霊園に十字架ひとつ冴返る

 

「方円」2014年5月号清象集掲載。

「冴返る」「凍返る」は春の季語。暖かくなったころにまた寒さが戻って来る事を指す。歳時記によると、「再びの寒気によって心身の澄みわたるような感覚が呼び覚まされる」とされている。3月も半ばに差し掛かってきたが寒さがぶり返して、まさに身の引き締まる思いがするこの時期、とある町の共同墓地の近くを歩いていたら、ごく一般的な墓石が立ち並ぶ中、十字架がひとつだけあった。その光景が新鮮に見えて、今の寒の戻りの気候の中、それが鮮やかに見えるような感覚を覚えて詠んだ句。

浄土宗である我が家のお墓は四天王寺にある。霊園案内を見ると、「宗派は問いません」と書いてあった。墓石だけでは見分けが付かないが、浄土宗のみならず、浄土真宗や真言宗のお墓も恐らくあるのだろう。考えてみたら、日本に根付いているのは仏教だけではないから、仏式のお墓だけではなく、キリスト教のお墓も当然ある。共同墓地なら、宗教はあまり関係なく、様々なお墓が林立している光景は不思議ではない。しかし、お墓と言えば思い浮かぶ形は仏式のもの。そういう固定観念がある。なので墓地の中に十字架があるのを「珍しい」と思ってしまう。そういう思い込みが、重大な事故を招く場合があるので、気を付けたい。今日は仕事でそういうミスをしてしまったため、余計にそう感じる。

 

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