山口県周防大島物語

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【村上源氏大野家由緒書】(大野秀幹編纂)

2023年03月22日 07時33分20秒 | 筑前黒田藩 大野勘右衛門直生(直秀)家略系図
福岡藩大野三兄弟のうち長男家に伝わる「大野家由緒」です。

大野直秀の養子、村上直吉からの伝承でなぜか村上源氏流となっているが、戦国期の混乱時にはよくあること
なので、ひとまづ茲に置きます。(呑舟)


【村上源氏大野家由緒書】(大野秀幹編纂)「大野守之蔵」

村上右衛門太夫通康
 第六十二代
●村上天皇  二十七代 村上蔵人兵衛吉景

村上和泉守

○大野左馬右衛門直吉  初名 村上市左衛門
 直吉は村上蔵人兵衛吉景之男也、本姓は村上
 にて大野の名称を続て大野領を受く、大野は元
 河埜の別称也、世々大野を領されたる故に大野
 氏とす、又村上家にも内證ありと云々

一、我本家の紋は往古より角切折敷に三文字にて候、
 又根引のたち花 これも家の紋にて候 祖父泡雪
 (三代)の時三引両に直し申され候 又裏桔梗の紋
 は親父(四代市太夫)宗壽の時よりつけ来り候
 然共いまにおゐて武具の紋は角切折敷に三文字
 用ひ申し候、宗壽の指物にうら桔梗の紋付たる
 しるし有之候

一、大野休太夫氏重入道休也家に付く紋は丸の内
 に大の字にて候 是は石垣原にて休太夫陣羽織
 につけ候 其後用ひ来り候と相傅へ候
 休太夫と申し候は勘右衛門(初代)弟にて候
 是も生國伊豫にて候 浪人の後安国寺同宿にて
 居申候 勘右衛門豊前へ落着候 後上方より
 来り兄にかかり居申候 石垣原御陣(1605)の時 働能し
 故召しだされ還俗致候 其子左馬右衛門、貞右 
 衛門、孫兵衛にて四代にて候
 委敷事は孫兵衛方之書類に候

一、大野三郎右衛門吉景家に付く紋は丸の内に上
 の字にて候 是は先祖村上よりの紋にて候
 三郎右衛門と申候は勘右衛門、休太夫弟にて候
 勘右衛門同前に豊前へ参候 石垣原御陣の節
 井上周防備の籏奉行にて候 籏を預りおりし故
 石垣原にて自分の働は無之候得共其節御恩下
 され候 其子忠右衛門 初の名久太郎と申し候
 是は右に仰候 村上右衛門太夫弟村上和泉守と
 申候 其子村上右京、其子村上彦市と申候
 實は彦市子にて候を三郎右衛門、男子無之に付
 養子にいたし清左衛門娘(二代)と取合せし者、
 今の忠右衛門にて三代にて候 委敷事は
 忠右衛門家に書類可有之候

一、天正一三年 秀吉公四国征伐有之 伊予国
 三十五万石を小早川左衛門佐隆景に賜 
 其内大野近辺二万三千石 安国寺恵慶隆甫に
 賜り安国寺以初十二萬石 故に大野一家皆本領
 を奪はれ浪人となり隆甫に従属す。

 【秀幹・注】安国寺恵慶は慶長五年九月十五日美濃国
        関ヶ原の戦いに敗軍した上方勢石田三成
        小西行長と共に捕へられ京都市中引廻し斬首

一、天正十五年 秀吉公九州征伐有之 後同年
 六月十八日 小早川隆景筑後國並肥前之内
 元律養父二郡 筑後の内三斗三原二郡を賜り
 其時安国寺も伊予を改て筑前国鞍手郡の内
 二萬石を賜り大野も又共に筑前に移り住む

一、文禄元年(1592)朝鮮陣の時、安国寺も出陣故に
 左馬右衛門直吉も従行す、同二年正月朝鮮國城
 南大門戦の時、左馬右衛門籏頭として施餓鬼籏
 を揚ぐ大明人と相戦則敵陣を破る此時長男勘右
 衛門 二男休太夫 三男三郎右衛門真先に進て
 粉骨をつくし各首級を得たりける

初代 大野勘右衛門直秀 一名直生 幼名孫三郎 勘介

 一、弘治三年(1557)豫州に生る、安国寺恵慶に属す

 一、文禄二年(1593)朝鮮南大門合戦の時高名あり。

 一、文禄四年(1593)小早川隆景筑前國を養子
   金吾中納言秀秋に譲り備後の三原に隠居せり
   安国寺も武家を止て京州東福寺の貫主と成る
   其時安国寺領の士卒 秀秋へ従属するも有
   又他方へ行も多し 勘右衛門兄弟三人は黒田
   家へ相知られ故に豊前中津川に来り居住す

 一、「又一説に」   直秀は弘治三年豫州に生る、
   其頃伊予国の屋形を河野伊豫守通直候と申候
   一族に村上右衛門太夫通康と申す人御座候
   勘右衛門は通康の為に娚にて候之由 初は
   名字を脇坂又は越知と申候由承り候
   大野と改る子細は村上右衛門太夫通康弟に
   村上蔵人太夫吉景と申人の子 大野大野市左
   衛門と申て有之候 勘右衛門男子を持ち
   不申候に付 市左衛門子を養子に致し娘に
   めあわせ家を継ぎ清左衛門と申し候
   直秀黒田家に参り候は前に記す通直公御運
   末に相成其氏族悉浪人いたし候に付、直秀も
   四国を退き彼方こなた仕り候処 黒田如水公
   その頃天下に隠れなき名将にて渡らせ給ふに
   より お家を望み豊前へ罷越候 如水公大阪へ
   お上りなされ候時分 お船中下関にて初て
   お目見仕先浪人分にて豊前へ行 少許の
   お扶持にてご領内へ在宅仕居申し候由

 【秀幹・注】文禄四、五年の頃成るか

 一、高麗御陣の時お供いたし彼地に於ても
   能働仕候 證文共有之由に候得共紛失いたし
   持傳之不申候 其外伊豫國以来度々の働有之
   其比の人大野三兄弟と唱へ申し候由 細川
   越中守殿より兄弟三人を壱萬石の領地にて
   お使有之由お内状下され候 其状も勘右衛門
   手前に有之由これも紛失いたし候
   総て彼是書付共有之候を大野竹殿と申人
   預り居り候て失い来たる物多々候由 祖母
   妙雪(三代妻)我等に折々吐きて候
   右の次第共は證文無之故 人多く信用痛く
   おこがましき事に候しても元来他見なき物に候故
   加様な事も聞傳へたる事を幸に書付け候
   其時分は證文等も日廉末にいたし候に漸く
   お感書斗り残り申し候
   是も祖父泡雪様お代に改めしと申されし由 失ひ
   申たる物多く今更残りおしき事に候
   只今所持いたし候備前忠光と申し傳へ候刀
   大わざ物にて候 勘右衛門若年より指申され
   石垣原にても陣刀にて候
   祖父泡雪死去之年の春 我等を呼 此刀は
   先祖勘右衛門殿陣刀にて覚へ有之道具にて
   譲候由仰せられ候 秘蔵の道具にて候

 【秀幹・注】明治七年佐賀の乱の節 十二代清左衛門
 直矩出陣の時 従者行衛不明となり持参の刀又不明
 となる。右陣刀が備前忠光か。

一、慶長五年の秋 屋形大友左衛門督義統 秀頼公
  のお下知にて石田冶部少輔三成に與して九州に
  籏をお揚候て豊後國へ下り旧臣を集めて立石に
  陣を置 如水公と侍て合戦せんとす 此時大野
  兄弟三人供奉せんことを乞ければ悦びて井上九郎
  右衛門之房手に付罷立候 此一戦の儀は所々の
  記録に出居り申候に付委敷書付に不及候
  只先祖の働斗り聞及候之通書類候 自余の記録
  に有之候趣とは相違可有之候

一、大友家臣吉弘加兵衛 宗像掃頭 小田又左衛門
  源柄七右衛門 吉良傳右衛門 此五人は大友家
  にて名ある侍大将にて有之候由 其外 木付田原
  など申備も有之候由にて右の者めいめい備を立申
  し候 此方の先手は母利四兵衛 時枝平太夫
  久野治左衛門 曾我部五右衛門 細川越中殿の
  家臣松井佐渡 有吉頼母 相加り三備に成して
  防戦有之候 如何いたしても此方籏色あしく配(敗)
  軍になり治左衛門 五右衛門打死いたされ敵方
  きほい申候 其節井上周防手にてもり返しはなく
  敷一戦有之候 終に周防守切勝申候

一、吉弘加兵衛は周防と槍を合せ知人なりし故 詞を
  かけ戦申され候 初周防手負申され候得共終に
  吉弘周防に槍つけられ打たれ候 入乱の儀故
  吉弘首は後に後藤又兵衛家来何某(小栗次右衛
  門)あけ申候由に候

一、宗像掃頭は鐵砲にあたり打死之由に候

一、小田原又左衛門鑑信は勘右衛門組打にて首を
  得申し候

一、源柄七右衛門は休太夫組打にて首を得申候

一、吉良傳右衛門は大村六太夫打取申し候

一、勘右衛門 小田原氏を打取候次第は右之通
  入乱合戦最中の節 休太夫兄弟連真先かけて
  かせき申候処 黒具足着たる馬武者何様大将と
  みて候に付 勘右衛門よせ合候 其節勘右衛門
  は歩行立にて候之由又左衛門家来にて候か
  又左衛門と勘右衛門間を押隔て勘右衛門に組合
  候を組臥せ首を取候処又左衛門馬より飛下り
  勘右衛門ふり仰き候内甲を切り付け申し左の目の
  上より鼻口賝まで筋違に切付しを其よく飛入り
  組合臥様に一刀突申して組臥に致候 おもての
  手傷の血 眼に入り首を取申べき様も無之候処
  弟休太夫かけ付敵の首をあげ兄を介抱いたし
  兄弟つれ如水公御本陣に参り候 此時の働き勝て
  御感なされ於戦場同年九月二十日如水公より
  水懸村の内四百七石二斗の御感書折紙下され候
  翌年長政公筑前の國御拝領の上 井上周防之房
  遠賀郡黒崎の城御預りなる時 勘右衛門兄弟三人
  は之房の寄構仰付られ同年十一月十一日豊後
  立石表の勲功を賞され長政公より五百石の御感状
  折紙頂戴仕り候

一、勘右衛門は遠賀郡則松村に住居 一生観楽を
  究め寛永十九年(1642)九月九日卒 八十二歳

一、則松村松月院三省山正願寺
  右は直秀子清右衛門孫勘太夫島原にて戦死せる
  冥福の為直秀取立の寺なり
  同郡長生村弘善寺の末寺と致し住持居り 田畠
  つけ置候 右は直秀三省殿死去三四年前より
  ぼだひの為建立せられしものに候 寛永十六年
  (1639)と有之候

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