四国八十八ヶ所の第13番札所は、大栗山おおぐりざん花蔵院けぞういん大日寺だいにちじです。吉野川から遠く離れ、深山にある第12番札所焼山寺から、徳島県の中心部に向かって20km以上進み、開け始める直前のところにあります。
大日寺の巡礼情報
大日寺は、四国八十八ヶ所の第13番札所となっています。徳島市の西端地域に位置するお寺で、第12番札所焼山寺から約21.5km歩いた先にあります。阿波国一宮の一宮神社の別当寺であったため、かつては一宮寺とも呼ばれていたそうです。
大日寺の縁起
大日寺の成立縁起は、大日寺のホームページに記載されています。
dai13.jp(2025.1.25閲覧)
それによりますと、開基は弘法大師とされています。
平安時代前期の弘仁6(815)年、弘法大師が四国を巡錫中、鮎喰川対岸の大師ヶ森で護摩修法をされていた際、大日如来が天から紫雲とともに舞い降りてこられ、「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」とお告げになりました。そこで弘法大師が大日如来像を刻んでご本尊とされ、堂宇を建立して安置されたということです。
戦国時代には土佐の戦国大名長宗我部元親による「天正の兵火」により、堂塔はすべて罹災したそうですが、江戸時代前期に阿波藩の3代目藩主蜂須賀光隆公により本堂が再建されたとされています。
一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会ホームページ*1によりますと、いつの時代からかはよく分かりませんが、阿波国一宮として一宮神社が建立されてから、その別当寺として同じ境内にあったそうです。
さらに言えば、江戸時代には一宮神社が札所であり、納経所として参拝されていたようで、江戸時代前期の真念が貞享4(1687)年に著した『四國邊路道指南』にも記されているとされます。その後、明治時代の神仏分離令により寺社が分離し、一宮寺は「大日寺」ともとの寺名に変えたそうですが、一宮神社の本地仏であった行基菩薩作の十一面観音像をご本尊とし、もともとの大日如来像は脇仏となった、ということです。
このように、もともとは神社が札所であったというのは、香川県の琴弾八幡宮もそうですよね。やはり明治時代の神仏分離令により琴弾八幡宮からお寺が弾き出され、現在は第68番札所神恵院*2として、第69番札所観音寺と同じ敷地で札所機能を継続しておられます。
例によって、大日寺の縁起について、五来重さん*3の考察を引用してみましょう。
『四国徧礼霊場記』は、大栗山華厳院大日寺としながら、「一之宮にある故、一ノ宮寺と云」と書いています。元禄元年(1688)の段階では大日寺とも一宮寺ともいっていたようです。ところが、『四国辺路日記』は「一ノ宮」として大日寺を扱っておりません。『四国辺路日記』が書かれたのは承応二年(1653)で、『四国徧礼霊場記』は元禄元年に書かれています。この三十五年ほどの間に大日寺が別当となり札所となったことを推定することができますが、『四国辺路日記』では、明らかに神社のほうに札を納め、念誦読経しています。
やはり江戸時代の前期、ある時期までは完全に一宮神社の方が札所として扱われていたように思われます。
ただし、五来重さんは大麻比古神社も阿波国の一宮と呼ばれていることについて言及しておられます。
なお一の宮は、本来は大麻比古おおあさひこ神社(別当は一番の霊山寺)ですが、『四国徧礼霊場記』はここを一の宮といった理由は不明だと書いています。
とはいえ、江戸時代にはすでにこの一宮神社が一宮だという認識はあったようです。江戸時代後期に編纂された『阿波志』巻四*4には、以下のような記述があり、一宮という地名がすでにあったこと、花蔵院という院号の由来が推察できます。
大坊 在一宮村山名大栗稱大日寺舊稱一宮寺管一宮祠三好氏捨地十二貫寺田一町三段祠田六段餘山谷幽深有谷曰花谷有地曰花蔵曰一名華蔵隷持明院
ここでもやはり大日寺が一宮寺と呼ばれていたことが分かります。どうやら谷の名前が花蔵だったことから、これを院号としたようですね。「山名大栗」の記述に関しては、もともとこの地の山の名前が大栗だったのか、山号が大栗だったのかはちょっと分かりません。
興味深いのは阿波の戦国大名三好氏がすでに田畑を寄進していたということですね。しかも一宮神社の2倍くらいの田地を、一宮寺の方がもらっていたということです。ただの別当寺ではなかったのかもしれません。
大日寺の見所
大日寺の見所をご紹介します。
薬医門(山門)
※薬医門(山門)
現在、一宮神社との間に県道21号神山鮎喰線が走っていますが、以前は道路がなく、山門が神社と大日寺の境となっていたそうです。道路開通後山門はなくなってしまいましたが、それを復元して2006年に完成したのが現在の薬医門です。屋根の中心が前に寄っているのが特徴で、武家や医者の家の門として用いられることが多かったそうです。山門として用いられるのは珍しいとのことです。
しあわせ観音
※しあわせ観音
山門を入って正面に建てられています。しあわせ観音さまは合掌している両手の形の厨子に納められており、色鮮やかな衣をまとい、蓮を手にしておられます。幸せを願ってお祈りするといいことがあるとされています。裏側には小さな池があり、竜王像を取り囲むように七福神像が建っているそうです。
後ろに立っている木はおがたまのき(「招霊」木)で、樹齢100年を超えるそうです。
地蔵堂
※地蔵堂
地蔵堂です。大日寺のホームページ*5によると、水子地蔵という記述があることから、この地蔵堂を指す可能性もあります。
本堂
※本堂
明治時代に再建された本堂です。本堂では、十一面観音菩薩が祀られていますが、脇仏として大日如来・阿弥陀如来、聖面金剛が祀られているそうです。
大師堂
※大師堂
大師堂も明治時代に再建されました。弘法大師が祀られています。
大日寺のご詠歌
ご詠歌とは、四国八十八ヶ所の各霊場の特色を五・七・五・七・七の三十一文字で分かりやすく詠んだもので、民衆に各霊場の特色を分かりやすく教える意味合いがあります。
あわのくに いちのみやとは ゆうだすき
かけてたのめや このよのちのよ
(阿波の国 一宮とは ゆうだすき
かけて頼めや この世のちの世)
漢字表記は一般社団法人 四国八十八ヶ所霊場会のホームページ*6によります。
「ゆうだすき」とは「木綿襷」と書きます。デジタル大辞泉によれば、木綿ゆうで作ったたすきのことで、神事に奉仕するときに用いるそうです。つまり、一宮に木綿襷をかけてお参りし、この世のこと、後の世のことをお頼みしましょう、ということでしょう。
ただし、「ゆう」の部分が「一宮とはいう」とかかっており、一宮と言われている一宮神社(別当寺大日寺)という意味だと思われます。
総合すると、阿波の国の一宮と言われている一宮神社に、木綿襷をかけてお参りし、この世のこと、後の世のことをお頼みしましょう、ということでしょう。
ご詠歌らしい掛詞になっていますね。
大日寺へのアクセス
大日寺のホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。
dai13.jp(2025.1.25閲覧)
公共交通機関
JR「徳島駅」から徳島バス「刑務所前」行に乗車、「一の宮札所前」バス停下車、徒歩約1分(「徳島駅」から約40分)。
お車
徳島自動車道「藍住IC」から県道1号線を南に約11分走行、国道192号線を右折して西に約5分走行し、標識に従って左折して県道21号神山鮎喰線を南西に約13分。
駐車場あり。約15台。無料。
※大日寺駐車場
大日寺データ
ご本尊 :十一面観世音菩薩
宗派 :真言宗大覚寺派
霊場 :四国八十八ヶ所 第13番札所
所在地 :〒779-3132 徳島県徳島市一宮町西丁263
電話番号:088-644-0069
宿坊 :休業中
納経時間:8:00~17:00
拝観料 :無料
URL :https://dai13.jp/
境内案内図
www.seichijunrei-shikokuhenro.jp(2025.1.25閲覧)
上記サイトの当該箇所に境内の案内図があります。
第12番 焼山寺 ◁ 第13番 大日寺 ▷ 第14番 常楽寺
南坊の巡礼記「大日寺」(2020.8.10)
歩きの難所でもあり、車の難所でもある第12番札所焼山寺の参拝を終え、危険な山道を下っていきます。ただ、とくに危ない局面に遭ったというようなことはありませんでした。
いったん国道438号線に出て東に向かいます。そこからおそらく直接県道21号線に入ったと思います。1年後に私が歩いたのも同じルートです。
1時間くらいはかかったのでしょうか。11時50分ごろ、第13番札所大日寺の駐車場に到着しました。
県道21号線は旧道のような印象のある割と車通りの多い道です。駐車場は南側にあり、大日寺は北側にあります。横断歩道があるので、ここで渡っておかないといけません。歩道は北側にしかありません。
150メートルくらいでしょうか。大日寺の山門前に到着しました。
ただ、非常に危ないのは、大日寺の前になるとなぜか歩道がなくなり、南側の一宮神社側に歩道が現れるのです。しかも、その間横断歩道はありません。向かいあっている一宮神社と大日寺の間にも横断歩道がありませんので、横断はなかなか危険です。この辺は県道も東西両側で微妙にカーブを描いているので、見通しもよくありません。気をつけていただきたいと思います。
しかしこれ、いつも思いますけど行政の怠慢ですよね。歩道をずっと歩いていっても、急に歩道が反対側に現れたり、横断歩道がなかったり……。一度県や市の道路行政担当の方は歩き遍路をしてみることをお勧めします。どこが危ないかはすぐ分かると思いますよ。
さて、話を戻します。大日寺は非常に小さな札所でした。焼山寺の後だけに、余計にそう思ったのかもしれません。しあわせ観音に手を合わせ、みんなの幸せと自分の幸せを祈りました。まずは本堂に向かいます。どうやら歩き遍路らしき方がいらっしゃいました。ちなみにここから第14番札所常楽寺、第15番札所國分寺までは札所の間隔が非常に近いので、この方は國分寺までお見かけしました。
本堂の後は真向いにある大師堂で納経し、納経所へと向かいました。納経所はおばさんでしたが、ご住職だったかどうだったかは分かりません。この時は知りませんでしたが、このお寺のご住職は韓国人の金昴先(キム・ミョウソン)さんです。
お寺の向かいは一宮神社といって、阿波国の一宮ということですが、まあ参拝は見合わせました。先を急ぎます。次の第14番札所常楽寺を目指しました。
南坊の巡礼記「焼山寺」(2020.8.10) ◁ 南坊の巡礼記「大日寺」(2020.8.10)
南坊の巡礼記「大日寺」(2020.8.10) ▷ 南坊の巡礼記「常楽寺」(2020.8.10)
最終更新:2025.2.1
*1:一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会ホームページ「各霊場の紹介『第十三番』」2025.1.25閲覧
*2:一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会ホームページ「各霊場の紹介『第六十八番』」2025.1.25閲覧
*3:五来重『四国遍路の寺 下』角川書店(1996)
*4:徳島県立図書館ホームページ「デジタルライブラリ『郷土関係和古書』」2025.1.25閲覧
*5:大日寺ホームページ「大日寺」2025.1.25閲覧
*6:一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会ホームページ「各霊場の紹介『第十三番』」2025.1.25閲覧