鉄道と駅舎|日本の大動脈「東海道新幹線」(1)

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今回大阪に行くにあたり、東海道新幹線のお世話になりました。「のぞみ」に乗れば、品川から新大阪までの500km以上の距離が、約2時間20分。

 

開業したのは1964(昭和39)年10月1日ですが、計画された段階から今日まで、東海道新幹線が歩んできた60年以上の月日は、近代日本の発展の歴史のひとつだと思っています。久しぶりに乗ったので、改めてその歴史やルートなどを書き留めておきたいと思います。こういうのってきっかけがないと、調べたり、思いを馳せたりしないですよね。

 

その前に、品川駅で買えるお土産から。お馴染みの「東京ばな奈」もいいけど、以前に籐ブログでも記事にした、東京のサラリーマンの営業ツール「切腹最中」も販売されています。

 

次に、旅のお供。
駅のホーム、7号車乗車口付近にはスジャータとサーティーワンのアイスクリームの販売機。車内販売で多くの人に親しまれていたスジャータのアイスクリームは、今や東海道新幹線の名物に。現在、車内販売は「のぞみ」「ひかり」のグリーン車のみ。

ちなみに、設置されている駅は限られていて、東京駅、品川駅、新横浜駅、名古屋駅、京都駅、新大阪駅のみだそう(2025年3月現在)。

 また、「こだま」に乗らないと叶わないけれど、三島駅や新富士駅のホームでは毎年5月~9月頃まで「冷凍みかん」を販売しているとか。昭和40年代に全国的なブームとなり、昭和50年代半ばくらいまで在来線のキオスクでも売られていた記憶があります。

 



今回、久しぶりに新幹線の予約をして、本数が増えているのに驚きました。
在来線と変わらないのではないかと思うほど。いったい1日にどれくらい走っているのかと思ったら、現在では300本を超えており、1日の最多運行本数は2023年8月10日の471本だったという(もしかしたら、その記録ももう超えているかも?古い情報だったらすみません)。ちなみに開業当時は1日60本くらいだったというから、改善・改良のスピードもものすごい。他にもいろいろなところが改良されてきています。

他の新幹線に比べて、車内はちょっとレトロな感じ。
 

新幹線の発展のスピードにも驚くけれど、建設のスピードは本当にすごかったらしい。
東海道新幹線は、東海道本線の輸送力がひっ迫して急速な輸送需要への対応が迫られ、国家プロジェクトとして進められました。同時に、戦後復興の象徴のひとつでもあったと思います。

東海道新幹線構想が具体化し始めたのは1957(昭和32)年で 、起工式が1959年(昭和34)年4月20日。それだけでも早いような気がするけれど、誘致していた東京オリンピックの開催が東海道新幹線の着工と同じ年の5月26日に決定したために、1964(昭和39)年10月10日の開会式までに何としても間に合わせようとしたそうです。

 



実際に乗って景色を見ていても、地図を見ていても思うけど、たくさんの河川を越え、場所によっては多くのトンネルを通っていることに気付きます。30%以上が橋梁や高架橋、小田原~熱海間のトンネルは10カ所、太平洋側を通ったかと思ったら、関ヶ原を越えるときには日本海の影響を受ける・・・といった具合。乗っているといろいろな山が見えたり、琵琶湖が見えたり車窓を楽しめるとはいえ、建設も保全もかなり大変ではないかと思ったりします。

 

 

区間の最長トンネル「新丹那トンネル」の工事はかなりの難工事だったそうです。「世紀の難工事」として知られる東海道線の丹那トンネル工事の貴重な経験やノウハウが活かされ、土木技術も向上していたものの、やはり難所であることには変わりなく・・・。(丹那トンネル工事は、吉村昭「闇を裂く道」にもその様子が描かれています)。

 

次回は、そのあたりも含め、新幹線の歴史にもっと触れていきたいと思います。

 

闇を裂く道 新装版 文春文庫/吉村昭(著者)

新幹線全史: 「政治」と「地形」で解き明かす (NHK出版新書 706)

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