壬生寺の御朱印|新選組ファン必見!京都・壬生寺を訪ねてみた(京都府 京都市)

ゆかりの人物
ゆかりの人物京都府大河ドラマ寺院新選組!近藤勇
新選組が京都を守るために使用していた屯所が壬生に位置していたため、壬生寺は新選組と関連が深いお寺として有名。壬生寺には、近藤勇の胸像をはじめ、「芹沢鴨」「河合耆三郎」「平山五郎」など、新選組の幹部のお墓もある。

参拝日:2007年12月23日
スポンサーリンク

お寺の紹介

  • 991年(正暦2年)建立
  • 園城寺(三井寺)の僧・快賢が、母のために現在の壬生寺の東方に寺を建立
  • 1005年(寛弘2年)に堂供養が行われ、寺院は小三井寺と名付けられた
  • 承暦年間に白河天皇が訪れ「地蔵院」の寺号を賜る
  • 建暦3年(1213年)、平宗平によって現在地に移される
  • 正嘉元年(1257年)、火災により伽藍を全焼
  • 正元元年(1259年)、平宗平の子である平政平と律宗の僧・円覚上人によって復興
  • 寺名を宝幢三昧寺とし、律宗の寺院となった
  • 寺名は地名から壬生寺とも呼ばれるようになった
  • 壬生寺境内東方にある池の中の島は壬生塚と呼ばれ、新選組隊士の墓がある
    • 近藤勇の胸像と遺髪塔
    • 芹沢鴨と平山五郎の墓
    • 河合耆三郎の墓
    • 池田屋騒動で亡くなった隊士・奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門ら7名の合祀墓がある
  • 新選組隊士たちの訓練場として壬生寺が使われた

正式名称

 壬生寺みぶでら 

御本尊

 延命地蔵菩薩

御朱印

スポンサーリンク

みどころ

寺号標柱

珍しいアルミニウム製の標柱

表門(正門)

壬生延命地蔵尊と書かれた扁額がある。

壬生塚

近藤勇 胸像

河合耆三郎のお墓

河合耆三郎|勘定方として主に隊費の経理面で活躍した隊士。
      理由は定かではないが、切腹を命じられることに。
      切腹を聞いた親が大変悲しみ、新選組が立てた墓とは別にこのような立派な墓を建てた。

芹沢鴨、平山五郎のお墓

芹沢鴨|壬生浪士組(新選組の前身)の初代筆頭局長。
    度重なる乱暴狼藉により、新選組の隊士によって暗殺された。

平山五郎|壬生浪士組(新選組の前身)の幹部である副長助勤を務めた。
     芹沢鴨と同じ派閥であり、芹沢の暗殺時にも同席していたため、暗殺された。

南門

門の奥には千体仏塔(パゴダ)が見える。

御本堂

昭和37年(1962)、に本堂を全焼し御本尊をはじめ多くの寺宝を失った。律宗総本山「唐招提寺」より本尊である「延命地蔵菩薩立像」が移され現在に至る。

まとめ

壬生寺は新選組隊士たちの訓練場として使われたことで有名であり、新選組好きの方は一度訪れてみたいスポットのひとつだ。また、大河ドラマ「新選組!」でも頻繁に登場する舞台となっているため、初めて参拝する際は感慨深いものがあった。京都には、ほかにも新選組の足跡を辿れるお寺がいくつかあるので、併せて参拝したい。

スポンサーリンク

アクセス

住所

所在地京都府京都市中京区坊城通仏光寺上ル壬生梛ノ宮町31
最寄駅「JR山陰本線 丹波口駅」下車 徒歩9分
「阪急電車 大宮駅」下車 徒歩8分
駐車場情報専用の有料駐車場なし
公式サイトhttps://www.mibudera.com/

GoogleMap

合わせて読みたい京都・新選組を巡る記事

御香宮神社の御朱印|鳥羽・伏見の戦いで新政府軍(薩摩藩)の陣営が置かれた場所(京都府 京都市)
鳥羽伏見の戦いで新政府軍(薩摩軍)の陣営が置かれた神社。戦力は旧幕府側が1500以上、新政府(薩摩)側がその半数ほどであったが、御香宮神社は伏見奉行所を見下ろすような位置にあり、薩摩軍が伏見奉行所に向けて大砲で連射したため、伏見奉行所は炎上し、旧幕府側は敗退した。
光縁寺の御朱印|新選組総長山南敬助と隊士のお墓があるお寺(京都府 京都市)
光縁寺の御朱印 光縁寺は、新選組にゆかりのあるお寺で、総長の山南敬助や河合耆三郎など多くの戦士たちが埋葬されている。山南敬助は仙台藩出身の北辰一刀流の使い手で、親切な人柄で親しまれていたが、首脳陣との確執から脱走し、隊規違反で切腹に処された。後に彼が葬られた場所が、光縁寺である。
壬生寺の御朱印|新選組ファン必見!京都・壬生寺を訪ねてみた(京都府 京都市)
壬生寺の御朱印 新選組が京都を守るために使用していた屯所が壬生に位置していたため、壬生寺は新選組と関連が深いお寺として有名。壬生寺には、近藤勇の胸像をはじめ、「芹沢鴨」「河合耆三郎」「平山五郎」など、新選組の幹部のお墓もある。
金戒光明寺の御朱印|新選組の名前が生まれたお寺(京都府 京都市)
金戒光明寺の御朱印 法然上人が結んだ草庵が始まりとされる、とても歴史の深いお寺。幕末には京都守護職「会津藩主・松平容保公」が本陣を敷いた場所で、新選組ともかかわりが深い。
Translate »
error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました