エッセイ

本当の女とは

桜の名所を散歩

熊本市西区の名刹、本妙寺の参道を連れと歩きました。桜吹雪が舞う中、陽気をふくんだ心地よい風が頬をなでていきます。

ひらひらと散る桜の花びらを見ていて、連れと以前話したことを思い出しました。

映画『秒速5センチメートル』(2007年・新海誠監督)の感想です。この映画はものすごくおおざっぱに言えば、男女のじれったいすれちがいの物語です。

離れて暮らさざるを得ない幼い男の子と女の子が、周囲にだまって北関東の田舎の駅で待ち合わせをするところが物語の一つの山場になっています。

積雪のため電車は遅れ、無情にも約束の時間は過ぎてしまいます。このあたりの心理描写は、主に男の子目線で描かれています。動かない列車、寒さと空腹、見知らぬ土地、女の子はもういないんじゃないか…、ああ、心細いですね。

ようやく駅に到着した男の子がそこで目にしたのは、ストーブの前で不安に押しつぶされそうになっていた少女その人だった…

私のような本当の女とは

連れは「この作品に描かれている女は未成熟な男の願望である」と語気荒く言い捨てます。

私は「まったくほんとうにそうだ」とはげしく相づちを打ちながら、「心細い思いをしてようやく巡り合えた2人が品の良い距離感でお互いを慈しみあう素敵なシーンではないか」と男らしくはっきりと心の中で言いました。

「この監督の作品に登場する女はみんなできすぎているのではないか。この映画にしたって、来るか来ないか分からない男をたった一人で夜中まで待つものか。しかも寒いのに。そもそもちゃんと親に言って家を出てきたのか。親に心配をかけるとは何事だ」と切って捨てます。

私は「君の言う通りだ」と連れの言い分にぴったり同調します。

そろそろいい頃合いです。

「この監督は本当の女を知らないのではないだろうか、今後の作品のためにも本当の女を知るべきだ。わたしのような」(ここで連れはなぜかうなずいてキメ顔、私はすかさず…)

「成田屋!」

連れは何かを言い切ったとき、かならずうなずいてキメ顔をします。もし、私が拍子木を持ち歩いていたら、ここで拍子木をひとつ付けるなと思う瞬間が週に2回から3回あります。

映画なんだから、妄想でもなんでも理想の男女が登場してもいいではないかと思うのですが、けっしてそんなことは口には出しません。男はこころに拍子木を持って女性の意見を全面的に支えるべきだと思っています。それこそが「本当の男」ではないでしょうか。

もしかしたら私たちは「本当の女」と「本当の男」なのかもしれません。なんてことを思いながら今年の桜を眺めました。

ああ、今年も優しい人といっしょに桜を見ることができました。しあわせです。

この人の笑顔を見ているとほっとします。
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山口 和敏

熊本を中心にテレビディレクターとして30有余年。哲学を専攻。今も「人間とは…」「生命とは…」といった空恐ろしいことを問い続けながら、幅広いジャンルの番組制作に携わっています。 およそ2年前、「上顎洞がん」というけったいな希少がんに罹患し、余命6か月の宣告を受ける。 抗がん剤治療や放射線治療、12時間に及ぶ手術といったほぼフルコースのがん治療で右目を失うという過酷な闘病の中、脳のわずかな場所が生み出す絶望や苦悩にも関わらず、70兆個にもおよぶ肉体が持つ、生命の尊さと力強さをひしひしと深く感じることができた。これらの経験がいまの私の制作における大きな動機となっています。

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