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「みかがみのたて」に込められた製作者の意図

 「みかがみのたて」という防具があります。Ⅰで登場して以来、Ⅱ以外のナンバリング作品に登場する伝統装備の1つです。特に、Ⅰの盾はかわのたて、てつのたてと、このみかがみのたてしか無く、この盾はドラクエの防具の中で最も長い歴史を持つアイテムです。
 漢字に直すと「水鏡の盾」。「水鏡」の本来の読みは「みずかがみ」で、「みかがみ」と読んだ例を私は他に知りません。当時のハードは容量が少なく、アイテムの名称は最大7字という制約があったために、読み方を変えられてこの名前になったのでしょう。


 さて、ここで疑問に思うのは、なぜ読み方を変えてまで水鏡の盾を採用したのかということです。字数制限が7字の中、本来8字の読みをわざわざ削ってまで登場させたのはなぜなのでしょうか?
 この盾はⅠで最強の盾ですが、店売りの、ストーリーに関わることのない普通の盾です。ですから、この名前でなければならない特別な理由はありません。他の2つが「皮の盾」「鉄の盾」という一般的な名前であることからも、こうしたひねりのある名前のものを登場させたのは何か意図があるからだと考えることができます。

 「水鏡」で辞書を引くと、「澄んでいる水面に物の影がうつって見えること。また、水面に顔や姿などをうつして見ること。また、その水面」とあります(精選版日本国語大辞典)。水面のように澄んだ盾といったところでしょうか。
 ただ、Ⅰではこの盾に耐性がありません。水の力を宿した盾であれば、炎から身を守ってくれそうなものです。炎を吐く敵が登場しますし、後の作品では実際に耐性が付きますから、Ⅰでそのような効果があっても不思議ではありません。それでも耐性がないのは、水であることに意味を持たせたわけではないからだと推察されます。「水」の鏡の盾ではなく、あくまで「水鏡」の盾ということでしょう。

 「水鏡」といえば、歴史書の名前でもあります。『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』のいわゆる「四鏡」の1つで、これらは神武天皇から後醍醐天皇の時代までの内容を扱う歴史物語です。その中でも『水鏡』は扱う時代が最も古く、神武天皇から始まる、日本国史の始まりが書かれています。
 これはいけそうです。Ⅰを開発している段階から、続編の構想はある程度決まっていたといいます。ですから記念すべき1作目、ドラクエの歴史の始まりを、日本国史の最も古い時代を扱う歴史書にかけ、この盾に託したという解釈はどうでしょう。

 話が逸れますが、ドラクエの世界観には日本的な要素がしばしば見られます。例えばギラやホイミは「魔法」ではなく「呪文」ですし、Ⅲの勇者の専用装備・おうじゃのけんは、ジパング出身の刀匠が鍛えた刀剣です。ドラクエは、単なる中世ヨーロッパ風の、剣と魔法のファンタジーではありません。西洋のウィザードリィやウルティマから影響を受けた堀井雄二さんは、日本のRPGをつくろうという意図をもって、日本的な要素を散りばめたのだと思います。『水鏡』の盾も、そのうちの1つではないでしょうか。


 この仮説を進めます。みかがみのたてはⅡに登場しません。これは『水鏡』が四鏡の第一作(扱う年代が一番古い作品)だからであり、ならば第二作が、何かのアイテムに名前を変えてⅡに登場していると考えられます。四鏡の第二作は、『大鏡(おおかがみ)』。文徳天皇から後一条天皇までの時代を扱うこの歴史物語から、名前が取られているアイテムとして考えられるのは、「おおかなづち」です。

 そんな金槌なんかに、と思うところですが、ではこの武器は作中でどのような役割を果たしているのでしょうか。
 Ⅱが初出のこの武器は、船を手に入れた後に訪れる城や街のいくつかで売られています。最速で手に入れるならラダトームで買うことになるでしょう。
 しかし、ラダトームへ行くなら直後にりゅうおうの城へも行くはずであり、城内ではロトの剣が手に入ります。原作のFC版では、大金槌もロトの剣もローレシア王子の専用装備であり、しかも性能はロトの剣が完全に上回っています。つまり、大金槌が役立つ機会はほぼないといってよく、普通に考えるとこの武器の存在価値はわかりません。

 常に容量との戦いであったFC版で、このような無意味に近い武器(しかも金槌という、世界観に合わないダサい武器)にデータを割くとは考えにくく、あえてこれを採用した背景には、単なる武器としてではない何か別の意味がこめられていると考えることもできます。「おおかなづち」は『大鏡』から来ているのだと私は思いたいです。


 しかし、この仮説が成り立つのはここまでです。なぜなら、まずⅢには水鏡の盾も大金槌も登場するからです。これにより、対応するアイテムが1作品ごと入れ替わりで登場するという原則が崩れます。なにより、第三作『今鏡(いまかがみ)』の名を冠するアイテムがⅢには見当たりません。よって、四鏡をドラクエの歴史にこじつけることができるのはⅡまでです。

 Ⅲを作るにあたってやめてしまったのか?そもそも誤った推測だったのか?私としては自説に固執したいので、途中でやめた理由を考えます。
 ロトシリーズが3作目で完結することになり、四鏡と数が合わなくなったからかもしれません。また、ⅢはⅠよりも前の時代の話ですから、Ⅰと『水鏡』が対応しなくなったからというのも考えられます。『水鏡』は国史の最も古い時代を扱っているので、ⅢがⅠより前の話であれば、Ⅲこそ『水鏡』でなければなりませんから。ともかく、きれいに収まらないとわかった時点で、この発想に執着することなく捨て去ったのでしょう。

 さらに堀井さんの気持ちを推しはかるならば、1作品ごとに対応する名前のアイテムを入れ替わりで登場させていてはあからさますぎると、途中で感じられたのかもしれません。堀井さんは遊び心に満ち溢れたかたですが、自分の思いつきや工夫を自ら語りつくすようなことはされませんからね。曖昧に、匂わすくらいがちょうどいいのです。


 真相はわかりませんが、ともかく7字という字数制限に対して元々8字の言葉をねじ込んだ結果、とてもドラクエらしい造語ができました。私はこの盾がとてもすきです。製作陣も、この盾には思い入れがあるのでしょう。Ⅱ〜Ⅳでの欠席を経てⅤで復帰したときには、マシンの進化によって既に8字の字数制限をクリアしているにもかかわらず同じ名前で再登場し、以後すべての作品で実装されています。しかも、耐性が優秀で後衛も身につけられる終盤の装備品ですから、どの作品でも並以上の活躍をしています。 みかがみのたては、ドラクエの歴史の始まりを象徴するアイテムという地位を得るには至りませんでしたが、ドラクエらしさを体現するアイテムの1つとして地位を確立しているといえるでしょう。

 以上、「みかがみのたて」が登場した理由を考えてみました。私はゲームをする中で、製作者の工夫を発見することに無上の喜びを感じます。遊んでいると、なぜこうなっているんだろう?なぜこうなっていないんだろう?と思うことがあります。そこには製作者がなにごとかを意図した結果が、工夫として現れています。そういった物事の背景や根本を認識したり、予想したりすることにおもしろさを感じます。
 こういった発見や予想を書いていきます。どうぞよろしくお願いします。

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