「問題を起こした
あなたに原因があるのでは?」
何か問題が起こると
問題を起こした人に対して
そう言い放つ人がいます。
個人のせいにするのは
非常に簡単ですが
これだけ
「個性」が尊重されない
日本社会において
個人的な問題として
片づけてしまうのは
非常に乱暴な発想なんですよね。
こんにちは!
自分を好きになる心理コンサルタント
杉澤佑子です😊
家の中でも外でも
自分らしく生きるよりも
他人の目を気にしながら
生活しなさい
そのように
教育しておきながら
個人が何か
問題を起こすと
「あなたに原因があるからだ」
とすべての非を
個人になすりつけるのは
調子がいい話だよな
といつも感じていました。
「いじめられた側にも
問題がある」とか
不登校になったのは
子どもに原因があるとか
必ず当人だけが咎められて
周囲の人間や環境を
疑問視する声はありません。
不自然過ぎるほど
問題の原因が
個人に偏り過ぎているんです。
(相手にも)
あなたにも原因がある
なぜか問題が起こると
こういう
無責任なことを言って
当人に罪悪感を
植え付けてくる人たち。
当時の状況を
まるで知らないのに。
全くの第三者なのに。
痛み分けや喧嘩両成敗の
つもりかもしれませんし
相手を非難するよりも
そのように考えることで
自分の成長に繋がるから
という意味合いも兼ねた
発言かもしれません。
しかし一番の理由は
私もそう考えて
我慢してきたから
「あなたも同じように考えなさい」
そういう裏のメッセージが
大きく影響しています。
(もちろん発している本人は無自覚)
相手の苦しみに
共感してしまうと
自分が過去に我慢した苦しみを
思い出すことになるから
「あなたにも原因がある」と
相手を咎めることで
自分の心の傷が広がるのを
防いでいるというわけです。
私自身の経験でいえば
家の中では何があっても
「お前が悪い」と
悪者扱いされて育ち
学校でいじめられた時も
仕事で思うように
評価されなかったときも
あなたにも原因がある
と咎められ続けて
育ちました。
どれだけ
親の言うことを聞いていても
親と揉めれば問答無用で
私に非があると断定され
どれだけ
仕事のことを考えて行動しても
評価されないのは
私に非があると断定され
え、じゃあ
あの時の親の言動は
許されていいものなの?
え、この人
当時の状況を知らないのに
評価者の判断は正しいと
なんで判断できるの??
それって
フェアじゃないよね??
ってずっと憤っていました。
喧嘩両成敗なら
痛み分けのつもりなら
文字通りに
ちゃんと両成敗してよ…
日本人はとにかく
無自覚に
我慢している人が多いので
その結果
相手にも自分と同じだけ
我慢を強いるという
悪循環が生まれます。
「人や環境は変えられないから
自分が変わるしかない」
という教えも
まん延しているので
問題が起きた側が
変わらないといけない
風潮があるのも事実です。
真面目な人ほど
人からそう言われて
自分を責めてしまいますが
何か問題が起きた時は
その時の環境や
相手からの影響を
切り離して考えることは
絶対にできません。
個人が単独で
問題を起こしているのではなく
必ず何かしらとの
相関関係にあります。
全て自分の責任として
考えるのではなく
ぜひ中立的な目で
問題の原因を捉えるように
してみてください。
「全部自分のせいだ…」
そう考えて苦しむ人が
1人でも減りますように。