Netflix:『エノーラ・ホームズの事件簿2』感想

先日、Netflixで『エノーラ・ホームズの事件簿2』を見ました。

シリーズ第1作目は割と面白かった記憶がありましたので、結構期待していたんですよね。

また僕はシャーロックシリーズには本を昔から読んでたぐらいには馴染みがありまして、色々思うことがあったので書いていきたいです。

ネタバレ要素がありますので、ご注意くださいませ!

事件は面白い

お話は良かったです!

実在の人物サラ・チャップマンを基にしたマッチ工場での事件と

モリアーティ教授が絡む銀行の事件が最終的に絡む展開は、とても良かったです。

2つの別々の事件が実は関係がある、というストーリーはサスペンス映画ではよくある展開ですが

最後まで犯人が分かりにくかったので良くできてたなあ、という印象です。

ですが、お話の展開として前回のエノーラの自立というテーマから、仲間の重要性?を唱えている点は若干疑問が残りました。

もちろん仲間とか恋人の大切さを唱えることは全然いいんです!

人間は社会的生物ですし、一時期話題になっていたゼクシィの広告でも

「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」

はかなり共感を集めていました。

なので、誰かと一緒になることの素晴らしさを強調するのは全然かまわないのです!

 

ですが、途中でエノーラのお母さんがエノーラに対して

「自立した子に育てすぎたみたい。あなたは素晴らしいけど、少し孤独だわ。仲間がいれば更に素晴らしくなる」

と言っていた時に、ちょっと疑問が残りました

言い方や表現の問題なのかもしれませんが、こういう言い方をすると孤独が優劣的に下といっているように聞こえるんですよね。

いや、分かりますよ。孤独というのがさみしいものでもあるし、仲間の素晴らしさも分かるのですが、優位性を説く必要はなくね?

っておもうのです。

ここは、優位性を語るのではなく、どちらもメリット・デメリットがありイコールでよかったのでは?

折角エノーラ・ホームズの事件簿シリーズは最近のポリコレ、女性のエンパワーなんかを扱ってきたのに、旧態の価値観を持ってくるのかあと引っかかりました。

兄妹の成長

エノーラとシャーロックの成長や恋愛についても触れていたのは良かったですね~。

自立した女性として生きていたエノーラと、少し頼りないけど優しさと誠実なテュークスベリー侯爵という現代的な恋愛を描いていました。

1から見てると、若干テュークスベリーって顔面はトップレベルにかっこいいけど、それ以外に魅力あるか?っていうのは疑問でした。

植物に詳しい、誠実などはありますけど

世間知らず、優柔不断、意気地なしという印象が強めで、それらを全部、顔面と権力で補ってる感が否めないです。

エノーラにどこまでもおんぶにだっこという感じがあります。

まぁ、女性の活躍を描くという点でわざと滑稽な感じに描いているのでしょうが、エノーラがどうやって好きになったのかは詳しく知りたかったかなあ。

いきなりエノーラが「愛してる」と言うので、展開早くない?って思いました。

 

シャーロックについては、映画の最後におなじみの相棒が登場しました。

前作から割と独立独歩の人として描かれていましたが、今作からは兄妹の絆とかが芽生えだしていて良かったですね。

オリジナル小説を読んでいると、あくまでもロジカルモンスターという印象で感情的になる場面はほとんどありません。

しかし今作では、エノーラが逮捕された時に感情が高ぶって看板を蹴ったりと、欧米の典型的な家族愛を感じさせるシーンがあったりと、良かったです。

こういうやっすい感動シーンは普段は嫌いなのですが、今回は普通に感動してしまったので、僕のメンタルが弱っている証拠なのかもしれません。

モリアーティ教授にはがっかり

今回の記事は、ここが書きたかったんです!!

端的に言ってしまうと

 

モリアーティ教授ダサすぎんか!?

 

色々言いたいことはあるので、いったん良かった点と悪かった点を並べてみます。

良かった点

  • 黒人・女性という新しい解釈
  • いい人から悪い人へのスイッチ演技力
  • 女性が抑圧されている社会への変革

悪かった点

  • 感情的になりすぎ
  • うかつに人前に出すぎ
  • 独白がながすぎ

良かった点

旧来の男性紳士というモリアーティ教授のイメージから、黒人女性に変化したのは良かったと思います。

安直なポリコレを意識する風潮は嫌いですが、今作についてはそこまで気にならかったです。

エノーラ・ホームズシリーズがそもそも、女性権利の向上を1作目からテーマとしているので、黒人女性であることについては、理解できるところがありました。

シャロン・ダンカン=ブルースターさんの演技も素晴らしく、徐々に正体が露にされてきたときの後半の演技は目を引くものがありました。

最後のモリアーティ教授の主張についても、女性は力がなかったら機転をきかせないといけないっていうのはとても良かったですね。

弱さと戦う立場故に、頭を使わないといけないっていう設定がモリアーティ教授の理知的なイメージとうまく合ってたと思います。

数学が得意と黒人女性のステレオタイプの真逆と合わせた発想も悪くなかったです。

悪かった点

従来のモリアーティ教授のイメージとかけ離れすぎてる。

オリジナル小説版を読んでると、こんなうかつに人前に出るのか?とか

こんな感情的な演説を長々とするのか?とか

色々疑問が残りました。

主張とか言いたいことがあるっていうのは全然いいんです。

しかしゲームとして楽しんでいるオリジナル版と比べると若干、思想が強すぎなイメージがありました。

なんだろう、、もっと、、、こう

モリアーティ教授には暗躍して欲しいんです!!!

顔を簡単に出したりしないで欲しいんですよ!

自分のうちに秘めたる思想とか主張っていうのは、公にあんな長々と言わなくていいんです。

キャラクター的にむしろエノーラのお母さんの方が、モリアーティっぽさがあります。

あと、いったん捕まってから逃げたっていう最後の説明もダサすぎます。

仲間内に協力者とかがいたのかもしれませんが、そもそも捕まらないでほしかった。。。。

そして今後のエノーラ・ホームズシリーズが続くつもりなら、今作は少し顔を出すぐらいで何となく匂わせる程度でよかったんじゃないかな。

あまりにもあっさり捕まってしまうので、ええええ!って感じでした。

更に黒幕がいるとかじゃないんだ。。。って思いましたね。

 

 

まとめ:良作といってもいいかも

そんな最後の展開でしたので、途中までのストーリーの良さは大幅に失われてしまいました。

モリアーティ教授のがっかりさがあったため、最後のワトソン君が黒人設定だったのもかなり微妙でした。

あんな原作と違いすぎるモリアーティ教授を見せられた後では、流石にポリコレ過ぎる印象ですね。

ですが、全体としては1ほどの魅力はないですが、十分に良作といっていいと思います。

Netflixのオリジナル映画・ドラマは割と不評な作品が多いんですが、今作はまあまあ良いんちゃうっていう感じです。

ただ、ほんとにモリアーティ教授だけが僕は許せなかったので、そこだけ言いたかっただけです。

シャーロキアン(シャーロック・ホームズのオタク)ではないのですが、小さい時から好きだった小説シリーズなので、ちょっと熱量多めに語っていしまいました。

それでは、ここらへんでさよならー。

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