ハリソンさんはカノ紳士 ーフランス通過編 ー(後半)

今は昔の18世紀欧州が舞台の歴史大河ロマン。

28-13 こうしてインボウ論は作られる

2024年03月28日 | スパイとインボウ論とシュン画と親子ゲンカ



 噂や悪口もその内ですが、
人間ってのは
自分の知っている範囲内の
知識を組み合わせ
どうしても物語を
作り出してしまう
ものです。

 それらが極端な方向へ
行くと世の中の陰謀論になり、
家庭内では認知症者の作話に
家族が混乱する事態と
なるのです。

 ハリソンさんがこれから
自説を展開するのは
1764年6月〜67年6月の間、
フランスのジェヴォーダン地方を
恐怖に陥れた
狼に似た大きな野獣の
謎の正体についてと
それがエクトル氏と
どうの絡むか?
――なのでした。


28-12 見よ、私はカツラを外そう Behold, I take off MY WIG

2024年03月21日 | スパイとインボウ論とシュン画と親子ゲンカ



 前半ブログでも、
またこちら後半ブログでも
合わせて何度か書いていますが、
ハリソンさんのリボンで
縛った銀毛はカツラです。

 18世紀の人々は
薄毛や禿げ頭を隠すために
カツラを被っていました。

 王侯や著名人だけで無く、
かなり下の階級の人々までも
着用していて、
「皆で被れば本当の
頭髪で悩んでいる人だけに
恥をかかせたりはしない」

というのが
当時のマナーだったようです。

 フランス革命も過ぎ
19世紀に突入。
ナポレオンの時代には
カツラを被る人が
減って行きます。

 ジェイン・オースティン
小説のヒロインのお父さんとか、

親戚や近所のある年齢より
上のおじさんだけ被っているのを
映画で見る事がある程度。

 ベートーベンが本格的に
活躍している頃には
もう殆ど絶滅。

 一部の権威的職業の
方々や演劇のキャラクター、
お祭りのコスプレを除き
姿を消したのでした。

 さて、本ページからは
インボウ論パートに入って
行きます。




28-11 音楽を愛する若者達の格差

2024年03月15日 | スパイとインボウ論とシュン画と親子ゲンカ



 レオポルド・モーツァルト氏から
音楽の能力を深めたいなら
イタリアへ行くのがいいと聞き、
また、作曲者不詳の曲への
興味も湧いたマルセルは
イタリアへの期待が更に
高まって行くのです。

 イタリアではマルセルの
作曲者探しの大冒険が
繰り広げられる事でしょうが、
果たして作曲者は誰?
そして見つかるの
でしょうか?

 一方、
孤児院で修道士さん達からの
世話を受けている
ヴァンサンには
例え音楽の才能があっても
マルセルなような幸運は
今の所、
望むべくも無さそう
なのでした。



28-10 失われた作曲者を求めて

2024年03月06日 | スパイとインボウ論とシュン画と親子ゲンカ

※ イタリ=イタリア


 元の楽譜には
「ソナタ第4番」とあり、
楽章も全4曲。
アラン君とヴァンサンが
ギターで弾いていたのは
第2楽章でした。

 当時は著作権が全く無い
という訳でも
(やっと創作者達が闘い始めた頃)
無かったのでしたが、
音楽については
主題のパクリ、
その他メロディーの
転用&引用、
曲の編集&コピー (写譜) が
頻繁 (かつ今よりEASY)
に行われていました。

 【パクり=作品への愛着
=最上級のリスペクト表明】
という考え方もあったのです。

 大バッハやヘンデル
でさえ他作曲家作品や
時には自作品をパクり
リメイク&リブート&
リマスターしては
再発表、再々発表
していました。
 
 そして、
創る側も受け取る側も
芸術かどうかという
点において

B.B. (ビフォー・ベートーベン)
の人々は「意識低い系」
でした。

 そういう事だから
前話の開始前エッセイに
書いた「月の光」のような
人気曲
でも本当の作者が
誰なのかが分から無く
なってたり。

 「きらきら星」原曲の作曲者
(27話でヴァンサンがギターを
弾いていた曲を作ったのと同じ人)
が編曲者 (モーツァルト)の
シャドウになってしまって
たりするのでした。


28-9 羊飼いのアレグロ

2024年02月28日 | スパイとインボウ論とシュン画と親子ゲンカ


 マルセルは23話
4ページに出て来た
英国で管楽器製造・販売
の起業しようとしている
ジェイドニー兄弟の
モニターになって
楽器と楽譜を貰い、

その中にこの曲があった
のかもしれません。

 それとも、
マルセルの出身地カレー市には
廃兵院があったので、
仕事絡みで出入りしている内に
親しくなった元軍人さんから
遺品として受け取った
楽譜の中にあった
可能性も
あります。

 もしくは、
23話に出て来た
軍楽隊の先輩がフルートを
勉強した時に使った
教則本の中にあり、

マルセルはそれを見せて
もらった時に気に入って
練習した事がある
とも考えられます。

 いずれにしても、
教則本の制作者が
曲全体のタイトルをもとに
して付けた曲名
のようです。