日向林遺跡 ― 2025年02月14日 00:40
日向林遺跡(ひなたはやしいせき)は長野県上水内郡にある旧石器時代の遺跡である。 「日向林A遺跡」と「日向林B遺跡」とがあり、両者は隣接する。
概要
薬師岳トンネルを抜け、信濃町に入ってすぐにある水穴集落南側、野尻湖から1kmである。野尻湖の西岸から南岸にかけて、30を超える旧石器時代の遺跡があり、「野尻湖遺跡群」と言われる。石器の組成は黒曜石、玉髄とで93%に及ぶ。そのほか、斑晶質安山岩、蛇紋岩、硬質頁岩、珪質凝灰岩などである。
調査
1993年(平成5年)、1995年(平成7年)に高速道の建設で発掘され、旧石器時代の生活の場とみられる環状ブロック群が発見された。「日向林B遺跡」から約9200点の旧石器時代の石器が発掘され、国の重要文化財となった。野尻湖のナウマンゾウの活動時代より後の時代で約3万年前より古い時代の石器となる。刃先だけを磨いた斧形石器が60点出土した。野尻湖周辺の石斧は「世界最古の磨製石器」との評価であり、当時の集団構成や形態、また狩猟活動と生業の実態を復元できる重要なものとされている。
石斧の重要性
長野県埋蔵文化財センターの谷和隆と大竹憲昭はナウマンゾウが多く生息した信濃町で、ゾウ狩りのために多量の石斧が使われたと考えている。石器の刃先を顕微鏡で観察し、木などの固いものを加工したり、毛皮の加工に使われたと結論づけた。材料は蛇紋岩ではなく、透閃石岩であった(長崎潤一(2011))。
広域移動
後期旧石器時代前半期の集団はかなりの広域を移動していたとみられている。日向林遺跡では黒曜石、珪質頁岩、玉髄など野尻湖周辺では算出されない石材を用いている。黒曜石の産地分析では長野県和田峠産であることが判明している。現在の道のりでも150km前後の距離である。玉髄は近い場所でも茨城県常陸大宮市付近であるから、現在でも350km前後の距離である。いかに遠隔地への移動がされていたかが分かるものである。
遺構
A遺跡
石器集中(ブロック)8
B遺跡
- 石器集中(ブロック)31
遺物
A遺跡
- ナイフ形石器
- 貝殻状刃器
- 掻器
B遺跡
- 斧形石器
- 台形石器
- 掻器状石器
- 貝殻状刃器
- 槍先形尖頭器
展示
指定
- 2011年(平成23年)06月27日 - 重要文化財「長野県日向林B遺跡出土品」
考察
長崎潤一(2011)によれば、環状ブロックが一回性の居住により形成されたとの仮説の場合、それぞれの集団が移動する経路上に姫川上流があり、そこで石斧の材料を入手し、各地を移動後にした後に日向林遺跡に石斧を廃棄したことになるとする。石器器種の均質性、剥片石器の剥片剥離工程、ブロック間の石器接合などから、一回性の居住を支持する研究者は多い。 しかし、谷和隆(2005)は比較的長期に及ぶ滞在によって最終的に形成された遺構であるとする。環状を形成するブロック間に石器の接合関係が多く確認されている点や、各種の石材や各産地の石材が比較的均等に配置される点を挙げている(谷和隆(2005))。 日向林遺跡での環状ブロックにおける斧形石器60点は数が多っすぎて、一回性居住説では説明しにくいと考える。反復居住として、一時移動してから戻ったときに取り出して使うために斧形石器60点をまとめて埋めたのではなかろうか。
アクセス等
- 名称:日向林遺跡
- 所在地:長野県上水内郡信濃町大字富濃字日向林2253-5
- 交通: JR信越本線古間駅から徒歩で約15分
参考文献
- 財団法人長野県文化振興事業団長野県埋蔵文化財センター(2000)『長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書48:日向林B遺跡・日向林A遺跡・七ッ栗遺跡・大平B遺跡』長野県埋蔵文化財センター
- 長崎潤一(2011)「長野県日向林B遺跡の石斧について」史観164 、早稲田大学史学会 編,pp.88-103
- 島田和高(2009)「黒耀石利用のパイオニア期と日本列島人類文化の起原」駿台史學,第135号,pp.51-70
- 谷和隆(2005)「局部磨製石斧と環状ブロック群」『日本旧石器学会第3回講演・研究発表シンポジウム予稿集』pp.29-32
- 鹿又喜隆(2011)「地蔵田遺跡出土石器の機能研究と環状ブロック群形成の解釈」『地蔵田遺跡 旧石器時代編』,pp.182-189
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