尚、どこかで、さも上等な意識の部類だとして曖昧なままに捉えていた

 

帰属意識とは奴隷根性ということだ

首に縄をつけられ、足に重りをつけられて

指示命令のままに受け入れ従う

 

従属から離れると不安になり

首縄や鉄球の重りを恋しがる

 

暗黙の指示、命令、強制が無くなったとき

自分の心と身体を持て余し途方に暮れる

 

首の締まり具合や足首の爛れ具合がたまらない

 

不思議なことに首縄や足首の鉄球は

誇らしげなステイタスでもあった

 

傑作だ

 

奴隷群の中において主体的に

強制労働に消耗していくエクスタシー

 

歯車であることの、部品であることの悦び

組織の中での匿名の顔無しが

帰属する組織の名前をあげて胸を張る

 

嗚呼、滑稽すぎて恥ずかしい

帰属意識とはそういうもんだ

 

確かに組織に属さなきゃ金にも力にもありつけない

だが、組織にあって帰属意識に溺れていない奴がいるだろうか

 

どんな大きな蟻塚も所詮蟻塚であるように

 

どんな立派で巨大な組織でも、否、であるならば尚更

想像するに余りある強烈な帰属意識が覆っている

つまり、奴隷根性の集まりは

首に縄を繋がれ、足に鉄球をぶら下げた己れを誇らしく思う真性の阿呆の集まりなのだ

 

独立した個でない者に対峙する価値はない

まさに蟻塚の蟻が同じDNAを持つように、個が個ですらない

 

彼らはそれを選民意識

すなわちエリート意識だと思っているだろうが

(あるいは、ノアの方舟かもしれない)

 

彼ら自身が立派で間抜けな組織の奴隷であることを

証明しているに過ぎない

 

だから帰属意識に生きる者は

本来の人間一個の存在として一人前ではない

 

そして、人間社会はこうした分子によって成立している

とどのつまり人間社会も蟻塚と同じなのだ

 

一人の人間の成長と成熟は

どんなハイテクな時代であろうと

即成されるものではない

 

背広の襟に社章やバッチをつけて調子付いている連中は

当座の金や力には何とかありついているが

総じて成長の機会を逃し、未熟である者が多い

 

人間は本質的に自由など求めちゃいない

人間は本当は奴隷が性に合っているのだ

帰属意識は本能的な自己放棄であり、太古帰りであり、奴隷回帰だ

 

民主主義、自由主義、金融資本主義の今の世界は

封建時代の支配者と奴隷の世界から

奴隷の奴隷による奴隷のための世界になっただけなのだ

 

人間はこれからも

どんどん未熟になっていくだろう

 

戦争があっても無くても

人間というのは所詮、本質的に集団行動なのだ

 

インターネットがまさに最後の受け皿で

帰属意識からこぼれた連中もみなここに収容される

アルプス山脈もアマゾン川も平衡化される

 

社会とはそういうもんだ

人間というのもな