40代後半でビジネス英語をやる羽目になり、からくも一定の実績を出せたから言うのではありません。また、アラカンで英検1級一発発合格したから、唱えるわけでもありません。
しかし、昨今目にする「英語の早期教育」のあり方については疑問を投げかけたい。
その理由と代替案を以下に共有してみます。
いま、手元にある英検1級の2次試験対策本の中には、この命題にする模範英文のようなものが記されており、「英語の早期教育に反対の立場」では、「英語の早期教育により、日本語に対する意識が希薄になり、アイデンティティ喪失になりかねない」といった趣旨が展開されいます。
本ブログ筆者の「英語の早期教育」に反対する理由は、こんな小難しい話ではなく、もっと身近なところにあるのです。
1.英語ができない親御さんに限って、小さなうちから英語をやらせようとする。それは、子どもにとって迷惑でしかないし、逆効果を招きやすいから。
これは、クラシックの演奏会に小学低学年くらいの子どもを連れて行き(連れて行くのまでは別に構いません)、客席の一番前に座らせるようなものと本ブログ筆者は感じています。
一流の演奏を最も近いところで聞かせたい。
そういった親御さんの一途な気持ちもわからないでもありません。しかし、ほとんどの場合、子どもは退屈してしまっていて、親の顔を見てばっかり。ひどい時には、足を膝から先、ぶらぶらさせてしまったりしている。しかも、それを親は足を押さえようとすることさえしない。
英語教育も、これと似ていて、親御さんばかりが熱心で、肝心の子どもは冷めているか、むしろ反発しているのが現実ではないでしょうか。
2.楽しい英語などというものは、まさに絵に描いた餅、幻想でしかないから。
この数十年、かつてのスパルタ教育の反動からか、「楽しんで学習する」という流派が、教育の大勢を占めるようになっているようです。
本ブログ筆者に言わせれば、おかしな臭いを感じます。
おおよそ学習というものに関して、そんなに「楽しい」ことは起きません。すくなくとも「ふざけた感じ」はありえないはず。
にもかかわらず、先生や生徒が笑ったりにぎやかに遊んだりしているうち「めきめき力が付く」ような幻想が氾濫してしまっている。そんなうまい話があるはずがないではないですか。
テレビショッピングの世界でもあるまいに。
3.相変わらずの「欧米崇拝主義感覚」から抜け出ていないから。
早期教育論者の中には、「幼いうちかから英語を身につけることによって、国際的視野が広がる」といった説明をする方もあるようです。
この説明は、一見すると非常に妥当なような気もします。しかし、どうでしょうか。
本ブログ筆者はいつも滑稽に思うのですが、多くのアメリカ人は外国語が話せません。フランス語?スペイン語?いずれも日本人が英語を話すよりもダメダメな傾向にあります。高校の教師をやっていたような人でも、ろくに話せません。第二外国語は。
そんなろくに第二外国語を話せない傾向にある外国人がただただ英語をしゃべるというだけで私たちは仰ぎ見てしまっているのです。すごい人だちだ、私たちもがんばって追いつかなければ、と。
しかし、日本語以外に英語という第二外国語を勉強したり、使おうと思えば話せる我々日本人の方が、本当は彼等から仰ぎ見られていいのです。
このあたりは、↓にも書きましたので、詳しくはこちらをご一読ください。
外国人にへらへらするようなおばかさん、外国人にNo!を言い出せないようなおばかさん、そんな浅薄なおバカさん的行動にを物心つく前から子どもに無意識に求めてしまうような「早期教育」。
「おかしいかもしれないな」と感じる方が自然なのではないでしょうか。
言い換えれば、こうも言えるでしょう。
英語を習う子どもの根底にこういった欧米崇拝が抜きがたく存在したままで成長させてしまっては、どうやってリーダーシップを養成することができるでしょうか。欧米人の中にあってひたすら「のび太」のようにおどおどしてしまうのが関の山なのです。
4.「友達100人できるかな」的発想は、これからのサバイバル時代に向かないから。
英語をなぜやるのか、子どもにやらせるのか、と聞かれたとき、「人的ネットワークを自ら広げれられるような人間に育ってほしい」といったよく聞く説があります。これも、字面だけ見れば、美しくて素晴らしい。
しかし、極めて日本人的発想というか、現実離れしているとしか思えません。おそらく、こういうことを唱える方は、英語を使って外国人と交渉したり、時には駆け引きをしたり、時にはギャフンといわされたことのない方ではないでしょうか。
というと、いやいや「子供の世界には、そんなかけひきなんてものは無いのだから、余計な心配だ」という反論が聞こえてきそうです。
どうでしょうか。本ブログ筆者は、そういう一種の「大人」ぶるような方こそ、自分の子ども時代に味わった、子ども独特の残酷さとか酷薄さをすっかり忘れてしまっているのではないかと思っています。
子供であろうが、大人であろうが、形こそ違え、質こそ違え、人間が生きていく以上、相手に対してマウントを取ろうとしたり、あるいは裏切られたりといったことは当たり前にある話だったではありませんか。
にもかかわらず、そんなところには頬かむりして、英語の時だけ天使のようにふるまえというのは、あまりにも現実離れしているでしょう。
さて、それでは、対案として英語の早期教育に替わる方法の一端を紹介してみたいと思います。
それは、留学でも海外移住でもありません。お子さんと同じ年頃、あるいは多少年上でもいい、英語しかしゃべらない子どもを一晩でも二晩でも預かって一緒に行動させることです。子どもだけで洋画を見させるのでもいいし、お互いが好きなスポーツさせるのでもいい。
そこで、言葉は拙くても、相手に通じさせようとする「やりとり」を試みる姿勢が生まれます。「かけひき」とまでは、いかないかもしれませんが、少なくとも「やりとり」先行の姿勢が形作られます。
そして、英語の何たるかはその次で十分なのです。いまの早期教育には、このあたりが欠けている、足らなさすぎると思います。
その意味で、英語早期教育全般を否定しているのではなく、やり方に疑問を呈しているのです。
以上、参考書には載っていないかもしれませんが、あなたの、そしてお子さんの、英語スキルアップの参考になればと思い、記してみました。