

 今回のドラマの後、X(旧ツイッターと書くのが面倒くさい)をつらつらと楽しく見ていたら、その件について書いた面白いものがあり、そうか!と膝を打った。今、ブックマークしたはずのそのポストを探しているのだけれど見つからない😅なんでだ・・・。

 曰く、この実家である右大臣家のやり方に反発する詮子が、仲の良い弟道長をライバルの左大臣家にあえて婿に入れ、その道長と共に父や兄らに対して復讐に立ち上がるという内容だった。詮子は以後、天皇の母として左大臣家の道長を強力にバックアップし、右大臣家を追い落とす方向に動くというのだ。

 確かに!言われてみればそうかも・・・先ほど引用した場面では、「もう懐仁を任せない」と詮子は言った。国母をバカにするな!上等だ、戦ってやる!という決意を固め、宣戦布告が成された場面だったのかもしれない。

 だとしたら、これは吉田羊が演じる意味があるというものだ。厳しい戦いも、負けずに遂行してくれそう。

 本当にそう東三条院(詮子)が心積もりをしたかどうかは当然わからない。ただ、歴史は確かにそう動いていっているように見えるから、ピンとくる考察だと思った。

 道長の左大臣家への婿入りは、ドラマではどういういきさつで描くのかなと思っていたけれど、「詮子&道長」対「兼家&道隆&道兼」の、熾烈な親子戦争を絡めてくるのだとしたら。これは面白くなる。

(敬称略)

【光る君へ】#3 「謎の男」は「まんぷく」塩軍団の彼!「どう家」に続いて大河出演おめでとう~

まひろと父・為時との緊張関係は続く

 2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」第3回「謎の男」が1/21に放送された。毎回、と言ってもまだ3回だけど、テーマ音楽を聞くたびに素晴らしくてため息が出る。

 かのショパンの名手・反田恭平さんが弾くピアノの、ヒラヒラと舞ってホロホロと崩れ落ちていくような表現が軽やかに凄すぎるし、朝川朋之さんのハープの波状攻撃にも息を飲む。そして、後半の感情を揺さぶる力強さ。何回も聴きたい。

 音楽担当の冬野ユミさんって朝ドラ「スカーレット」の人か・・・「スカーレット」も面白かった。深いチェロ(たぶん)の音が思い出される。大河ドラマのテーマ曲でハズレって本当に無い。選ばれた作曲家が渾身の力を注ぎ込むからだろう。今年も例に漏れず、素晴らしいの一言だ。

 では、第3回のあらすじを公式サイトから引用させていただく。

(3)謎の男

初回放送日: 2024年1月21日

 放免に捕えられた道長(柄本佑)を案ずるまひろ(吉高由里子)。為時(岸谷五朗)に謹慎を強いられ、成すすべもない。ある日、まひろは為時から思わぬ依頼を受けることに。

 自分のせいで放免に捕らえられた道長(柄本佑)を心配するまひろ(吉高由里子)。しかし、父の為時(岸谷五朗)に謹慎を強いられたため、ただ案じることしかできない。兼家(段田安則)の指示で道兼(玉置玲央)は女官を使って帝の食事に毒を仕込み、円融天皇(坂東巳之助)は急激に体が弱っていく。政権を掌握するために二の手を打ちたい兼家は、ライバルの左大臣家の動向を探るため、為時を利用してまひろを間者として送り込む。((3)謎の男 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 まひろが間者として左大臣家に送り込まれた件。まひろは当初、心底嬉しかっただろうなあ、父・為時が「お前は賢い。身分など乗り越える才がある」と自分の才能を認めてくれ、「安心して楽しんでくるがいい」と、自分のことを思って左大臣家の源倫子(黒木華)のサロンに送り出してくれたと思っていたみたいだから。

 一応まひろは下級とはいえ貴族の娘だから、本当は街を駆け回ったりできる訳もない。父と決裂して家に居にくくなって外で代筆仕事なんかこっそりやってたぐらいだし、じっと家に籠っていては精神的に辛いばかりだっただろう。

 で、倫子のサロンに行ってみたら、楽しくて、場の空気を読むのを忘れるほど偏つぎ遊びに熱中したと。和歌の素養のある赤染衛門の存在に刺激され、ちょうどサロンで紹介されていた和歌;

秋の夜も名のみなりけり 逢ふといへば ことぞともなく 明けぬるものを(小野小町、古今和歌集)

・・・の「秋の夜長が長いなんて名前ばっかり」と言いたい気持ちと同様に、サロンでは時間があっという間に短く感じたんじゃないか。

 それなのに。ガッカリもきっとひとしお、父親は自分の気持ちを慮って外出を勧めたのではなく、期待された役目はまさかの間者。でも、そこで反抗したらもうサロンにも行けなくなって外出もできなくなる。少し大人になってグッと堪えたんだろう。

まひろ:ただいま戻りました。

為時:土御門殿はいかがであった?

まひろ:良い時を過ごしました。

為時:まことか。倫子様という左大臣様の一の姫はどういう御方であった?

まひろ:今まで、あのような御方とは会ったことがありません。

為時:それはどういうことだ?

まひろ:よくお笑いになる方で姫君たちにも慕われておられました。

為時:婿を取る話などは出なかったか?

まひろ:・・・いえ。(不審に思う)

為時:左大臣の姫君はお年頃と聞いている。東宮の后となさってもおかしくない。

まひろ:なぜ、そのようなことをおっしゃるのですか?(為時、一瞬まひろを見る)・・・兼家様に何か頼まれたのですか?・・・私を間者にしろと。

為時:(目を伏せて)お前が外に出たがっていたのではないか。それに、高貴な方とお近づきになっておいて損はない。嫌なら行かなくていい。(視線を合わせず横を向いてしまう)

まひろ:はい、余計なことを申しました。(為時がまひろを見る)倫子様のお気に入りになれるよう努めます。

為時:うん。

まひろ:(礼をして退出、亡き母の琵琶の置いてある部屋=自室?で泣くのを堪える)

 母の遺品の琵琶を見やったまひろ。亡くなった母が自分にくれた愛情と、父が自分を利用しようとする事実とを比べたら、涙も出ようというものだ。緊張の父娘関係は続くが、とはいえ、まひろも父の立場を理解し自分の得を取る賢さがある。

 今回、為時にも変化が見られた。世渡り上手の宣孝ほどではないにせよ、学者一辺倒の考え方から、まひろを左大臣家に間者として送り込むことを考えついて兼家に進言する程になった。

 また、家人が逃げ出すほどの困窮にあえいでいた初回と違い、為時家の経済は上向いたのか、今回は家人も下女も数人いるようになった。兼家からの禄で何かと賄えるようになったのだろう。

 家人が多くいては、まひろも以前のように自由に逃げ出すのは難しい。まあ、まひろを外に出すための設定だったのかなと思うけれど、ちょっと貧乏過ぎたもんね。

別れも出会いもスローモーション🎵

 前回の終わり~今回の冒頭で、逃げていた「謎の男(直秀・毎熊克哉)」と見間違われて三郎(道長)が放免という元罪人の岡っ引きみたいなのに捕まった。その原因を作ったのは、テキトーに放免を案内したまひろだった。

 「お前も盗賊の仲間か」と疑われて、「逃げていたのはその人じゃありません!」と言い募れなくなったまひろだったけれど、何だろうあれ。この時代の人は超能力者なのか・・・連行される三郎の「心の声」が、まひろにもちゃんと届き、まひろが突然黙った。

放免:ほら、行け!

まひろ:やめて!

三郎(道長):(心の声)来るな!俺は大丈夫だ。(放免に向かって)行こう。

放免:何様だ!

 心の声の部分はスローモーション。ふたりの心が、目を交わしただけで通じ合ったってことなのかな・・・ちょいと無理がある。

 道長は、当然ながら父・兼家の右大臣の権力を発動して無事にご帰還。それを直秀も陰から見届け、ちゃんとまひろに「あいつは無事だ」と報告に来た。

 直秀は「見るな。声を上げるな、危害は加えぬ」と告げてから一方的に道長の消息を伝え、この時点では身元は明かさなかった。だから、今回の終わりで道長と再会できたまひろは、直秀が散楽一座のメンバーと分かってダブルで驚いていた。

 あの時、直秀はうっかりまひろと道長にそれぞれ駆け寄っちゃってキューピットになっちゃったのかな?彼も驚いていたもんね。

 ちなみに、その時もスローモーション。つい中森明菜の歌声「🎵出会いは~スローモーション~」が頭の中で響いてしまった。

 この直秀、今後はまひろと道長をつなぐ存在になっていくのか?まひろも道長も、そうそう自由に会えないのだろう。このドラマオリジナルキャラの直秀が、どう物語の中で動いていくのか注目したい。とりあえず、次回予告だとまひろの心を弄ぶなと道長に言うみたいだけど。

 演じている中の人・毎熊克哉は、昨年「どうする家康」で汚れ役の大岡弥四郎に抜擢されていた、「まんぷく」塩軍団の人。あの少し暗めな表情がこういった役にはまるんだろうな。2年連続の大河ドラマ出演、大したものだ。おめでとう!

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兼家も詮子も、下々に関心を向ける道長を理解しない

 さて、兼家は安定の権力欲の権化のまま、詮子が産んだ孫の親王を早く東宮にするために円融天皇の譲位を早めようと画策中だ。

 父の指示で策謀に手を染めている次男の道兼には、天皇に薬を盛らせた陪膳の女房が吐かねば証拠は無いから、当分大切にしておけと言う。「お前に守られておると思えば口は割らぬ」と。

 そして「一族の命運はお前にかかっておる。頼んだぞ、道兼」と言った。その時の道兼の嬉しそうな顔!こんな、人を人とも思わぬ、息子を駒としか思わぬ父の愛を乞い、操られて哀れだ。その道兼に使われる陪膳女房も。

 家族であっても、物事を上へと上昇するためにしか考えない強烈な兼家。ここまでくるとむしろ潔い。利用できるかできないかの彼の物差しは、強固な身分の上下意識が基礎にある。

 道長が釈放された時の兼家との会話はこうだった。

藤原兼家:お前は右大臣の息子だ。放免なぞを相手にする身分ではない。

道長:相手にしておりませぬ。

兼家:では、なぜ捕らえられた。

道長:さあ?

兼家:もし、わしが屋敷におらねばお前は獄でなぶり殺されていたやもしれぬぞ。

道長:屋敷におられて、ようございました。

兼家:大体、その格好は何だ。

道長:これは・・・民に紛れて下々の暮らしを・・・。

兼家:民の暮らしなぞ知らんで良い!なまじ知れば、思い切った政は出来ぬ。わしにとっても一族にとっても今がどういう時か、お前も分かっておろう。

道長:ん~分かっておらぬやもしれませぬな。

兼家:何だと?!分らぬのか。詮子は帝に嫌われておる。その上、お前までが厄介ごとを起こせばどうなる。我が一族だけでなく、懐仁親王様にまで傷がつくことになるのだぞ。今は、1つの過ちもあってはならぬ。一刻も早く懐仁親王様を東宮にし、帝になし奉らねばならぬのだ。わしとて、そうでなければ摂政になれぬ。

道長:父上は既に右大臣。これ以上、偉くおなりにならずとも。

兼家:上を目指すことは我が一族の宿命である!お前もそのことは肝に銘じよ。

道長:私は三男ですので。

兼家:わしも三男だ!ゆえに三男のお前には望みを懸けたが、間違いであったようだな。

道長:あっ。お顔に虫が・・・。

兼家:(慌てて払う。口の端で笑う道長)・・・うつけ者!

 上を目指すことにしか目を向けられない父と、下々にも関心を向けている変わった息子。兼家は怒って出ていくが、この後、話を聞いていた詮子は「面白いわね、道長って」と笑う。

 道長と親しいこの姉も、言うことは父と変わりない。従者の百舌彦を庇おうとした道長に「あの従者はお前の秘密を知っているのね?」と問うのだ。秘密を知られている=利用価値がある従者だから弟が庇おうとしていると彼女は考えたのだろう。

 そして詮子は「隠してもダメよ、道長は下々の女子に懸想している」「身分の卑しい女なぞ所詮いっときの慰み者。早めに捨てておしまいなさい」と現代人が卒倒しそうな言葉を吐くのだ。

 道長はそれには構わず百舌彦を助けるように詮子に頼み、ひとりになって「待ってください!逃げていたのはその人じゃありません!」と言って駆け寄ったまひろの姿を思い出し、ほっこりしている。まひろも、捕らえられた道長を心配している。恋だねえ。

 この兼家一族の中では、今のところ道長は相当な変わり者だ。ドラマの中ではどのタイミングでどう変化し、権力を極めていくのだろうか。それとも兼家の考えには染まらず、このままで変わらないのか?興味が尽きない。

まひろ画伯

 今回、まひろの弟・太郎がお姉ちゃん思いなのが良く分かった。いくら何でも、あのまひろ画伯の描いた三郎の似顔絵と「身の丈6尺以上、名前は三郎」という情報だけでは、どう見ても人探しは無理だろう。

 それなのに、まひろに頼まれた三郎を本気になって探し、一応数人の候補者を屋敷に連れてきた。「歌はうまいけど絵は下手だな~」と嬉しそうに言いながら。

 絵は本人には似ても似つかないから、道長本人が乗る馬を引く従者の百舌彦に太郎が絵を見せても「さあ」と言われていたのは笑えた。

 太郎は、まひろが代筆業をやっていた雇われ主の絵師にも「何だよ恩知らず、姉上が歌の代筆をやったおかげで相当儲かったくせに!」と噛みついていた。可愛い弟だ。

 その太郎が、まひろに「貴族じゃないのかよ、はあ、まずいよそれ。釣り合わないでしょ」と言った。当時の厳しい身分の上下を、主人公たちの姉弟である詮子と太郎が、視聴者に教えてくれている。

 太郎はさらに「姉上の三郎?幻じゃないの?鬼とか悪霊とか怨霊とかさ」とまひろに聞いた。その後に、まひろとはいつも関係なく存在しているようで実は物語世界をコントロールしているような、怪しげな安倍晴明が出てくる。話運びがうまくて感心するが・・・うさんくさい安倍晴明だ。

道長らの「雨夜の品定め」

 藤原公任、藤原斉信と道長が宿直をする場面。これは「光る君へ」版の源氏物語「雨夜の品定め」がキターと身構えた。元々がキラキラしている町田啓太の公任はともかく、はんにゃ金田の上級貴族っぷりが意外なほどぴったりで、キャスティングは正解だ。

 が、シチュエーションはそうだったけど、公任のモテっぷりがわかったぐらいで夕顔らしい話も出ず、大した品定めにはならなかったね。現代のドラマでは女の人の品評会みたいな話はコンプライアンス的に難しいか。

 そして、道長の懐から出てきた手紙の中身が明かされなかったので、誰から?何の手紙?と気になった。もしかしたら、ただの懸想文じゃないのでは?謎だ。

 道長は自分で「俺のように字が下手で歌も下手だと困るな」と言っていた。確かに書いている場面では、独特な字だった。世界遺産(!)にもなっているという道長の実際の字(それが「御堂関白記」かな)に似せて書くそうだから、大変だ。しかし、字も歌もうまいまひろと、更なるつながりが後々期待できそうな話だ。

助かる解説「かしまし歴史チャンネル」

 上級貴族の公達が、休日でも関白の屋敷で学んでいたという漢籍。「国家を率いていく者としての研鑽を積む」とナレーションが入った場面で、孟子の「人に忍びざるの心有り」が出てきた。公任がそらんじていたのは、字幕によると、こうだった。

藤原公任:人皆 人に忍びざるの心有りと謂う所以の者は、今人たちまち孺子の将に井に入らんとするを見れば、皆怵惕(じゅってき) 惻隠の心有り。交(まじわり)を孺子の父母に内るる所以に非ざるなり。誉を郷党 朋友に要むる所以に非ざるなり。(略)辞譲の心無きは 人に非ざるなり。是非の心無きは 人に非ざるなり。

 小さな子が井戸に入ろうとするのを見れば、人はとっさに助けるものだという話らしい。別にその子の父母が知り合いだとか、みんなに褒められるとか関係ないと・・・。字幕を見ればやっとこさ内容が推測できるが、とても聞き取れない。

 「光る君へ」の公式サイトでは、平安時代を扱うとあって説明することがいつもの大河ドラマよりも多くて大変だろうけれど、平安の知識をそれなりに説明してくれている。が、それでも足りない点もある。

 そこで!頼りになるのがこちらのYouTube動画だ。私が大ファンのきりゅうさんが、付け焼刃ではない、深い知識を楽しく分かりやすく披露してくれている。この孟子の「人に忍びざるの心有り」についても、説明があった。

youtu.be

 この「かしまし歴史チャンネル」を放送後に見て、なるほど!と理解して、またドラマの録画を見直すコースがとても楽しい。言い間違えもしょっちゅうあるけれど、それもご愛敬。きりゅうさんの博識には驚かされるばかりだ。

 「平安でわからないから」といったドラマ脱落組を引き留め、むしろファンを増やしていそう。NHKはきりゅうさんのサポートに感謝すべきだろうなあ。

(基本は敬称略)

【光る君へ】#1&2 滑り出し上々、京の町を走る(!)紫式部(まひろ)と道長のドラマを見守っていきたい

元日から発熱、コロナでした

 2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」が今月からスタートしている。以前、題材が発表された時に、喜びに満ちあふれたブログを書いていたのだけれど、元日からの発熱でまさかのコロナ。何とかパソコン前に座れるようになってみれば、2回目も既に終わって3回目も放送目前だ。完全に乗り遅れた。

 ところで、以前書いたブログでは、私は勘違いをしていた。「光る君へ」では、「源氏物語」そのものがもっとがっつり描かれるのかと思って、光源氏には誰が良いとか、紫の上は誰だとか、妄想を膨らませて「源氏物語」内で勝手にキャスティングしたりしていた。

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 だけれど、今回の大河ドラマで描かれるのは、作者の紫式部の人生の方。劇中劇としても「源氏物語」は出てこずに、紫式部=「まひろ」と、藤原道長との関わりを「特別な絆」として描いていくのだという。勘違いしていたけれど、それはそれでとってもワクワクするなー。

 脚本は大石静、昨年のようには全然心配していない(失礼)。ドラマの滑り出しは上々、平安絵巻の中で描かれる「まひろ」と道長のふたりの行く末を見守っていきたい。「源氏物語」のエッセンスはあちこちに散りばめられていくようだし、それを毎回見つけるのも楽しいだろう。

 それに、漢学者である「まひろ」の父がフニャフニャグニャグニャしている弟の太郎に授ける「史記」など漢籍の講義は興味深い。高校時代の古文漢文の遠い記憶を掘り起こしつつ、毎週勉強させてもらえそうだ。それにしても、あの太郎が「舞い上がれ」のあの先輩と同一人物だとは・・・💦毎回思うが、役者さんってすごい。

 ドラマを見て、また読みたくなって「源氏物語」の田辺聖子訳を引っ張り出してきた。昔は円地文子訳の「源氏」が自分にはしっくりくるなと思っていたけれど、今、冒頭を布団の中で少し読んでみると、田辺聖子訳も自然に入ってきてスルスルと読みやすい。どうして昔は軽くてヤダなあと思ってしまったのか・・・不思議だ。

「鎌倉殿の13人」の大姫ちゃん登場!

 初回は熱に浮かされた状態で見たが、1時間起き上がっていられなかった。それでも、終わりの道長兄・藤原道兼による「まひろ」の母「ちやは」(国仲涼子)への暴挙は衝撃的、しっかり頭に残った。

 まずは物語のあらましを、公式サイトから引用しておこう。

(1)約束の月

初回放送日: 2024年1月7日

 「源氏物語」の作者・紫式部の波乱の一代記。藤原為時(岸谷五朗)の長女・まひろ(落井実結子)はある日、三郎(木村皐誠)という少年と出会い、二人は打ち解けあうが… 。

 1000年の時を超える長編小説「源氏物語」を生み出した女流作家・紫式部の波乱の一代記。平安中期、京に生を受けた少女まひろ(落井実結子)、のちの紫式部。父・藤原為時(岸谷五朗)の政治的な立場は低く、母・ちやは(国仲涼子)とつつましい暮らしをしている。ある日まひろは、三郎(木村皐誠)という少年と出会い、互いに素性を隠しながらも打ち解けあう。再び会う約束を交わす二人だったが…激動の運命が始まる。((1)約束の月 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 少女期の「まひろ」を演じているのは、なんとあの大姫ちゃんの中の人物(落井実結子)!2022年大河の「鎌倉殿の13人」での熱演は素晴らしくて、源頼朝に対して源義高の命乞いをするシーンは出色。両親役の大泉洋と小池栄子の大人を差し置いて、完全に大姫ちゃんのものだった。

 それで、私も前掲のブログで幼少期の紫の上を演じてくれと、キャスティング希望のいの一番に書いたのだったなあ。

光源氏:個人的に見たい義高&大姫コンビ

 光源氏もSNSでは様々な俳優さんが推されていて、悩む。皆さんお目が高い!というご意見ばかりだ。それに対抗するわけでもないが、こんな方々はいかがだろう。

 

  1. 市川染五郎&落井実結子:少年期の光る君の候補は、「雀の子を犬君が逃がしつる」と泣く、幼い若紫とのセット推し。「鎌倉殿の13人」で木曽義高と大姫の幼いカップルを演じたおふたりにお願いできないか。悲劇を演じたふたりの笑顔がまた見たい。年齢的にも光る君と若紫の出会いのシーンを演じるにはぴったりでは?

 ことごとくキャスティング希望が外れた中(というか、前提が間違っていた)、この第二の安達祐実のような小さな名女優さんのご出演はとても嬉しい。初回でサヨナラなのが残念だが、あまり引き延ばしても主役の吉高由里子が出てこられないし。

 少年の三郎役の子も、茫洋としている感じが将来の大物感を醸し出して良かった。成長後の柄本佑にも、立ち姿や目元とか似ているし。最近の子役さんは本当に当たりばかりだ。大姫ちゃんも三郎も、ふたりとも、回想で出てきてね。

恐ろしいのは父・兼家の暴力的DNA

 その三郎を「物事のあらましが見えている」と評した父・藤原兼家(段田安則)。この初回、第2話だけでも兼家の恐ろしさがじわじわ沁みた。

 自分だって掌中の珠の娘(吉田羊)を入内させたのに、円融天皇は太政大臣と共にそちらの娘の方に行く。それを目の当たりにさせられた兼家が、物に当たって机の上をぶちまけるシーンがあった。そこで「まひろ」の父・為時からの手紙を見つけ、為時を手駒として東宮御所に仕込むことを思いつくわけだが、この、物事がうまくいかないと激昂して当たり散らすDNAは兼家から道兼に遺伝したんだろう。

 兼家自身も、兄との熾烈な政治的な戦いを経てこうなってしまったのか。それとも、そもそもが兼家はこうだったから兄に徹底的に排除されたか。「カムカムエヴリバディ」の雉真足袋の社長さんとはだいぶ性格が異なる。そして、嫡妻・時姫とのシーン。

時姫:(兼家の肩を揉みながら)近頃の道兼には手が付けられませぬ。なぜあのようにイラ立っておるのでございましょう。

兼家:嫡男道隆を汚れなき者にしておくために、泥を被る者がおらねばならぬ。そういう時は、道兼が役に立つ。

時姫:(肩揉みを止めて)そのような恐ろしいお考え・・・。

兼家:ふん?道隆も道兼も三郎も、我らの大切な子じゃ。道隆は押し出しも良く真面目であるし、道兼は乱暴者だが猪突猛進で良い。三郎は、ボーっとしてやる気がないが、物事のあらましが見えておる。(時姫の手を取って)そなたの産んだ三兄弟は、皆それぞれに良い。うん。

 時姫は母として道兼の現状を心配しているのに、兼家は手駒としてしか息子たちを見ていない。まったく「そのような恐ろしいお考えをお持ちとは」と、妻としては後ずさりしたくなるような物言いだ。

 彼の言う「大切な子」「良い」の意味が恐ろしいのだ。「一族の泥を被る者として役立ち、乱暴者だけれど猪突猛進で良い」と、そんな事を親が言うのか。暴力団の組長が鉄砲玉の下っ端を評しているみたいだ。権力欲に囚われているのがデフォルトになっているのが兼家。その心の内が良く分かった。

 この直前のシーンでは、三郎(道長)はイラ立つ道兼にいつもの通り(慣れていると言っていたからね)言いがかりをつけられ、殴打され痛めつけられ、足首に大きな傷跡が残った。

 こんな事でも無ければ、貴族の坊ちゃんの体に傷跡なんか残らないだろうから、第2回で「まひろ」に再会した時に気づいてもらえない。道兼はトラブルメーカーだけれど、彼が引き起こす嵐がドラマを引っ張っている。

 そして、初回終盤の衝撃的シーン。母「ちやは」が、道兼に殺害された。あんなに血とか死穢を気にする平安貴族が、自ら人を刺し殺しちゃうなんて大変なことだ。「ちやは」の返り血を浴びて帰宅した際の姿を、三郎は偶然目にして逃げた。それを目の端でとらえていた道兼。これは後々怖い。

 そうだった、兼家の妻・時姫はセーラームーンの声優として知られる三石琴乃が演じていたと知ってビックリ。昨年の渡辺守綱役の木村昴といい、「おだまりなさい!」の声がピシッと通る・・・だけじゃなくて存在感があった。

 「ちやは」役の国仲涼子と同様、初回で退場とは勿体ない。道兼をもっとしっかり月に代わってお仕置きしてほしかった。道兼も、母の愛を欲しているよう。親の愛に飢えるのは、二番目あるあるか。

母を失った主人公たち

 主人公「まひろ」も準主人公道長も、初回を終えて早くも母を失った。「源氏物語」の光源氏も母・桐壺の更衣が早死にしたね。当時は珍しいことでもなかったのだろうな。

 「まひろ」(吉高由里子登場)は、母「ちやは」の殺害を「急な病で死んだことといたす」と言って揉み消した父・為時(岸谷五朗)と決裂。母が自分の目の前で殺されたというのに、「人殺しを捕まえて、ミチカネを捕まえて」と泣いて頼んでも「そのことはもう忘れろ!」と父は言った。

 「まひろ」は、父が正義よりも忖度を選んだから、母と同時に、信頼できる父をも失った気になったのだろうな。

 そして町中に出て、男を演じて「代筆仕事」など、貴族の娘がすることとはとても思えない稼業に手を染めていた「まひろ」。まるでグレた問題児だ。「まひろ」が街中を疾走する場面では、さすがに周りの注目を集めていたが、貴族の娘がそこまでするとは。

 平安時代、グレたくても貴族の娘に逃げ場などあったのか?為時の方が「まひろの視線が怖くて自宅に居るのがつらい」と、「まひろ」の裳着(成人式)の腰結いを頼んだ親戚のイケオジ藤原宣孝(佐々木蔵之介)にこぼしていたが、裏返せば、それは「まひろ」も同じことだ。

 それに、三郎の住む兼家の東三条の邸が豪壮なのとの対比なのだろうが、「まひろ」の家がいかにもボロで狭すぎる。あれではどこにも逃げられず息が詰まりそうだし、将来、娘の婿をどこに迎える気なのだろうと心配になる。宣孝は成人した「まひろ」が婿を貰えると大喜びしてみせていたが。

 そもそも、為時が東宮の御前に上がるために着用した緑色の袍にカビが生える程、邸内に水が引き込んであるのもどうなんだ?屋根から雨漏りが始終しているのも、書物が沢山ある学者の家には似つかわしくないはず。書物命のはずだから、もっとカラッとしてなくちゃ。

 母がもし生きていたら「まひろ」もグレず、母に見守られて御簾の中に少しはじっとしている娘になっていたかもしれない。そうしたら、現代の視聴者が喜ぶ大河ドラマにはならないが💦

 三郎も、自分に暴力を仕掛けてくる兄・道兼を止めてくれる母が亡くなり、防波堤がなくなった以上、家に居るのは危険になった。道兼の鬱憤晴らしの餌食になるばかりなら、やはり身をやつしての外出は増えただろう。(貴族だから、本来は牛車に乗っていると思うんだけど。だからお得意の変装しての外出なんだよね。)

 そんなふたりの共通点、自宅が居心地の悪い場所であるのは、ふたりが外で再会するためにも、良く考えた設定だと思った。

 第2回は「めぐりあい」。初回のエピソード、三郎の足のキズや足で名前を書ける点が早々に回収され、ふたりは巡り会った。

(2)めぐりあい

初回放送日: 2024年1月14日

 母の死から6年、成人したまひろ(吉高由里子)と父・為時(岸谷五朗)との関係は冷めきっていた。道長(柄本佑)の父・兼家(段田安則)はさらなる権力を得ようと…。

 母の死から6年、まひろ(吉高由里子)は15歳となり成人の儀式を迎える。死因を隠した父・為時(岸谷五朗)との関係は冷めきる中、まひろは代筆仕事に生きがいを感じている。一方、道長(柄本佑)は官職を得て宮仕え。姉・詮子(吉田羊)が帝との間に皇子をもうけ、道長の一家は権力を拡大していた。道長の父・兼家(段田安則)はその権力をさらに強固なものにしようと道兼(玉置玲央)を動かし、天皇が退位するよう陰謀を計る。((2)めぐりあい - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 このめぐり逢いは、すれ違いになっていくのだろうか。となると、逆に恋心は盛り上がっていきそうだなあ。平安時代版の朝ドラ「君の名は」みたいになっていくのか。

源氏物語エッセンス

 初回では、雀が逃げて探しながら泣く幼い「まひろ」と、散楽で出会った女(ぬい。野呂佳代)と消えた従者・百舌彦を待っていた三郎が出会った。

 そのパートで、源氏物語ファンはキュンとしたはず。伏籠に入れてあった雀の子を犬君(いぬき)が逃がしちゃった!と泣く、幼い紫の上が光源氏と出会う(というか一方的に見初められる)かの有名な「若紫」の場面がそのまま想起されるようなシーンだったから。

 第2回では、代筆仕事の依頼人が歌の書き直しを頼んだ時に、もう少し話を聞かせてと「まひろ」が問うたのに対して「初めて出会った時に夕顔が咲いておりました」で、おおお!夕顔キター✨と内心で盛り上がった。代筆仕事をしていた場所も、貴族が住んでいた界隈とは違い、夕顔=「五条の女」が隠れ住んで居た場所はこんな感じかしらと思わせた。

 「まひろ」が裳着の式を終えて書き物をしていた時に、後ろにこんもりと脱ぎ捨てた衣が残されていたのも、あれがいわゆる「空蝉」なのかしらね、と思ったりもした。ああいう衣装を着て、五節の舞姫なんかは踊るものかしらと想像すると、貴族の姫様方も大変に骨が折れそうだ。衣装の重みで潰れそう。

 裳着など儀式に止まらず、衣装も調度品も食べ物も、大河ドラマとなると予算の許す範囲で本物を目指していると思うと、いちいちが素晴らしく目に映る。「まひろ」が三郎にもらって食べていた菓子は食べてみたいし、何度もゆっくり録画を見直したい。もちろん、ストーリーとしても「源氏物語」に負けずに人生の深淵を描いていってくれるんだろうと期待している。

 道長の姉・詮子は、円融天皇に「母として生きよ」なんて冷たい言葉を浴びせられていて可哀そうだったが、唯一の皇子を上げているから国母となれるかもしれない立場。それが、「源氏物語」での弘徽殿の大后みたいだと思った。

 大后は、桐壺帝の後を継ぐ源氏の兄・朱雀帝の母だ。桐壺帝に愛されているとは言い難かったが、後継ぎの母として尊重され、権力を手に入れる。

 こういった「源氏」エピソードが、道長など実際に生きていた人たちをモデルとするドラマとして書き換えられていくのだろうから面白くない訳がない。

 (ところで、「源氏」をプレーボーイ光源氏の恋愛遍歴を描くラブストーリーと単に捉えていそうな浅さを、昨年の「どうする家康」では感じ、がっかりした。瀬名が於愛を引見する場面でだったが、女の読者は於愛のようなキャッキャだけの読み方は出来ないものではないかと思ったからだ。「源氏」で描かれる女君たちは、出家する以外は自分で自分の人生を決められず苦しんで生きる。言わば男に踏みにじられても、それでも生きていく側なのだから。)

御簾内に居る東宮でも

 そうそう、流石にドラマの円融天皇は御簾内に居て政務に当たっていたのだけれど、当時の貴族女子は御簾の陰に隠れて成人するにつれて家族にも顔を見せないのでは・・・ドラマでは御簾は見事に取っ払われ、あんなに開け広げでやっていくんだなと、初回の兼家一家の会食シーンを見て思った。

 あんまり開け広げじゃ「垣間見」の感動というかドラマチックさが薄れちゃうのではないか。でも、いちいち貴族の姫を御簾内にぶち込んでいたら、やっぱりドラマにも何もならないでしょ!ということなんだろう。

 ところで、あの泣いている色白の赤ちゃんが定子なのか。泣いているのも彼女の将来を感じさせて暗示的だ。それとも、じいじ兼家は、権力を握る手駒としてしか家族を見ない恐ろしい人物と感じて泣いているのかな。

 第2回で、兼家は道兼による初回での「ちやは」殺害を知っていて、従者を手にかけ隠ぺいを図っていたことが判明した。それだけでゾッとするが、それをネタに息子をさらなる悪行に仕向けるとは・・・権力の鬼だ。「まひろ」の父・為時を子飼いにし禄を与え続けているのも、花山天皇の監視だけでなく、妻を殺された口封じの意味もあったのかもしれない。

 その為時が漢籍を教えている後の花山天皇(本郷奏多)がサイコーだ。「麒麟がくる」で近衛前久を演じていた時に雅な曲者だなと思っていた。変わり者の天皇なら当たり役だ。

 初回の師貞親王役の子役からして突き抜けていて目を引かれたが、物心つく前から大人に頭を下げられ、御簾内でかしずかれて育つと、何をどう信じていいのか分からなくて試し行動連発になるのかな。心細いのだろう、気の毒な人だ。唯一、信じてみるかと思った為時も間者だったと知ったら荒れそうだ。

 しかし、花山天皇にさえ漢籍を教えることができた為時が苦戦するのだから、「まひろ」の弟・太郎はある意味大したものだよね。

怪しい「ぬい」と散楽一座

 次回は「謎の男」ということで、予告映像を見た限りでは「雨夜の品定め」的な話が若手貴族の皆さんが参加して展開するのかなと思ったのと、「まひろ」が上級貴族のサロンに参加するらしい。そして、俄かに気になっているのは散楽一座の面々だ。

 次回予告で、見つめ合う「まひろ」と道長の後ろに堂々と存在している人物(「秋の女御」を演じていたかな)が謎の男なのか?第2回でも、身分を隠していた道長は、一座の演技中に「弟よ~」と「秋の女御」にいきなり話しかけられ、驚いていた。

 道長が「秋の女御」のリアル弟だと知れていて、それで真っ直ぐ話しかけに来たとしか思えない。その後、道長の反応が分からなかったが、どう次回描かれるのか。

 改めて考えてみると、道長の従者の百舌彦を籠絡した女(ぬい)が怪しく思えてくる。ただ単に百舌彦が仕立ての良い着物などを身に着けているから、良いところにお勤めなんだね💕と目を付けられ、声を掛けられて良い仲になったのかと思っていた。

 しかし・・・もしかしたら「ぬい」は散楽一座の密偵なのか?寝物語に百舌彦から兼家一家の内情を聞き出して、一座がそれを出し物に仕立てているんじゃないのだろうか。狙いは情報の方だったのかも。

 大体、百舌彦って名前からして「百の舌がある男」なんだよね?お仕えしている家の話を、外でものすごく喋ってそうだ。それで、道長が本当の「トウの一族」の三男であることが一座に知られちゃっているのだったら、理屈が通る。

 次回も楽しみだ・・・と書いたところで、もう一寝入りすれば昼のBS4Kでの放送が見られる。コロナ後のせいかまだ頭がハッキリせず、名前が出てこなくて苦戦してしまった。今回はいつもにも増して取り留めなくグダグダ、とりあえずここで切り上げることにする。

 次はコロナから完全脱却して、もう少しマシな体調になっているはず。長々お付き合いいただいている方々、毎度ありがとう。今年は平安大河ドラマを一緒に楽しみましょう。

(敬称略)

 

【どうする家康】#48 家康は「鎌倉殿の13人」義時と相似形、でも最期は幸せに海老すくい

「神の君へ」から来年の「光る君へ」

 もう片手で数えれば2024年が来る。年末だ。毎度のようにああだこうだに追われて年の瀬を迎えているが、気づけばまだ「どう家」最終回について書いていなかった。下手すると来年の大河「光る君へ」が始まってしまうじゃないか。

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第48回(最終回)「神の君へ」は、もう10日以上前の12/17に放送された。この記事を12/29の総集編前に書き始められて良かった(アップできるのは後かもわからないけど😅)。

 最終回サブタイトルの「神の君へ」は明らかに来年大河の「光る君へ」を意識したものだろう。Amazonで発売されていた脚本をチラ見したら、最終回のオリジナルのサブタイトルは「~でどうする!」という形式だったから。

 「光る君へ」では、まだ劇中劇で必ず出てくるはずの光源氏を誰が演じるのか発表されていなかったような。今思うと、松本潤は徳川家康役よりも光源氏役の方にキャスティングされるのが普通だったかなと思うのに、若い頃の「ぴょんぴょんぴょん」だけじゃなく(初めて見た時は唖然としたが、見慣れてしまうと懐かしい)、よくタヌキ親父の晩年まで走り抜けたものだ。

 最終回では、そのタヌキ親父も白兎に戻るとオープニングアニメでは示唆していた。やっと肩の荷が下りると。

 それを指し示す「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」は江戸時代に水戸藩あたりで創作されたもので、神君家康のご遺訓とは・・・💦と今どきの時代考証の先生方はおっしゃっているらしいのによく出したなーと思ったら、それを語りの福(春日局)が「遠き道の果てはまた命を賭した戦場にございました」と続けた。彼女の言葉として処理したってことだよね、考えてる。

 それから、まだまだ引っ張る「鯉」バナ。京の二条城で、これから戦場に赴く家康が阿茶局と会話をする。

家康:わしに言いたいことがあれば、今じゃぞ。これが最後かもしれん。

阿茶:ありません。私は最後とは思うておりませぬので。(家康に羽織を着せかけて)あ、ひとつだけ。よろしければ、あのお話をお聞かせ願いとうございます。

家康:あの話?

阿茶:鯉。

家康:コイ?

阿茶:魚の鯉のお話でございます。

家康:ああ、あれはな、信康と五徳の・・・。

 ここでまたお預けが入るのだ。場面は大坂城の乱世の亡霊の皆様へと移ってしまう。鯉の話を聞かれて、さすがにもう家康は笑い転げたりしないが、口が重そうだ。あの後、満面の笑みを浮かべていた阿茶は、話を聞かせてもらうことはできたのだろうか。

 でも、ここで家康の脳裏にはしっかりと浮かんだんだろうなあ、最後の戦を前にして、幸せだったあの頃が。

 視聴者側の私にも浮かんだ。散々お預けを食らってきたイライラ。最終回に及んで、まだするかと。この脚本家は、全編を通じてあっちこっち話を飛ばすものだから、そんなイライラがあちこちに散りばめられてきた。最終回ではそれらを一気に晴らしてもらいたいと仇を取るくらいに期待していたものだから・・・もう!

 「○○はCMの後で~」と引っ張る手法がいつからか日本では当たり前だけれど、それを、少し前の話だけれど、韓国在住が長い知人が驚いていた。「こんなことをしたら視聴者をバカにするなと韓国だったら暴動が起きるよ」と。今も韓国ではそう受け止められるだろうか。よくよく日本人は従順に躾けられたものよ。

 この引っ張る手法も、視聴者を繋ぎ止める「ロングパス」などとかえって称賛されて乱発されるようになって、もはや制作側では当たり前なんだろう。ミテルガワノコトカンガエロヨ。ああ、私も一話完結とか二時間ドラマしか見られない体質になってきちゃったかな。要するにガマンが利かなくなってる。

 さて、「戦とは汚いものよ」と真田昌幸(佐藤浩市)は生前、信繁に言っていた。「戦はまた起こる。ひっくり返せる時は必ず来る。乱世を取り戻せ。愉快な乱世を泳ぎ続けろ」と種を息子に植え込んでいた。徳川にとっては乱世の帝王・昌幸が生きていてはかなり厄介だったはず。やはり、彼は家康と秀頼の二条城での会見の後、始末されたかな?

 佐藤浩市と同じく、2年連続の大河ご出演となった小栗旬。演じる天海(言われてなかったら分からないレベルの特殊メイク~)が源氏物語と吾妻鏡(昨年最終回でこぼした、お茶の染み付き)を手にしながら源頼朝について語るという、しゃれっ気いっぱいの登場の仕方をした。

 言うまでもなく、小栗旬は昨年の「鎌倉殿の13人」主役の北条義時を演じ、義時は源頼朝にこれでもかと振り回されていた。「世間では(家康のことを)狡猾で恐ろしいタヌキと憎悪する輩も多うございます。かの源頼朝公にしたって、実のところはどんな奴かわかりゃしねえ。周りがシカと称えて語り継いできたからこそ、今日、全ての武家の憧れとなっておる訳で」「人ではありません。大・権・現!」と秀忠に言った時の言葉がちょっと愚痴のようで、ニヤニヤしてしまった。しかし、なぜあそこに真田に嫁いだ稲姫が居るんだ?

 この、前後の大河のエピソードを最終回で噛ませるというのは、今後も恒例になっていくのだろうか。来年の「光る君へ」の主人公・紫式部は、「源氏物語」をあれだけ面白く書くくらい想像力がたくましいのだから、今年の戦国時代と再来年の江戸時代程度の未来なら無理くり想像を飛ばせるか?・・・やっぱり無茶ぶりかな。

とうとう出てきた「鯉」バナの中身

 さて、最終回のあらすじを公式サイトから引用しておこう。

家康(松本潤)は豊臣との決戦に踏み切り、乱世を終える覚悟で自ら前線に立った。家康の首を目がけ、真田信繁(日向亘)らは攻め込む。徳川優勢で進む中、千姫(原菜乃華)は茶々(北川景子)と秀頼(作間龍斗)の助命を訴えた。だが家康が下した決断は非情なものだった。翌年、江戸は活気に満ちあふれ、僧・南光坊天海(小栗旬)は家康の偉業を称え、福(後の春日局/寺島しのぶ)は竹千代に”神の君”の逸話を語る。そんな中、家康は突然の病に倒れる。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 「家康が下した決断は非情なものだった」って、まあ「すまん」とは確かに千姫に言ったけど、最終決断を下したのは秀忠だったが。秀忠の成長を感じる大事なシーンだったのに、どうしてこう書くのか、公式サイトなのに。

 秀忠は「最後ぐらい背負わせて」と家康に言い、涙ながらに茶々と秀頼の助命嘆願をする娘・千姫を前に「将軍として、秀頼には死を申し付ける」と宣言した。家康は心配そうに秀忠の決断を見ていた。(前回、秀忠を「お子ちゃま」と書いてゴメン。彼は家康の苦悩をちゃんとわかっていたね。)

 「鬼じゃー!鬼畜じゃー!豊臣の天下を盗み取ったバケモノじゃ」と泣き叫んでいた千姫が心配だ。自分が愛する人たちを、自分の父と祖父が殲滅しようとし、自分の願いを聞き入れてくれない。これ以上のトラウマ体験も無いだろう。彼女自身が秀頼を深く慕っているだけでなく、多くの者が皆そうだと主張すればするほど逆効果、秀忠の表情が硬くなるのが切なかった。確か、家康が会いたいと言っても、千姫はおじじ様には死ぬまで会わなかったらしいよね。

 まあ、千姫については本多忠勝の孫・忠刻と再婚することがあまりに有名なので、救いにはなる。しかも、姑は信康と五徳の娘・熊姫。そこらへんでスピンオフを作ってくれないか。信康の娘たちは、信長と家康の孫なのにドラマに出てこなかった。瀬名の五徳へのセリフ(確か「そなたには娘たちを育て上げる務めが有ろう!」みたいな)で出てきたが、それだけじゃ寂しい。

 千姫の原菜乃華が瀬名の有村架純に面差しがあまりに似ていて驚きだったが、それを逆手に取って、スピンオフでは有村架純が成長した千姫のその後を、山田裕貴が忠刻を演じたらどうだろうか。

 最終回では、前半はドロンジョ茶々様率いる乱世の亡霊チーム(皆さんの亡霊メイクの白塗りが青白い程で禍々しい。「魔界転生」みたい)相手の大坂夏の陣、そして後半は、例の笑っちゃって話せなくなる信康婚儀の際の「鯉の話」がとうとう描かれた。

 話の基になった逸話は、ドラマオリジナルじゃなくて江戸時代に書かれた物の中に実際にあるとか。道理でどこかで聞いた話・・・と思ったら、滝田栄主演の「徳川家康」にも出てきたそうだ。あ~、そうだったかも、でもほぼ忘れている。

 まあ、引っ張りましたよね、鯉の謎。確か「築山に集え!」と「於愛日記」で焦らされて語られずじまい。で、話の中身は、家康が、信長から贈られた立派な鯉を食べたい家臣らにすっかり担がれ、右往左往した笑い話だった。

 これが笑い話になるのは徳川家中だからで、織田家中だったら何人家臣が殺されたのだろう?実際のところ、信長は家康饗応の席で「淀の鯉」を出して失敗した(させられた)明智光秀をひどく叱責し、恨みを買って本能寺で殺された。「家臣を手討ちにしたりしない」と家康を信頼したからこそ、徳川の家臣らは自分たちの食欲を優先して殿を担げたのだった。まさに、幸せだった頃の岡崎での1コマ。

 こういう幸せなひと時が脳裏にあれば、人は生きていけると思う。常時、最期までずーっと幸福であることなんかない。それでは、幸せに鈍感になってしまう。しがみ付いていられる幸せな記憶が過去に既にあれば、人生は幸せなのだと思う。

 阿茶は「天が遣わした神の君。あるいは、狡猾で恐ろしい狸。いずれにしても、皆から畏れられる、人に在らざるものとなってしまわれた。お幸せだったのでございましょうか」と泣き、本多正信も「戦無き世を成し、この世の全てを手に入れた。が、本当に欲しかったもの、ずっと求めていたものは・・・」と手を合わせていたが。

 信康婚儀の場にいて、家康死去に際してまだ死んでなかったのは五徳ぐらいか。亀姫もいたはず。後は皆、徳川に尽くして命を捧げ、既に死んでいった者たちばかり。そう思うと、家康が深々と頭を下げてお礼を言うのはジンと来た。

 あの場面は、家康が若いんだか年なんだかがいったりきたりで、演じている松潤が緩急をうまく表現していた。

 物語の大団円は三河家臣団や家族との海老すくい。役者の皆さんが生き生きと笑顔で踊っていたのが良かった。昨年の「鎌倉殿の13人」の終わり方があれだけ沈鬱だったので(義時に解毒剤を与えず死なせたというか殺した、政子のすすり泣き)、大きく違う。

「どう家」瀬名は、クセになる

 今年の大河の終幕は和気あいあい、スッキリさっぱりできた。何といっても、家康の幸せの象徴・瀬名と信康が出てきたし。当時、結構な瀬名ロスになった私としても、出てくるのを待っていた。こんな瀬名(築山殿)はこれまで見たことが無かったが、クセになったかな。頭の中の池上季実子の瀬名の上に、有村架純で上書き保存された感じ。

 家康死去の年月日「元和二年(1616年)四月十七日」がパーンと表示された段階で、家康が何か(寅?)の木彫りを起き上がってするってのはもう無理なんじゃ?と疑問に思ったら、瀬名と信康が武者隠しから「もう、出ていってもよいかしら」「あ~くたびれた。もう隠れなくてようございましょう」と、サバサバと登場。ああ、お迎えなんだとわかった。

家康:お前たち、ずっとそんな所に?

信康:父上。戦無き世、とうとう成し遂げられましたな。

瀬名:ようやりました。私の言った通りでしたでしょ。成し遂げられるのは殿だと。ご立派なことでございます。

家康:立派なことなんぞ。やってきたことは、ただの人殺しじゃ。あの金色の具足を付けたその日から、望んでしたことは1つもない。望まぬことばかり、したくも無いことばかりをして。

竹千代(後の家光):(走ってきて)おじじ様、上手に描けたので差し上げます(御簾の内側に差し入れた、男雛を振りつつ話す。紙を差し出し、御簾内の雰囲気に気づいて瀬名・信康とお辞儀を交わし、去る)。

信康:不思議な子でございますな。

家康:竹千代、後継ぎじゃ。

瀬名:初めてお会いした頃の、誰かさんにそっくり。あの子が鎧をまとって戦場に出なくて良い世の中を、あなた様がお創りになったのでしょう。あの子があの子のままで生きてゆける世の中を、あなたがご生涯をかけて成したのです。なかなかご立派なことと存じますが?(信康が持ってきた竹千代の描いたウサギを見て)存外、見抜かれているかもしれませぬな。あなたが狸でも無ければ、ましてや神でもないということを。(ウサギの絵を見せる)

家康:(はらはらと、涙を流す)

瀬名:みんなも待っておりますよ。私たちの白兎を。

 こんな幸せなお迎えがあろうか。家康にとってはこれが一番望んだもののはず。瀬名と信康によくやったと褒められれば、満足のはずだ。阿茶も正信も、心配すること無い無い。

 瀬名・信康・家康といるところに竹千代(家光)が持ってきたのは、実際に家光が描いた兎の絵をモチーフにした物だろう。よく似ていた。

 美術さんが描いただろうウサギは、家光が描いた本来のふわふわしたちょっと分かりにくい毛玉みたいなウサギの絵よりも、視聴者のためにはっきりそれと分かる絵になっていたが、「英雄たちの選択」で見たあの絵だ!とピンときた。

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 竹千代は小さな男雛も持ってきた。初回に、瀬名の女雛が乗るおままごとの花籠に乗せられず、別れを暗示された家康のメタファー、家康もとうとうお迎えの舟に乗せてもらえるという意味だろう。

 (ところで、最終回だけに意味深なものが色々あるが、ウサギの木彫りはどこに行ったのか?家康は木の箱に納め、長持ちに大切にしまっていたが、その後まだ見ていない。)

 そうか、「徳川実紀」によれば、前日までに榊原康政の甥を相手に遺言は済ませたのだったか。遺言部分、これもスピンオフにしてくれたら是非見たい、杉野遙亮が当然、康政の甥っ子役で。

 それから・・・「どう家」では、瀬名と信康については深く描かれているのに、他の家康の側室や御三家の祖になった息子たちやらがほとんど出てこないことが気になっていた。

 家康にとっての「幸せな家族」には瀬名と信康が欠かせないのだが、他の側室たちとの関係は、お仕えされる主従関係へと質が異なっていた。後継ぎ秀忠の母・於愛でもそうだったし、阿茶でもそう。瀬名らが死んでからは、家康は仕える家臣らに持ち上げられ遠ざけられるばかりだったかな。

 瀬名と信康がいた頃、家康は普通にか弱い白兎だった。ちゃんとお迎えに来てもらえて、白兎に戻れて何と幸せだったことか。

 そうそう、家康の辞世の句は「嬉しやと 再び醒めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空(これが最後だと思い眠ったが、また目覚めることができてうれしい。この世で見る夢は、夜明け前の空のようなものだ)」。これから取ったのだろう、オープニングテーマ曲のタイトルは「暁の空」と聞いて、このドラマで家康の死に際の走馬灯を1年かけて一緒に見てきたような気もしてきた。また最初の方を見てみたい。

徳川家康の辞世の句(最期の言葉)とは?意味もわかりやすく簡単に解説 – 和歌ラボ

どちらも、泣き虫の男の子が戦の無い世を目指した

 今年の「どうする家康」と昨年の「鎌倉殿の13人」。終わり方は対照的だったが、実は同じ「戦の無い世」がこの先にやってくる安堵感がある。それも、北条義時と徳川家康の、ふたりの主人公どちらもが、地獄に落ちたと見られるほど自分本来の優しい姿を犠牲にして得られた到達点。それがとても似ていた。

 義時も家康も、登場当初はナイーブな泣き虫の少年だった。現実に相対するうちに、自分らしさを失い黒くなっていくが、平和な世を息子ら次世代に手渡そうと、もがいてきた。

 「鎌倉殿」の場合は、しかし、長澤まさみのナレーションでも言っていたように、戦いの無い世が続いたのは、息子の泰時(坂口健太郎)が執権として存在していた間だけ。泰時が世を去ると、義時が信じ続けた三浦義村(山本耕史)の家は宝治合戦の末に滅ぼされている。

 しかし徳川の世は260年も続いた。この差は、家康の「吾妻鏡」研究の成果なのかな?

 「鎌倉殿」最終回で、ゲスト出演的に出てきた松潤の徳川家康が「いよいよ承久の変だ」とワクワクしたところでお茶をこぼしていた。これが示唆するものは?と考えると、きっと、実はそのあたりをリアル家康も何度も読んで参考にしたってことではないか。

 承久の変では、北条義時が後鳥羽上皇をも裁き、隠岐送りにした。自分は大悪人の汚名を着ても、皆の希望の存在だった賢い息子・泰時に北条がてっぺんに立つ武家政権というエバーグリーンを遺そうとした。

 泰時は御成敗式目を作ったことで有名だが、しかし、その彼を以てしても「戦の無い世」を続けられたのは泰時が治政を担っている間だけ。それは何故か、どこで失敗したのか、どうしたら永く「戦の無い世」が続くのかと家康は考え抜いたのではないか。

 それで、逆説的に気づいたのが泰時が優秀な人物であったことだったのかもしれない。秀忠を選ぶヒントは吾妻鏡にあったのかな。

 家康はあえて「大いなる凡庸」秀忠を選び、「戦を求める者」にひっくり返されることのないガッチリとした仕組みを、関ヶ原の戦い後、時間をかけて構築したのだろう。

 ただ、ドラマでは仕組み作りが十分には描かれなかった。1603年から1610年にかけて、家康が豊臣の牙を慎重に抜いていく段階もちゃんと見たかった。家康が苦心した部分だろうに、残念だ。

 「青天を衝け」の渋沢栄一の生涯も、彼は90歳以上だったから見足りない感じが強く残ったが(特に「青天」の場合は41回しかなかったし💦)、家康の人生も75歳と比較的長い。大河ドラマ2年ぐらいかけないとダメだったかな。三谷幸喜が、足りないところを補って、もう1回家康で大河ドラマを書いてくれないか。物足りない。

日本がPAの国になったのは、大坂の陣以来?

 ドロンジョ茶々様は、炎に包まれる大坂城と命運を共にした。その前に、家康は馬印の金扇をわざわざ敵から見えるように前に掲げさせ、「家康はここにおるぞ」「さあ来い、共に逝こうぞ」と呼ばわった。心の中では「乱世の亡霊たちよ、わしを連れて行ってくれ」と唱えていたが、周りに死なれて生き残ると、それが本心なんだろう。

 でも、真田信繁らの最後の突撃を逃れ、助かった家康がいたのは六文銭(真田家)の幕の張られた陣だった。これって史実通りなのか?混乱したが、つまりは信繁の兄・信之の息子たちの陣に退避したということか。真田同士なら、ここには来ないだろうと。

 さてさて、北川景子が素晴らしい茶々だった。ドラマのラスボスだったんだそうだ。その場面は見応えがあったが、「ラスボス」という言い方がどうも好きじゃない。ゲームみたいで軽いから。(あ、中1男子がターゲットのドラマだったと思い出してしまった。)

 茶々が死ぬ前に秀頼は切腹し、死ぬ間際に「わが首を以て生きてくだされ」と母に言った。そんなことできる訳がない、息子をそんな目に遭わせておいて、母だけが生きるなんて。マザコンだな、秀頼。彼が母親に反発できるような人物だったら、話も変わっていただろうにね。

 「余は豊臣秀頼なんじゃ」と宿命から逃れられないかのように千姫にかつて言っていた秀頼は、劣勢が明らかになっても「余は最後まで豊臣秀頼でありたい」と今回も千姫に言い、まさに母の誇大妄想の天下人を生きさせられた気の毒な人物としてこのドラマでは描かれた。

 千姫が瀬名にそっくりだから、千姫が秀頼の手を取って「千はただ、殿と共に生きていきとうございます」と言った時のふたりが、昔、瀬名が「どこかに隠れてしまいたい」と言った時の瀬名と家康を彷彿とさせた。秀頼を止められたのは母の茶々だけだっただろうに、茶々が拗れた上にカッコばかり付けるからさー。全部茶々のせい。

 大野治長が秀頼を介錯し、その息子の血しぶきを顔に浴びた茶々が凄まじい。その死に様を「見事であった」と茶々は言ったが、こんなに悲しい血しぶきがあるか。想像を絶する。息子の血だよ・・・。

 そして、その場にいた家臣たちも次々に秀頼の後を追い、「徳川は汚名を残し、豊臣は人々の心に生き続ける」と呪いの言葉を呼ばわった治長も茶々を残して先に切腹。茶々が介錯をし、治長は茶々の腕の中で息絶えた。え?茶々が介錯?そんなの初めて見た。今までのドラマで、そんなのあったかな。

 後にも先にも、茶々のような立場の者が自ら手を汚し腕の中で死なせてやったのは治長だけだったと思うと・・・治長が秀頼の介錯をしたと思うと・・・3人の仲は、かなり特別に見える。秀頼と治長、実の親子だったかと、ふと思ってしまった。ところで治長母の大蔵卿(大竹しのぶ)はどこだ?

 そして、ひとり残った茶々の独白。

茶々:日の本が、つまらぬ国になるであろう。正々堂々と戦うこともせず、万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみ嫉み、あざける。やさしくて卑屈な、かよわき者たちの国に。己の夢と野心のために、なりふり構わず力のみを信じて戦い抜く。かつて、この国の荒れ野を駆け巡った者たちは、もう現れまい。・・・茶々は、ようやりました。

 中二病を拗らせた人らしく、反省するところはなかったのだな。前回のブログで、ちょうどPA(passive aggression)の話を書いた。日本はPAがあふれている国だとも。それと符合するような話を茶々が言い出した。そうか、大坂の陣で豊臣が破れて徳川の世になってから、AA(active aggression)は鳴りを潜めPAが隆盛することになったか?

 歴史家の磯田道史先生が、江戸時代には年間1000人もの人たちが微罪でも死刑になったとおっしゃっている動画があった。それが200年も続き、お上によく躾けられた国民になったらしい。徳川が表立ったAAを許さず、日本をPAの国にしたんだね。

youtu.be

 それでも「戦の無い世」がまだ全然良いと思うが・・・PAの国のしんどさは、来年の「光る君へ」で存分に描かれそう。楽しみであり、怖くもある。

 わあ、今回は特にダラダラ書き過ぎてしまった。来年からはもう少し控えよう。年末なのに、こんなに長々と読んでくださった方々、ありがとう。良いお年を。来年が素晴らしい年になりますように。なにしろ「光る君へ」だから大丈夫、期待大ですな。

(敬称略)

【どうする家康】#47 「乱世の亡霊の王」を育てた拗らせ茶々、過ちに気づくも遅かった

罪なのは、美しき「憧れの君」松潤家康だった

 NHK大河ドラマ「どうする家康」ラスト前の第47回「乱世の亡霊」が12/10に放送された。前回は冬の陣、今回は夏の陣かと思ったら、講和と夏の陣に向かうまでの話だった。となると、次の最終回は夏の陣と家康の終活か。

 まずは公式サイトからあらすじを引用させていただく。

家康(松本潤)の大筒による攻撃で難攻不落の大坂城は崩壊。茶々(北川景子)の妹・初(鈴木杏)と阿茶(松本若菜)が話し合い、秀頼(作間龍斗)が大坂に留まることと引き換えに、城の堀を埋めることで和議が成立する。だが乱世を望む荒武者たちは全国から大坂城に集まり続け、豊臣を滅ぼすまで平穏は訪れないと、家康は再び大坂城に兵を進める。そんな中、初と江(マイコ)は、姉・茶々を止められるのは家康だけだと訴える。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 この「茶々を止められるのは家康だけ」の理由。茶々のかつての「憧れの君」が家康だったという話が、妹たちから明かされたのだけれどね・・・最終回を前に、「なんだそれ~💦」と気が抜けてしまった。

 それとリンクするかと思うが、ドラマも終わりが近いので、関連記事がネットにたくさんあった中の1つによると、脚本家は「中1の自分が観て喜ぶ大河ドラマを書いた」そうだ・・・確かに「憧れの君」は中学生が喜びそうなパワーワードだ。

 どんなに利発にお育ちだとしても、人生の酸いも甘いも未経験でまだまだ情動の点で浅さが否めない中1が、この大河ドラマのターゲットだったのか。何だかこの1年間を返してもらいたくなった。だから時代考証の先生方が腰を抜かすようなゲーム張りの紫禁城(清須城)など、突飛な映像や妄想が溢れる訳だし、今回はお市と茶々の母娘2代で主人公に恋していたなんて、お茶を吹きそうな話になってる訳だね。

 「実はあなたが好きでした」って中学の同窓会でクラス一番の美人におじさんが言われたい言葉っぽいよねぇ。それをラスト前で「どうだ!」と出してきた感じだ。

 ずっと大河を見てきたアラカンとしては、戦国時代を代表する主要美女キャラが2人まとめて(実際は演じているのは1人だけど)主人公を喜ばせる色恋担当に成り下がったのが萎えた。

 2人ともが家康を好きだ?それって松潤が家康じゃなければ見ている側としてはキモ過ぎる設定だ。「どう家」の家康には、これ以上望めない程かわいらしく平和を希求する瀬名がいたじゃないか。過去の瀬名の中で歴代ナンバーワンだ。それで恋愛ファンタジーは十分じゃないのか。

 そうだそうだ、お市の兄・織田信長も松潤家康にぞっこんだった。織田家は家康大好きなんだね。

 こういう設定は、美しき松潤だから完全に白けることなく辛うじて成り立つシロモノじゃないか。申し訳ないが、過去の映像作品で徳川家康を演じた俳優さん方を思い浮かべ、考えてみてほしい。

 思いつくところでは丹波哲郎、中村梅之助、津川雅彦、西田敏行、松方弘樹、滝田栄、西村雅彦・・・戦国一の美人お市が恋して、その娘の茶々も、本人を良く知りもしないのに多感な少女期に完璧な天下人像を思い描き憧れ恋するような、そんなことが彼らに対してできようか?無理だ。(歴代の家康俳優の皆様方、大変に失礼しております<(_ _)>)

 それは美しき松潤ならでは。その松潤ならではの特性に乗っかった設定が顔を出してしまうと「いや、それ家康じゃないし、松潤だし」と思えてくる。松潤じゃなきゃ通用しないような話にされると、全然面白くない。

 誰かが「岡田准一は興味深い織田信長になっていたけれど、松潤は家康コスプレの松潤だった」と言っていたが、それじゃあまりにも悲しい。松潤家康、当初の心配を覆して悪くなかったと思うのに。

子が拗らせた時、大人が説き聞かせる大切さ

 少女期の「憧れの君」家康への恋がこじれて、アンチ家康になった茶々(まったくなんと単純すぎる設定w 仕方ないか、中1相手だもの)が、妄想上の理想的な天下人へと秀頼を育て上げた。エセ天下人の家康よりも、秀頼が本物の天下人、だから家康を倒して秀頼を天下人の座に就ける方が世のためだと、ドロンジョ茶々様はお考えだと今回判明した。

 家康に対して、憎さ百倍過ぎる。偏見が過ぎる。

 その妄想を素直に背負った秀頼が、夏の陣へ続く滅びの道を「正々堂々」歩むと決めちゃった大坂方。何という悲劇だ。

 他方、家康は、秀忠に丸投げせず総大将を務め「乱世の亡霊を根こそぎ引き連れて滅ぶ覚悟」と言った。この、自分の息子をクリーンな位置にキープしておいて、自分が地獄を引っかぶるポジションというのは、昨年「鎌倉殿の13人」で北条義時が真っ黒になって死守していた。2年連続で大河ドラマの主人公は地獄の道を行くんだね。

 しかし、ここぞというところで親が適切に前に出ることの大切さよ。せっかく茶々は昔の「憧れの君」からの手紙で、遅ればせながら自らの誤りに気づいたらしかったのに。

 家康の手紙はこうだった。なかなか胸を打つものだった。差し込まれる昔の映像(お市と茶々が別人!家康若い!)と、受けの北川景子の表情の変遷が良かった。そうそう、手紙を袂にしまってからお江に微笑まれて一瞬たじろいだ茶々も可愛かった。

茶々殿。赤子のあなたを抱いた時の温もりを、今も鮮やかに覚えております。そのあなたを乱世へ引きずり込んだのは私なのでしょう。今さら、私を信じてくれとは申しませぬ。ただ、乱世を生きるは我らの代で十分。子どもらにそれを受け継がせてはなりませぬ。私とあなたで全てを終わらせましょう。私の命はもう尽きまする。乱世の生き残りを根こそぎ引き連れて滅ぶ覚悟にございます。されど、秀頼殿はこれからの世に残すべき御人。いかなる形であろうとも、生き延びさせることこそが母の役目であるはず。かつてあなたの母君がそうなさったように。

 この手紙を読んだ後も、茶々は毎年正月に息子の背を測って付ける柱のキズを手で撫で、秀頼を思う母になっていた。乱世を生きる荒ぶるヒロインではなく。「かつてあなたの母君がそうなさったように」に改めてハッとさせられたのだろう。

 万能感いっぱいのティーンブレインの秀頼(これは年齢的にもお育ちからもしょうがない)と、家康への恋を拗らせた妄想癖の茶々。少女期に妄想癖全開でこっちが心配したのは茶々ではなくて、次女・初の方だったのに。姉の方が重症だったとは。

 それよりも、ちょっとお市の次女・初の変な受け答えが私は気になった。初がこんなにも人の話をちゃんと聞けないという点は、大坂の陣の講和での伏線になってくるのだろうか。

初:母上は、徳川殿に輿入れするかもしれなかったというのは誠でございますか?

市:えっ?誰がそのような・・・。

江:そうなのですか?

市:嘘じゃ。幼い時分に顔見知りであっただけ。

初:もしかしたら、私たちの父上は徳川殿だったかもしれないのですね

茶々:つまらぬことを申すな。我らの父は浅井長政じゃ。

 茶々は反抗期にあるらしく、物言いはそっけないが正しい。初の言っていることは滅茶苦茶、ものすごい飛躍だ。母が明確に「嘘じゃ」と答えているのに、勝手に妄想が弾けてしまっている。

 人の話を聞けず、妄想癖のある初が、大坂方の運命を背負って切れ者・阿茶の局との講和の席に着くかと思うと空恐ろしい。そりゃ大坂城のお濠が全部埋められても仕方ない。(【どうする家康】#30 戦国のヒロイン・お市が「敗軍の将」、エサに釣られた家康は歯噛み - 黒猫の額:ペットロス日記 (hatenablog.com)

 当時、お市は茶々ら娘たちに対して言葉少なだった。辛さを呑み込んで「はい!」と言った笑顔が印象に残る。もっと説明して娘らの妄想の種を取り除いてもいいのにと思わないでもなかった。

 家康の手紙でようやく気付きを得た茶々。でも、その気づきを彼女はきちんと秀頼にシェアしていない。それでいきなり最終決定を秀頼に託してしまった。その顛末はこうだった。

茶々:母はもう・・・戦えとは言わぬ。徳川に下るもまた良し。そなたが決めよ。そなたの本当の心で決めるがよい。

大野治長:我ら、殿がお決めになったことに従いまする。

千姫:千も殿の本当のお心に従いまする。

秀頼:お千。前にそなたは私の本当の心が知りたいと申したな?私はあれからずっと考えていた。ずっと母の言う通りに生きてきたこの私に、本当の心はあるのだろうかと。(立ち上がり、小姓から刀を受け取る)我が心に問い続け、今、ようやく分かった気がする。(興奮気味に去る)

 (牢人どもの前へ)皆、よう聞いてくれ。余の真の心を申す。信じる者を決して裏切らず、我が身を顧みず人を助け、世に尽くす・・・それが真の秀頼である。今、余は生まれて初めてこの胸の内で熱い炎が燃えたぎるのを感じておる!余は戦場でこの命を燃やし尽くしたい!

茶々:秀頼・・・!

秀頼:皆の者!天下人は断じて家康ではなく、この秀頼であることこそが世のため、この国の行く末のためである。余は信長と秀吉の血を引く者。正々堂々、皆々と共に戦い徳川を倒してみせる!余は決して皆を見捨てぬ!共に乱世の夢を見ようぞ!

牢人一同:オオー(喚声。口々に)乱世の夢じゃ~皆の者、奮え~!秀頼様のために戦おうぞ!(真田信繁が六文銭を掲げる)

秀頼:(茶々を見て)異論ござらんな。

茶々:よくぞ、申した。(涙をため、複雑な笑顔)

千姫:徳川を・・・倒しましょう!

秀頼:エイエイ

牢人一同:オー!(略)

茶々:(振り返った先に初がいる。黙って視線を交わす姉妹。初の見ている前で家康からの手紙を火にポイと捨てて燃やし)共に逝こうぞ、家康!

 「信じる者を決して裏切らず、我が身の危険も顧みずに人を助け世に尽くす。そのような御方であれば、それこそ真の天下人にふさわしき御方だと思わぬか?」と、かつて茶々が妹たちに言っていた誇大妄想を秀頼が口にした時、ため息が出た。そして「戦場で命を燃やし尽くしたい」などと、真田信繫ら牢人に感化されたことまで言っちゃって・・・。

 自分が思いもしなかった選択(ただ、その選択はそれまでの茶々の教えに沿っている)をしたからといって「秀頼💦」なんて声を裏返しても、もう遅い。まともなコミュニケーションが欠けたせいで、秀頼は乱世の亡霊の王よろしく、亡霊の皆さんを引き連れて滅びの道へとまっしぐらだ。

 亡霊代表の真田信繫(どす黒いメイクが凄い)の槍捌きに魅入られてたもんね・・・秀頼は戦いたい正義の戦士モードになってたよね。

 秀頼は、むしろ自分の選択を母は喜んでいると思い込んでいただろう。茶々も母からドロンジョに戻って「よくぞ申した」としか言えなくなった。それは自分が信じてきた道、秀頼に教え込んできた道だから。もはや滅びの道だと分かっているけどね。

 しかし、「共に逝こうぞ、家康」なんだね・・・どんだけ好きなんだか。本能寺で信長が「家康~家康~」と繰り返して血染めの着物でフラフラしていたのを思い出す。

 一方、家康は、秀忠に「そなたがまぶしい」と感情に訴える話をして秀忠の拗らせを解いたし、本多正信&榊原康政という、家中でも切れ者2人がかりで秀忠をフォローさせた。

 両者を比べ、子どもが変な妄想を膨らませて思い込みで拗らせそうになった時、大人が正面から向き合って「説き聞かせる」のは本当に大事だと思わされた。ましてや、秀頼のように母が持つ家康への偏見を幼少期から念入りに刷り込まれたら、まともな判断などできはしない。

 しかし考えてみれば、あんな過酷な運命を歩んでいた茶々姉妹が妄想や偏見に取りつかれる前に、誰が何を説き聞かせられたのだろう。彼女らを真摯に守り、彼女らのために説き聞かせられる大人は皆無の状態だった(実際は、織田信包ら頼れそうな親族がいただろうが、ドラマでは出てこない)。

 今作の豊臣の滅亡は、信頼できる大人とのコミュニケーション不足が招いた悲劇、ということで。拗らせる前に信頼できる大人を見つけてちゃんと話そうね、何かと手遅れになる前にね、と反抗期の中学生に説き聞かせるドラマだったのかな。

家族の期待を裏切った、主君・家康

 今作の家康は(一方的に背負わされた迷惑な妄想ではあるけれども)茶々の期待を裏切った。初曰く「母が死んだ時、憧れは深い憎しみとなりました」そうで、それが大坂の陣のような事態を招いている。

 そして、家康は家族の期待も裏切った。秀忠と千姫だ。千姫の無事を告げられ「何よりの事じゃ」と言った父・家康を見る秀忠のまなざしのきついこと。

 家康は決して自分でそうしたい訳じゃないのにねえ。自分の気持ちには反していても、断腸の涙を流してでも、乱世を鎮めるためにはやらねばならない。その理解がせめてお子ちゃま秀忠にはもう少し欲しいところだ。自力でたどり着けないなら、正信が説き聞かせるしかないか。

 前回のエピソードだが、秀忠は、孫を可愛がってくれる家康だから、まさか千姫を危険に曝すことなどしないと思っていた。一方、お江は「戦となれば、鬼となれる御方では」と家康を見て、千姫への害を恐れて秀忠が大坂攻めの総大将となることを望んだ。

 お江の見方が正しかったことは、大坂城への砲撃で示された通りだ。秀忠は泣いて「父上、止めてくだされ、止めろー」と懇願したが、それ以来、家康を見る目が明らかに変化している。家康を信じない目だ。

 そしてもうひとり、千姫。最初、ビカビカの金箔がちの衣装を着る大坂城の人たちの中で、千姫だけが紫メインの打掛をまとい、見た目から異質だった。座る場も、おかしいくらい明らかに茶々や秀頼から離れた下座で、豊臣からの心理的な距離を感じさせた。

 それが、お江との会話に臨んだ時点では、千姫は豊臣系のビカビカ打掛を着て、母がかけた「徳川の姫として」の言葉に反発、「豊臣の妻でございます」と強く言い切った。そして、下座から立ち上がり、上段の間に上って茶々に連なって座り直した。

 その時の茶々と秀頼の表情も印象的だった。母と娘の決裂を、決して喜んでいなかった。

 過呼吸に陥るほどの砲撃に自分を曝し、殺そうとしたのは徳川だ、私が死んでも構わないと思ったんだ、すぐに助けに行くとおじじ様は私に約束したのに裏切られた!ということだね。額に傷を負ってまで庇ってくれたのは、いつもは冷たかった姑・茶々だったしね。

 それ以来、豊臣系の打掛を身に着けガラリと言動が変わった千姫については、これまた単純な分かりやすい心の動きだとしか・・・中学生向けドラマだからね。

 お江からの櫛も、家康からの「ぺんすう」も千姫に戻され、お江は泣いた。このシーンはお江と秀忠の背後で桜が散り、物悲しく美しかったね。

 秀忠に言わせれば、きっと「全部家康のせい」(昨年は「全部大泉のせい」)なんだろうけれど、主君たるもの仕方ない。家康死後は、背負うのは自分であり、自分も家康のようにせねばならないんだけどね。

 戦後、秀忠もお江も、帰ってきた千姫との間がこじれ苦労することになるんだろうが、ちゃんと説き聞かせられるように秀忠が成れるだろうか。このドラマの秀忠の場合、心配だ。

スルー出来ない方々

 たぶんこれで出番が終わる高台院(寧々)。和久井映見が味わい深かった。計算高い寧々さんかと思ったけど、彼女が演じるからほっこりやんわり。「あの人と2人で何もねえところから作り上げた豊臣家・・・誠に夢のごとき楽しき日々でごぜ~ましたわ」が万感こもっていて、家康が頭を下げたのも分かる。

 次回は大坂城の炎上シーンで遠くから見守る表情が見られるか?いや、無いだろう。お疲れさまでした!

 最終回を前に、大竹しのぶの大蔵卿局がいきなり登場した。鈴木杏の初が出てくるのは予告でわかっていた(「大奥」の平賀源内とは本当に別人格でステキ)が、大蔵卿は、初と阿茶が講和交渉に臨む後方で、苦虫を嚙み潰すような表情で、菓子を前に無言で座っていた。

 無言なのにあの圧!「真田丸」の大蔵卿(峯村リエ)も強烈だったが、大竹しのぶともなると、初出で無言なのにちゃんと大蔵卿にしか見えない。昨年の歩き巫女のおばばなど微塵も見えない。もし「天命に逆らうな」「肘が顎に着くか」と言い出したら分からないが。

 そうか、最終回の死に際に大野治長ら息子たちに「天命に逆らうな」と言って皆で自害するのだろうか。小栗旬は治長の弟だったりして、そうしたら大竹しのぶとセットでご出演だ。

 小栗旬は家光役かと前回書いたが、天海が出てくるのに役者名が書いてないと鋭い人たちがSNSで言っていた。天海か・・・それもいいかもだけど長谷川博己がなあ。「麒麟がくる」の約束を果たさなきゃだし。

 吾妻鏡大好きな家康の事だから、さっきも書いたように、息子の泰時のためにできるだけの地獄を背負って去った義時に、死に際に思いを馳せるかも。あの世で会って、語り合うなんてどうかな。

 ただ、ちょっと義時じゃ弱いから、家康憧れの君・鎌倉幕府初代将軍の源頼朝役で出てくるのはどうだろうか。歴史家の磯田道史氏が、家康は方角オタクだと最近の講演(YouTubeで見た)で言っていて、鶴岡八幡宮に続く段葛(参道)を真っ直ぐ延長すると江戸城に行き着くことを発見したそうだ。それだけ家康は頼朝に思い入れがあるということだ。

 (ちなみに、久能山と日光東照宮を結ぶ線は、富士山山頂のやや西をかすめるのだそうだ。そこって浅間神社があるのでは?)

 小栗旬は、「鎌倉殿」で大泉洋の代わりにワンシーンだけ頼朝役を演じたことがあるもんね。「どう家」でも、もしかしてあったりして。

 ・・・そんなことを書いていたら、「どう家」公式ツイッターじゃなくてXが既にサプライズゲストを発表していた(サプライズなのに?本番前に発表するの?)。小栗旬は天海!

 ということで、もう最終回だから楽しく見られそう。家康の最期は、きっと徳川四天王始め、瀬名がままごとの花籠の舟に乗って迎えにきてくれますって!そこで「共に逝こうぞ!」と吠えてくっついてきた茶々と、瀬名が、家康を巡って熾烈な戦いのゴングを鳴らし・・・なゲーム展開の訳ないね。

 あと1回!

(ほぼ敬称略)

【どうする家康】#46 家康不在で豊臣が勝利したら、秀頼はプーチンのようになったのか

砲撃にさらされ過呼吸の千姫。秀忠も泣く

 NHK大河ドラマ「どうする家康」は大詰めの第46回「大坂の陣」を12/3に放送した。あらすじを公式サイトから引用する。

豊臣家復活を願う方広寺の鐘に、家康(松本潤)を呪う言葉が刻まれたという。家康は茶々(北川景子)が徳川に従い、人質として江戸に来ることを要求。激怒した大野治長(玉山鉄二)は、両家の仲介役・片桐且元(川島潤哉)の暗殺を計画。家康はついに14年ぶりの大戦に踏み切る。全国大名に呼びかけ、30万の大軍で大坂城を包囲、三浦按針(村雨辰剛)に用意させたイギリス製大筒を配備。そんな徳川の前に真田丸が立ちはだかる。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 物語は真田丸の活躍が見られる冬の陣に突入し、徳川方が3倍の大軍で囲んでも降伏しないどころか、雇われ牢人どもが大活躍で気を吐く豊臣方に、業を煮やした家康が、備前島砲台に用意した大筒からの砲撃を大坂城本丸に打ち込んだ。

 どうせ届かないとか、届くか?と危ぶむ声が両陣営から上がっていた大筒の威力は大方の予想に反して凄まじく、本丸から天守に次々と命中。砲台で指揮する本多正純の目は明らかに変になってるし(それだけの覚悟を固めていたとしても、一方的な殺戮をする方は気が変になるよね)、家康が「戦を知らんで良い」「人殺しの術など」と慮っていた秀忠は、やっぱり「止めろ~!」と泣いた。

 砲撃の先では、茶々ら大坂方の女どもが逃げ惑い(赤ちゃんの泣き声も聞こえた。秀頼の子だろうか)、秀忠が心配した通り、娘の千姫は砲撃に曝される中で過呼吸に陥っていた。天井が崩れ、茶々が千姫を庇って負傷、千姫が助けを呼ぶ「誰か~」の声も空しく響き・・・というところで次回へ。

 茶々は、家康の孫として千姫を意識していたとしても、妹・お江の娘(つまり姪)として千姫を可愛がる意識も強くあったのでは?茶々は、妹たちへの保護者意識がものすごくあるように思うから。だから天井が落ちてくる時に、身を投げ出し千姫を庇う気持ちは分かる。

 でも、自分が年を取ったからこそ思うのだけれど、身内じゃなくても若い子は庇ってあげたくなる。計算じゃなく反射的に、体が動くこともあるのでは。あちこち痛くても(茶々はまだそんな年じゃないけど)。

原爆投下を想起させられた

 砲撃の場面での、徳川家康・秀忠親子のやりとりを改めて記しておく。秀忠は戦を知らんで良い、指図はすべてこの自分が出すから従えと、全ての責めを自分が負うと宣言して、家康が総大将を務めている。その意味が、ここに来て秀忠には分かっただろう。言われた時は不満そうだったけど。

 家康は、腹心の本多正信に言っていた。「この戦は、徳川が汚名を着る戦となる。信長や秀吉と同じ地獄を背負い、あの世へ行く。それが最後の役目じゃ」と。

家康:(紙一面に南無阿弥陀仏を書き終えて)正信。あれを使うことにする。

秀忠:あれ・・・父上、あれは脅しのために並べておるのでは?本丸には届かんでしょう。

家康:秀頼を狙う。

秀忠:さ、されど、そうなれば・・・。

家康:戦が長引けば、より多くの者が死ぬ。これが、わずかな犠牲で終わらせる術じゃ。②主君たるもの、身内を守るために多くの者を死なせてはならぬ

(本多正純が指揮する砲撃が、大坂城本丸と天守に次々命中。城内では悲鳴)

秀忠:(続く砲撃音と破壊音)父上、止めてくだされ。父上・・・止めろー!こんなの戦ではない!父上!!もう止めろ~!(家康の胸元に食って掛かって泣く)

家康:(虚ろな表情)③これが戦じゃ。この世で最も愚かで・・・醜い(秀忠を振り捨て、顔を歪め泣きながら)人の所業じゃ

秀忠:(顔を歪め、砲撃される大坂城を見る)

 この場面、現代の私たちも深く考えさせられる。今、ウクライナ、パレスチナで起こっていることを思うと。

 ②で思い起こしたのは、家康が、かつては「身内のための戦」をして多くの家臣を死なせた殿だったということ。「主君たるもの、家臣と国のためならば、己の妻や子ごとき平気で打ち捨てなされ!」と母・於大の方に厳しく叱責されても、家康は、オリジナル大鼠らを犠牲にしながら瀬名と信康を奪還した。上之郷城を攻めて鵜殿氏の息子2人を奪い、瀬名・信康・亀姫と人質交換した。

 そんな家康も、国のためにその瀬名と信康を自死させ、慟哭の限りを味わった。それを踏まえ、孫娘を案じる息子秀忠と対峙していると思うと、たまらない。

 ③について。対武田勝頼の長篠の戦で、織田信長が仕掛けた圧倒的な銃撃による織田・徳川方の勝利に言葉を失っていた家康と信康を思い出す。若かった家康もなす術もなく、信康も、これは戦じゃなく殺戮だと非難していた。それを、家康は「する側」になったのだ。

 (その殺戮を成す信長には相手への敬意とそれなりの覚悟があったことや、秀吉が人の死をせせら笑っていたのも思い出す。)

 なぜそれを成すのか。その理由については①「戦が長引けば、より多くの者が死ぬ。これが、わずかな犠牲で終わらせる術じゃ」なのだが・・・私は広島・長崎への原爆投下を想起させられた。

 第二次世界大戦でアメリカは同じことを言って、広島と長崎への原爆投下による一般人の殺戮を正当化した。「原爆が戦争を終わらせた」と、それがアメリカでは定説だ。

 アメリカが気にしたのは自国兵の犠牲を減らすこと。広島や長崎に暮らす一般日本人の犠牲は思考の外にあったらしい。本丸や天守をダイレクトに狙うことで大坂方の首脳陣だけ砲撃し、無辜の民草には影響を及ぼさなかった家康の方がまだマシだ。(このドラマの上では。)

 (ちなみに、原爆投下を決断した当時のトルーマン大統領の子孫は、広島・長崎の被爆者らと交流し、被爆者の話をアメリカで伝えようと尽力している。興味深いインタビュー記事があった。【原爆投下】トルーマンの孫が語る謝罪と責任の意味(前編)|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp) 「原爆投下が正しかったかという問いには関わらない。広島と長崎の人々への敬意は忘れていないが、結果を天秤にかければ、原爆が戦争終結を早めた証拠の方が説得力がある」そうだ。)

 今回の、大筒という圧倒的な兵器による殺戮を見て、現代の私が核兵器競争まで意識が飛ぶのは自然な話だし、制作側も意図していると思う。「これが戦。この世で最も愚かで醜い、人の所業」は、まだ失われていない。

 現代イスラエルは核兵器を所持しアメリカもバックアップしているから、パレスチナの庶民が砲撃を浴びて多くが落命しても、イスラム諸国は黙っているのだろう。戦を闇雲に広げないという点で、賢く弁えた選択とも言えるけれど。イスラエルの核所持に対抗するイラン、開発に血道を上げていた北朝鮮も、核の圧倒的な力が自らを守ると信じている。

 現代の世界は、核を持った者勝ちだ。まだ王道には遠く、覇道の世なのだ。

もし「負ける自信がある」」秀忠が総大将だったら

 もしも・・・既に家康がおらず、全軍の指揮を秀忠(王道を成す者として家康が温存した)が担っていたらどうなっただろう。

 「負ける自信がある」秀忠は、娘・千姫の命を案じてやまず、砲台に並べている大筒は「飾り」とばかりに実際に使おうとは思いもせず、大軍を擁しながらぐずぐずと豊臣に負けていったかもしれない。

 秀忠がいよいよ大筒を使おうと決めた時には、彼のことだからタイミングを逸し、豊臣方にまんまと奪われることにもなったのでは?覇道に生きる豊臣が、現代の核兵器のようなイギリス製の大筒を手にしたら、徳川は殲滅させられるだけ。王道が虚しい。

 徳川から覇権を取り戻した秀頼は、秀吉のように再度朝鮮へと唐(当時は明)狙いで出兵するはず。今回、「無き太閤殿下の夢は、唐にも攻め入り、海の果てまでも手に入れることであった。余はその夢を受け継ぐ」と、牢人どもの前で宣言していた通りだ。

 ただでさえ秀吉の出兵で国土が荒廃した朝鮮なのに、また秀頼が出兵するのでは気の毒な話。が、徳川滅亡後に秀頼を止める人は日本には誰もいない。

 秀頼は年齢も若いので、彼が延々と出兵を続けたら明だけでなく大陸の各勢力と泥沼の戦いに陥って・・・そして、当時の日本の兵力が世界最強とか評価されていた(だそうな)としても、最終的には疲弊し、勝てるとは思えない。

 日本には海を挟んでいる地の利があるとはいえ、あまりに迷惑な出兵が止まないとなれば、逆に、大陸側から大挙して日本が征討されそう。そうなれば、「日本」としてこのエリアが存続できたかどうか。

 こんな妄想を書いていたら、秀頼がプーチンのように見えてきた。ウクライナ出兵を推し進めるプーチンを、今やロシア国内では誰も止められないらしい。ウクライナが滅びれば、さらにプーチンは止められない。

 ここまで妄想して、最初の前提条件「家康が欠けること」の意味を思った。ドラマ上の話だけでなく、日本の歴史に非常に大きな悪影響を及ぼすことだったのではないか。「戦を求める者に天下を渡す」ことの怖さを思った。

大坂方が繰り出す passive aggression (PA)

 妄想からドラマに戻ろう。

 方広寺の鐘銘問題は、ドラマでは茶々が「面白いのう」といい、大坂方が徳川に仕掛けた嫌がらせだった。家康の諱が刻まれていると分からない訳がない。

 一番神経を使って避けなければならないと現代のボンクラでも気づくぐらいのことを、当時確かにやっているのだから、実際にもわざと仕掛ける意図はあっただろう。徳川のイチャモンだと逃げられると思う方がどうかしている。

 考えても見てほしい。現代でも独裁者のいる国で彼の名前を弄ぶようなことをした庶民がどうなるか。銃殺刑だろう。戦前の日本でも、不敬罪に問われたのでは?

 この鐘銘問題は、以前も触れたパッシブアグレッション(受動的攻撃、PA)の分かりやすい例だと思う。やってから「そんな意図はないのに」ととぼけて、相手を考えすぎだと責める。被害者支援関係で学んだ言葉が、ドラマの分析で役に立つとは。

 講師の先生は「日本語ではPAをズバリ言う言葉はないのに、日本はPAが溢れている面白い国だ」と指摘されていたが、「いやがらせ」「いじめ」「あてつけ」「いけず」「罠」等、類する言葉はいっぱいある、むしろ細分化されて全体が見えないか。

 PAの厄介なところはPAのターゲットとされた側が反撃すると、「大人げない」「神経質すぎる」「気のせいじゃないか」「やりすぎだ」とか周囲から非難を浴びがちなところだ。

 分かりやすいPAは、無視とか、黙って泣かれる、とかだ。いきなり泣かれれば「何もしていないのに」と呆然とし、「何かしちゃった?」と、やられた側が自分を責めるだろう。

 それを計算して繰り出されるのがPAで、弱者が強者に仕掛けるのはささやかなる抵抗手段として仕方ない面もある、と説明を受けた。

 ドラマでは、大坂方には10万もの反徳川の牢人が集まりつつあってドロンジョ茶々様らも裏ではノリノリ。鐘銘問題は、調子に乗ってきた大坂方が徳川を貶めるために巧妙に仕掛けた罠であり、徳川が捨て置けないと反応したのは正当だった。

 ただ、史実としては「こんなに大きな問題になるとは思わなかったんだもーん😢」と、かまってちゃんの大坂方の粋な遊びのつもり(=考え無しな悪ふざけ)と解する余地はあるかもなと個人的には思う。1やってみたら100倍返し、みたいな。

 PAについてサクッと知りたい方は、ウィキペディア先生では英語版のこちら(Workplace aggression - Wikipedia)を翻訳してご覧になると良いのでは。「Workplace aggression can be classified as either active or passive.[6][7][8] Active aggression is direct, overt, and obvious. It involves behaviors such as yelling, swearing, threatening, or physically attacking someone.[9][10] Passive aggression is indirect, covert, and subtle. It includes behaviors such as spreading rumors, gossiping, ignoring someone, or refusing to cooperate.」日本語版では病的なものの説明しかないようで、私が習ったのとはちょっと違った。

 これを踏まえ、徳川陣営でのやり取り(まさかの笑い飯哲男登場)を見てみたい。彼らに「これってPAなんだってば。躊躇うこと無し!」と言ってあげたい。

語り(春日局):豊臣の威信をかけて秀頼が建立した大仏殿。その梵鐘に刻んだ文字が、徳川に大きな波紋を投げかけておりました。

林羅山:「国家安康」家康を首と胴に切り分け、「君臣豊楽」豊臣を主君とする世を楽しむ。明らかに呪詛の言葉でございます。徳川を憎む者たちはこれに快哉を叫び、豊臣の世を更に望むことでしょう。

金地院崇伝:それは言いがかりというもの。言葉通り、国家の安康と君臣共に豊楽なる世を願うものであって、他意はございませぬ、と豊臣は申すでしょう。

羅山:大御所様の名が刻まれていることに気づかないわけはない!

崇伝:あくまで大御所様をお祝いする意図で刻みました・・・と豊臣は申すでしょう。

徳川秀忠:崇伝!お前はどっちの味方なんじゃ。

本多正信:要するに、これを見逃せば幕府の権威は失墜し、豊臣はますます力を増大させていく。されど処罰すれば、卑劣な言いがかりをつけてきたと見なされ、世を敵に回す。う~ん、実に見事な一手

本多正純:褒めてる場合ではござらぬ。

正信:うん?・・・腹を括られるほかないでしょうな。

阿茶局:おとなしくしておられれば豊臣は安泰であろうに。

秀忠:何故こうまでして天下を取り戻そうと・・・

家康:倒したいんじゃろう・・・このわしを。

語り:神の君、最後の戦が迫っておりました。

 正信が息子に「褒めてる場合ではござらぬ」と言われていたが、日本では正信の「見事な一手」のように、PAを賢く頭の良いやり方だと褒める風潮があると講師はおっしゃっていた。

 PA(受動的攻撃)が攻撃であることには変わりなく、それをAA(積極的攻撃)のようにあからさまにしないだけのこと。周囲の理解を得られないことで、PAを受ける側の精神的ダメージは、AAの時よりも深まっていく。

 むしろ被害者を装うなんて卑怯なんだ、攻撃なんだと理解が広まればいいなと個人的には思うところだ。まさに、攻撃者を褒めている場合ではない。

織田常信(信雄)の「わ・ぼ・く」炸裂

 この方広寺鐘銘問題だけではなかっただろうが、徳川との間に挟まれる取次役の片桐且元がとてもお気の毒だ。「真田丸」では常に胃薬を手放せなかったね。

 今回のドラマでは、駿府城内でキョドキョドして案内されている様子がまず可哀そう、そして平身低頭して「全て私の不手際。鐘は直ちに鋳つぶしまする」と謝っているのに、若造の正純に「それで済む話でございますまい!度重なる徳川への挑発、もはや看過できませぬ」と叱られていた。

 ただ、このドラマでは且元は家康にお目通りが叶い、直々に「3つの求めのうち、いずれかを飲むよう説き聞かせよ」と言われていた。すなわち、大坂退去の国替え、江戸参勤、茶々の江戸下向だ。

 これまでの大抵のドラマでは、且元は散々待たされた挙句に家康に会えず、正純から何とか条件を聞き出して帰る間に、茶々の乳母の大蔵卿局らが家康にも直接会い、歓待されて「何でもないって言ってました!」と且元の立つ瀬がなくなるようなことを言う。そのせいで、問題解決の条件を口にした且元が追い詰められるのだった。

 でも、それは無し。最近の研究で否定されたのかな?

 ドラマの且元の最大のお気の毒ポイントは、自分が仕える主人に本音を言ってもらえていないところだ。主人のために苦労しているのに、茶々も秀頼も裏では好戦的な大野治長にべったりだ。

片桐且元:修理!こうなると分かってあの文字を刻んだな・・・!

大野治長:片桐殿が頼りにならんので。

且元:戦をして豊臣を危うくする気か!

治長:(バン!と畳を叩き、挑戦的な目で見つつ手を振って)徳川に尻尾を振って豊臣を危うくしておるのはお手前であろう!

(両家臣の言い合い)

茶々:控えよ!

且元:秀頼様。引き続き、徳川様との取次、私に務めさせてくださいませ!

秀頼:・・・無論、頼りにしておる。ひとまずは屋敷にて十分に休むがよい。

且元:ははっ!(退出)

治長:あれはもう、狸に絡め捕られております。害しようとする者も現れますでしょう。

茶々:面白うないのう。

 取次役を害すれば、宣戦布告と見なされ戦だ。茶々の「面白うないのう」は、一応、且元殺害に異を唱えたのだろうか。あんなに徳川と戦をしたがっているのに??? 

 今作では、且元が大野治長からの刺客を察知して大坂城を脱出する話が、元々は千姫から情報がもたらされたおかげになっていた。千姫が織田信雄(常真)に伝えたのだった。

 久しぶりの信雄!この織田家のボンも、今回の「どう家」で汚名が雪がれた口のひとりになったか。今川氏真、武田勝頼、織田信雄。ダメな2代目よと言われてきた人たちだ。

 信雄を演じる浜野謙太は、再放送中の「まんぷく」で牧善之介として登場していて、先日も米軍に誤解からとっ掴まった主人公の夫・萬平さんのためにわざわざ証言しに来ていた。元々が良い人キャラだ。

 視聴者は、信雄の小牧長久手の戦いの右往左往ぶりを見て、その後勝手に秀吉と和睦しちゃって家康が迷惑を受けたと考えているだろうから、信雄が諸将を前に千姫にお酌されながら声高に自慢していた場面は「榊原康政の手柄じゃんね・・・」と白い目を向けていたと思う。

 ところが、廊下でべそをかいていた千姫に、信雄はこう言った。

織田常真(信雄):戦は避けましょう。あなたのおじい様には世話になった。ハハ・・やりとうない。わしの最も得意とする兵法をご存知かな?フフフ。わ、ぼ、く・・・でござる。へへへへへ・・・。(千姫の腕をポンと叩いて)大丈夫、うん。わしと片桐で、なんとかします。(去ろうとする)

千姫:(後ろから捕まえて、泣きながら)片桐殿は、おそらく明日、大野殿に。

 信雄いいとこあるじゃん!機能しているじゃん!と名誉挽回したのではないか。父を含めて天才ばかりがのし歩く戦国時代に、生き延びて家系をつないだけでも大したものだ。

 信康の妻だった妹の五徳が、信雄によって秀吉に人質に出され、側室にされていたのは憤懣やるかたないとも言えるが・・・今回、長生きしているはずの彼女の名前も、且元と信雄の大坂城脱出に絡んで聞けて良かった。

 そして、彼らの脱出を機に家康は「これで我らと話し合える者が豊臣にはいなくなった」「諸国の大名に大坂攻めの触れを出せ」「大筒の用意もじゃ」と言うに及んだ。

病んでも仕方ない千姫

 冒頭、家康が阿茶局と三浦按針からもらった鉛筆(今年、久能山にて見てきたばかり)の話をして、絵を描くのが好きな千姫にやればよかったと思いを馳せていた時、実際のところ家康は、彼女のいる大坂城の堀を埋め立てるよう戦略を巡らして鉛筆で堀を塗り潰していた。

 もう、砲撃を打ち込んだ後の一手を考えていたことになる。

 その砲撃を受ける側に居る千姫は、怖ーい姑であり伯母のドロンジョ茶々らから、徳川の一員としては見過ごせない、気持ちを弄られるような思いをさせられる日々を過ごしている。

 大野治長らとの会話を聞いているだけで胃に穴が開きそうだが、部屋に引きこもらず夫・秀頼と常に一緒に居続けて「何の話でございます?」と聞ける鈍感力があるのは、姫らしい強さだ。

 そして、「そなたも豊臣の家妻として皆を鼓舞せよ」と茶々に迫られ、牢人たちを前に「豊臣のために・・・励んでおくれ!」と気持ちを励まして言った。精神的にギリギリ頑張っているのが泣ける。

 (この時のドロンジョ茶々様の得意げな眉毛の上がり方が怖い。昨年の北条政子張りの演説も、秀頼よりも全然迫力があった。)

 そんな千姫からの問いかけ「あなた様は本当に戦をしたいのですか?本当のお気持ちですか?」に対し、夫の秀頼も思うところが少しはありそう。「余は、徳川から天下を取り戻さねばならぬ。それが正しきことなのだ。分かってほしい」「余は、豊臣秀頼なのじゃ」と逃れられない運命を受け入れている様子だった。

 かわいそうだね、本当に。ふたりとも可哀そうだ。

 今回はダラダラ書き過ぎだった。次回は夏の陣。

(敬称略)

【どうする家康】#45 涙のプリンス秀忠こそが、戦を求めない「王道」を成す者

サブタイトルは「二人のプリンス」でも

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第45回「二人のプリンス」が11/26に放送された。いやあ、11月もこれで終わり、残るは12月の3回分だけ。視聴者側のこちらの気持ちも急いてくる気がする。まずはあらすじを公式サイトから引用する。

関ケ原で敗れ、牢人となった武士が豊臣の下に集結していた。憂慮した家康(松本潤)は、秀頼(作間龍斗)を二条城に呼び、豊臣が徳川に従うことを認めさせようとする。しかし、初めて世間に姿を見せた秀頼の麗しさに人々は熱狂。脅威を感じた家康は、秀忠(森崎ウィン)の世に憂いを残さぬためにも、自らの手で豊臣との問題を解決しようとする。そんな中、豊臣が大仏を再建した方広寺の鐘に刻まれた文言が、大きな火種になる!(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 サブタイトルではプリンスが「二人」だと言っているのだけれど、秀忠、秀頼、そしてかつての今川のプリンス氏真が登場し、家康の弱音を受け止める名場面があったので、プリンス4人でも良かったんじゃないの?と思った。

 今作では、今川が善なる存在で、氏真が家康の「兄」としてがっつり機能しているのが面白い視点で、これまでの大河ドラマなどには無いと思う(大抵、兄役に振り分けられていたのは信長だったのではないか)。その世界観がベースにあるのが面白いね、と既に書いたと思うが、今作の家康は今川義元(野村萬斎)こそを父とも尊敬し、氏真を兄と慕っていたから今川義元カラーの紺を多く纏ってきている。

 氏真が頼れる兄であれば、瀬名は従来説の悪妻ではなく最愛の妻であってもその世界観からするとごく自然、全く異常なものではなかった。信長&秀吉の暴力的な支配に耐え、やっぱり心には幸せだった駿府の今川時代があるんだね・・・瀬名を深く慕って当然じゃない?と、「どう家」世界観に慣れた私は、今そう思ったりしている。

 今回、家康が自分の跡取りの秀忠にも、自身が義元からたたき込まれたのと同様に「徳を以て治めるが王道、武を以て治めるが覇道。覇道は王道に及ばぬもの」と、ずっと教え込んでいたらしいことが分かって胸アツだった。初回からのロングパス。秀忠が、若き家康に重なって見えた一瞬だった。

 三英傑と呼ばれるが、家康が目指したのは織田信長でも豊臣秀吉でもなく、このドラマでは今川義元の王道の政。野村萬斎の義元はいかにも人格者で素晴らしかったと思い出される。初回で殺されたのにこの存在感。もう最終回も近いというのに重きをなしている。

 ということで、「兄」と思う氏真との会話で家康がボロボロ涙を流した場面を記録しておこうと思う。これは感動しただけでなく、虚を突かれた。泣き虫で弱虫、鼻たれの昔の家康(白兎)に意識は戻っているかのようで。家康は狸ではなくそっちが素だったんだよね。

氏真:わしは、かつてお主に「まだ降りるな」と言った。

回想の家康:(掛川城で氏真が投降する時のこと)いつか私もあなた様のように生きとうございます。

回想の氏真:そなたはまだ降りるな。そこでまだまだ苦しめ。

氏真:だが、まさか、これほどまで長く降りられぬことになろうとはなあ。だが、あと少しじゃろう。戦無き世を作り、我が父の目指した王道の治世、お主が成してくれ。

家康:わしには・・・無理かもしれん。

氏真:フ、何を言うか。お主は見違えるほど成長した。立派になった。誰もが・・・。

家康:成長などしておらん。・・・平気で人を殺せるようになっただけじゃ。戦無き世など、来ると思うか?1つ戦が終わっても、新たな戦を求め集まる者がいる。戦は無くならん。(涙がみるみる溢れ)わしの生涯はずっと死ぬまで・・・死ぬまで・・・死ぬまで戦をし続けて・・・(涙)。

氏真:(家康を抱きとめて)家康よ。弟よ。弱音を吐きたい時は、この兄が全て聞いてやる。(涙)そのために来た。お主に助けられた命もあることを忘るな。本当のお主に戻れる日もきっとくる

家康:ハァ(息をつく)。(時計の音が響く)

 氏真は、家康の白兎時代の「本当のお主」を知っている人だ。まだ、幼少期から兄弟のように共に過ごした氏真がいて良かった。

 また、戦をしたくない人が戦続きの人生なのだから、こういう絶望を家康が抱えていても不思議ではなかったね。自分も老い、残りの人生で「戦無き世」の実現が果たせるかどうか、焦っただろう。その後の歴史を知っているから、家康は迷いがないタヌキ親父だけで理解しがちだが、何と粘り強く、人生の最期まで歩んだ人なんだろうか。その途上ではこのように涙した時もあっただろうね。・・・そう考えさせる脚本だ。

 そういえば、オープニング曲のロゴ前に表示されていた四天王などが全て死没した今、家康だけがポツンとひとり表示されるようになった。次の阿茶局・松本若菜はロゴ後だ。時代考証の平山先生は、ドラマ制作側にもう少し多くの人物を出してはどうか、後半ほとんどいなくなっちゃうからと提案したことも当初あったとおっしゃっていた。が、こうなってみると、晩年の家康のポツン具合が表現できてちょうどいいのかも。

秀忠に過去の自分を見ていた家康

 先ほどちょっと触れたが、家康が、秀忠に過去の自分を見ていたとは、ちょっと意外だった。

 秀忠は、大坂方に「老木(家康)さえ朽ち果てれば、後に残るは凡庸なる二代目」と評価されてしまう人物として描かれている。大野治長がそう言うのも、覇権を競う「武将」としてのみ秀忠を見ているからだ。

 秀忠を演じている森崎ウィンがとても良くて、家族でファンになっている。NHKのドラマ「彼女が成仏できない理由」はももクロの高城れに目当てに見始めて彼の存在に気づき、「何この人凄いよね」と気になっていたが、今作でまさかの秀忠役。母親・於愛が広瀬アリスだからバタ臭い顔を持ってきたのかと思ったら(失礼)、そうじゃなくて森崎ウィンが秀忠だから、自然に見えるように広瀬アリスだったんじゃないの?と今や思ってしまうぐらいだ。

 彼の秀忠には、広瀬アリスの於愛がオーバーラップして見えることがしばしばだった。寄せて演じているのかな?と思っていたが、神君は、於愛じゃなくてご自身を彼の中に見ていたと。そうかー。丸顔の千姫は、神君からの隔世遺伝かな。秀忠の中にはちゃんと家康の血が流れていた証拠でもある。

 ドラマの中での秀忠は30代だ。秀忠は、家康が数え38歳で誕生している。30代の家康公が、どれほど泣き虫で心定まらず、榊原康政が前回の最後の諫言で言うまでもなく、酒井忠次ら家臣たちの支え抜きでは立ち行かなかったか。改めて、少し前の録画を数話見返してみた。

 秀忠が生まれて半年ほどで起きた、家康30代の大事件。瀬名と信康が自害するに至った築山殿事件が思い出される。「はるかに遠い夢」あたりでは私も瀬名ロスになって、岡崎まで旅立ったのだったよ・・・その気分が蘇った。あの頃は有村架純をどうやったら再登板させることができるかと考えもしたが、今、瀬名によく似た千姫がご出演でありがたいこと。(つまり、瀬名と家康は似たもの夫婦だったってことか。)

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 武田と織田に挟まれて、日々息つくのもやっと、どうしようもなかった家康。むしろ夫婦のリーダーは瀬名だった。その頼りにもなる愛する妻子を犠牲にせざるを得なかったなんて、自分が1度は内から瓦解する経験だったと思う。

 そういう30代を送っていた家康が、温かい目で秀忠を見ていた。武将として才ある次男・結城秀康(もう死んじゃってるけど)や、舅の伊達政宗と結びつき武将として一花咲かせたいと思いそうな六男忠輝じゃ危なっかしくて仕方ない。家康の中では、最初から秀忠しかいなかったんだと思えたシーンでもあった。

秀忠:あの京大仏の開眼供養だけはどうにかしてくだされ!間違いなく、豊臣の威光、益々蘇ります。正信にもそう申しておるのに・・・!

本多正信:う~ん・・・立派な大仏を作っとるだけですからなあ。

阿茶:うかつに動けば、かえって徳川の評判を落とすことになるのでは?

秀忠:しかし・・・

阿茶:自信をお持ちになって、堂々となさってるのがよろしいかと。

本多正純:諸国の大名は、秀忠様に従うよう誓書を取り交わしております。

秀忠:そんなものが何の役に立つ!・・・父上、世間で流行りの歌をご存知ですか?

家康:歌?

秀忠:「御所柿は、ひとり熟して落ちにけり。木の下にいて拾う秀頼」

正信:大御所様という柿は、勝手に熟して落ちる。秀頼様は木の下で待っていれば天下を拾える。

正純:何と無礼な!

正信:だが、言い得て妙じゃ。

正純:父上!

秀忠:この歌に、私は出てきてもいない。取るに足らぬ者と思われておるのです。父上が死んでしまったら・・・私と秀頼の戦いになったら、私は負けます。負ける自信がある!秀頼は、織田と豊臣の血を引く者。私は凡庸なる者です。父上の優れた才も受け継いでおりませぬ。父上がいつ死ぬのかと思うと・・・夜も眠れませぬ。

家康:秀忠。そなたはな、わしの才をよく受け継いでおる。

秀忠:まさか。

家康:まことじゃ。

秀忠:どこが?

家康:弱いところじゃ。そして、その弱さをそうやって素直に認められるところじゃ。(秀忠、ふてくされる)わしもかつてはそうであった。だが、戦乱の中でそれを捨てざるを得なかった。捨てずに持っていた頃の方が、多くの者に慕われ、幸せであった気がする。(秀忠、真面目に聞き入っている)わしは、そなたがまぶしい。それを大事にせい。(秀忠、驚いたような表情)秀忠。(立ち上がって秀忠のそばに来る家康)よいか・・・戦を求める者たちに、天下を渡すな王道と覇道とは?

秀忠:徳を以て治めるが王道、武を以て治めるが覇道。覇道は王道に及ばぬもの

家康:(うなずいて、秀忠の前に顔を寄せ)そなたこそが、それを成す者と信じておる。(涙と鼻水を流し、家康を見つめる秀忠。家康が、秀忠の肩をポンと叩く)わしの志を受け継いでくれ

秀忠:(家康に頬をポンポンと触られ、一礼。去り際、涙を拭う)

阿茶:(涙を拭う)(家康の背後に、時計が時を刻む音が聞こえる)

 覇道じゃなくて王道の志を継ぐ者だから秀忠なんだと、秀忠自身も、周りにいた家臣も、視聴者も、皆が深く納得したシーンだったと思う。夏目吉信(広次)に家康が言われたセリフじゃないか、泣かせるなあ。脚本家さんも役者さんも素晴らしかった。もう今回はダラダラ書くのをここで止めてもいいぐらいだ。

 でもね、覇道に訴えられたら秀忠が「負ける自信がある」との言葉も、又真実だと家康は受け止めただろう。だから、王道の達成を秀忠に託し、自分が覇道に訴えてくる相手との戦いを全部背負って終わらせてしまう「終活」を考えたのだろうね。

覇道に目が無い大坂方

 一方の大坂方。秀頼の武将としての素晴らしさを誉めそやす場面が、対照的にすぐ出てくるのが分かりやすい。覇道しか考えていない悪のドロンジョチームだ。

 まるで最近は厚化粧のドロンジョ様のようにしか見えなくなってしまった茶々を、北川景子が振り切って演じているのがまだどこか信じられない。堺に遊ぶ家康の前に現れ、「あなた様は安泰」と信長が唯一の友だと考えているからと告げた時の優しく華やかなお市と違い、声音にもドスが効いている。女優さんは凄い。

 その茶々が「惜しいの・・・柿が落ちるのをただ待つのが。家康を倒して手に入れてこそ、真の天下であろう?」と言い出し、例の方広寺の梵鐘の銘について「面白い。面白いのう」とあえて仕掛けをしてきた。徳川方がイチャモンを付けたのではなく、豊臣があえて勝負を挑んできた話になっているのが今作だ。まさに、「戦を求める者」として茶々らがいるのだね。

 話が前後したが、家康は秀頼には後陽成天皇の後水尾天皇への譲位に際する二条城の会見で「してやられている」。これまでは、ただ賢く立派に育った秀頼を見て家康が脅威に感じたから豊臣殲滅に動いたと描かれていたように思い、「真田丸」と「真田太平記」の会見場面を見返した。

 「真田丸」では、中川大志の秀頼が出てきた時点で豊臣の優勝!とも思ったが、むしろ秀頼を守り抜こうとする加藤清正の存在に会見では焦点が当てられていた。本多正信の制止を振り切り、家康にも立ち去れと言われているのに、家康側のお付きのように振る舞うことで会見の場に居続けた。

 「真田太平記」の秀頼は、中村梅之助の家康とにこやかに上段に並んだ。加藤清正が、実は徳川方の忍びの料理番に毒を盛られ始末させられていくなど、忍びの暗躍が描かれた。

 この2作は真田家フォーカスなので、当然ながら九度山に蟄居させられている昌幸の動向も出てくる。今頃気づいたが、昌幸はこの二条城の会見(3月下旬)があった数カ月後の1611年7月に死んでいるじゃないか!えええ!

 豊臣に肩入れする加藤清正が6月に死に、浅野長政が4月上旬に急死、息子幸長も翌々年に若死したことがよく取り沙汰されるが、なんとなんと、真田昌幸も死んだのはこの会見後だった。守ってくれた本多忠勝も既に死んでいるし、徳川方の良からぬ関わりを感じてしまう。

 脱線したが、ドラマでの秀頼。如才なく「わざわざのお出迎え、恐悦至極に存じます。秀頼にございます」と笑顔で家康に近づき、上座をどうぞどうぞと譲り合い。「意地を張るのも大人げのうございますので、横並びに致しましょう」と上座に横並びと見せかけておいて、スチャッと下座に着いて見せた。おじいちゃん家康はパッと身動きできないからねぇ。

 豊臣を公家として祀り上げ住み分ける作戦は大失敗、さらに「武家として」と高らかに宣言されてしまった。秀頼を跪かせたはいいが、徳川は、上方の民衆から「秀頼は慇懃、徳川は無礼。秀頼はご立派、徳川は恥知らず」と罵声を浴びることになった。

 「涼やかで、様子の良い秀吉じゃ」と家康が評すほどのここまでデキる挑戦的な秀頼は、これまたあまり見たことがない。ドロンジョ茶々様の教育の賜物だ。三浦按針に大筒を依頼し、家康が自ら片付けようと腰を上げたのも頷ける。秀忠への親心もそうだが、戦無き世実現への執念が感じられる。

 次回はいざ、大坂の陣だ。

(敬称略)

 

【どうする家康】#44 家康が徳川SDGsに目覚めた10年、秀頼は大成長

母に欺かれていた家康

 NHK大河ドラマ「どうする家康」は第44回「徳川幕府誕生」が特別なオープニングと共に11/19に放送された。今回だけのスペシャルバージョンだそうな。今回は1600年の関ケ原の戦いが終わってのひととき、というよりも1611年に手が届く10年もの期間がブワーッと一気に巻き気味に描かれ、家康の母・於大、股肱の臣の平平コンビ(本多忠勝、榊原康政)、そしてドラマでは出てこなかったが家康の息子らが死んでいった。

 この間、大坂方の豊臣秀頼が確実に成長していく。一方、家康は天下を返さぬための手を打っていった。

 あらすじを公式サイトから引用する。

家康(松本潤)は大坂城で、関ヶ原の戦勝報告を行う。茶々(北川景子)から秀頼と孫娘・千姫の婚姻を約束させられ、不満を隠せない。時は流れ、征夷大将軍となり江戸に幕府を開いた家康。ウィリアム・アダムズ(村雨辰剛)らと国づくりに励むが、秀忠(森崎ウィン)の頼りなさが不安の種。そんな中、忠勝(山田裕貴)が老齢を理由に隠居を申し出る。一方、大坂では大野治長(玉山鉄二)が茶々の下に戻り、反撃の機会をうかがっていた。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 家康は、秀頼への関ヶ原の戦勝報告の際にこう言って頭を下げた。あくまで豊臣の大番頭の体だ。

家康:天下の政は、引き続きこの家康めが相務めまするゆえ、何卒よろしくお願い申し上げまする。

茶々:誠に結構。・・・毎年、正月にあそこにお背丈を刻んでおりましてなあ。(略)あと十年もすれば、太閤殿下に追いつこう。さすれば太閤殿下の果たせなかった夢を、秀頼が果たすこともできましょう。それまでの間、秀頼の代わりを頼みまする。

 あなたはあくまで秀頼の代わりだから忘れるんじゃないよ、と念を押されたのも衝撃だったが、また朝鮮に出兵する気なのか、と空恐ろしくなった。そんな自身の意志の無い、ただただ亡き父の夢だからということで海外出兵をされては、日本が滅んでしまうよね。

 もし秀次が生きて「秀頼の代わり」だったら?とも考えたが、やはり秀吉の遺志に縛られてしまう豊臣の人たちでは長続きもしなかったな。日本は徳川で良かった。

 去り際、家康は孫・千姫の秀頼への輿入れを茶々にせがまれた。秀忠は「ようございましたな、茶々様も徳川と豊臣がしかと結ばれることを望んでおられる。これで安心じゃ、よかったよかった」と喜ぶが、「早う人質をよこせと言っておるんじゃ」と家康は不機嫌だ。きっと「秀頼の代わりをお願い」と茶々に念を押されたこともあるのだろうし、茶々の真意が汲み取れない息子秀忠にもイラ立っている。

 困難を増す豊臣との関係に、本多正信は、征夷大将軍となることを家康に提案。足利将軍がその権威を落としてしまったが、幕府を開けば武家の棟梁として「やれることはずいぶん増える」のは確かだと。

 家康は、徳川が武家の棟梁、豊臣はあくまで公家として住み分けができるのではないかと模索。つまり、ドラマの家康は、この関ケ原直後の時点では豊臣を潰そうとは思っていなかったのだね。

 そうそう、1602年に寧々、都に招かれた於大、家康の三者が会った時に、寧々は家康に「やはり将軍様は寅の方がようございますものな」と口にしたのはどうしてだったのだろう?もう家康が征夷大将軍になることは、その時期、寧々を含め、周りにも意識されて既定路線だったのだろうか?それとも、単なる軍団の中の一般名詞としての将軍だったのか。

 この時、家康母・於大は、家康が実は寅年生まれじゃなくて兎年生まれだと寧々に打ち明けた。それを聞いていた家康は、「寅の年生まれの武神の化身」とのアイデンティティを、まさかの母に突き崩されポカーン。かわいそうに、子としては為す術もない。

 ふと考えると、長いこと主人公が信頼できるはずの人の嘘にまんまと騙されていた点で、昨年の「鎌倉殿の13人」での「おなごは皆キノコ好き」に騙されていた北条義時を思い出す。

 あれも、真っ赤な嘘が暴かれたのはラスト前ぐらいだったか。年数で行くと家康が騙されていた方が長そうだし、母という存在が子に対して生まれの嘘をつくのは罪深い気がする。

 過去の「すべて打ち捨てなされ」と家康にかけた過去の言葉を悔い、於大は「もう捨てるでないぞ、そなたの大事なものを大切にしなされ。一人ぼっちにならぬようにな」と言ったのが救いだ。もう遅い気もしないでもないが。

 この3か月後に於大は家康に看取られて死んだという。やはり老人の旅は命を削るものだね。もう一息で家康は「征夷大将軍~(今年は誰もやらないのか)」だったのに。

 家康は1603年に幕府を開き、若い世代の「戦以外の才」「太平の世を担う才能」に恵まれた優秀な人材に囲まれ、江戸を拠点に国づくりは盛んだ。ウィリアム・アダムズは一瞬の登場で、もうちょっと出してくれないかと思った。

 イカサマ師の息子・本多正純は、父・正信と同じように扇子で首を叩いているが、大久保忠世にまっすぐ育てられ、父を不埒と呼ぶ。あの律義さで身を滅ぼしていくんだね。

平平コンビも涙の退場、四天王サヨウナラ

 本多忠勝は生涯57度の戦いに出ても無傷だったという。それが、死の直前につまらないことで傷を負って、死が近いことを悟ったという。それに近いエピソードが今回は再現されていた。たぶん愛用の蜻蛉切を手入れしていて、忠勝は手を切った。

 前回、オイラこと井伊直政がフラグを立てていたと思ったが、忠勝が榊原康政と話すセリフ「関ヶ原の傷がもとで死んだ直政は、うまくやりおった」の中で、視聴者に直政が没したことが伝えられた。

 「島津の退口」で負った重傷の無理を押して戦後処理に奔走、関ケ原の戦いの2年後には死んだ直政。何事にも完璧主義で、家来は悲鳴を上げていたと聞くが、コントロール欲が強そうでDV気質が垣間見える。誰かに任せて大人しく寝ていられないで、傷が治るわけもない。体力が削られてしまうよね。逆に、そうできていたらもう少し長生きできただろうに、惜しい。

 直政は四天王の中で一番若いのに、アラフォーでの死。本多忠勝、榊原康政も心情的に堪えただろう。彼らも、1548年に生まれ家康より5歳も若いのに、アラカンで死を迎えるとは(康政1606年没、忠勝1610年没)。徳川四天王は、大坂の陣を前に、皆いなくなっていた。

強くて頭も切れる、榊原康政が惜しい

 「どう家」を見ていると彼らがどんな立場に就いていたのかがフワッとしているのだが、ウィキペディア先生で確認すると、康政(榊原康政 - Wikipedia)は北条攻めの後は関東総奉行の地位にあり、関ケ原の戦いでは秀忠軍の軍監、戦後は老中。徳川家中の重鎮としてずいぶん忙しそうだ。

 ドラマでは1603年の時点で「もう我らの働ける世ではないのかもしれんぞ。殿の下には新たな世を継ぐ者たちが集まってきておる」なんて気弱なことを言っていたが、ドラマみたいに、桑名の忠勝の下にしょっちゅう来る暇があったのだろうか。

 康政は、老獪な本多正信と共に、ハッピーな秀忠の相談役を務めていた様子が面白かった。ウィキペディアでは、康政の主君は「家康→秀忠」と書かれていた。「私も、秀忠様にご指南申すのが最後の役目と心得ておる」と言っていたように、知恵の働く康政に、正信と共に秀忠を教育してもらいたいのは家康の意向だろう。(ちなみに、忠勝の主君は「家康」だけだった。)

 関ケ原では秀忠の率いる徳川本軍が間に合わなかった。が、あるいは家康の東軍が負けたとしても、秀忠が康政と正信と共に残れば徳川は何とかなる、道は開けると家康は考えたのかもね。それぐらい、康政の価値は家康に高く見積もられていたと思う。

 康政の死因だが・・・「どこが悪い」と忠勝に聞かれ「はらわたじゃ」とドラマでは答えていたが、面疔とかヨウとかセツとかの毛嚢炎じゃなかったか?自分もなったことがあるため、そう記憶していた。

 私は子どもの頃、川で泳いだ後に黄色ブドウ球菌のせいで毛嚢炎になり、酷く腫れて外科で切開した。あれは、膿の芯がずんずん皮膚の下に伸びて育っていくから「首筋だったら死ぬところだ」と言われた。「タコの吸出し」のようなものを、少し昔だと貼って膿を出したらしい。

 とにかく、ずるずると酷くしてはいけないから、康政も、早いうちに思い切って切開したら良かったのに・・・タイミングを失して手が付けられなくなってしまったのだろうか。

 そういえば康政死没の翌年、1607年に没している秀忠同母弟の忠吉が、やはり腫れものを患って命を落としていたはず。「葵 徳川三代」ではその様子が描かれていた。同母弟の死は、秀忠もショックだったはずだ。

忠勝には真田親子の助命嘆願を期待したが

 一方、本多忠勝は、関ケ原の戦後は初代桑名藩主として藩創設のために城や宿場整備、街づくりなどに忙しかった模様だ(本多忠勝 - Wikipedia)。ドラマにもあったように、病にかかるようになって家康に隠居を申し出たのが1604年。ドラマでは康政の「戦に生きた年寄りは、早、身を引くべき」という言葉も影響したということか。

 結局、「関ケ原はまだ終わっておらぬ」「隠居など認めんぞ」と家康に言われ、「全くいつになったら主君と認められるやら」と忠勝は嬉しそうに答え・・・最後には1560年の桶狭間の戦い後の大樹寺で、実は既に認めていたと康政に明かしたのだった。

 そして、康政死後の1607年に忠勝は眼病を患ったとウィキペディア先生に書いてあるのは、ドラマ的にはとうとう隠しきれなくなったということか。1609年に隠居、翌1610年に没した。

 これは作家・池波正太郎の創作なのかもしれないが、「真田太平記」ファンとしては、関ケ原の戦いの後の本多忠勝と言えば真田昌幸・信繁親子の命乞いだろう、と期待していた。

 忠勝の娘が小松姫(稲姫)、彼女が真田信幸に嫁いだ関係で、忠勝と真田家は切っても切れない間柄として、信幸が命乞いをする時に忠勝も一緒に家康に対して盛大に駄々をこねる・・・という筋書きが頭に入っている。それをやってくれるかな?とワクワクして待っていた。

 が、残念ながら真田信繁が蟄居先の九度山で、家康憎しと鍛錬している様子がチラリと映ったのみだった。そこに至るドラマはやってくれないのか・・・💦佐藤浩市の昌幸パパはどこに?もう出ないのか。

秀忠に「おめでとうございます」と言った秀康も没

 先ほど、ドラマの中で幼少期以来最近触れられていない家康四男・松平忠吉(松平忠吉 - Wikipedia)について、今回サッと通り過ぎた1607年に没していたと書いた。そうしたら、なんと家康次男の結城秀康も1607年に死んでいた。死因は梅毒だとか(結城秀康 - Wikipedia)。

 忠吉は4/1没、秀康は6/2没なのだが、立て続けであり、家康や秀忠の心情を考えるとドラマで扱わないのは奇異だ。どちらも頼りにしていただろう息子だったのに。それとも、家臣の死に比べ、息子ら兄弟らの死の影響は極小だとでも?

 康政の「皆の面前であのようにお叱りになるべきではござらぬ!秀忠様の誇りを傷つけることでございますぞ」との生涯最後の諫言の後、家康は秀忠に1年以内に将軍職を譲るから準備しろと伝えた。その直前、家康はチラリと秀康の方向に「しっかり聞けよ」と言わんばかりに視線を送っていた。

 優秀な秀康は、戸惑う弟・秀忠に対して真っ先に「おめでとうございます。秀忠様」と頭を下げた。逆だったらとても秀忠にはできない芸当だ。

家康:秀忠。

秀忠:(暗い顔)はっ。

家康:関ヶ原の不始末、誰のせいじゃ。

秀忠:(悔しそうに)私の落ち度にございます。

家康:そうじゃ。そなたのせいじゃ。理不尽だのう。この世は理不尽なことだらけよ。わしら上に立つ者の役目は、いかに理不尽なことが有ろうと、結果において責めを負うことじゃ。うまくいった時は家臣をたたえよ。しくじった時は己が全ての責めを負え。それこそがわしらの役目じゃ。分かったか?

秀忠:心得ましてございます。

家康:(秀康の方向に一瞥くれてから秀忠のそばに座る)征夷大将軍、1年の内にそなたに引き継ぐ。用意にかかれ。(去る)

秀忠:はっ!・・・え?わしが・・・将軍?!(本多正信が頷く)

秀康:おめでとうございまする。秀忠様。

 気付けば、この場面での家康の貫禄が凄い。よくよく一挙手一投足を見て、あのヘタレがこんなにも、と今さら思った。松潤だから若い頃だけ演じて終わりかと当初は思っていた。それがこの堂々のタヌキおやじぶり。特殊メイクやら装束やらで助けがあるにしても、松潤も不自然さは全然ない。

 言っている内容も、どこぞの政治家さんや上司さん、みんな聞いてるー?という名言だった。

 この場面を受けての、秀忠と康政、正信の会話も面白い。

秀忠:わしを選んだのは、兄が正当な妻の子ではないからか?

康政:殿がさような理由でお決めになるとお思いで?

正信:才があるからこそ秀康様を跡取りにせぬのでござる。

秀忠:えっ?

正信:才ある将が一代で国を栄えさせ、その一代で滅ぶ。我らはそれを嫌というほど見て参りました。

康政:才ある将一人に頼るような家中は、長続きせんということでござる。

正信:その点、あなた様はすべてが人並み!人並みの者が受け継いでいける御家こそ、長続きいたしまする。いうなれば、偉大なる凡庸と言ったところですな。

康政:何より、於愛様のお子様だけあって大らか。誰とでもうまくお付き合いなさる。豊臣家ともうまくおやりになりましょう。

正信:関ケ原でも恨みを買っておりませんしな。間に合わなかったおかげ。

秀忠:・・・確かにそうじゃ。(うれしそうに)かえって良かったかもしれんな。ハハハハハ!

康政、正信:(視線を交わす)

 正信が「偉大なる凡庸」等とズケズケと秀忠に言ってしまうのに対し、康政は「さすが於愛様のお子様だけあって」と敬意を忘れない物言いで持ち上げてみせるのが流石だ。

 才ある将が一代で潰れてまた世の中に騒乱が起こり、次の才ある将がまとめるまでの戦国時代。これを繰り返さないよう考えての「持続可能性の高い家中」ということだね。SDGsみたいな話になっている。

 でも、それが民衆にとっては幸せの素。戦無き世にするという家康の悲願からすると、当然なる帰結だ。オフィスでも同様、「持続可能性の高い社中」でないと、ひとり優秀な社員が出ても無理を重ねるしかなければ、挙句に体を壊して退職するしかない。それでは社員、会社の幸せは遠い。凡庸な社員が回せる社中であってこそ、組織は成長するのね。社長さん、聞いてるー?

 ここで今一度、石田三成が「戦無き世など成せぬ」「誰の心にも戦乱を求むる心がある」「まやかしの夢を語るな」と言ったことを考えたくなった。

 当時は戦続きで誰も戦乱の無い世を経験していない、知らないとすると、むしろ家康の方が「戦無き世を作る」など相当おかしいことを当時としたら言っているのだ。「何を荒唐無稽なこと言っちゃってんの」みたいなところだ。

 その相当おかしいことを悲願として主人公に希求させるには、相当おかしい装置が必要だったわけで、それが瀬名を家康最愛の妻にして、お花畑的考えを発想させて、しかも見殺しにする(自分の心を殺すような地獄)という三段活用だった。このことがSDGsを目指す今になって胸に迫ってきた。おもしろいものだ。

 家康が幕府を開いて将軍になったら、あの瀬名の木彫りのうさぎを箱から出せるかと思ったが、まだまだ波乱が先に見えている。大坂の陣の後でやっと出せるのかな。死ぬときか。

 さて、秀忠が将軍に就任後の1607年に、兄と弟が続けて死ぬ。抗生物質が当時あればねえ。最初から秀忠が本命だったにしても、秀康は1603年からは寝付いていたという話もあるから(ドラマでは1604年でもシャンとしていたけれど)、秀康と忠吉が病身である点は、家康の次選びの判断の内だったのではないか。健康で残った秀忠が将軍になったか。SDGsにも健康は要だ。

秀頼はスクスクと成長

 家康が身内を亡くしていく一方、秀頼はとうとう秀吉の背丈を示す赤いラインを19歳にして超え、長身になった(1年間の伸び方が凄い)。オープニングアニメも、背丈を記していく柱であり、それが炎上したように見えた。後の大坂城の運命を考えると、さもありなん。

 よく、秀吉は小さいのにーと言われるが、茶々の父・浅井長政は高身長の美丈夫だったというから不自然ではない。

 秀頼に寄り添い、柱のキズを刻む茶々は満面の笑みだ。そして、正室の千姫(家康孫)は、面差しがまるきり瀬名!血縁は無いはずなのにね、驚いた。

 大野治長も流罪から大坂に戻り、秀頼の周りは賑々しくなっている。ただ、将軍職を家康が秀忠に譲った時の茶々の反応に、加藤清正と福島正則は明らかに困惑していた。

 この、あちらの様子を家康は遠方からヒリヒリ感じているのかな。戦神のように睨みを利かせる忠勝の絵を前に、時が満ちるまで、戦闘心を養っていたか。打倒秀頼、残り4回、どう描かれていくのだろう。

 次回どうなる?と前回期待しながら今回スルーになったのは、関ヶ原の行方を決めた金吾殿(小早川秀秋)のその後。決着をつけるナレ死も無く、きれいさっぱり描かれなかった。この大河のやり方にまだ慣れなくて、あれえ?という肩透かし感がある。あと4回なのに慣れないなんてね、苦笑いするしかない。

(敬称略)