平群木菟 ― 2023年05月28日 22:18
平群木菟(へぐりのつく、5世紀後半)は古墳時代の豪族である。
概要
蘇我石川宿禰の子とされる。子は平群真鳥。
平群氏の祖
『日本書紀』仁徳天皇元年正月3日条、平群木菟は武内宿禰の子とする。 仁徳が生まれるときに木菟(みみずく)が産屋に入った。応神は武内宿禰大臣に質問したところ、吉兆と言い、武内宿禰の子が生まれたときにサザキ(鷦鷯)が産屋の飛びこんだ。応神はどちらも瑞兆である、名を取り換えようと言い、武内宿禰の子の名に木菟と付け、応神の子に鷦鷯とつけた。木菟は平群氏の祖となったという。
系譜
武内宿禰-平群木菟-平群真鳥-平群鮪-(略)- 平群神手-平群宇志
反乱の鎮圧
履中の即位前の皇太子の時、瑞歯別皇子に木菟宿禰を添えて派遣したとされる。
(原文) 太子則副木菟宿禰而遣焉。
政務
日本書紀履中二年(401)年に、磐余に宮廷を作り、平群木菟は蘇我満智、物部伊莒弗、葛城円とともに政務をとったと記載される。
- (原文)平群木菟宿禰・蘇我滿智宿禰・物部伊莒弗大連・圓大使主、共に國事を執れり
参考文献
- 太田亮(1942)『姓氏家系大辞典』磯部甲陽堂
- 斎部広成, 西宮一民 (1985)『古語拾遺』岩波書店
- 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋(1994)『日本書紀』岩波書店
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2023/05/28/9590071/tb
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。