3月も終わります。
いろいろ思いが浮かんできます。私はどこへ向かおうとしているのか。どんな生活をしたいのか。家事も怠ってまで真剣に取り組むことはない。だからと言って家事を完璧にすることもない。ほど良く生きていきたい。肩の力を抜いて、笑顔で。 今年も健康であり、体力つけること。半日勤務から1日動けるように。 ゆったりできる今が心地よい。心地良い現状に感謝を。 自分に足りない所を補うことには取り組んでいきたいなぁとは思う。出来る所を伸ばしていくより足りない所を補う派かな。 薬を飲み続けていたら、今後何かと不自由なことがあると思う。副作用で、体重も増え続け、昨年2月から知人に紹介してもらった教室で、食べ物から治していき、運動もして、この1年で12キロやせました。 薬も自分に合うようになるのも1つの段階でしたが、合いだして調子が良いのが2年程継続できた時に、調度教室に通うようになるから、次の段階で薬を更に減らす方向に。薬あっての調子なもので、減らすとなんか調子が違う、と違和感を感じましたが、今はその違和感に慣れて行くよう、薬がなくてより良く調子が整うように。 1日働けるようになるにはコスパの良い自分になるまでは、コツコツ努力していくだけ。 健康がありがたく、今の生活がありかたい。不自由さを知らなかったら感謝できる人になれなかったかなと思うと、人生って、意地悪だなとか、思ったり。仏教的に言うと前世の行いが今につながっているとかで、苦しみを知るために生まれて来たのかな、辛い思いをしている人が救われて欲しいあまりに、その思いを経験しているのかな。辛い経験せず、ずっと順調にいるだけでは気持ちがわからないとも思う。誰もが辛い思いをしない世の中になれば、私も辛い経験なんかすることもないのよ。 皆が仏の心に気づいて救われたら良いのか。 世の常は移り変わるもの、さまざまなものはつながりがある、、、。が仏教の根本だけど、私はそこに疑問は抱かないのか、と。程よい状態でずっとあれは良いやん。移り変わって良いことばかりならまだ良いけど、苦があるもの、ということが前提なのも変。 実際苦があるから、その通りで、生き抜くには諸行無常、諸法無我、柔軟にならな生きていけません。 法華経勉強会では、芯を持って柔軟に対応していきたいね、と話してました。芯とは法華経の考え、と捉えても良いと思うので私は法華経を勉強しているの...