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岡田彰布監督の現役時代守備位置はどこ?

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岡田彰布監督が秋季キャンプで自らグローブをはめて実演する等、関西では連日スポーツ紙の一面になったいり、朝の情報番組で取り上げられるなど毎日話題になっています。

岡田監督は現役時代のバックスクリーン3連発のイメージとは裏腹に、徹底した守りの野球をすることで有名で、大山、佐藤など主力選手の守備位置を固定することを明言されています。

30代以下の若い人は岡田監督の現役時代を知らないと思いますが、主にどこを守っていたのでしょうか?

岡田彰布監督の守備位置はどこ?

岡田彰布監督は早稲田大学時代サードを守っていました。

ドラフトで阪神、ヤクルト、西武、阪急、南海、近鉄の6球団から指名され、見事意中の阪神タイガースに入団することになったのですが、阪神以外の5球団はサードのポジションを空けて待ってくれていたようです。

阪神には当時バリバリの4番だった掛布雅之さんがいた為、サードは空けられないと言われ、岡田監督はプロに入ってセカンドを守ることになります。

プロ入り後、3年目まではセカンドを守っていましたが、4年目に大けがをしてしまい、シーズン半分を棒に振ったことから、ライトに一時的にコンバートされます。

吉田義男監督が就任して以降、岡田さんはセカンドに戻り、セカンドの真弓さんがライトに回り、ショートに平田勝男さんが入るようになります。

阪神はしばらく岡田・平田の二遊間だったのですが、掛布雅之さんが引退することになり、岡田さんはサードに回り、セカンドに和田豊さんが入ります。

その後、のちに代打の神様となる八木裕さんの台頭によりサードに入ることになり、岡田さんは再びセカンドに回るものの、ショートに久慈さんが入ったことで、セカンドに和田さんが入り、92年にファーストにコンバートされます。

阪神には当時オマリー・パチョレックがいたので、92年頃から出番が激減し、93年に再びライトにコンバートされるなどありましたが、93年に仰木監督に声を掛けられオリックスへ移籍。

オリックス移籍1年目の開幕戦で7番ファーストでスタメン出場する等、オリックスでは主にファーストを守っていました。

岡田彰布監督の守備位置まとめ

早大時代サード→阪神に入団し、不動の4番掛布さんがいた為セカンドへ→4年目に大けがをし、ライトはコンバート→1985年に吉田義男監督の起用法によりセカンドへ戻る→1989年掛布さんが引退によりサードへ→1990年八木裕さんの台頭により再びセカンドへ→1992年和田豊さん、久慈さんの二遊間になりファーストへコンバート→1993年ライトへコンバート→1994年オリックスに移籍し、主にファーストを守る

以上のように岡田監督は現役時代主にセカンドを守っており、あとはサード、ライト、ファーストと4つのポジションを守っていました。

内野はショート以外すべてのポジションを守っており、外野はライトのみとなります。

特にセカンドの守備は守備範囲も広くて肩も強くて、送球も良かったことからゴールデングラブ賞の経験もあります。

阪神ファンの方はぜひ知っておいてください。