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【ウマ娘】ダイタクヘリオス元ネタ解説

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【ウマ娘】ダイタクヘリオス実装

2023年1月20日に[Fun☆Fun☆ぱりない]ダイタクヘリオスの実装が発表されました。アニメ2期から登場して根強い人気を誇るダイタクヘリオスでしたが、2周年を目前というヤバいタイミングで実装してきましたね。

ダイタクヘリオス(ウマ娘)のプロフィール

ではさっそく、ウマ娘のダイタクヘリオスがどういうウマ娘なのか紹介していきます。

名前:ダイタクヘリオス(CV:山根綺)
誕生日:4月10日
身長:156cm
体重:ウェーイ!
スリーサイズ:B82・W53・H85
靴のサイズ:左右ともに23.5cm
学年:高等部
所属寮:栗東寮
調子乗ってる?ノったもん勝ち!うるさい?
んじゃもっと盛り上がってこ〜ぜ♪
……な、お喋り大好きギャル。
笑ってないとかありえんてぃ、遊びに誘われたら秒でOK!とにかくなんでも楽しもうとする彼女の周りには、いつだって最高のグルーヴが生まれている。

 

笑いながら走る

首を高く上げ、大きく口を割って走る様が笑っているように見えたことから「笑う馬」と呼ばれるようになったことから、ウマ娘でのキャラ付けの元ネタとなっています。ただこの「口を割る」のは、掛かっている兆候を示しており、体力を消耗してパワーを溜めれず、勝負所で力を使えなくなってしまう良くない状態です。

やっちゃんという(ぶっとんだ)叔母がいる

ダイタクヘリオスの祖母である「ミスナンバイチバン」は、狂気の逃げ馬と呼ばれた「カブラヤオー」の祖母でもあることから、叔母の「やっちゃん」のモデルと考えられます。「ミスナンバイチバン」長女の子がカブラヤオー(1972年生)四女ネヴアーイチバン(1971年生)の子がダイタクヘリオスなので、正確には従妹の関係ですが年代(ダイタクヘリオスは1987年生)がだいぶ違うので、叔母という位置づけにしていると思われます。

カブラヤオーは1975年の東京4歳ステークス(現:共同通信杯)・弥生賞・皐月賞・日本ダービーなどクラシック路線の重賞を「殺人ラップ」と称されるほどのタイムで逃げ切り、「狂気の逃げ馬」という異名が付けられた馬です。
ちなみにサイレンススズカがレコードタイムで勝った金鯱賞(2000m)の前半1000m:58秒1ですが、カブラヤオーが日本ダービー(2400m)は前半1000m58秒6と、400m長いレースにもかかわらず、サイレンススズカに匹敵するタイムを記録していると考えると、ぶっとんだ逃げ馬という評価もうなずけます。

 

実在馬の情報

実在馬としてのダイタクヘリオスを見ていきましょう。

登録名:ダイタクヘリオス(Daitaku Helios
性別:牡馬
毛色:黒鹿毛
誕生日:1987年4月10日
登録日:1989年8月3日
抹消日:1993年2月2日

 

戦績

生涯成績:35戦10勝
獲得賞金:6億8995万2400円
主な勝ち鞍
1991 – 92年 マイルチャンピオンシップ GI
1991 – 92年 マイラーズカップ GII
1991年 高松宮杯 GII
1992年 毎日王冠 GII
1990年 クリスタルカップ GIII

略歴

ダイタクヘリオスは1989年から1992年にかけて、主にスプリント、マイル戦線で活躍した名馬です。ふだんの性格はとてもおとなしく、体も頑丈で手のかからない子だったそうです。

マイラーズカップでは「同一重賞をいずれも5馬身差で連覇」という連覇史上最大着差の記録も波の馬ではなしえない実績を出しています。

ダイイチルビーとの恋物語

ダイタクヘリオスとダイイチルビーは同時期に現役生活を送っており、距離適性も近いことからよく同じレースに出走していました。

とくに古馬となった一年間では異様なほど同じレースで顔を合わせることとなります。そしてダイイチとダイタクで五十音順が並ぶため、いつも仲良く出走登録表で隣同士になっていたことや、「馬なり1ハロン劇場」で取り上げられたことなどから、「雑草とお嬢様の恋愛模様」という物語が競馬ファンに定着しました。

生涯対戦成績は4勝4敗。引退後も種付けなどで交配することもなく終わってしまったのは悲しいですが、『ウイニングポスト』シリーズではダイタクヘリオスと第一ルビーを配合することで生まれるスーパーホース(架空馬)「ファーストサフィー」が存在します。

 

希少な血統

ダイイチルビーは父に天馬トウショウボーイ、母に華麗なる一族ハギノトップレディを母に持つ超良血のお嬢様。対してダイタクヘリオスは庶民と呼ばれていますが、実はダイタクヘリオスも希少な血統をもって生まれた馬です。

サラブレッドの父を辿ると必ずダーレーアラビアン、バイアリーターク、ゴドルフィンアラビアンの3頭(三大始祖)にたどり着きますが、2023年の現在ではダーレーアラビアンの子孫が競走馬の99%以上を占めています。

ウマ娘でも元ネタとなっているほとんど馬は、ダーレーアラビアンを祖に持つエクリプス系ですが、ダイタクヘリオスはダーレーアラビアンの系統には属しておらず、父系にはバイアリータークという馬にたどり着きます。現在ではこの馬の父系は、全世界でも0.4%以下と非常に希少な血統となってしまっています。

生徒会室に掲げられているモットーや、ガチャの確定演出「Eclipse first, the rest nowhere.」でウマ娘トレーナーに知られるようになった「エクリプス(Eclipse)」はダーレーアラビアンの5代子孫にあたります。
対してバイアリータークの5代子孫である「ヘロド」という馬は一時期エクリプスと覇を競ったほどの成績を残しました。
しかし後継が育たず衰退してしまっていますが、バイアリータークの子孫であるパーソロンが日本に輸入され、シンボリルドルフ、メジロアサマによって受け継がれ、トウカイテイオー、ツルマルツヨシ、メジロマックイーンへと血をつないでいきます。

 

爆逃げ馬という印象だが

ダイタクヘリオスは全レースのうち、発走直後から爆逃げしたのは35戦中10戦しかなく、序盤に4番手以内に入れなかったレースは3戦のみと基本的には3~4番手以内につける先行脚質の馬でした。

しかし生来まじめな性格からか、前に馬がいるとどうしても「追いつかなきゃ!抜かなきゃ!」と頑張ってしまい引っ掛かる癖があり、結果的に逃げや大逃げになるケースが見られたことや、逃げたレースで強烈に印象に残るようなレースをしたことで、逃げ馬という印象が強く残っているようです。

例えば1992年でメジロパーマーと一緒に出走した、宝塚記念・天皇賞秋・有馬記念で、大逃げのパーマーにムキになって競りかかっていくので、いずれも大逃げの展開となり、2頭共々仲良く撃沈したのがウマ娘のヘリオスに爆逃げのイメージを定着させたと思われます。

競馬新聞が読める馬

ダイタクヘリオスが出走した35戦のうち、単勝1番人気に推されたのは6戦ありましたが、1番人気の時に勝利を挙げたのはさざんか賞のみで人気を集めた際には馬券圏外に沈み、人気を落とした際に勝ったり馬券圏内に入ってくることから、「競馬新聞が読める馬」とか「オッズを見る馬」などと言われました。

史上4頭目

1992年に史上2頭目のマイルチャンピオンシップ連覇を達成。走破タイム1分33秒3を記録し、これはレースレコードを0.3秒、コースレコードを0.2秒更新という破格のタイムでした。

そしてこの勝利で獲得賞金は6億7595万2400円を超え、シンボリルドルフ、オグリキャップ、メジロマックイーンに続く史上4頭目となる獲得賞金6億円超えを果たしました。

当時の6億円越えの馬たちの獲得賞金
・シンボリルドルフ:6億8482万円
・オグリキャップ :9億1111万円
・メジロマックイーン:9億9810万円

現在ではGIをはじめとする重賞レースの賞金額も多くなり、獲得賞金が6億円を越える馬も多くなりました。それでも2023年現在のダイタクヘリオスの獲得賞金額はTOP100にランクインしており、優秀な成績といえます

馬主のために頑張るヘリオス

ダイタクヘリオスは92年12月20日のスプリンターズステークスを以て引退と決まっていましたが、当時闘病中だった馬主の中村氏が、病室のテレビからもう一度ダイタクヘリオスの走りを見たいと希望したことで、急遽連闘で12月27日の有馬記念に出走することになりました。

レースではメジロパーマーと逃げに出たが、ダイタクヘリオスだけかかって失速。メジロパーマーが逃げ切り優勝を果たす一方で、ダイタクヘリオスは12着に敗れ正式に引退となりました。

この92年の有馬記念はダイジェスト的な扱いでしたが、ウマ娘Season2の第6話で再現されていました。

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アプリ版ウマ娘のヘリオスのストーリーで落ち込んでいるトレーナーを励ましていたり、周りを明るくする振る舞いをするのは、こういったエピソードからきているのではないかと思われます。

引退

1993年1月31日、京都競馬場で引退式を行い、以後は種牡馬となりイナリワンとミホノブルボンと共に、北海道日高軽種馬農業協同組合門別種馬場で繋養されることとなりました。

 

いかがでしたでしょうか?ウマ娘化された競走馬たちは、いずれも競馬史に名を残す名馬中の名馬なので、その中にあってはGI2勝は少ない方かもしれません。しかしその2勝が史上2頭目の連覇という偉業だったり、負ける時も印象深い負け方だったり、ダイイチルビーとの恋物語とレース内外のエピソードはまさに「記録よりも記憶に残る馬」といえる名馬に相応しい馬だったと思います。

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