人生が少し安定したからこそ、今後の人生を考える必要がありそう

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雑記

こんにちは、もしくは、こんばんは。

2023年初頭の転職により、前職までのブラックな生活は一変し、安定して穏やかな生活を続けられています。途中、一瞬だけど無職を経験していた頃、ウーバーイーツ配達をしながら、「自分の人生は今後どうしたいかな?」と考えていたりもしました。

そんな悩みの結論は(当然)でないまま、サラリーマン生活に戻っています。

今回は、そんなサラリーマンの徒然です。

人生の「生きる意味」を考え続ける意味

安定した生活を続けているとはいえ、日々の生活では疲れることもあります。
そんな時、SNSをぼーっと眺めたり、Youtubeで好きなチャンネルを見てゆっくりするときもありますよね。

ゆっくりする時間は必要ですが、

「無職だった時もある自分が、何の生産もせずに時間を溶かしていて大丈夫なのか?」

「そもそも、今の生活の先にある、自分の「生きる意味」って何だろう?」

と考えることが時々あります。
40代になって、まだ「生きる意味」を考えるなんて、という考え方もあると思いますが、私は「40代だからこそ、自分の人生に生きる意味を定めたくなってもいいのでは?」と考えます。

「生きる意味」を他人と比較してしまいたくなる衝動

何度か転職している私ですが、最初に入った会社の同期が、最近、ラインマネージャーに昇格しました。

自分は、仕事をすることは好きですが、昇進したいとかポジション名が欲しいと思って仕事はしていないと思っていました。

ただ、前職の同期が昇進していることに、ちょっとだけ「羨ましい」と思ってしまっていました。

なぜ、羨ましく思うのですかね?
自分の人生は、自分で「生きる意味」を定めればよいわけで、他人の昇進や活躍は本来は関係ないはず。

でも、人間は弱いもので、周りの人や親しい人が活躍すると、翻って「自分はどうなんだろう?」と比較してしまってます。

結局は、自分自身で決めるしかない、でも、時間はかかるもの

こういう悶々としたことを「考えるべき問い」として時間を使えるということは、精神的には疲弊していないというポジティブな心持ちと言えるかもしれません。

このブログを始めた時には、

「地方に移住したいな」

「だとしたら、マイクロ法人でも作って、資産運用の利益を得ながら、細々と生きていくのもよいかもな」

なんてことを考えていました。
今思うと、それはそれで「自分の生きる意味」を決めていたようにも思います。

ただ、当時は目の前の困難な状況から逃げたいという思いもありました。

今は、幸せなことに、逃げ出したい困難な状況にはありません。
でも、「生きる意味」を言語化したい自分がいます。

人間、ないものねだりをしてしまうものですね。

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