寒鴉届かぬ声の断続す

 

「方円」2010年3月号雑詠掲載。

「寒鴉」という季語は好きでよく使う。その名の通り冬の鴉のこと。枯れ木の枝や電線などで動かずにじっとして、時々嗄れた声を発する様は、いかにも荒涼として寂しい。いつも歩く散歩道、刈り終えた田畑が広がる風景の中に、いかにも「寒鴉」という季語がぴったりの鴉が一羽佇んでいる。その嗄れて途切れ途切れに続く声は、冬の寂しさを助長させる。しかし、確かに鳴いている。その声は遠くに届かずとも、自分の存在を示しているようにも思えて、生きる者のしぶとさ、強さを思わせる。そんな強かな生を詠んだ句。

「多勢に無勢」という言葉がある。世の中というものは、確かに大多数の意見がまかり通って、少数の声はかき消されることがしばしば。そんな風潮が「私の声など届かなくても」という、諦めに似た感覚を覚えることがよくある。しかし、自分の意見、主張は、確かに持っていなければならない。それが確固たるものでなくても、主張するということは、自分を見失わないということ。黙って従うだけなら楽なのは間違いないが、自分をしっかり持たねばならない。最近特にそう思うようになった。

 

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