大日月地神示には、肉体は神様からの借り物である旨の啓示が頻繁にでてきます。
○肉体は借り物ぞ。
地の分身ぞ。
神の分け御霊の顕れぞ。
ゆえに、人はみな神の中に存在しておりますのじゃ。(後巻61(2017.10.18)
○肉体は、地の大神様の肉体預けておる容れ物。(前巻と(2006.9.26)
○そなたらの身体と食べ物も、着る物も家も、皆々この方の身体預けておるのぞ。
大事にして下されよ。
(略)
皆々、この方の肉体に暮らしておいでじゃ。(前巻へ(2007.1.8))
肉体や自然が神だということは、その営みに、素晴らしい社会(神世、ミロクの世)になるためのいろんなヒントが隠されているということです。
生物学や地学は、神の驚異を知る学問
NHKの人体や生物についての特集番組はいつも驚かされます。
身体の器官同士のコミュニケーションの仕組み、遺伝子や酵素(タンパク質)製造の機序などなど、本当に驚愕の内容です。
少し前は、脳が全ての器官に命令していると「誤解」されていたのですが、身体の各器官もかなりのおしゃべりで、相互に支え合って生きているようです。
植物も、虫に食われ始めた葉っぱがメッセージを発して、他の葉っぱで毒素が生成されるばかりか、異なる個体、つまり食われている木とは別の木々でも毒素が生成されるらしいです。
食われている木がアラート物質を発するそうで、最近の科学的研究で、そういうことが分かってきたそうです。
さらに、その虫の天敵を呼んだりするそうです。例えば、アブラムシに食われ始めるとてんとう虫を呼んでいるらしいです。これも、助けて(ここにエサがいるよ)物質を発しているそうです。
また、遺伝子は、オンオフ機能があり、特定環境になるまで眠っている遺伝子が膨大にあるらしいです。
実際、蝶は、幼虫、サナギ、成虫と変態しますが、同じ遺伝子でありながら、幼虫の時とサナギの時と成虫の時ではアクティブ状態になっている遺伝子は違うようです。幼虫の時は、サナギや成虫の遺伝子はオフになっている、ということで、特定の状態になった時にオンになるということです。
今回は地学は触れませんが、地学も神の智慧の深さを知る学問だろうと思います。
何十億年という長い期間をかけて、恒星の高圧高温下で元素が生成されたことは、ただただ驚嘆の念を禁じ得ないものでしょう。また、その元素が微量でも生物にとっては欠かせないものだったりしますので、感謝の念も禁じ得ません。
これも、レベルの高い情報がNHK特集で得られます。
中央集権、エリート主義の誤り
手足が動いてから脳から命令を出しているらしき信号が出ている、つまり、手足は脳からの命令を受ける前に、勝手に動いていることが判明しています。驚く他ないです。
身体の器官同士がコミュニケーションをとっていたり、脳の指令が出る前に手足が動き始めていることを見ても、
少し昔の、
「ヘッドが命令して、手足はその命令を遂行するのみ」
という、組織の典型的なイメージ(「頭脳」とか「手足」という表現にも出ていますが)は、どうも「誤り」であるということです。
中央集権的な組織イメージやエリート主義の組織運営も間違いです。
国家で言えば、共産主義国家は、ソ連も中国も北朝鮮も、みなこのエリート主義です。設計主義とも言います。
戦前の軍国主義者と革新官僚による統制経済も全く同じです。
現場判断を抜きにした組織は、滅びるしかないようです。これは、今の中国も同じことでしょうが、日本の官僚主義もそうでしょう。とにかく、大宗は変わろうとしません。
トップダウンでない資本主義や民主主義は、共産主義やエリート主義、設計主義、専制主義、権威主義に比べれば、理に適ったシステムと言えそうです。
しかし、人間の知恵は、神の智慧には足元にも及びません。
お金?自然界には存在しないものです
自然界にはお金に相当するものがありません。
細胞などを見ても、必要なところに必要な物資が配分されるシステムになっています。
外部から取り入れた物資を消化器システムで材料レベルに分解し、血液という物流システムに乗せて運び、それぞれの細胞で材料から製品へと組み立て加工をします。
細胞がお金を持っていないと材料が届かないというシステムではありません。血液に乗っている必要材料を取り出す仕組みです。
お金というシステムがないわけですから、
・一部の細胞のみが材料を入手できる権利を有し、
・それ以外の大半の細胞は材料入手に汲々として、一部の細胞に支配される
というようなことは全くあり得ません。
なお、「お金」については深淵で、お金のシステムが支配的な現在においては、生きていくにはお金が必要です。
お金を悪と見るのは、生活や家族の幸せを捨てるようなもので、間違いです。笑顔を生むとお金が回ってくることからも、お金は悪ではありません。お金に振り回されるのがよろしくないのです。
資本主義?自然界には存在しないシステム
我々は資本主義の国家に生まれましたので、資本主義は当たり前のシステムとして受け入れています。
資本主義の前提は「お金」であり、お金やそれに類似したシステムは自然界には見当たりません。
自然界にはないのに当たり前と思うものは「洗脳」と疑った方がいいでしょう。
実際、資本主義の下での富の偏在(格差、貧困)は様々な問題の原因となっています。
犯罪の多くは、怨恨を除いてはお金を得るためだと考えられ、怨恨の背景にお金があるケースも多々あることでしょう。
テロも、貧困層が多い国がその温床になっています。
福祉や保育に携わっている人たちは、日々尊い行為をされていますが、収入は低い一方、お金でお金を生む投機は収入が高かったりします。
トマ・ピケティの新資本論では、労働収入より資産収入の方が額が上回ることを明らかにしています。
また、人生の選択において、自分の魂が求めていることよりも、高収入とか安定収入といった収入の方が重要な判断材料となっているのが実情です。
そして、収入のいい職業に就くために学歴を求め、幼い頃から勉強をするのが、先進国の定番の人生になっています。
これらは、お金を基盤に置いた社会経済システムであるが故に起こる「歪み」であろうと思います。
(参考)お金のシステム
資本主義の洗脳・呪縛を離れると、これまで当たり前だと何も疑問を持っていなかったことが疑問だらけになり、
新しい時代、新しい社会では、これらを乗り越える叡智、お金の必要ない社会を作る叡智を衆知を集めて作っていく必要があると思います。