*小説『ザ・民間療法』を始めから読む
011 小説『ザ・民間療法』

アフリカンダンスの教室で私は散々な目にあったと思っていたが、親切心の塊のドルマは、まだこりていなかった。今度は私をヨガ教室に誘ってくれたのである。


自慢じゃないが、私はヨガの経験も一度もない。
ヨガといえば、カルカッタで会った留学生のミナコさんは「ヨガに目覚めた」とかで、インド中のアシュラムを渡り歩いて修業を積んでいた。彼女はインド南部で使われているベンガル語にも堪能で、おまけに見た目までインド人に同化していたから、最初は現地の人なのかと思ったほどだ。

しかし1990年代の日本では、オウム真理教の事件の影響で、ヨガに対するイメージが極端に悪かった。マスコミも一斉にヨガについて触れなくなっていたから、私はヨガの情報に接する機会もなかったのである。

調べてみると、古代インドで発祥した本来のヨガは、精神と肉体を自ら制御して、輪廻からの解脱を図るための宗教的な行法だった。また仏教や密教、バラモン教、ヒンドゥー教などの諸宗教とも深く結びついており、瞑想を主とするものだという。

ところが現在の欧米で、実践者が数千万人といわれるほど大流行しているヨガは、名前は同じヨガであっても、20世紀以降に欧米人向けにアレンジされた、単なる体操法なのだ。

実は私が住んでいるオーロビルは、開祖のオーロビンド・ゴーシュが、ヨガを通して宇宙意識と合一するために造営された場所である。つまりここは解脱のための土地、いわばヨガの聖地だったのだ。

実際、彼の入滅の際には、全身から出た金色の光明で室内が明るくなり、芳香が漂い、まわりで見守っていた人たちは、至福に包まれたという逸話まで残っている。ブッダを始め、解脱した聖人の死に方には共通したものがあるのだろう。

このオーロビンドの教えには、後にニューエイジのカリスマとなって日本でも話題になった、あのTM瞑想のマハリシも影響を受けていたというから、相当なものだ。

私もせっかくインドまで来て、聖地オーロビルで暮らしていながら、「本場インド」のヨガを体験しない手はないだろう。解脱とまではいかなくても、ひょっとしたら悟りを開いて、新たな境地に到達できるかもしれない。うっすらとそんな期待もあったので、ドルマといっしょにヨガ教室に参加してみることにした。

さていよいよ私のヨガ初体験の日。その日もいつものように、朝から焦げるかと思うほど暑かった。カルチャーセンターに着くころには、もう一汗かいていた。汗をふきふき教室に入ると、これまた先生は若いフランス人男性である。ヨガぐらいインドの人から習えたらよかったのだが、これは仕方がないだろう。

まずは先生からヨガの説明を受ける。人間の体にはいくつものチャクラというものがあって、ヨガ修業によってそれらのチャクラに、クンダリーニという生命エネルギーを通す。すると解脱できるのだという。

「ふむ。そんなものか…」
説明ではえらくかんたんそうだ。だが私の目に映る彼の姿は、まだ解脱への道は遠そうだった。でもこの際、やり方さえわかればいいのだから、そこにも目をつむろう。

ところが、ここで教えているヨガは、エアロビクスとストレッチを組み合わせて、現代風にアレンジしたハタ・ヨガの一種だった。本来のハタ・ヨガは、性的なエネルギーを生命エネルギーに昇華させて解脱に至るものらしいが、ここでは純粋なエクササイズだった。

確かに、オーロビンドの弟子でパートナーでもあったフランス人の「マザー」ですら、テニスなどのスポーツを奨励していたぐらいだから、ヨガも単なるエクササイズの扱いなのだ。

なかでもハタ・ヨガは、もともと身体的な要素が強かったから、人気があるらしい。輪廻からの解脱などという壮大な目標よりも、美容や健康、ファッション性のほうが重要になったのは、当然といえば当然の流れだろう。

しかしエクササイズとしてのヨガとなると、アフリカンダンス同様、私には体力的にきつかった。生命エネルギーを循環させて解脱に向かおうにも、元になるエネルギー自体が私にはとことん枯渇していたのである。

先生の指示でポーズを変えるごとに、明らかに息が切れてくる。これはよろしくない。日本ではホット・ヨガなるものも流行していたが、連日40~50度のホットすぎるインドでは、体力を消耗するタイプのヨガなどやっていられないのだ。

結局、私の意識には何の変化も訪れなかった。来たときと同様、世界共通の悩みを抱えた俗人のままで教室を後にした。それどころか体力を消耗した分、さらに生命エネルギーが低下した気さえする。やはり解脱への道など、日本から見るインド以上に、私にははるか遠い遠い世界なのだろうか。そう思うと、インドの暑さがいっそう増したようで、また気が遠くなるのだった。(つづく)

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