細工谷遺跡 ― 2024年03月27日 23:06
細工谷遺跡(さいくだにいせき)は弥生時代、飛鳥白鳳時代から奈良時代の複合遺跡である。
概要
難波宮跡の東南に位置する遺跡である。上町台地の東斜面の谷部にある。古代仏教史や難波地域における渡来系氏族のあり方、銭貨の鋳造と流通といった、重要な課題に直結する資料が出土した。
調査
1996年(平成8年度)の発掘調査により、難波京内の空白地域に「百済尼寺」という古代寺院の存在が確認され、全国で初めて和同開珎の枝銭が出土した。枝銭は奈良時代の排水路の底近くから見つかった。排水路からは、枝銭のほか多数の土器、瓦、匙、鋲などの銅製品、坩堝や金属を挟む道具の金鉗、鉄の斧先、木簡などが発見された。工具や銅板の切り屑が見つかったことから、金属製品の工房が付近にあったとみられる。
銅銭
鋳棹の左右に3枚、計6枚の和同開珎が付く。鋳棹は断面が楕円ないしカマボコ形で、下端を欠損する。和同開珎の鋳造工程を具体的に示す。銅の純度は96~98%と高く、重さは78.9gである。枝銭と一緒に出土した和同開珎には、18点の完形品のほか、鋳バリが残るバリ銭や破片は未完成品・失敗品である。長さ11.3cmで枝銭の先端は切り取られており、完成品として使用されたとみられる。約40枚の和同開珎のほか、「万年通宝」「神功開宝」「隆平永宝」「富本銭」が出土する。藤原京2例、平城京2例に次ぐ、国内5例目である。
軒丸瓦
飛鳥様式の素弁蓮華文軒丸瓦、重弁蓮華文軒丸瓦、複弁蓮華文軒丸瓦が出土した。法隆寺系の複弁八葉蓮華文軒瓦の出土数が多く、「百済尼寺」の創建瓦の可能性が高い。「百済寺」と想定される堂ヶ芝廃寺の出土瓦との共通点が多い。
古代寺院
細工谷遺跡での出土で発見された古代寺院は、難波宮の南側に点在しており、難波宮のメインストリートである朱雀大路と推定される道路の東にある。 条坊制が敷かれた難波宮の栄華を思わせる。尼の父の名前を記した木簡は長さ18.1cmで、尼寺に入るための身分証明書とみられる。「百済尼寺」の存在を示す墨書土器の出土が注目される。細工谷遺跡では「尼寺」の墨書が4点、「尼」のみが3点出土し、ほかにも「尼」の字を伴う墨書が7点ある。尼寺と対をなす「僧寺」は1点だけであり、この一帯が難波京「朱雀大路」の東に接した尼寺であったことを示す。墨書土器は1000点が出土し、これらは奈良時代末から平安時代初め頃である。
遺構
- 溝
- 井戸
- 土壙
- 柱穴
遺物(飛鳥時代、奈良時代)
- 富本銭
- 木簡
- 瓦
- 墨書土器
- 箸と考えられる銅製品
- 鉄釘
- 耳環
- 鉄斧
- 匙
指定
- 大阪市指定文化財
アクセス
- 名 称:細工谷遺跡
- 所在地:大阪府大阪市天王寺区細工谷1丁目
- 交 通:JR鶴橋駅から徒歩3分 (遺跡看板あり、聖バルナバ病院の前)
参考文献
- 財団法人大阪市文化財協会(1999)『細工谷遺跡発掘調査報告1』財団法人大阪市文化財協会
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