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アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-13 北米に進出した欧州列強 

2024-03-01 07:47:16 | ヨーロッパ・中東・アメリカ全般、歴史・文化・食文化・芸術・建築

アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-12  移民の国 多様なアメリカ人https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2ae24e5f1674b9592a78d380a86d2def

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コロンブス新大陸発見以前の世界

それまでの世界(政治経済)は一体ではありませんでした。 地球は相対的に完結した複数の世界から成り、おのおの個別の世界史的概念を構成していました。

旧大陸には『中国』を中心とした『東アジア世界』、『インド』を中心とした『南アジア世界』、この『2つを統合』した『東南アジア世界』。 

『中東から北アフリカ』を中心とする『イスラム社会』、『キリスト教』を中心とする『ヨーロッパ世界』があり、それらの『北方には東西』に広がる『遊牧民の世界』がありました。

『アフリカのサハラ砂漠以南』には『ブラック・アフリカ』の世界が広がっていました。 ニジェールという国がありますが、ニジェール(ニガー・ニグロ)はラテン語で黒い人という意味です。

そして『南北アメリカ大陸』には、我々日本人の祖先の『縄文人』が一万年から二万年前から南北アメリカに移動した『インディアン=インディオ』の歴史が展開していました。

 

アメリカ大陸も含めて、これらの世界は互いに全く孤立していたわけではありません。『シベリアと北米大陸は北方で近接』しており、『イヌイット』が行き来していました。 

ノルマンの『ヴァイキング』は『アイスランド』を経て、『グリーンランドに定住』していました。 『グリーンランド』はヨーロッパよりアメリカに近く、

船長『ビヤルニ・ヘルユルファン』は986年にアイスランドから出帆して航路に迷い、今日の『ラブラドールかバフィン島』に到着しました。

紀元1003年頃、『レイフ・エリクソン』の一行が西に向かい、『野ぶどう』が生い茂る土地に到着し、『ヴィン・ランド』と名付けれられ、レイフらが冬を過ごしたのは『ニューファンドランド』の当たりだったと言われています。

その『ニューファンドランド』では『ヴァイキング』の『定住遺跡』が発掘されています。しかし、彼らのアメリカ到着は歴にに影響を及ぼすことはありませんでした。



『近代世界システム』の成立

『ヨーロッパ人』の『世界進出』と共に、『人類史』に『劇的な変化』が訪れ、それまで別々だった諸地域が『一体化』していきました。

世界経済が『ボーダレス』(無国籍)化し、『グローバル経済経済』が誕生します。

アメリカの社会学者『イマニュエル・ウォラーステイン』の『近代世界システム』によれば、世界の諸地域は一つの『経済的分業関係』に編成され、その『分業』が『国際的』な『支配と従属』の『関係を形成』していったとされています。

その中で『世界』は、『支配』する『中心』地域と『従属』する『周辺』地域に分かれ、さらに両者の中間に『半周辺』地域も生じたとしています。

このシステムの『中心部』では典型的な『産業資本主義経済』が発展し、強力な『国民国家』が『確立』していきますが、『周辺地域』では『自主的な発展の条件』が失われ、『植民地』的な状況に陥りました。

『近代世界システム』の成立は、『人間の移動』が『世界的に展開』される時代の到来を意味しました。ヨーロッパ人だけでなく、『彼による支配』と『従属の下に置かれた様々な人々』がが『自発的に移動』したり、『強制的に移動』させられたり、『排除』されたり、『閉じ込め』られたりしました。

『アメリカ人』という『形成』もこの『枠組み』の中で展開していったのです。

 



植民地の二つの概念

16世紀前半、『スペイン人』のいくつもの『探検隊』が『エル・ドラド』(黄金郷)発見の夢をもち、『フロリダ半島』と『メキシコ』のふた手から北米に入りました。

こうして『フロリダ』と『テキサス』より西の『アメリカ南西部』、『カリフォルニア』が『スペイン領』となりました。

『カトリック教団』の『布教拠点』(ミッション)とそれを『保護』する『軍隊の駐屯地』がその中核でした。

『フロリダのセントオーガスティン』は1565年、『ニューメキシコ』の『サンタフェ』は1610年、『カリフォルニア』の『サンフランシスコ』は1776年に、『スペイン人』によって『建設』されました。 

当時の『スペイン王カルロス一世(カール五世)』は、中世ヨーロッパを500年支配した『オーストリア』の『ハプスブルグ家』の『』神聖ローマ帝国皇帝のカール5世』(兼)『スペイン王カルロス一世』です。

だから、当時の『スペイン』は『太陽の沈まない国』といわれ潤沢な資金を持っていたのです。

 

しかし1588年、『イギリス』が『スペインの無敵艦隊』を打ち負かすと、17世紀初頭には『イギリス』、『フランス』、『オランダ』が『弱体化したスペイン』につけ込み、北米に『植民地を樹立』しました。

日本では『徳川幕府初期』の頃の話です。

17~18世紀における『ヨーロッパ』からの『最大の移民』の流れは『北米』に向かい、『ヨーロッパ列強』による『植民地競争』が『激化』するのです。

 

『イギリス』の『本格的植民』は、1607年の『ヴァージニア建設』から始まりました。
『タバコ栽培』が軌道に乗るまで、『ヴァージニア植民』は困難を極めました。

とくに1609年~1610年の冬には悲惨極まる『飢餓』に襲われました。 『ハワード・ジン』の『民衆のアメリカ史』によれば、耐え難い飢えに駆られ自然界で最も忌まわしいもの、つまりインディアンのみならず同国人の死体や排泄物まで食べるようになりました。

死体は埋葬されて三日後に墓から掘り出され、すべてむさぼり食われました。ある者は自分の腕で眠っている妻を殺し、ばらばらに刻んで塩漬けにし、それを食いつないで、とうとう頭を除いて全部平らげてしまったといいます。

 

もし、サンデル先生の授業のように、「君ならどうする?」と聞かれたら、「私たち日本人は、人や排泄物を食ってまで生きようとする『生きざま』は選びません」とはっきり答えて下さいよ。理由などありません。

『温暖湿潤な気南部』にイギリス人が『機構に順化』するには時間がかかりました。『マラリア』、『赤痢』、『天然痘』などで当初は『高い死亡率』でした。 元々女性は極端に少なく、さらに父親は子供が成人する前に大部分死亡し、『多数』の『孤児』と『寡婦』が生れ、安定した家族生活を送ることは困難でした。

 

メイフラワー号で大西洋を渡り、プリマスに侵攻に基づく市民的政治団体を形成したことで有名な『ピルグリム・ファーザーズ』(巡礼始祖)も、最初の冬は百余名の内やっと50人が生き残っただけでした、

長い航海の疲れと食糧不足、十分な家屋もない不自由な生活お中で、バタバタと病気で倒れたのです、 しかし、やがて安定した植民地社会が形成されていきます。  それは、イギリス人が大地に根を下ろした農業植民地を築くのに成功したからでした。 

今日、世界的大富豪のイギリス・ウェールズ出身の敬虔なプロテスタントのモルガン一族もアメリカに移民居た当初は農業からのスタートでした。

 

『オランダ』は1614年以降、『ハドソン川流域』に『ニューネーデルランド植民地』を建設しました。

しかし『イギリス』に負けて、それは『イギリス領』になり、『ニューヨーク』と改名されました。

『アメリカ版浦島太郎物語』、『リップ・ヴァン・ウィンクル』の民話は、オランダ人が遺したものです。

現在も、『植民地時代』以来の『オランダ系の家柄』が『アメリカの名門』として残っています。 二人の『大統領を輩出』した『ルーズベルト家』がその例です。

 

『フランス』が『北米』に『本格的な植民』を開始したのも17世紀の初めでした。『セントローレンス川』に沿っていくつもの『毛皮取引コロニー』を『設置』したフランス人は、そこから『五大湖地方』に入り、さらに『ミシシッピ川』を下って『メキシコ湾』に達し、

その流域を 『ルイ14世』 にちなんで、『ルイジアナ』と名付けました。

 

こうして『ヌーベル・フランス』は北東の『ニューファンドランド』から西へ『セントローレンス川』に沿って『スペリオル湖』に伸び、さらに『ミシシッピ川』を下って『メキシコ湾』に至ります。そして、大きなアーチ型をなす広大な植民地となったのです。 

「カナダが有用なのは、ただ私に毛皮をもたらしてくれるからよ」。『ルイ15世』の寵姫(ちょうき)『ポンパドール夫人』が述べたように、『フランス』にとって『カナダの価値』は『毛皮交易』にありました。

『フランス人』は、『毛皮』を求めて、『内陸部』へと『浸透』して行きました。
しかし『ヌーヴェル・フランス』の『実態』は、わずかに『点在』する『要塞』・『宣教基地』・町が河川と湖でかろうじて相互の連絡を『確保』していた『地域』、「点と線」で結ばれた『広大な領域』に過ぎませんでした。

 

 

(関連情報)


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12. アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-12  移民の国 多様なアメリカ人https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2ae24e5f1674b9592a78d380a86d2def

 



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