私が「場面緘黙」「選択性緘黙」という言葉を知ったのは、30年以上前です。
その頃は、わからないことをインターネットで調べるなんてことはできなかったです。
自宅でインターネットを利用する人が増えていったのは1995年にWindows95が発売されてからだと思いますが、1995年って28年前ですからね。
30年以上前は、本からしか情報を得られませんでした。
私は、高校の図書室にあった本で「緘黙」という言葉を知りました。
恐るべし公立高校の図書室、よくそんな本があったもんだ、と思います。
見つけた私もすごい。
その後、市立図書館でも探して、数冊の本を見つけましたが、緘黙についての本があったわけではなく、障害関係の本の中にほんの数ページの情報があるというだけでした。
私が家でパソコンを使うようになったのは、2000年頃からかな。
覚えてないですが。
昔々のことを調べてみると、私は、2003年頃には緘黙サイトで場面緘黙の人と少し交流していました。
ちょっとだけですが、チャットもした覚えがあります。
ちょうど20年前ですね。
あるサイトで使っていたハンドルネームは「くう」でした。
でも、私は「緘黙」という言葉を知っていたから、そういうサイトにたどり着けましたが、20年前は情報が少なく、「場面緘黙」という言葉までたどり着けなかった人も多かったかもしれません。
インターネット普及率もまだ低かったですし。
20年前がそんな感じで、その後、いったん私は、緘黙のことをほとんど忘れて…というか、気にせず…というか、わざわざ調べたり、場面緘黙の人と交流したりということをしないでしばらく過ごしていました。
そして、10年経った2013年頃、何がきっかけだったかわかりませんが、たぶん、ただなんとなく「場面緘黙」を検索してみただけだと思いますが、10年前とは比べものにならないぐらいの多くの情報があることに気付き、ブログを書いている人も結構いると知り、それに刺激され(?)このブログを始めました。
そのときは、だいぶ情報が増えてきたとはいえ、経験者として自分の方が色々わかることもある、経験者として情報を発信したい、みたいな気持ちがあったんじゃないかな?と思います。
1年ぐらいで、だいたい書きたいことを書き切り、その後はポツリポツリ更新していましたが、2016年にはほとんど書かなくなっていました。
書かなくなると、場面緘黙は、ほとんど思い出さない生活になります。
多少の生きにくさは、時々感じるにしても。
そういうのが、克服した人の普通の生活なのかなって思います。
でも、2年前(2021年)に適応障害になり、また自分の心と向き合うというか、心を気にする生活になってしまいました。
忘れていたほうがいいのに。
今、2023年。
20年前の2003年は、緘黙情報、よちよち歩きの赤ちゃんだったと思います。
克服するにはどうしたらいいかとか、そういう情報はまだ飛び交っていなかったと思います。
ただ、場面緘黙っていう症状の人がいる、困っている人がいる、仲間がいる、ただそれだけでした。
もっと専門的に調べている人もいたかもしれませんが、まだ情報は少なかったです。
10年前の2013年は、かなり情報が増えていました。
私は「スモールステップ」という言葉に驚きました。
克服するためにどういう取り組みをしたらいいか、という手段が考えられているということに。
そして、今、2023年はどうか。
10年前よりさらに「場面緘黙」でヒットするサイトが増え、出版された本も増えています。
ブログについては、見る人は減ったのかな?って思いますが、YouTubeとかで情報発信されていることに、これまた驚きです。
場面緘黙という症状を知る。
場面緘黙という診断がされる。
克服するために学校や家庭で協力していく。
そのあたりは、だいぶうまくいくようになってきているのではないかと思います。
世間的な認知度としてはまだ低いですが、どこかに相談したり、ネットで調べると、「場面緘黙」にたどり着けるようになったのは進歩です。
でも、克服のための一人一人に合った個別の対応がうまくできているか、克服後のフォローがきちんとできているか、というのはどうなんだろう?って思うところもあるし、情報としてもあまりないな…って思います。
「学校でしゃべれるようになった」をゴールだと思っている人も多いような。
しゃべれない期間に学べなかった会話力、社会性って、しゃべれるようになったら自然と解決するんでしょうか?
あと、大人になってから「実は子供の頃、場面緘黙だった」って気付いた人や、克服はしたけどなんだか「生きにくい」っていう人も、結局は誰にも相談できなかったり、自分一人で抱え込んでしまっていることもあるんじゃないかと思います。
今から10年後はどうなってるんでしょうね?