神縁 52


まおー は北朝鮮のアイツではないかと思っていた


2020年2月24日に魔王について聞いて、3月3日にこう残していますので、私の内面ではプーチンを対象から外していました。
金正恩は魂の特殊な形状(損壊状態)について以前に言われていたことがあったため、悪意に憑依されるならこの男だと勝手な思いこみがありました。n050525




いくら長生きしても、最初の二十年こそ人生の一番長い半分だ。


人は自分の死を予知できず、人生を尽きせぬ泉だと思う。
だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。
自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、
あと何回心に思い浮かべるか? せいぜい4、5回思い出すくらいだ。
あと何回満月を眺めるか? せいぜい20回だろう。
だが、人は無限の機会があると思い込んでいる。


運命は花崗岩より堅固だが、人間の良心は運命より堅固である。


女が男の友達になる順序は決まっている。
まずはじめが親友、それから恋人、そして最後にやっとただの友だちになる。


死だけが唯一の本当の締め切りである。
生きている限り、学ぶべき事が未だある。


愛することによって失うものは何もない。
しかし、愛することを怖がっていたら、何も得られない。


自愛、自識、自制、
この三者だけが人生を導いて高貴な力に至らしめるものである。


我々は、大人も子供も、利口も馬鹿も、貧者も富者も、
死においては平等である。


人生において、諸君には二つの道が拓かれている。
一つは理想へ、他の一つは死へと通じている。


自分の言ったことを決して取り消さない人は、真理よりおのれを愛する人間である。


過去の否認は有害な態度である。
現在と戦い、未来を創造するには、往々にして過去が最も有効な武器なのである。


人間が幸福の夢を追うときに犯す大きな過失は、
人間の生来から備わっているあの「死」という弱点を忘れてしまうことだ。


すべての不幸は未来への踏み台にすぎない。


相談するときには過去を、
享楽するときには現在を、
何かするときには未来を思うがよい。


自分自身を幸福だと思わない人は、決して幸福になれない。


過去の成果で未来を生きることはできない。
人は一生何かを生み出し続けなければならない。


愛の光なき人生は無意味である。


それ自体の不幸なんてない。
自ら不幸を思うから不幸になるのだ。


夫婦間の会話は、外科手術のように慎重に取りかからなければなりません。
ある種の夫婦は正直なあまり、健康な愛情にまで手術を施し、そのために死んでしまうようなことになるのです。


俺たちの一生を台無しにするのは、運なんて言うものじゃない。
人間なんだ。


運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する。


寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である。


どのみち死なねばならぬなら、私は、なっとくして死にたいのだ。


どんな困難な状況にあっても、解決策は必ずある。救いのない運命というものはない。
災難に合わせて、どこか一方の扉を開けて、救いの道を残している。


叱ってくれる人を持つことは大きな幸福である。


諸君は必ず失敗する。
成功があるかもしれませぬけど、成功より失敗が多い。
失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たねばならぬ。


昨日は昨日。大事なのは明日だ。


何も咲かない寒い日は、下へ下へと根をのばせ、やがて大きな花が咲く。


下手糞の上級者への道のりは己が下手さを知りて一歩目


成し遂げんとした志をただ一回の敗北によって捨ててはいけない。


真に怖いのは弱さを攻撃に変えた者なのだ。


世の中は、君の理解する以上に栄光に満ちている。


人生は道路のようなものだ。
一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。


チャンスは貯蓄できない。


今日という日は、残された人生の最初の一日である。


この世で変わらないのは、"変わる"ということだけだ。


一人の子ども、一人の教師、1冊の本、1本のペン、それで世界は変えられます。


情報は知識にあらず


うれしいな。一人で完結してない世界は、思ってたより、ずっとうれしい。


人付き合いがうまいというのは、
人を許せるということだ。


人生で絶対に忘れてはならない人は、憎い人ではなく、好きな人だ。


人のことを憎み始めたらヒマな証拠


孤独とは物事を深く考えるチャンス。
友達が多いことは必ずしも幸せではない。


知恵ある者とともに歩む者は知恵を得る。
愚かな者の友となる者は害をうける。


勉強するから、何をしたいか分かる。
勉強しないから、何をしたいか分からない。


誰しも成功は約束されていなくても、成長は約束されているんじゃないでしょうか。
たとえ失敗しても「成長」だけは絶対的に約束されていると思っています。


インスピレーションを待っていたら何もかけない。
私は毎朝必ず作曲をする。
そうすると神様がインスピレーションを送ってくださるんだ。


根本的な才能とは、自分に何かが出来ると信じることである。


もしかしたらできるかもしれない。もしかしたらできないかもしれない。
その際の部分に挑戦したい。


あなたは挑戦しては失敗する。挑戦しては失敗する。
挑戦しては失敗する、を繰り返す。
しかし本当の失敗は、あなたが挑戦することを辞めることだ。


あなたの顧客の中で一番不満をもっている客こそ、
あなたにとって一番の学習源なのだ。


道徳なき経済は犯罪であり、
経済なき道徳は寝言である。


どんな仕事でも、どんな使命でも、
そこに人を思う心があればその仕事は誰かの心に必ず届く。


現在与えられた今の仕事に打ち込めないような心構えでは、
どこの職場に変わっても決して良い仕事はできない。


話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。


大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、
どれだけ心を込めたかです。


苦しいから逃げるのではない。
逃げるから苦しくなるのだ。


人には燃えることが重要だ。 燃えるためには薪が必要である。
薪は悩みである。悩みが人を成長させる。


このかけがえのない未踏の人生で、
あなたは何をしようと思う?


自分自身を愛していなければ、結局幸せにはなれないのよ。


本当の自分はどんな人間なのか。
それを示すのは能力ではなく、どういう選択をするか、だ。


真の発見の旅とは、新しい風景を求めることでなく、
新しいものの見方を得ることだ。


人生には試合に勝つことや負けることよりも重要なことがある。


すべての答えは出ている。
どう生きるかということを除いて。


どんなことにも教訓はある。
君がそれを見つけられるかどうかさ。


成長の最大の源は選択にある。


人はなろうとした人物にしかなれない。
だからといって、必ずしも良い条件に恵まれるわけではない。
だが、なろうという意志がなければ、その人物には決してなれない。


空っぽのポケットほど、人生を冒険的にするものはない。


目指す港がないような航海をしていたら、どんな風が吹いても助けにならない。


最高を望みながら、最悪に備える。
そして、その中間にあるものに驚かないこと。


取り返しのつかない大きな失敗をしたくないなら、早い段階での失敗を恐れてはならない。


恐れることはない。
宿命は取り上げられることはない。
それは贈り物なのだ。


他人を押さえつけている限り、自分もそこから動くことはできない。


己はこの世のすべてである。


気楽な人生を願うな。
困難な人生を耐え抜く強さを願え。


細かく考えすぎたらその場から動けないし、だいたいで動いているだけでは目的地につくことはできない。


人格は厳しい状況のもとでこそ計られる。


過去と現在しか見ない人は、確実に未来を見失う。


人生を生きるには、修練が必要です。
「まずまずの目的、過ち多き行為、ぐらぐらしている意志」のうちに人生をうやむやに過ごしてはなりません。


過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。


渇しても盗泉の水を飲まず。
熱しても悪木の陰に息わず。


何事もゆきづまれば、まず、自分のものの見方を変えることである。
案外、人は無意識の中にも一つの見方に執して、他の見方のあることを忘れがちである。


幸福な人生を歩んでいる人は、言葉の使い方を知っています。
言葉は選んで使いなさい。
言葉の選択一つで、人生は明るくも暗くもなるのです。


私は何事も最悪の事態を想定することから始める。


人生の意味とは、それが終わるということです。


教育とは、人々が知らないことを教えるのではなく、実例によって道を拓いてやる不断の困難な仕事である。


善悪、大小、かねの有る無し、社会的な地位の上下などという、人間の作った相対的な価値観を一切やめてみることです。


過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。
大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。


濡れている者は雨を恐れない。
裸の者は盗賊を恐れない。


一切の人生の果実は、その人が蒔いた種子のとおり表現してくる。


どんな遠くに旅をしても、その距離だけ内面へも旅をしなければ、どこへも行きつくことはできません。


自分になにができるかを知るより、なにができないかを知ることのほうが重要よ。


道に迷うことこそ、道を知ることだ。


むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。
その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている。


あなたの運命が形作られるのは、あなたが決断する瞬間なのだ。


いくつになってもわからないものが人生というものである。
わからない人生を、わかったようなつもりで歩むほど危険なことはない。


第三者の評価を意識した生き方はしたくない。
自分が納得した生き方をしたい。


自分の内なるものも外なるものも、見ているものを変える必要はない。
ただ見方を変えればいいのだ。


人生のほとんどすべての不幸は、自分に関することがらについて、あやまった考え方をするところから生じる。


どうにも乗り越えられない障害にぶつかった時は、頑固さほど役に立たないものはない。


自分にとって最も重要な価値観について考えるには、自分自身の葬儀に出席したところを想像するといい。


人生とは、その時々に自然に変化し、移りゆくものだ。
変化に抵抗してはならない。
それは悲しみを招くだけである。


絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあり続けること。
それがもっとも素晴らしい偉業である。


物事に敏感で自分なりの価値判断を持っていることを「細心」といいます。
気が小さいことは人生の武器なのです。


毎日を生きよ。
あなたの人生が始まった時のように。


竹にはフシがある。
そのフシがあるからこそ、竹は雪にも負けない強さを持つのだ。


明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。


安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。


一人ひとりに天の使命があり、その天命を楽しんで生きることが、処世上の第一要件である。


私たち一人ひとりが航海しているこの人生の広漠とした大洋の中で、理性は羅針盤、情熱は疾風。


効率や損得にとらわれると、人間が小さくなる。


知ってると思いますが、私たちは自分たちの食べる食べ物のほとんどを作ってはいません。
私たちは他人の作った服を着て、他人のつくった言葉をしゃべり、他人が創造した数学を使っています。
何が言いたいかというと、私たちは常に何かを受け取っているということです。
そしてその人間の経験と知識の泉に何かをお返しができるようなものを作るのは、すばらしい気分です。


自然でない行いは、自然でない混乱を生む。


人は常に前へだけは進めない。
引き潮あり、差し潮がある。


もし、私にユーモアがなければ、これほど長く苦しい戦いには耐えられなかったでしょう。


何事も修行とおもひする人は
身のくるしみはきえはつるなり


もし、私の持っているものが私を意味するなら、また、私が持っているものを失ってしまったら、私は誰なんだろう?


慢心は人間の最大の敵だ。


人生の砂時計から砂が落ちるほどに、そこを通してよりはっきりと見えるようになる。


人生は、すべて「間」だ。
お前みたいに一本調子、直進しようとするだけでは何も前に進まない。
「間」の取れない奴はどうしようもないぞ。


働き一両、考え五両、知恵借り十両、コツ借り五十両、ひらめき百両、人知り三百両、歴史に学ぶ五百両、見切り千両、無欲万両


わたしの母は人間の本性をよく理解し、人を叱ることはなかった。
彼女は、他人の努力や抗議によって、人をその愚かさや悪習から救うことはできず、本人の意志によってのみ救われることを知っていたのです。


勝ちに不思議な勝ちあり
負けに不思議な負けなし


急速は事を破り、寧耐は事を成す。


行き詰まるのは重荷を背負っているからではないわ。
背負い方がいけないだけなの。


人は能力と共に徳を持つことが必要である。


失敗の最たるものは、失敗したことを自覚しないことである。


悲観的になるのは、自分のことばかり考えているから。


人の生き方を一番よく表すのは、言葉ではありません。
選択です。


私は、敵を倒した者より、自分の欲望を克服した者の方を、より勇者と見る。
自らに勝つことこそ、最も難しい勝利だからだ。


君は山を呼び寄せる男だ。
呼び寄せて来ないと怒る男だ。
地団駄を踏んでくやしがる男だ。
そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。
なぜ山の方へ歩いて行かない。


ある程度までのところ、所有が人間をいっそう独立的に自由にするが、一段と進むと所有が主人となり、所有者が奴隷となる。


夜に小さな枯れ木を見たとき、人はどうなるか考えてごらんなさい。
人はそれを幽霊か怪しい人物だと思って恐れます。
その錯覚の原因は「暗さ」です。
暗さこそが、そこには存在しない別のものをその上に載せたのです。
これと同じように、マーヤー(誤って知覚されたもの)によって拡がる暗さが、原初の原因であるブラフマンを覆って人に知られなくし、その上に知覚可能な実在としての宇宙を載せているのです。
人を騙すこの光景は、目覚めた意識によって訂正され、普遍的な愛の光景へと変えられます。
ちょうど小さな枯れ木が幽霊を生み出す根本原因であったのと同じように、地球を自らの一部とするこの宇宙、そして、私たちが巻き込まれているこの宇宙は、自らの根本原因としてブラフマンを有しているのです。


不幸からよきものを生み出そうとし、又生み出しえる者は賢い人である。
与えられたる運命をもっともよく生かすということは、人間にとって大事である。


どこに行こうとしているのかわからないのに、決して遠くまで行けるものではない。


危険を冒して前へ進もうとしない人、未知の世界を旅しようとしない人には、人生は、ごくわずかな景色しか見せてくれないんだよ。


今の時間を大事にできない人は、未来の時間もきっと大事にはできない。
ここで自分らしく生きることができない人には、次なる道は開けない。


いろいろと試すことは、ムダではありません。
ムダなことを考えて、ムダなことをしないと、伸びません。


自分自身が何をしたいのかを、忘れてはいけません。


人間が人間として生きていくのに一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しだ。


他人の幸福をうらやんではいけない。
なぜならあなたは、彼の密かな悲しみを知らないのだから。


いろいろ考えられる選択肢の中から、「この一手」を選ぶのは自分しかいないわけです。


人は誰でも、人生が自分に配ったカードを受け入れなくてはならない。
しかし、一旦カードを手にしたら、それをどのように使ってゲームに勝つかは、各自が一人で決めることだ。


酒樽の栓が抜けたときに、誰しも慌てふためいて閉め直す。
しかし底が緩んで少しずつ漏れ出すのには、多くの者が気づかないでいたり、気がついても余り大騒ぎしない。
しかし、樽の中の酒を保とうとするには、栓よりも底漏れの方を大事と見なければならない。


運命は材料を与えてくれるだけで、それをどう料理するかは自分しだいである。


人生は後ろ向きにしか理解できないが、前を向いてしか生きられない。


人生は一枚の銀貨のようなものだ。
それをどう使おうと勝手だが、使えるのはたった一度きりである。


他の誰かになりたいと思うことは、あるべきあなた自身の無駄遣いをしているということだ。


樹木にとって最も大切なものは何かと問うたら、それは果実だと誰もが答えるだろう。
しかし実際には種なのだ。


打ちのめされたかどうかではなく、立ち上がったかどうかが大切だ。


「重きものは軽く扱え」「軽きものは重く扱え」


七割が賛成するプランは時すでに遅く、
七割が反対するプランくらいでやっと先手がとれる。


成功する人は、 錐(きり)のようにある一点に向かって働く。


人格は聴く姿勢に現れる。


起こったことをすべて受け入れてしまいなさい。それも、良いこととして受け入れなさい。


心から話さなければ、相手を心から感動させることはできない。


「夢・理想・目標は実現しない」のではなく
「夢・理想・目標しか実現しない」のだ。


不器用な人がやったら、器用な人にはできないことができるはず。


他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、それは恥ではない。
しかし、去年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥だ。


物事をじっくりと考えるヒマのない人も、
後悔するヒマはいくらでもあるようだ


幸福になるのは、自分の好きなものを持っているからであり、
他人がよいと思うものを持っているからではない


成功者や偉業を成し遂げた人に共通することは、
自分の世界は自分が創りだしているのだと考えているということのようです。
だから、成功している自分を創りだしたのです。


自分の心に聞いて正しいと思うことをやることだ。
なぜなら、いずれにせよ非難を受けることになるのだから。
たとえ何をしようと、また何もしなくても、文句を言われる。


我々の人生は我々の後にも前にも、側にもなく、我々の中にある


楽天家は、困難の中にチャンスを見い出す
悲観論者は、チャンスの中に困難を見る


人は自分が信じてもいないことに、努力できるはずがありません。
強烈な願望を描き、心からその実現を信じることで困難な状況を打開し、
ものごとを成就させるのです。


俺とおまえは意見が違うからお互いに存在価値があるんだ。


成功する方法は、たった一つだ。
成功するまで、失敗し続けることだ。


人は、自分を愛せる量だけしか、他の人を愛せません。
そして、自分を愛せる量だけしか、他の人からも愛されません。


偉大な功績はどれも、かつては不可能だと考えられていた


人生のほうはまだ、あなたに対する期待を捨てていないはずだ


祝福は苦悩の仮面をかぶって訪れる


勝つことばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。


君があまりに大きな声でわめき立てるので、私は君の言うことが聞き取れない。


花を与えるのは自然であり、それを編んで花輪にするのが芸術である。


時間は限られているのだから、他人の人生を生きて自分の時間を無駄に過ごしてはいけない。


自分が他人より劣っているなどと思わせることは、他の誰にもできないわ


今から20年後、あなたはやったことよりもやらなかったことを悔やむことになるだろう。そうなる前に、安穏とした港から船を出せ。自分自身の帆で貿易風を受け止めよ。真に求めるものを探求し、叶うことを願い、見出すのだ。


人類が人類を苦しめている仕打ちで、人類が解決できないものはいっさいない。


他人の自由を否定するものは、自ら自由を受けるに値しない。


私たちは他人を愛して生涯の半分を過ごし、
他人の文句を言って残りの半分を過ごす。


金儲けのうまい人は、無一文になっても自分自身という財産を持っている。


もし私が神だったら、
私は青春を人生の終わりにおいただろう。


喜んで行ない、そして行ったことを喜べる人は幸福である。


私たちは肩を寄せ合って生きています。
だから、この世における私たちの第一の目的は、他人の役に立つことです。
たとえ他人の役に立てない者でも他人を傷つけてはいけません。


怠けていることは喜びかもしれないが重苦しい状態である。幸せになるためには何かをしていなくてはならない。


いつも自分を磨いておけ。あなたは世界を見るための窓なのだ。


教えるとは
希望を語ること
学ぶとは
誠実を胸に刻むこと


善行は悪行と同じように、人の憎悪を招くものである。


幸福は対抗の意識のうちにはなく、 協調の意識のうちにある。


人間はその人の思考の産物にすぎない。
人は思っている通りになる。


人生とは自分を創ることである。


自分がわかっていないことがわかるということが一番賢いんです。


小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。


前向きにもがき苦しむ経験は、すぐに結果に結びつかなくても、必ず自分の生きる力になっていく。


失敗という苦い薬に我慢できない人が多い。しかし失敗を受け入れて失敗から学ぶ意思があれば、失敗は姿を変えた祝福だと考えてもう一度立ち上がれば、成功につながる最も力強いパワーを手に入れる可能性がある。


人生の勝負は、「自分」というたった一人の相手に勝てばいい。


自分と他者が創造した瞬間の世界は「完璧だ」(個人として人類全体としての課題に理想的に合致している)と知って生きること、そして望めばいつでも何が完璧なのかという定義を新たにできると知っていること。


すべてのことの意味はわたしが与える。
あることが自分にとってどんな意味をもつかを決めるのは自分であり、自分だけだ。


習慣は、最高の召使いか最悪の主人のいずれかである。


友人とは、あなたについてすべてのことを知っていて、
それにもかかわらずあなたを好んでいる人のことである。


神のもとには大きなものも小さなものもありはしません。
人生においてもまた、大きなものも小さなものもありはしません。
あるものはただ、まっすぐなものと曲がったものだけです。


好機は、それが去ってしまうまで気づかれないものだ。


ほんとうは自分の前に戸口があるのに、壁にぶつかっていると感じる。
その違いを「識別」する力だけが、真実を教えてくれる。


いちばん頻繁にいちばん強く感じることが燃料になる。


愛する人が死ぬことはあり得ないの。だって愛は不滅だから。


時には、問いが複雑になっているだけで、答えはごくシンプルなことだったりします。


行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、
よどみに浮かぶ泡沫は、且つ消え、且つ結びて、久しくとどまりたるためしなし、
世の中にある人と住家と、またかくの如し。


貧しさは貧しいと感じるところにある。


将来の可能性がなくなったと思うのは
自分の思い込み
できないと思っているその先に
実は無限に可能性って広がっていて
それに気づけるかどうかで人生は変わる


人生というゲームは
いい持ち札に恵まれることよりも
悪い持ち札で上手に戦うことにこそ
意義がある


どこに行こうとしているのかわかっていなければ、
どの道を通ってもどこにも行けない。


問題なのは人生ではなく、人生に対する勇気だ。


あなたの運命を決めるのは
あなたの心に張られた帆であって
風ではありません


あなたが本当に輝くのは
「あなたの役割」をまっとうしているとき


宇宙には一種類の反応、「イエス」という反応しかない。
宇宙はあなたに、しかも何よりもあなたが強く感じていることに非常に注意深く耳を傾けている。


すべての障害は形を変えた祝福である。


幸せとは欲しいものを得ることではなく、得たものを欲しがることだ。


生涯をかけて学ぶべきことは、死ぬことである。


真理は喝采では作れない。是非は投票では決められない。


ありとあらゆる多細胞生物で、身体のどの部分にでもなりうる未分化の細胞のようにすばらしいものを神が創造できるとしたら、神は「それ自身」についてどんなことができると思われますか?


どんなことであれ、それがあなた自身の心に及ぼす影響の現実性を否定することだ。これは「良い」ことにも「悪い」ことにもあてはまる。


自分の経験に実体があると考えているかぎり、自分がその経験によってこうむる影響を自分で変えることなんてできないと思ってしまう。人生で自分は無力だと感じ、経験から経験へと引きずりまわされ、その影響に翻弄されつづける。


ひとや場所や経験に依存しているかどうかは、そのひとや場所や経験がないと幸福も消えるかどうかでわかる。


あなたが世界に向かって送り出すエネルギーや思考や感情は、良くても悪くてもつねに必ずあなたに返ってきます。


①わたしの世界のあらゆるものは現実ではない
②すべてのことの意味は、わたしが与える
③わたしはわたしがこうだと言うわたしで、わたしの経験はわたしがこうだと言う経験である
それが存在しないという意味ではない。そうではなくて、それは「現実」ではない、ということだ。つまり「見かけ」は「実体」ではない。量子力学に基づいているが、心理学的で霊的な真実でもある。(この考え方に関する深い霊的な見方を示したのが「奇跡のコース」で、そこには「わたしが見るすべては現実ではない」と書かれている)。


人生がうまくいくためには、何が必要なのか?
どうしてわたしは人生でこんなにもがきつづけていなければならないのか?
ルールを教えてくれ!
誰か、頼むからルールを教えてくれ!
そうしたら、ルールに従ってプレーする。
約束する。


「あなたが人生でもがきつづけなければならない理由はない。問題は簡単だ。あなたは自分の人生の中心は自分だと思っている。だが、あなたの人生の中心はあなたではない」
「違うんですか?」わたしはたずねた。
「違う」神は答えた。


人々は、それが痛みや苦しみや怖れに似ているというだけで、楽しむなどということは思いもおよびません。しかし、それらを自分から遠ざけようとすることは、命の一部を自分から切り離すことです。どうか、自分自身のマスターになる決心をしてください。自分の怖れの部分を受け入れ、自分の人生に統合するまでは、その人は人生を半分しか生きていません。


エネルギーが動くままにまかせて、エネルギーにしたがうようにすると、エネルギーはそれ独自の道を開いてくれます。


自分にとっての真理の道はキリストまたはキリスト意識を体現化した道をあゆむことだと決心したとします。その場合、キリストの愛と叡智を今の時点でも受け取ることができます。ここで私が言っているのは、二千年前に示された、神の真理を肉体を通して現したパワフルで創造的な叡智であって、現在、キリストの言葉として信じられている単なる宗教上の解釈のことではありません。キリストの没後、人間の言う「連続する時間」の流れのなかのどの時代においても、キリストの道をあゆむ者なら誰でもこの真理に生き生きと触れることができました。
そして、これらの人々の存在が真理の勢いを今まで維持してきました。すぐれた使徒はこのようにして偉大な師に仕えるのです。つまり、使徒は学び、理解し、教えを身につけ、さらにその教えに心を注ぎ、行動し、自ら体験することによって教えを生かし、「後世に残して」いくのです。ですから、使徒が教えを身につけ、それを実践することは、師に対して大きな貢献をしていることになります。


人間の想念は、人間どうしを引き離す性質があります。他人は自分を攻撃する者だと見なし、その結果、自分を守らねばならないと考え、あらゆる方法で自分を防衛しようとします。自分が攻撃されていると信じている限り、死ぬまで自分を守ろうとしつづけることになります。自分の帰るべきところだ、とあなた方が言っているこの宇宙に、あなた方はどんな想念を送りだしているのでしょうか。


執着しているものが車であろうと、人間であろうと問題ではありません。自分以外のものに執着していると、それがなくなったら自分の価値は減ると感じます。自分の執着が見えたからといって、自分の愛情関係から抜けだしたり、自分の所有物を全部売ったりしなさい、ということではありません。するべきことは、その執着の後ろに空虚感、疎外感、空しさがあることを認めることです。


あなたにできることは、愛を体現していると思う道にしたがうことだけです。


自分が今弱さに負けそうだ、という危険に気づくだけの強さを得ることができます。


寒さが神だと知っていると、寒さに耐えるのはむずかしくありません。石が神だと知っていると、石に打たれるのはむずかしくありません。彼は死ぬまで、「何もへだてるものはない」ということを、心の奥底から理解して生きました。


ここでいうパワーは、人を傲慢にするものではありません。このパワーは、人の存在のなかをめぐり、気分を高揚させるものです。それは大胆で、勇気に満ちたもので、「これでいいのだ」と常に思える気持ちです。これこそが、”神なる源”とつながっているあかしです。


「この世は幻影であるというが、どういうことなのか」とよく聞かれます。この地球界で、パワー因子といわゆるエゴとの組み合わせで、人が生みだしたものの一部は永続しません。そして、永続しないものは「幻影」なのです。あなたが「ひどい親」で、子供に多くの苦しみを味わわせたとしても、その苦しみは永久ではありません。肉体を超えた次元から見ると、それはまさに幻影なのです。幻影と「真の現実」とのちがいは、「真の現実」は決して存在しなくなったりしないということです。


イエス・キリストや釈迦牟尼の人間性に対して持っているあやまった考えや、神が人間に何を望んでいるかに関する誤解にもとづいて、人は自分を「完全な形」に凍結しようと努力しています。人間は神さえも特定の形に押しこめようとしました。しかし、神はあなた方が考えているよりもっと利口ですよ。神は一瞬も止まらずに動き、変化し、進化し、拡大しつづけ、ひとときも同じではない、すばらしい存在です。そうでなければ意味がないではありませんか。


神なるものは、創造された宇宙のすべての部分で感じられなくてはならず、それを感じることが、あなた方のやるべきことです。


自分には生きる目的があり、神は存在し、自分はこのままでよいのだ、と感じさせてくれるイメージ……心のなかにひそむ、そうしたイメージを燃え上がらせてください。


あなたには、自分の真実を知る能力があります。
その真実とは、あなたは偉大な存在だ、ということです。つまり、あなたの中には、いつでも高い次元に従って行動できる思いやり、勇気、強さ、知恵があります。本当の自分の偉大さを反映していない役割を演じているとしても、それはたんなる役割にすぎず、本当のあなたの自己ではありません。


誠実に真実から行動し発言すれば、そのたびに自分のエネルギーを軽くします。


あらゆる人や状況は、自分のエネルギーを浄化し、自分自身を進化させ、より高く行くための機会を与えています。


人生で、自分の真実に従って行動することが要求される状況、すなわち、自分の存在のより深い次元に到達することが要求される状況はすべて、成長への機会なのです。自分の深い次元に従って行動していれば、苦痛や葛藤を経験したとしても、それに応じて非常に多くのエネルギーを浄化することができます。


現人生は、自分の最も深い次元の真実を見つけだす旅です。あなたは、葛藤や苦痛をもたらす人生の状況すべてから、魂に忠実になることを学んでいるのです。


否定的な、あるいは、自分を制限するイメージを見つけるたびに、光がそこに差し込んでいるところを想像してください。それ以外には何もする必要はありません。


もし誰かを変えたいと思ったら、その人にイメージを送ってください。たとえば、ある人にもっと能率よく働いて欲しいとします。そのとき、その人を批判しないでください。そんなことをしたら、否定的なイメージを送ることになり、変えたいと思っている態度を余計に強めてしまいます。その代わりに、その人が能率よく仕事をしているところを想像してください。その人が達成していないことを指摘するのではなく、相手が自分の望むように能率的に働いている瞬間瞬間を認め、誉めてください。そうすれば、イメージを使ってその人を助けることになります。そして、その人が変わっても変わらなくても、お互いの間にあるエネルギーが軽くなっているのに気づくはずです。


多くの人々はたえまなく否定的なイメージを経験していますが、その一連の否定的イメージの多くが、文化に根ざした欠乏のイメージからきています。それはつまり、何かが十分にあるはずはないので、欲しいものを手に入れるためには一生懸命に働いて、努力しなければならないとか、他人の成功は自分の成功を奪ってしまうというものです。


あなたが他人に対して持っているイメージを、相手は必ず受け取っています。


人生の一つ一つの領域を見て、こう尋ねてください。
「私にとっての最高のヴィジョンとは何だろうか」と。


あなたは一人ぼっちではなく、自分の最高の目的を中心に据えれば、あらゆる扉が開くのがわかるでしょう。宇宙はアイディアや援助を与えてくれるのです。つまり、人々を通じて、助け、お金、助言を与えてくれ、愛や支援の手を差し伸べてくれるでしょう。自分の最高の目的に専念してください。今すぐに専念し、最高の目的を達成しようとしてください。自分の最高の善についてヴィジョンをしっかりと持ち、そして、予期せぬ驚きに対してハートを開いてください。


あなたは、こまごました日常の煩雑なことに関わらなければいけない、と思っているかもしれませんが、自分の最高のヴィジョンやより高い道に集中していれば、そうしたことは簡単にこなすことができます。


あなたは自分が以前やったことを、もっとうまくやれたのにと思っているかもしれません。だからこそ、過去へさかのぼり、見方を変え、自分自身を解き放して許し、そのとき何を学んだのかを見ることが大切なのです。その状況のおかげで、自分の内面でどんな質が育っているのか、あるいは、育ったのかを見てください。


あなたは相手を励ましていますか。また、相手を気高く考えるようなヴィジョンを持っていますか。あなたが焦点を当てるものは何であれ、大きくなります。
二人の人がお互いに恋に落ちた最初の段階では、両方とも相手の中に最良のものを見て、その最高のヴィジョンを抱きます。


自分が望んでいるものになるために必要な道具はすべて、あなたの中にあります。


マインドの平静さは、アイディアが自分の現実にやって来たり、生まれたりするための空間を生みだします。


エネルギーをはっきりと感じることは、善悪の判断を手放すということです。


癒し合う関係を得るために最初にすべきことは、人々に会ったとき、その人たちを許すことです。まず、彼らに対して以前に持っていた、あるいは、現在持っているかもしれない憤慨に気づいてください。また、彼らに対する優越感や劣等感、恨み、そして、あなたが彼らに送っていた否定的な考え(彼らの持っているあるものが、あなたの価値基準には合わない、という程度のイメージであってもです)にも気づいてください。癒し合うためには、思考や感情の次元で自分が相手の進化を妨げるものを送ってしまったことに対して、自分自身に許しの気持ちを感じることです。


自分が誰であるかについて新しい見方が欲しいのなら、自分を他人の目で見て、他人の立場になってください。その人の課題やそれに対する姿勢、そして豊かさ、あるいは、豊かさがないことを考えて、自分にそのイメージが流れ込むようにしてください。今あなたは、自分の肉体と現実を離れ、他人のエネルギーシステムの一部になったとします。自分の人生や見方から一歩外に出ることで、他人の行動や振る舞いを理解し、自分自身についても理解を深めることができるようになります。まずは、明日あなたが会うすべての人たちから始めて、その人たちの目で人生を見てください。そうすれば、彼らの住む現実、彼らのストレス、彼らのマインドで展開する思考の種類、そして、何が彼らの現在の課題なのかを観察することができます。また、これらを理解すれば、自分と相手の両方を癒すようにお互いに関係することができます。このプロセスを努力したり、考えたりすることなくできるよう習慣にしてください。


自分が必要としていることに耳を傾けるべきときと自己主張すべきでないときを知ってください。
自分を中心にすえて、本当の自分を知り、自分の人生を第一に考えることが重要であるのと同時に、自分が他人に与えている影響について知っていることも重要です。自分の行動が他人にどんな影響を及ぼすのかを理解したうえで、望む行動をとるときには、もっと力強くなります。なかには、自分にとって正しい行動をとると、利己的になってしまうと心配する人もいます。しかし、自分の高い道と自分自身を尊重するときはいつでも、そのときにはそうは見えなくても、結局は他人の高い道と彼ら自身をも尊重することになります。反対に、自己主張すべきでないとき、つまり、エゴの欲するままに動かず、流れに逆らわず進むべきときを知ることも大切です。さして重要でない事を決めるときには自己主張しないことです。しかし、自分の高いヴィジョンに従ったり、人類全体に貢献するようなことをするときは、自己主張をすべきです。(しかし、思いやりのある、優しい自己主張をしてください)


他の何をおいても、自分自身に専念するのでなければ、エネルギーをはっきりと感じることはできないし、力強くなって、エネルギーを自由自在にすることもできません。自分の人生、思考、目標を第一に考えなければ、他人の要求や期待のエネルギーの流れの中で自分を見失ってしまいます。


本当の自分を知ることは、自分自身に専念することです。
瞬間瞬間自分の気持ちに耳を傾け、今の瞬間の自分にとって正しいことをすることです。
「私は自分自身を十分知っているので、今この瞬間にとって正しいことができる」と認め、今現在に生きることです。それは自分を信頼することであり、自分を奮起させて、こうあるべきだとか、こう物事に対処すべきだ、などと自分に言わなくてもいいと知ることです。今日から三週間後とか、一年後なんて心配する必要はないのです。未来では自分が今とは違った人間になり、もっと賢く、もっと進化していると知っていることです。もちろん、未来に望むことについて計画を立てたり、それを視覚化したりすることは大切なことですが、それが終わったら、楽にして、未来の自分を信頼してください。
自分自身に専念することは、現在にとって何がふさわしいかを知っていることです。それには、自分の感じていることがわからなければいけません。あなたは、「自分がどう感じているかくらいはわかっている」と言うかもしれません。しかし、多くの人々は自分がどう感じているかがわかっていないのです。


他人の話を聞いているとき、どういうふうに答えようかとか、何と言い返してやろうかなどと考えて、つねに頭の中でぶつぶつ言っている人がたくさんいます。私は次のような言い方をしたいのですが、これは「行動している」という状態であって、「存在している」という状態ではありません。
「存在している」状態は、とても静かで、人の言うことに集中し、熱心に耳を傾けているときです。
心静かに聴いてください。そうすれば、自分と相手との間のエネルギーの流れを自由自在にできます。
他人と一緒にいるとき、「存在している」状態を練習してください。何かをしたり、考えたり、何かに反応したりしない練習をするのです。ただ、言葉を越えた次元で、音や匂いや空間、そして、エネルギーの相互作用などに注意を払ってください。相手が言った言葉に対し、自分がどんなふうに感じたかをチェックし、どんな見方をしたかを観察してください。


感情は、エネルギーをはっきりと感じることを妨げることがあり、問題について非常に感情的になっているとき、自分の高い道を見つけるのがずっと難しくなります。宇宙に答えを求める前に、その答えが流れ込めるような平和に満ちた静かな空間が、自分の中にあるかどうか確かめてください。


人生で疲労を感じている領域に意識を向ければ、自分のエネルギーがどんなふうに流れているのかについて、多くのメッセージを受け取ることができ、それらを直面している問題や課題と見なすことができます。


義務感、怒り、憤慨などの否定的感情は、エネルギーが消耗するときにいつも起こります。


他人と癒し合う関係を望むなら、どれだけ与え、受け取ったらいいかを知ることです。


まず、自分の高い目的に専念し、自分を愛することが最優先です。日々の人間関係で、自分の時間とエネルギーを誰にも借りてはいないということに気づいてください。時間とエネルギーは、あなたが今まで与えられたものの中で、最大の贈り物です。そして、それをどう使うかによって、この人生でどれだけ進化するかが決まります。


他人が自分の感情に与える影響に注意することは大切です。
まず、最初にするべきことは、誰かがいるせいで疲れを感じたら、たとえそれがほんのかすかであっても、それに気づくようになることです。
たえず自分をチェックして、「自分はいい気分だろうか。満たされた感じがしているだろうか。それとも、何か足りない感じがしているだろうか」と尋ねてください。
あらゆるエネルギーの相互作用から、自分自身について学ぶことができます。


他人も自分も責めないでください。


人々はみんなたえずエネルギーを発しています。そして、それぞれの肉体には特有の体質があるように、人々はそれぞれ独自のやり方でエネルギーを発します。エネルギーは信号と同じだと考えられますが、二つとして同じ形の雪の結晶がないように、同じ信号もありません。だから、あなたが一緒にいる人々は、それぞれ少しずつ違った影響をあなたに与えています。
自分の肉体、思考、感情に気づくと、他人が自分に与えている影響がわかるようになります。


エネルギーは気流のようなものですが、それはしばしば自分のまわりに流れて来ては、通り過ぎて行きます。それをまわりに漂う芳香と考えることもでき、それに影響されるかどうかは、自分がそれに対してどう反応するのか、あるいは、それをどんなふうに認識しているかによって決まります。そして、自分自身をよく知れば知るほど、外部に影響されることは少なくなり、反対に自分自身について無知であればあるほど、また本当の自分に意識を向けることが少なければ少ないほど、エネルギーにますます影響されることになります。


地球のまわりにはエネルギーの流れがあって、望むときにいつでもそれを受信することができます。もし肉体エネルギーが必要なら、深呼吸をして、活力あふれる人々全員のエネルギーの流れと自分が結びついているところを想像してください。


あなたが必要としているエネルギーは、すべてこの世界にあります。
計画に基づいて行動しているとき、それを成し遂げるのが難しいと感じたとします。そのとき、世界には自分の計画を順調に達成している人々がいますから、その人たち全員と波動を合わせることができます。


あなたは、自分が注意を向けるものを創造しますから、何か知りたいことがあれば、それに焦点を合わせてください。
軽くて、喜びに満ちた気持ちが得られるまで、やろうと思っていることを少しずつ変化させて、未来の可能性を想像し続けてください。


想像力は信念の構造に縛られていないので、エネルギーを感じる最も強力な道具の一つです。想像することは高い次元の精妙なエネルギーと結びつくことです。想像力は時間や空間に縛られていませんし、肉体にも縛られていません。
もしどのようにしてやったらよいかわからない場合でも、自分がそれをやっているつもりになってください。なぜなら、潜在意識は「つもり」になっていることと、実際に起こっていることの違いがわからないからです。潜在意識は、あなたが現実だと思いこんでいることは、何でも信じこんで、それを使って外部の現実を作りあげます。


自分を軽くするには、柔軟になって、望む結果を生みだすのに役立つ考え方は、どんなものでも取り入れてください。たいていの人々は自己の存在の中に自分を押し込めています。彼らは、「世の中こんなもの」と教えられてきたので、そのように世界を見ているのです。このように柔軟性がないと、自由や選択の幅がどんどんと狭くなっていきます。あなたも、ある決まりきったやり方に固執している人々を見たことがあると思いますが、彼らは、自分の人生がうまくいかないにもかかわらず、やり方を変えようとしないのです。
こういう人々は、他人のエネルギーにほとんど気づいていないのでしょう。つまり彼らは、自分が世界のあらゆることに影響を与えているとは思わず、それらが自分に影響を及ぼしていると考え、自分のまわりを世界が回っているかのように思っています。彼らはそんなふうに世界を見ているので、現実を変えて、望む結果を達成することはできないと感じることが多いのです。また、自分が宇宙の中心であると決めてかかっているので、他人の気持ちや、自分の行為や行動がどんな反作用を作りだしているかをほとんど気にしないのです。
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