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龗神社/神社なのに山号がついている

青森県の第二の都市(?)とされる八戸市。そこの中枢機関である市役所の近くにあり、最近新しく建築された八戸美術館からもアクセスしやすい場所にあるのが、義経伝説の始まり・八戸三社大祭の始まりとされる当神社。歴史を積み重ねた味わいのある神社を散策。

基本情報

神社名  : おがみ神社
山号   : 法霊山
正式名称 : 法霊山龗神社
読み方  : ほうりょうさんおがみじんじゃ
住所   : 青森県八戸市内丸2丁目1−51

社格   : 旧村社
御朱印  : あり
建立年  : 元中年間(1205)と伝承が残るが、正中2年(1225)に神職は七代目と古文書に残る
創立者  : 法霊と言われる高徳の慈悲深い僧
その他  : 国重要無形民俗文化財【八戸三社大祭の山車行事】

歴史

創建は不詳。
源義経夫人である久我御前が埋葬された場所が聖地化し、法霊大明神と称されたのが始まりとされる。社宝手鏡は、生前に久我御前が愛用したものと伝わる。
一説として、工藤祐経の後裔を自称した法霊が大干ばつにあえいでいたことにより、当地を訪れた際に雨乞祈祷を行うが全く効果が出ず。村人から攻められ投身自殺を図った。村人たちは祟りを恐れ法霊明神として祀ると、恵みの雨が降り豊作になったという言い伝えもある。
当神社は室町時代初期に南部信助が中城(八戸城)を築くと、白の鎮守社として本丸に鎮座。
寛永6年(1629)に南部藩初代藩主南部利直が社殿を再建。
万治元年(1658)に二代目藩主南部重直が社領20石を寄進。
寛文4年(1664)に八戸藩が立藩し八戸城が築かれると、本丸から現在地に遷座。
寛文6年(1666)に社殿が完成。
その後も八戸總鎮守、歴代八戸南部家の崇敬社、祈願所と庇護され、社殿の改修・修繕・細剣が行われる。
南部家は源氏の血筋ということもあり、正徳2年(1712)に八万町鎮座の八幡宮(応神天皇)を合祀。
古来より神仏習合し別當寺院として、大善院が祭祀を司る。『法霊社』『法霊大明神』『法霊大権現』などと称してきたが、明治初期に発令された神仏分離令により仏式が廃止され、【おがみ神社】と社号を改称。

法霊とは?

・ 高徳で慈悲深い僧
・ 近郷の人々を教化したため、死後に八戸城本丸内にあった三崎社へと合祀された人物
・ 五穀豊穣・雨乞いの祈祷をよく成功させていたが、ある年にどんなに祈祷しても効果が出ないことがあった
・ 自身を犠牲として三崎社内の池中に投身すると、大雨が続き、五穀豊熟した
・ その霊魂を三崎社に合祀したことにより、法霊明神として崇敬されたとされる
・ 残る伝承によっては『自分から投身した』『村人から攻められての投身自殺』と食い違いが残る

おがみ神社と三社大祭

・ 8月1日から始まる【八戸三社大祭】は、2月の【えんぶり】と共に、八戸を代表する祭りである
・ 始まりは江戸時代中期の享保5年(1720)
・ 法霊社(おがみ神社)で豊作祈願を行い、念願成就したことを神意に感謝した
・ 当社の御神輿(長者山新羅神社)に渡る神事を四代目藩主南部広信が認めたことが起源
・ 古式を伝える行事として貴重なことから、【八戸三社大祭の山車行事】として、平成16年(2004)に国指定無形民俗文化財に指定
・ 2016年に【ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」】に登録
・ 山車が登場するようになったのは延享4年(1747)から
・ おがみ神社には江戸時代の山車が二台所蔵されている
・ 明治17年(1884)から祭礼名が【龗神社と長者山新羅神社との祭礼】に代わる
・ その5年後には廿六日町の神明宮が参加、三社の祭礼となる
・ 祭礼日の変更・行列コースの変更があり、徐々に現在の形へと変化していく
・ 【日本一の山車】と言われるほどにまでなっていく
・ 現在は違うが、数年前までは十和田市・三沢市も八戸の祭礼が終了後に、山車をお借りしてお祭り行事を行っていた

※数年前の写真

源義経北方コース

・ 判官びいき
・ ひそかに北へ逃れた義経は、八戸に上陸し高館に住んだ
・ 元久年間(1205)に義経夫人(久我御前)が亡くなり、京ヶ崎に葬ると、法霊大明神と崇められた
・ その場所こそが、おがみ神社だといわれている
・ 【類家稲荷大明神縁起】に八戸における、義経伝説の記録が残されている

御祭日

1月1日   : 歳旦祭
5月5日   : 祈年祭(春祭)
6月30日   : 大祓
9月2日   : 本祭(例大祭)
11月15日  : 七五三詣
11月16日  : 神楽年越祭
11月23日  : 秋祭
12月31日  : 大祓・除夜祭
【三社大祭】
7月31日   : 前夜祭
8月1日   : 御輿渡御
8月2日   : 例大祭
8月3日   : 御輿還御
8月4日   : 後夜祭

毎月1日   : 月次祭
毎月10日  : 社日祭

御祭神

【主神】
・ 高龗神(法霊大明神を主神とする)

【合祭】
・ 応神天皇
・ 月読命
・ 瀬織津比咩神

神格・御利益

【高龗神】
・ たかおかみのかみ
・ 【龗】は雨を司る龍神様の意味
・ 美しい女性に化身し、人間の前に現れる龍神さま。またはその神に使える巫女の神格化
《神格》
水の神、雨乞いの神、水源の神、龍神
《御利益》
祈雨・祈晴、農水安全、商売繁盛、夫婦和語押

【応神天皇】
・ おうじんてんのう
・ 別称【誉田別命】(ほんだわけのみこと)
・ 戦前までは武神、戦後は平和観念が浸透していき、教育・縁結びなどの日常に根付いた諸願成就の神様に変化
・ 日本文化の礎を築いた天皇
《神格》
文武の神、厄神
《御利益》
国家鎮護、殖産作業、家運隆昌、成功勝利、教育、交通安全、悪病災難除け、子孫繁栄、厄除け

【月読命】
・ つくよみのみこと
・ 月の神様
・ 天照大神・素戔嗚命と合わせて、三貴神の一柱
・ 夜の食国(よるのおすくに)を当地
・ 太陽と比肩しうる月の神
・ 読んで字の如く『月を読む』ことから【占いの神】とも
《神格》
月の神、農耕神、海の神、占いの神、暦の神、夜の神
《御利益》
農業守護、五穀豊穣、豊漁、航海安全、家内安全

【瀬織津比咩神】
・ せおりつひめ
・ 別称の方が有名
・ 禍津日神(まがつひかみ)、熊野権現(くまのごんげん)、鈴鹿権現(すずかごんげん)など
・ 神道の大祓詞など様々な古書に記される女神
・ 祓戸大神の一柱
・ 罪や穢れを海へと運ぶ
・ 謎が多い神なため、神話に登場しない
《神格》
祓神、水神、龍神、滝神、川の神、治水神
《御利益》
浄化、治水、水難除去、金運向上、子授け・安産、厄除け、文学歌謡上達、立身出世、交通安全

境内の様子

【鳥居】
笠木  : 反り増しあり
島木  : あり・反り増しあり
木鼻  : あり
楔   : あり
額束  : あり
その他 : 柱下部に藁座がついている
・ 明神系鳥居の発展形の【根巻鳥居】か?
・ 銅製の大きい立派な鳥居
・ 朱色ではないが、周囲の空気に馴染んだ落ち着いた雰囲気

【手水舎】
・ 龍神様
・ 昨今の感染症により、現在は利用できないでいる
・ そのためか口元が乾燥し、白くなりつつある

【参道】
・ 参道の途中には文化財の御神輿が展示
・ 絵馬掛けの場所、ハート形
・ 参道は、鳥居から社殿までコンクリート敷になっており、綺麗で歩きやすい

【狛犬】
髪・眉 : 前髪が大きくカールし、眉が隠れている
口・歯 : 唇の縁取りは無い。鋭い牙は見当たらず、四角い歯が並んでいる
髯   : 口周りに髯が生えている。顎髭は短くカールしている
耳   : シーズーの様に毛並みと共に垂れている
目・鼻 : 真ん丸瞳。鼻はつぶれたような獅子鼻
毛・尾 : 全身に張り付いているが、カールした毛並みが流れている。尾は下で小さくカールして立っている。尻尾の先が後ろ脚の下にあるように見える
手足  : 大きく立派な爪が生えている。太くがっちりとした手足
姿勢  : お座りの姿勢。背中が丸まっている
・ 立派な毛並み・力強い手足。にも拘わらず、牙も見当たらない・優しそうな顔つき。ギャップが…
・ 両方とも口が半開き。どちらが阿吽なのかがわからない

【社殿】
階層   : 平屋建て
材質   : 木造
建築様式 : 平入り
屋根の特徴: 流造
屋根の材質: 銅板葺
宮彫り  : 獅子
木鼻   : ゾウ
・ 海老虹梁が植物が伸びるような様を表現した彫刻
・ 歴史を積み重ねたような味わいのある色になっている屋根
・ 煌びやかで豪華絢爛な装飾は無いが、荘厳で重厚感のある彫刻が目を引く
・ 木鼻のゾウは、見る角度によっては龍の様にも見える不思議
・ 現在の社殿は文政7年(1824)に再建されたもの
・ 約200年も前の空気を感じることができる場所
・ 境内・周囲の環境も変わっているが、拝殿からの目線は変わっていないのだろうか?

【摂社・末社】
・ 八大龍神
・ こちらの狛犬は蕪島神社の狛犬のような見た目
・ 社殿前の狛犬よりも、目力も強く、強そうな牙も持っている

【その他】
・ 社務所前には【微笑みの媼】と呼ばれる布袋様が寛がれている
・ 社務所のおみくじの近くには、鳥居が!
・ 何かしらの御利益があるかも?
・ 手が綺麗になるという御利益あり
・ 社殿前の階段下には【車祓い】の場所
・ その隣には立派な【消防殉職者鎮魂之碑】が建てられている
・ 祭りで使われる御神輿
・ ちゃんと鳥居もあり

御朱印について

あり
初穂料300円

まとめ・感想

そこに鎮座されて約200年。
社殿の風貌から重厚感と色々な重みが違う、というような雰囲気を醸し出している。


近くには八戸市役所・八戸公会堂・三八城神社がある場所に当神社も鎮座されている。
市役所から少しでも足を進めると直ぐに、八戸の中心街にたどり着く。
市役所の近くで車通りも激しいが、少しわきにそれた場所に鎮座されているので、参拝中は静かな雰囲気で積み重ねられた歴史に向き合え、ゆっくりと境内を散策できる。
街中近くだが、喧騒から離れ気持ちも気分も落ち着けるような場所だろう。
参拝後は少し足を延すだけで、街中に向かうことができる。さらには最近は八戸美術館も新設されたし、近くの飲食店を探すのなら、八戸のグルメマップ(今もあるのかな?)を片手に散策するのも良いのかもしれない。
八戸の役所近くは以外にも老舗が多いし…。

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