015 小説『ザ・民間療法』挿し絵

*小説『ザ・民間療法』を始めから読む

ある日、隣の部屋にミシェルという青年が住み始めた。彼は交通事故のせいで下半身付随になったときから、車いすの生活らしい。毎年フランスから一人でやってきて、バカンスの時季の数か月だけオーロビルで過ごすのだという。


ここでは、私も彼も何もやることがないので、日がな一日、二人でとりとめもない話をして過ごした。部屋の前に椅子を出して座り、目の前の草むらをゆっくりとコブラが通り過ぎていくのを、ただだまって眺めていたこともある。

そんなミシェルのところには、同じフランス人のマッサージ師アドンが通ってきていた。アドンは40歳ぐらいのがっちりとした体格の男性だ。彼以外にも、オーロビルには自称、治療家はたくさんいる。彼らはそれぞれの得意技で生計を立てている。アドンもその一人だが、彼はオーロビルでもっとも人気が高いという話だった。

アドンはいつも自転車に乗って、ミシェルのところにやって来る。部屋に入ると、慣れた手付きでミシェルをベッドに仰向けに寝かせ、彼の動かない足を丹念にマッサージする。次に両足を持ち上げて、空中で自転車漕ぎをするように左右の足を交互に動かす。

この一連の動作はなかなかの重労働である。アドンは汗だくになって続けていた。もちろんそんなことをやっても、ミシェルの足が動くようになるわけではない。しかし彼の足は運動神経が麻痺しているだけで、血流は止まっていない。組織だって生きている。その足を強制的に動かしてやることで、足だけでなく全身の血流も良くなるのだろう。

人間の関節というのは、使っていないとあっという間にさびついて動かしにくくなる。アドンはミシェルの足の関節がさびつかないように、力を貸して動かしてあげているのだった。

私は東京で特殊美術の仕事をしていたころ、ミシェルのように下半身が動かない男性を紹介されたことがあった。彼の麻痺した足はどこの病院でも治せなかったが、私がテレビ局の控え室でぎっくり腰を治した話を聞いて、私なら奇跡を起こせるのではないかと思ったらしい。

まさか神様でもあるまいし、麻痺した足を治すことなど私にできるはずがない。それはわかっていたが、無下に断るのもしのびなかった。そこで会うだけ会って、体を見せてもらうことにした。下半身不随とはどういう状態なのか。そこに多少の興味があったことも否定できないが、私は人から頼まれると断れないタチなのだ。きっと根がエエカッコシイなのだろう。

実際に彼の体を見てみると、障害を負った背骨の部分は、圧縮したようにがっちりと固まっていた。伸び縮みするはずの弾性が、完全に消え去っているのである。これを見ただけで、私の力量ではとうてい歯が立たないことはすぐにわかった。治すどころの話ではない。素人の私には、そんな体に触れることすら恐ろしかった。

しかし会った以上、何らかの貢献はしたい。私でなくても、どこかに奇跡を起こせる人がいるのではないかと考えた。彼も今までに何人もの治療家に診てもらったが、ダメだったようだ。そこで私の知っている有名な治療家のところへ、彼を連れて行ってみることにした。

その先生は、総理大臣になる前の竹下登を治療して、職務を果たせるようにしたことで有名だった。ところが彼の自信たっぷりな態度とは裏腹に、何回通っても効果は全く現れなかった。やはり民間療法のレベルでは、麻痺はどうにもならないのだろう。

ところがアドンのマッサージは、そんな奇跡を求める治療とは全くちがっていた。何かを治そうというのではなく、少しでも生活レベルを落とさないための努力だったのだ。そこに派手さはないが、より現実的で確実な治療だといえるだろう。彼の人気が高いのは、私にもわかる気がした。

得てして民間療法では、自分の力量を誇示するために派手なことをして見せようとする。しかしそれは自分のためであって、患者のためではない。だれもがイエス・キリストの奇跡のような結果を期待するが、そんなものは今の世には存在しないのだ。

私がテレビ局で腰痛を治したのだって、あれは決して奇跡なんかではない。今の医学に欠けた部分をわずかに補っただけである。それが奇跡に見えたとしても、そこにはちゃんと理由があるはずだ。そのしくみを知りたい。

あれ以来、ずっと私のなかにこの疑問がモヤモヤとくすぶっていた。この答えさえわかれば、奇跡の正体がつかめるはずだ。そんなことをぼんやりと考えながら、出口も見つからないまま、暑いオーロビルでの暮らしが続いていた。

そしてミシェルは例年通り、ここで3か月ほどのんびりと暮らしたあと、フランスの実家へと帰っていった。別れ際に、「ぜひうちに遊びに来て、しばらく滞在してほしい」と熱心に誘ってくれた。ところが私は、「チャンスがあれば」と気のない返事をしただけで、あえて連絡先も聞かなかった。

実は彼は大金持ちのご子息で、南フランスのお城で暮らしているというのは、あとから聞いた話である。お城での暮らしを見てみたかった気もするが、彼の去ったあとの南インドは、これからさらに暑い季節を迎えるところだった。(つづく)

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